ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~彼らのその後~

2019-09-27 09:01:04 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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この本を読み終わったあと、さて、この家族たちは今はどうしているのだろう? ということが気になりました。
というのは、最後にベトナム人の妻が夫である日本人の著者にこう問いかけるシーンがあるのです。
「ねぇ、私たち、これからどこで生きて行くの?」と。
それは、日本人である著者はベトナム人の妻と結婚した時点で、ずっとベトナムで生涯過ごそうと思っていたのだけれど、戦火でとてもそんな状態ではなくなったために日本へ来ただけだったからです。
だから妻もきっと日本は一時避難の場所であって、このまま一生この国で住み続けるわけではないのかもしれない、と思っていたふしもあります。
そして、
「国際結婚がうまくゆく秘訣は、妻の国で暮らすことだ」
と誰かに言われ、著者もそのとおりだと思ったし、なにも著者自身がずっと日本で暮らしたい、と願っているわけでもないので、いずれ落ち着いたら老後はベトナムに帰って暮らそうかな、と考えていました。
だから、著者は妻に
「おまえ、死ぬときはベトナムで死にたいか?」
とたびたび聞いています。
そういうことを何度も聞かれたら妻としては、「この人、私を連れてゆくゆくはベトナムに帰ってくれるのかな」と思うじゃないですか。
著者もあの肥沃なベトナムの地を愛しており、まんざらでもありません。
そして娘は、というと、日本に来てからは日本人になりきっており、将来は日本かパリで暮らしたい、と言っています。
これも著者を悩ませたことの1つでありました。
なにせ自分と妻はベトナムの血が騒ぐ、と言っているのに娘だけがベトナムで生まれたのに、完全に日本人になっており、ベトナムに帰る気持ちは毛頭ない、というのですから。
それならそれでまた諭しておくこともある、いずれ彼女とはじっくり話をせねばな、と著者は思っています。



さぁて、だからどうなったのかなぁ? その後のお話ってないんだろうか? と思ってちょいと検索したら、なんと! 
この著者である近藤紘一さんは、胃がんのため45歳という若さで亡くなっていました。
それは、この「サイゴンから来た妻と娘」が著された次の年でもありました。
その早急な展開にびっくりしたのでした。
まさか本人もこんなことになるなんて思ってもみなかったろうなぁ・・無念だったろうなぁ・・ いや、特派員としていろんな国を見て回っていると、逆に人の命の儚さが平和ボケした日本人より身に染みてわかっており、
「あぁ、俺の人生はここで終わりだったのかぁ」
ぐらいの感慨だったのかなぁ、とか色々考えてしまいました。



なんと言っても一番驚いたのは、彼がこの著書を著したのが、44歳だった、というその年齢についてでした。
15歳になるミーユンという妻の連れ子のことを全く子ども扱いし(当たり前かもしれませんが・・)、父親ならではの思いを馳せ、ろうたけた文章ときっちりとした視点を持った人物が、今の私よりずっと年下だったなんて! という驚き。



そして、妻と娘はその後パリで生活しているようです。
娘は希望どおりの人生を歩んだわけですね。
そして母として、著者の妻はその娘について自身もパリへ飛んだのでしょうか。
なんだか、人生ってほんとに不思議だなぁ、面白いなぁ、どこでどうなるかわからないなぁ、と感慨深く思いました。
いやね、私自身、これから先、どこで生きて行くかわかりませんよ、というつもりはありません。
やっぱり、どこに住みたいか、ということは本人の意志ですからね、私はフットワーク軽く地球上であればどこででも生きて行ける、どこへ行っても構わない、とは思っていませんので。
まぁね、そりゃあ難民にでもなって否が応でも、となればどうなるかわかりませんが、根がずぼらなので、自ら腰をあげて根無し草のように色々な土地で暮らしてみたい、いろんな国を見てみたい、とは思っちゃいないんです。
私はこの先もきっとこの岐阜の地で生きて行くことでしょう。



そして最近では、東京や大阪へさえ、セミナーや講座などで出かけることも少なくなってきました。
以前は、オーラソーマのティーチャーになるためにイギリスまでひとりで行けたんだったら、日本国内なんてどこへだってへいちゃらだわ、という感覚だったのですが、最近めっきり腰が重くなってしまいました。
それは何が何でもこの講座を受けたい! どこでやっていようが行きたい! と熱望するようなものがないからかもしれません。
いや、世の中に魅力的な講座が少なくなったなぁ、と言っているわけではありません。
そういうものはいっぱいあると思いますよ。
ただ、今は私の魂が騒がないだけです。
この先、またオーラソーマのように出会いがしらにハートを持って行かれる、というようなものに出逢ったら、またどこへでも出かけてそのことについて深く知りたい、と思う時があるのかもしれません。
でも、なんとなくね・・ 
なんとなくですが、もうそういうことは私には起こらないような気がします。
なぁ~んて言っておいてまたキャピキャピとどこへでも受けにいくような生活していたら今日書いたことが恥ずかしいので、書かずにおいたほうが身のためだったかもしれませんが、まぁそのときはそのときで素直に撤回いたします。



以前にこんなひとりよがりなブログでも楽しみに読んでくださっているという方から、
「えつこさんのどんなところが好きなのか考えてみたんですが、いろいろなところへ出かけてそれを血肉としているところ」
というようなことを言われたことがありまして、それも1人ではなく、複数の方に言われたんですね。
そのとき私は、
「え・・ 私の魅力ってそこなのかぁ」
と少し意外でした。
自分ではむしろ、1つのところに落ち着かず、いろんなセラピーやらヒーリングにハマって行く自分をたしなめなくちゃ、と思っていたくらいでしたから。
ですので、今後はもうそんなに講座を受けにあちこちいかないでしょうね、なんて書くとそういう人たちをがっかりさせちゃうなぁ、なんてその方たちの顔がチラと浮かんだりもします。



ただ、思ったのはね、人は自分の内面と向き合おうとしていろいろともがき、そしてその都度「今の時点ではこれが答えかな」というものに出会っていくのだけれども、自分の内面と向き合うのだから、毎日ひたすら瞑想でもしていればよい、人と会う必要もどこかへ出かける必要もない、としてほんとうにそれで気付くことのできる人というのは、それまでに相当修行を積んだ人でしょうね。
多くの場合は、自分の内面と向き合うために自分ひとりだけ精進しようとしていると煮詰まり、そして外へ出ていき、
「こんな世界もあるのか!」
と驚愕し、そこで初めて自分がよく見えるようになったりして気付き、そしてまた外の世界に疲れ、少し自分だけの世界に入り・・というような繰り返しではないのかなぁ、と思います。
私の場合でいうと、自己探究や自己受容のためにストレートにそれをセラピーという形で吸収し、発信することについては1つの時を終えた、という感じがしています。
また私は全然違うことから気付きたくなっている。
それが何なのか?
だいたい自分の中では答えが出ているのですけれどね、なぁ~んて思わせぶりなことを書いて今日は終わります。
ただ、旅は死ぬまで終わらないのだ、ということだけは身に染みてわかるような気がしています。





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