ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

夢に対する熱量

2019-05-07 09:01:56 | 映画
    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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映画「キングダム」を観てきました。
もうストレートに「面白かった~!」と言える娯楽作品。
展開はスピーディだし、話は単純だしでわかりやすいのがいい。
最近ではなかなかに一筋縄ではいかない、という作品が多すぎる。
話の骨子はシンプルなのに、登場人物の人間関係が入り組みすぎ、とか、陰謀がこねくりすぎ、とかね。
でもこれは非常にわかりやすかった~



舞台は中国春秋戦国時代。
孤児のシンとヒョウは奴隷として金持ちの農家に売られていったけれど、決して自分たちがここで一生を終る人間だとは思っていませんでした。
身分もお金もない自分たちがのしあがるための唯一の道は剣の達人になること、と信じ、ふたりで毎日毎日剣の特訓を怠りませんでした。
そんなある日、王都の大臣がやってきて、ヒョウだけを召し抱えるといって連れて行ってしまいました。
ふたりは別々の道を歩むことになります。
そうして1年ほどもたったある日・・
ヒョウが息も絶え絶えの深手を負い、ふたたびシンの小屋にあらわれます。
なんとヒョウは王にそっくりだったため、影武者として雇われたのであり、狙われて深手を負ったのでした。
ヒョウは
「俺たちは2人で1人だ。俺の夢はお前の夢だ」
と言って亡くなります。
シンはヒョウの夢を背負って天下一の将軍になるために立ち上がります。
―――――というお話。
ねっ、わかりやすいでしょー。



で、私がこの作品を観て感じたのは、
『夢のもつ熱量のものすごさ』
に尽きます。
1も2もなく、それしかない。
奴隷の子だったシンがほんとうに大将軍になって天下統一を成し遂げることができるかどうかなんて、わからない。
っていうか、普通に考えたら絶対に無理。
でもその無理を通してしまうのが、夢に対する当人の熱量だと思う。
その熱量に圧倒されて周りまでもが「なんだかできるかもしれないって気になって来たぞ」⇒「いや、できそう」⇒「出来るに違いない!」って感化されていくのが夢を追う者を見る醍醐味なんでしょうね。
集団無意識が当人の思いこみの強さに凌駕される瞬間。
それって素晴らしいじゃないですか。



この作品を観たあと、たまたまサロンにいらっしゃったお客さまもこの作品を観たとおっしゃったので、話に花が咲きました。
そしてそのお客さまが少し遠い目をしてこんなことをおっしゃったのです。
「うちの親は旅館を経営していたんですけれどね、だんだん街中の小さな旅館って時代にそぐわなくなってしまってついには廃業せざるをえなくなりました。旅の途中で旅に夢を感じた人たちの世話をしてあげたいというのが彼らの夢だったんでしょうけれども、旅館ってやっぱり改装費など投資も大きいから大変だったみたいですね・・」
はっきりとはおっしゃいませんでしたが、その方のご両親は借金を背負ったまま、夢半ばでその御商売を閉じられたように感じました。
そして私はふと自分の両親はそういえば、と思いだしました。
うちの両親が経営していた串カツ屋は流行っていました。
そりゃ庶民の味方っていうようなめっちゃお値打ち価格でしたからね。
あれで流行らなかったらどうすんだ、って値段でしたもん。
私はそんな両親を見ていて、
「ね、2号店とか出そうとは思わないの?」
と聞いたことがあります。
自営の店をやっている者にとってその店が人気店となって軌道に乗れば、より店舗を拡張したいとか次の店を出したい、というのが当然の流れだろうと思ったからです。
しかし、父はとーんでもない、というようにぶんぶんと首を振ってこう言いました。
「そんなこと思ってもいやしない! そんな大変なこと・・・ うちはお母さんと2人でこうして家族が食べていけることができればいいんだ」



これを聞いたとき、私は「情けない」と思いました。
眼の前にもっと大きな夢がつかめるかもしれないのにあえてそれを向うへ押しやってしまい小さな夢を守ろうとする人間が信じられないと思いました。
こうして私はずっと心のどこかで自分の親を小馬鹿にしてきたのですね。
今になってようやくわかりますけれども、店舗を拡張したり店舗数を増やしたりなど「規模や数の大きさ」を夢と掲げることが「夢自体の大きさ」をはかるものでもなんでもないということが。
この前、象徴としての天皇のことを書いたときにも言いましたが、「家庭を守ること」それさえどんなに大変なことか。
本気でそれを第一義にかかげ、それ以外のことは家庭を守るためならなんだってする、と決断するのは潔いことだし、生半可でできることではないということが今ならわかります。



でも、当時の私はまだ若く熱かった(笑)
いや、今でも熱いんですよ。
今も熱くて、若い頃の熱かった私の向こう見ずさを羨ましいなとさえ、思う。
でも当時も今も私はその熱量をもてあましているという点では同じです。
夢がどれほど憧れるものであるかの熱量を持ち続けるより前に、その夢が叶ったときに起こる煩わしさ、欠点のほうが先に見えてしまう。
これはひょっとしたら現代の若い人にとって誰しもが抱える気持ちなのかもしれません。
あまりの情報量の多さによって、叶う前にすでにそれが叶ったこともあらゆる角度からシミュレーションできてしまうがゆえに、ただがむしゃらに突き進んでみるということが事前に阻まれてしまうような感じ。
「キングダム」のシンのように、その夢が自分のものである同時に、自分にとって最も大切な人間だ、と思っていた人間の夢でもあり、その人物が
「おまえに託したぞ。頼む、この夢、かなえてくれ」
と言って死んでいったとしたら・・?
こんなにこの夢に対して熱くなれるシチュエーションってないでしょうねぇ。
そんな大義名分をまた羨ましいと思ってしまう私なのでした。





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