孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ドイツ  「ベルリンの壁」崩壊から25年 分断が生んだ格差やひずみの古傷が今もうずく

2014-11-01 21:51:06 | 欧州情勢

【10月10日 AFP】

【「真のドイツ統一にはあと数世代かかるだろう。でも、その前に町がなくなってしまう」】
25年前の1989年、ドイツでは11月9日に東西を隔てるベルリンの壁が崩壊しましたが、その1か月前の10月9日には、東ドイツ・タイプチヒで民主化を求める流れを勢いづかせることになった大規模なデモが行われました。

****ベルリンの壁」揺るがしたデモから25年、20万人キャンドル行進****
ドイツ東部ライプチヒで9日、「ベルリンの壁」崩壊につながる重大な分岐点となった旧東ドイツの民主化要求デモから25年を記念する式典が開かれ、約20万人がキャンドル行進に参加した。

1989年10月9日のデモを再現する象徴的な行進には、かつて東独反体制派だった人々に加え、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー各国の首脳や、ドイツ生まれの2人の元米国務長官、ジェームズ・ベーカー氏とヘンリー・キッシンジャー氏も出席。

式典では、旧東独出身で自らも民主化運動を推進する牧師だったヨアヒム・ガウク独大統領が25年前の夜について「魔法だった」と述べ、当時デモに参加した人々の勇気を称えた。

1989年の秋、当時東ドイツに属していたライプチヒでは毎週月曜日に民主化を求める「月曜デモ」が開かれ、次第に勢いを増していた。10月9日には7万人が平和的デモに参加し、旧東独当局と旧ソビエト連邦軍を驚かせた。

同年6月には中国で天安門事件が発生しており、同様の流血の弾圧が懸念されたが、この日のデモは数か月にわたって続いた政情不安の転機となり、1か月後の11月9日にベルリンの壁は崩壊した。【10月10日 AFP】
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毎年この時期になると指摘されることではありますが、ベルリンの壁崩壊を経て熱狂と期待をもって達成された東西ドイツ統一には、必ずしも光の部分だけではなく、影の部分も存在します。

****統一ドイツは今:上)壁崩壊25年、なお格差 旧東の平均所得、旧西の8割****
・・・・統一されたドイツは旧東独の復興のため、道路や公共施設などインフラ整備を急ピッチで進めた。25年間に東につぎ込まれた資金は2兆ユーロ(約274兆円)に迫るとの試算もある。

10月3日の統一記念日に、旧東独出身のメルケル首相は「旧東独はめざましい発展を遂げた」と振り返った。

だが東西の格差は残っている。東の平均所得は西の約8割にとどまる。独経済研究所によると「貧困層」は西で7人に1人に対し、東では5人に1人に上る。

■「卒業生の9割、西に就職
経済格差は、人口流出につながっている。

旧東独ザクセン州のホイエルスベルダ。かつて石炭で栄えた町は壁崩壊後、一変した。毎年1千人以上が西へ移住。石炭業界の衰退と相まって、7万人を超えていた人口は半減した。

日本の中高校に当たるギムナジウムを訪ねた。休み時間、子どもたちが元気に遊ぶ校庭に、3階建ての建物が3棟ならぶ。だが、その一つは、何年も使われていない「空き校舎」。かつて40人だった1学級の生徒数は25人程度に減り、どの教室も空席が目立つ。

ウーベ・ブラゼイチェク校長(55)は「西の学校に負けない教育をしているが、卒業生の9割が西に就職する。生徒の減少に歯止めがかからない」と話す。

かつて町に24あった学校は統廃合を余儀なくされ、9校を残すのみだ。

教師も足りない。旧東独時代の老教師たちが復帰して「代役」を務めるが、当時と教え方が異なり、授業を延期せざるを得ない教科もあるという。

旧東独の人口は昨年約1592万人。ベルリンの壁崩壊直前の約1856万人から、25年間で14%に当たる264万人減少した。旧西独の人口は逆に、約6054万人から約6484万人に増えた。

ホイエルスベルダのトーマス・デリング町長(62)は言う。「投資は大都市に優先され、我々のような小都市は置き去りだ。真のドイツ統一にはあと数世代かかるだろう。でも、その前に町がなくなってしまう」【10月30日 朝日】
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失業率で見ても、旧西ドイツの6.0%前後に対し、旧東ドイツは9~10%と差があります。

【「東ドイツを全て悪者扱いする風潮は疑問だ」】
ベルリンの壁が崩壊しても、人々の心の中の壁を完全に克服するのは困難なことでもあります。
今も経済的に劣後した状態にある東の人々には、「東は悪」と決めつけられることへの複雑な思いもあります。

****ベルリンの壁崩壊:「東は悪」消えぬ感情****
ベルリンの北約30キロに広がるワントリッツの森の保養地。今は主にリハビリ用の医療施設として使われているが、かつては東ドイツ政権幹部らの住居だった。(中略)

壁崩壊後、保養地内の高級家具などがメディアに取り上げられ、「東独幹部はぜいたくざんまいだった」と伝えられた。社会主義の東独には政治的自由もなかった。東独で育ったメルケル首相は「東独は言論の自由もない不法国家だった」と語る。

だが、ワントリッツの研究を続ける(東独秘密警察の防諜担当だった)ベルクナーさんは「20棟余りの住居は実際にはずっと質素だった。東独に関する報道は偏見が多い」と反論する。

保養地のガイド役も務めるベルクナーさんは「東独には充実した医療・教育システムなど良い面もあった。全て悪者扱いする風潮は疑問だ」と話す。

統一後、東西の出身者は同じ職場で働く機会も増えたが、摩擦は続いた。西独出身の70代の元刑事は「東独出身の警官は盗品捜査で欧州各国に国際手配をかけることすらできなかった。彼らはどの職場でも西独出身者の足を引っ張った」と振り返る。

こうした旧来の悪感情は今も一部に根強く残り、「東独出身者は雇わない」という経営者もいる。

9月の旧東独テューリンゲン州議会選後の連立交渉では、東独を「不法国家」と認めるかどうかで、各党の議論が続く。連立政権に参加予定の左派党が旧東独与党の流れをくむため、左翼色を嫌う他党から「過去の清算」を求められているからだ。左派党にとって東独否定は出自の否定につながるため、党内でも意見は割れる。

今月の世論調査によると、東独を「不法国家」と考える市民は旧西独地域で72%に上ったが、旧東独では30%にとどまり、意識の違いが浮き彫りになった。壁崩壊から四半世紀を経た今も、東独の「解釈」は微妙な問題であり続けている。【10月28日 毎日】
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旧東独住民のやり場のない不満を吸収して拡大する右派政党
こうした旧東ドイツの人々の不満を背景として、反EU・反ユーロを掲げる右派政党が勢力を拡大しています。

****右派政党、不満を吸収****
旧東独の不満を吸い上げて躍進する政党も現れた。

昨年2月に発足した新興右派「ドイツのための選択肢(AfD)」。今年5月の欧州議会選で議席を獲得。その後の旧東独3州の議会選では、10%前後の得票率で州議会にも進出した。

特徴は、不満の矛先を外部に向ける主張だ。欧州議会選では、欧州連合(EU)を批判し、ドイツのユーロ圏離脱を訴えた。州議会選では、移民増加による治安悪化を問題にした。

独ミュンスター大学のウィヒャード・ウォイケ元教授(政治学)は、旧東独住民のやり場のない不満をAfDが吸収したと分析する。「経済発展と欧州統合が急速に進む今、人々は再び取り残される不安を抱く。AfDはシンプルなスローガンで、その受け皿になった」【10月30日 朝日】
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旧東ドイツの人々の間では、自分たちの経済状況が悪いなかで、どうして怠惰な南欧を助ける必要があるのか・・・という不満があります。

****東西統一25周年控えるドイツで噴出してきた“不都合な真実****
・・・・ドイツでは反ユーロの政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が、地方議会や欧州議会で急速に勢力を伸ばしている。AfD支持者は旧東ドイツ地域に特に多い。

旧東西ドイツの経済格差はいまだに大きい。昨年のECBの調査によると旧東ドイツ地域における家計のネット資産の中央値は、スペインの11.7%しかない。

「なぜ我々の税金で南欧を助けるのか?」という不満を持つ彼らを懐柔しながら、独政府はユーロを維持していかなければならない。【10月27日 加藤 出氏 DIAMOND online 】
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右派だけでなく、旧東ドイツの独裁政党だったドイツ社会主義統一党(SED)の流れをくむ「左翼党(左派党)」も、保革二大勢力による大連立政権が発足した2013年12月以降、連邦議会における野党第一党としての存在感を維持しています。

旧西ドイツ住民には、いつまでも東を支援することへの不満も
一方で、旧西ドイツ側には、東の支援に税金がつかわれることへの不満があります。

****<ドイツ>旧東の復興税、存続に賛否 ベルリン壁崩壊25年****
 ◇残る経済格差 西側は「負担重い」
主に旧東ドイツ地域再建に使われてきたドイツの「連帯付加税」について、当初の廃止期限とされた2019年以降も存続を求める声が上がっている。

ベルリンの壁崩壊(1989年11月)から四半世紀となる今も、依然として東西の経済格差が残るためだ。メルケル首相は12月、各州代表と今後の格差是正策について協議する予定だ。

連帯付加税は東西ドイツ統一後の91年、1年間の時限制度として導入されたが、東独復興が思うように進まず、95年に再導入。現在、国民や企業は所得税や法人税の5.5%程度を納め、その多くは旧東独地域の道路整備などインフラ再建に使われる。年間の税収額は現在、140億ユーロ(約1兆9000億円)に上る。

ドイツでは今なお東西格差が残り、今年9月の失業率は旧西独の5.8%に対し、旧東独は9.1%と高い。東の1人当たりGDP(国内総生産)も西の7割程度だ。

旧東独ザクセン・アンハルト州のハーゼロフ州首相は「東西の生活環境の均一化は、今後も続けるべきだ」と訴えるなど、東からは連帯付加税を19年で廃止せず、20年以降も存続を望む声が根強い。

一方、長年にわたり財源を東につぎ込む形となっている西の州からは「我々の負担を軽減すべきだ」(ゼーホーファー・バイエルン州首相)と不公平感を訴える声が上がる。

連帯付加税に加え、中央政府と旧西独の州が旧東独のために資金拠出する制度もあり、産業拠点で大企業による税収も多いバイエルン、ヘッセン、バーデン・ビュルテンベルクの旧西独3州は「資金提供州」とも呼ばれている。

昨年の世論調査では、旧東独で連帯付加税の廃止を求める回答は58%にとどまったが、旧西独では86%が廃止に賛成するなど、旧西独住民には不満も蓄積している。

中央政府のショイブレ財務相は、連帯付加税の廃止で旧東独復興費が急激に減る対策として、別の増税案を検討中と伝えられている。【11月1日 毎日】
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“東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊して、11月9日で25年の節目を迎える。東西のドイツ市民がツルハシで壁をたたき、歓喜に沸いたあの日から四半世紀。敗戦国から欧州の盟主に生まれ変わっても、分断が生んだ格差やひずみの古傷が今もうずく。”【10月30日 朝日】

もっとも、うずく古傷を抱えながらも“真の統合”へ向けた歩みを止めないことを評価すべきかも
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