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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

コンゴ、中央アフリカ・・・アフリカ中央部で続く戦闘と混乱

2013-09-08 23:19:28 | アフリカ

(5月21日 戦闘を逃れてゴマに流入する人々と国連PKO部隊 “flickr”より By MONUSCO Photos http://www.flickr.com/photos/67163702@N07/8782954280/in/photolist-eo7Wjd-enx8f4-enxcVz-enxyXz-eo8byY-eo82SQ-enxgQt-feQnWc-e2hPdV-dvzi8b-dwFRd4-fH1hw1-fHAoh2-dc9Ygx-dwFaiM-e1SCt9-dqdChW-dqVTPo-eG4Z4S-eKtdPq-eG4LCo-e1Mbh2-eFXD2F-eG4tw9-eFXLmr-dKhzoG-dyi7Qj-e4zpSi-e4zqwM-dvfxVh-edTKnx-cE5Jc9-dYhT3m-eo7K5h-eQHPMg-dxrPYZ-duYnHB-cuxiCE-cf9vjC-dvhh9r-e4YyBC-dxfQ2h-eG51QL-epyDrE-ein3HU-eFXUuZ-dC2XGN-dv5dJu-dmT5uC-dwTWC5-dtC7jQ)

コンゴ:国連が平和強制を発動
アフリカ中央部のコンゴ(旧ザイール)の独立後は内戦の歴史ですが、その経緯に関するごく簡単な概略は以下のようなものです。

****コンゴ民主共和****
ベルギーの植民地だったが、1960年にコンゴ共和国として独立。直後に「コンゴ動乱」と呼ばれる内乱が起き、65年にクーデターでモブツ大佐が実権を握った。
モブツ政権は国名をザイールに変更し長期独裁を敷いたが、97年に反政府勢力が首都を制圧し政権が崩壊。現国名に変わった。
その後、武装勢力の蜂起や周辺国の介入が続き国際紛争に発展。2003年の内戦終結後も不安定な情勢が続き、12年11月には「3月23日運動(M23)」が東部ゴマを一時制圧した。コバルトなどの豊富な地下資源を巡り隣国ルワンダとウガンダがM23を軍事支援していたとされる。【7月31日 毎日】
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特に96年以降は、隣国ルワンダで起きた大虐殺に連動し、ルワンダを追われた勢力がコンゴ領内で活動、これに対抗す勢力をルワンダ政府が支援、更に、コンゴの豊富な地下資源に誘われるように周辺各国が介入・・・と「アフリカ大戦」とも呼ばれる壮絶な内戦状態となりました。

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コンゴでは隣国ルワンダから逃れてきた反政府勢力が難民キャンプを拠点にルワンダへ出撃したことなどを契機に、96年、周辺国が侵攻を開始。
ダイヤモンドなどの豊富な鉱物資源の利権争いもあって、一時は周辺8カ国の軍隊が同国領内で抗争を繰り広げ、第二次世界大戦後の国際紛争としては最大の死者を出すに至った。
戦闘によって兵士、民間人約40万人が死亡したほか、戦闘による国土荒廃に伴い、約500万人が餓死、病死したという。【09年4月11日 毎日】
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その「アフリカ大戦」も一応収束し、2003年までに周辺国軍が撤退完了、暫定政府が設立されました。
2006年には総選挙が行われ、現職のジョセフ・カビラ大統領が当選・・・ということですが、ルワンダと接する東部を中心に紛争が続いています。

紛争の中心にいるのが「3月23日運動(M23)」と呼ばれる勢力で、東部で活動していたツチ族系反政府勢力の流れをくむグループです。
紛争地に隣接するルワンダ・カガメ政権もツチ族系で、これまでの経緯もあって、M23を支援しているのでhないかとの指摘もありますが、ルワンダは関与を否定しています。

M23は昨年11月には東部の要衝ゴマを制圧。
その後市内からは撤退したものの、ゴマ周辺での戦闘が続いていましたが、最近、ゴマ周辺からも撤退したようです。

****コンゴ反政府勢力撤退も、火種くすぶる主要都市ゴマ****
コンゴ民主共和国(旧ザイール)の反政府武装勢力「M23(3月23日運動)」が、政府軍との激戦地となった同国東部・北キブ州の州都ゴマ(Goma)から撤退したが、その後も学校爆破が続くなど市内には依然、恐怖が色濃く漂い、経済も滞っている。

政府軍と新たに派遣された国連軍の攻撃によって、1年4か月にわたってこの地域を恐怖に陥れたM23が、ゴマ周辺の丘陵地帯の拠点から撤退したとのニュースを今週、住民たちは喜びと共に迎えた。

しかし今もゴマの生活は、平常時のものからは程遠い。2日のはずだった学校の新年度の始業日は1週間、延期された。北キブ州では推定100万人が自宅を離れ避難しており、その多くが学校に仮住まいしているため事態が混乱しているからだ。

同州にある中高等学校、マシマンゴ主教学院の副院長、ユージーン・ムタバジ氏によれば、状況はさらに深刻だ。
同校では2棟あった校舎のうち1棟が爆破され、女子生徒1人が死亡、他2人が負傷した。校舎跡には爆弾の金属片だらけとなった壁1枚が立っているだけだ。

「残った教室もダメージを受けていて、あちこちにひびが入っており、生徒たちの上に崩れてきそうで危険だ」という。さらに夜、学校で寝泊まりしている避難民たちによる衛生問題も懸念されるという。

市内の店は再開し、客足は戻ってきているが、商売自体は苦戦している。ゴマ市内のマジェンゴ地区の市場では、表側に並ぶ露店の棚は商品でいっぱいだが、場内の店にはほとんど品物がない。
主要な供給ルート上に位置する市北部に戦闘の最前線があったため、流通が途絶えてしまったからだ。

このままでは商売が立ち行かないという声が、そこかしこから聞こえる。

昨年11月にはM23が12日間にわたり、ゴマを制圧した時期もあった。住民の多くは、ゴマ周辺での戦闘で心身を傷付けられている。周辺地域からゴマ市内に逃げ込んだ避難民の数は数万人に上り、ゴマの人口は今や100万人に達している。

しかし政府軍の新たな攻撃と、介入した国連軍の到着によって、M23はゴマ市の北郊約30キロまで後退した。
最近まで前線だったゴマ北方7キロにあるKanyarucinya村から避難してきた大工のオリビエ・ビエンダさんは、もうM23は戻って来ないと安堵している。一度村へ戻ったときに行った戦場跡で、M23の戦闘員の遺体を見たという。

一方、学生だという18歳のヨセフさんは、そう希望を確信できないでいる。8月末以来、隣国ルワンダが国境沿いの軍備を増強させているのが心配だと語る。
国連は、ルワンダ政権指導層と同じツチ人が戦闘員の多くを占めるM23を、ルワンダが支援していると非難しているが、ルワンダ政府はこれを断固として否定している。【9月8日 AFP】
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このコンゴで続く紛争に、国連は平和維持活動(PKO)部隊「国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)」を展開していますが、3月28日、国連安全保障理事会は「国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)」に、反政府武装勢力の無力化や武装解除を任務とする強制力を持った戦闘部隊「介入旅団」を組み込む決議案を全会一致で採択しました。

国連PKOに従来の「平和維持」だけでなく「平和の強制執行」の任務が与えられるのは、1990年代に内戦下のソマリアやボスニア・ヘルツェゴビナで活動したPKO以来です。

この背景には、昨年11月にM23が東部の主要都市ゴマを一時制圧した際に、MONUSCOが介入しなかったことへの国内外からの批判があります。実際には、南アフリカ、タンザニア、マラウイの部隊約3000人で構成される戦闘部隊が配置され、8月23日、ゴマ郊外でM23と初めて交戦したことが報告されています。

中央アフリカ:首都バンギ市内で暴行・略奪 国家崩壊の危機
一方、コンゴ北部に隣接する中央アフリカでも戦乱が続いています。
中央アフリカ・・・と聞いても、どんな国かよくわかりませんが、ウィキペディアで見ると、一言でいえば“クーデターを繰り返している国”のようです。日本外務省ホームページには以下のように記されています。

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中央アフリカは1960年に旧宗主国フランスから独立した後も長年にわたりクーデターが繰り返されるとともに国軍兵士の反乱、騒じょう事件が頻発する等、不安定な政情が続いており、2003年にボジゼ大統領がクーデターにより政権を取った後も反政府武装勢力の活動が継続していました。
(2)2012年12月、中央アフリカ政府に対する不満を募らせていた複数の反政府勢力の連合体であるセレカが武装蜂起しました。2013年3月、セレカが首都バンギを制圧し、ポジゼ大統領は国外に脱出し、同年4月、暫定制憲議会はセレカのジョトディア代表を大統領に選出した旨の声明を発出しました。

しかし、その後も、首都バンギに駐留しているセレカが、市内において暴行・略奪を繰り返しており、セレカに反発する住民との間で戦闘が発生するなど治安情勢は極めて悪い状態です。
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現在、中央アフリカの騒乱の中心にいるのは「セレカ」と呼ばれる勢力で、中央アフリカは実質的な無政府状態にあるようです。

****中央アフリカ、反政府勢力の支配で崩壊の危機=国連****
国連のシモノビッチ事務次長補(人権担当)らは14日、反政府勢力が4カ月前に権力を掌握した中央アフリカ共和国について、「崩壊の危機にある」と警告した。

最貧国の1つでもある中央アフリカは、反政府勢力セレカが権力を掌握しボジゼ大統領が同国を脱出して以来、混乱状態が続いている。アフリカ連合(AU)は今月、国民の保護や情勢安定化、政府統治の回復のため、平和維持部隊の増強を発表した。

国連特使を務めるBabacar Gaye氏は、AUが経済面や技術面で支援を要請しているとし、安全保障理事会に要請に応じるよう提言したと述べた。

特使やシモノビッチ事務次長補は、危機解決にはAUの部隊だけでは足りないとの見方を示した。事務次長補は、治安確保と国民の保護には大規模の部隊が必要だとし、外国の反政府勢力が中央アフリカに流入することも防ぐ必要があると述べた。

安保理は声明で、中央アフリカでは「法と秩序が崩壊している」とし、同国の治安情勢に深い懸念を表明。情勢安定のためにあらゆる選択肢を検討するとした。

国連のバレリー・アモス人道問題担当事務次長は、中央アフリカが破綻国家になる可能性があると指摘。国民約460万人が情勢危機の影響を受け、このうち160万人は緊急支援を必要としていると説明した。【8月15日 ロイター】
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最貧国コンゴ共和国大統領夫人の贈り物
コンゴ(旧ベルギー領 コンゴ民主共和国)、中央アフリカに隣接するのが、もうひとつのコンゴ(旧フランス領)
「コンゴ共和国」です。

現在はコンゴ共和国での大規模な紛争は聞きませんが(90年代には内戦がありましたが)、国境付近では反政府勢力との戦闘が多発しているとも言われています。

****スペイン南部の温泉町、コンゴ大統領からの130万円に感激****
アフリカ中部コンゴ共和国のドニ・サスヌゲソ大統領は先週、経済危機に見舞われたスペイン南部にある人口約800人の小さな温泉町、カラトラカを訪れ、町民を感激させて帰途に就いた。

サスヌゲソ大統領夫妻はこの町の5つ星ホテルに宿泊し、温泉で静養して4日間を過ごした。

住民のクリスティーナ・フロリドさんによると、今月1日に町を去る大統領夫妻と住民たちが別れの挨拶を交わした際、大統領夫人からフロリドさんの84歳の父親フランシスコさんに1万ユーロ(約131万円)入りの封筒が手渡されたという。

クリスティーナさんはAFPの電話取材に対し、「大統領夫人は『これを町の皆さんに』とおっしゃったそうです。父は最初、お金を町長に渡すつもりでしたが他の人たちが反対したので、皆で分けることにしました」と話した。

それからの数日間、クリスティーナさん夫妻は自宅の入り口にテーブルを置き、やって来る町の人たちにお金を手渡している。1人当たりの金額は12ユーロ(約1570円)で、住民の約70%がすでに受け取りに来たという。

クリスティーナさんも父親も、地元の人たちが大統領からの贈り物にどれほど感激していたかに「圧倒された」と話している。

なぜ大統領がフランシスコさんにお金を託したのかは分からないというが、クリスティーナさんは「父がみんなよりも歳を取っていたからか、顔を覚えていたからではないでしょうか。大統領夫人は前の日のミサに参加され、その場にいた私の両親は挨拶をしていました」と説明した。

フランスの旧植民地であるコンゴ共和国はサハラ以南の主要産油国の1つだが、国民の70%が貧困の中で暮らしている。【9月8日 AFP】
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心温まる話なのか、“国民の70%が貧困の中で暮らしている”なかで、何を考えているのか?と言うべきか・・・・。
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