(オスロ合意調印後に握手をするイスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長。中央は仲介したビル・クリントン米大統領 【ウィキペディア】)
【交渉は再開したものの・・・】
現在のパレスチナ問題の枠組みをつくったオスロ合意が1993年9月13日、アメリカ・ホワイトハウスでイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長によって結ばれてから20年が経過しました。
このオスロ合意によって、イスラエル軍は第3次中東戦争で占領したガザ、ヨルダン川西岸両地区から撤退してパレスチナ側が暫定自治を行うことや、境界線や最終地位を巡る交渉を進めることが合意されました。
合意内容は下記の2点です。
1.イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
2.イスラエルが入植した地域から暫定的に撤退し5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。
しかし、95年11月にイスラエル・ラビン首相が和平反対派によって暗殺、2000年にはイスラエルのシャロン・リクード党首・外相(後に首相)が1,000名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに入場したことをきっかけとして第2次インティファーダ(民衆蜂起)が勃発、04年11月にはアラファト議長が死去、06年のパレスチナ評議会選挙でのハマスの勝利でイスラエルとの関係悪化・・・と和平への機運は低下し、08年11月のイスラエル軍のガザ侵攻で交渉は中断しました。
今年8月、アメリカの仲介で直接和平交渉再開にこぎつけたものの、先行きの見通しはなく、楽観的な見方は皆無という状況です。
始まったばかりの交渉も、相次ぐイスラエル側の入植活動発表や衝突発生などで、交渉を継続していくことすらおぼつかない・・・という雰囲気です。
***イスラエル部隊がパレスチナ人3人を射殺、当日の和平交渉が中止****
(8月)26日に予定されていたイスラエルとパレスチナによる中東和平交渉は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のカランディア難民キャンプで同日未明に起きた衝突でイスラエル治安部隊が発砲してパレスチナ人に死傷者が出たために中止された。
病院関係者によれば、イスラエル治安部隊の発砲で3人が死亡し、19人が負傷した。いずれも実弾で撃たれたという。
パレスチナ高官はAFPに対し、「今日(ヨルダン川西岸の)エリコで開催予定だった交渉は中止された。イスラエルが今日、カランディアで犯罪を行ったからだ」と語った。同高官は、次の交渉の日取りについては言及しなかった。
パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長の報道官ナビル・アブ・ルデイナ氏は、「今日カランディアで起きたことは、イスラエル政府の真意の表れだ」とAFPに語った。同氏はまた、和平交渉の崩壊を防ぐため米政権に「真剣かつ迅速な行動」を取るよう呼びかけた。【8月27日 AFP】
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26日予定の交渉が流れたあと、どうなったのかは知りませんが、ここのところイスラエルはシリア攻撃問題で報復に備えて国民にガスマスクを配布するような状況でしたから、パレスチナ交渉どころではなかったのでは・・・とも思われます。
【入植地建設「境界を画定させる交渉の最中に、本末転倒の行為」】
当然ながら、パレスチナ側はイスラエルの入植活動を強く批判しています。
****オスロ合意:20年 パレスチナ高官、入植続行に警告****
◇国際刑事裁判所提訴も
イスラエルとパレスチナが調印した初の和平協定「オスロ合意」から、13日で20年を迎えるのを前に、パレスチナ自治政府・アッバス議長顧問で元外相のナビル・シャース氏(75)が、毎日新聞と会見した。
シャース氏は、イスラエルとパレスチナが米国の仲介で7月、約3年ぶりに再開した和平交渉について、イスラエルによるユダヤ人入植地の建設が障害となり、「パレスチナ側に不満が高まっている」と強調。
交渉が決裂した場合、入植活動の違法性を訴えるため、国際刑事裁判所(ICC)に提訴することになるだろうとの認識を示した。【ラマラ(ヨルダン川西岸パレスチナ自治区)で、大治朋子】
「交渉再開の目的がパレスチナ国家の樹立というなら、イスラエルはまず、入植地建設を中止すべきだ」。シャース氏は、そう繰り返した。
パレスチナ側は当初、交渉再開の条件として入植活動の凍結を求めていたが、米国の説得もあり、事実上放棄した。ただ、米国はイスラエルに「抑制」を求めたとされ、交渉中は目立った入植活動は行われないとの予想もあった。
だがイスラエルは交渉再開直後の8月11日、ヨルダン川西岸地区などに入植住宅約1200戸を建設する入札を行うと発表。翌12日にも、東エルサレムに約900戸を建設する計画を承認した。
イスラエル側は、ただちに建設に結びつく動きではなく、パレスチナ国家樹立後は「イスラエル領となるであろう地域で、実質的な影響はない」との認識だとされる。
だが、シャース氏によると、「境界を画定させる交渉の最中に、本末転倒の行為」として、野党に加え、アッバス議長の率いる主流派組織ファタハ内部にも不満が高まっているという。
交渉が決裂すれば、内部の圧力もあり、アッバス議長は「ICCに加盟申請し、イスラエルの入植活動などの違法性を訴え、提訴することになるだろう」という。
また、イスラエルが協議再開に応じたのは「シリアやエジプトが不安定化するなか、米国の軍事的支援が必要なため」であり、「オバマ大統領自身がもっと交渉に関与しない限り、成果は望めない」と述べた。【9月12日 毎日】
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【「イスラエル世論がいま望むのはただ、パレスチナ人との「離婚」だ」】
一方、イスラエル側には、パレスチナ自治政府との交渉への関心はほとんどないようです。
****世論は「離婚」望んでる 元イスラエル外相、シュロモ・ベンアミ氏****
オスロ合意は、イスラエルとパレスチナ解放機構が初めて互いを承認した点で突破口だった。そして、イスラエルとヨルダンとの和平につながり、湾岸諸国などのアラブ世界への門も開かれた。
その半面、合意はパレスチナ人にガザとエリコの暫定自治だけは与えたが、それ以上の明確な約束はなかった。そもそも、「占領者と被占領者が交渉で信頼を構築する」という偽りに基づいているのだ。
イスラエルは占領を続けた。しかし、パレスチナ自治政府ができたために国際社会から支援が入るようになり、占領のコストがかからなくなった。
ラビン首相がアラファト議長と交渉したのは、当時起きていた第1次インティファーダ(反イスラエル民衆蜂起)を終わらせるため、影響力のある人物が必要だったからだ。
一方、アラファト氏の狙いは、地元のリーダーを排除し、当時チュニジアにいた自分たちを舞台の中央に導くことだった。
私は政府にいたとき、初めて最終地位についての交渉を行った。交渉を通じて和平の本当の値段が明らかになった。和平プロセスのスローガンは「土地と平和の交換」。イスラエルが占領した土地すべてを平和と交換するということだ。
だが、ラビン氏はすべての土地を返そうとは考えていなかった。彼が生きていれば和平が実現したと思うのは無意味だ。彼は「和平の聖人」ではない。和平を真剣に考えたが、その代価をすべて支払う準備はできていなかった。
一方、パレスチナ側には、闘争と交渉を同時にすれば和平を達成できると考える人がいた。それはイスラエルにとって耐え難いことだった。
イスラエル世論は、自分たちが譲歩をして、その揚げ句に第2次インティファーダを招いたと信じている。それが和平派の終わりを招いた。
最近、和平交渉が再開したが、だれも関心を持っていない。和平が達成されても、されなくてもかまわない。まるでパレスチナ人が月の反対側にでもいるかのように、見ようともしないのだ。イスラエル世論がいま望むのはただ、パレスチナ人との「離婚」だ。【9月13日 朝日】
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“だれも関心を持っていない”イスラエルを交渉の席につかせるにはアメリカの強い後押しが必要ですが、シリア問題で手いっぱいのアメリカにその余力はなそうです。
シリア問題を軸に中東情勢の劇的な変化がない限り、大方の見方のように、当面あまり期待はできそうにありません。