孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フィリピン・ミンダナオ島  和平交渉進展を妨害する襲撃事件

2013-09-09 21:29:08 | 東南アジア

(サンボアンガに展開するフィリピン軍。【9月9日 時事】http://news.nicovideo.jp/watch/np641857)

フィリピン南部ミンダナオ島のイスラム系反政府勢力とフィリピン政府は、長年にわたり一進一退の交渉を行ってきていますが、昨年10月に反政府勢力の中核「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」との間で和平に向けた枠組み合意がなされました。

今年7月には、資源配分に関する合意も得られたということで、和平に向けて一歩前進したとも報じられています。

****比ミンダナオ島:資源利権配分で合意 和平交渉****
フィリピン南部ミンダナオ島の反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)と政府との和平交渉が13日、マレーシア・クアラルンプールで行われ、難航していた資源利権を巡る配分について合意した。

イスラム系住民らによる新たな自治政府発足に向け一歩前進したが、交渉には武装解除などなお課題が残されている。

解放戦線と政府は昨年10月、2016年にイスラム系住民らによる新たな自治政府発足を目指す和平に向けた枠組み合意を締結。

しかし、石油や鉱物など天然資源の利益配分を巡り折り合いが付かず、交渉は停滞していた。今回、税収や鉱物などの資源は75%を新自治政府に配分、石油などエネルギー資源は50%ずつ分け合うことで合意した。

今後は武装解除のあり方などで協議が続くが、解放戦線側には複数の武装勢力が混在する地域の治安維持を理由に武力維持を求める声も根強く、政府と意見の隔たりがある。【7月14日 毎日】
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しかし、MILFとは別組織の「モロ民族解放戦線(MNLF)」が、人口100万人の中核都市を100人ほどで襲撃するという派手な交渉妨害事件が起きています。

****フィリピン南部都市をイスラム武装勢力が襲撃、都市機能まひ****
フィリピン南部ミンダナオ島にある商業都市サンボアンガが9日早朝、重武装したイスラム反政府勢力100人余りに襲撃され、都市機能がまひしているという。

サンボアンガはフィリピン南部の経済の中心都市の1つで、人口は約100万人。

フィリピン軍によると、襲撃してきたのは反政府勢力「モロ民族解放戦線(MNLF)」の指導者ヌル・ミスアリ氏を支持するグループで、9日未明にボートで海からサンボアンガに接近し上陸。
軍部隊との衝突で兵士1人が死亡、6人が負傷したという。

イザベル・クリマコサラザール市長によると、戦闘は市街地にも拡大し、武装勢力側は市民20人ほどを人質に取って軍に対抗しているという。
同市長は、市内に侵入した武装勢力について「主な目標は、市庁舎にMNLFの独立旗を掲げることだ」と述べた。

現地のAFP特派員によると、市内各地で大きな銃声が聞こえており、路上は閑散として店舗のシャッターは下ろされたままだ。重武装した警備員や軍部隊が、空港やホテル、銀行などの警備に当たっているという。 

■和平交渉で分裂
MNLFはミンダナオ島にイスラム独立国家を建国することを目標に掲げ、ミスアリ氏が1970年代初頭に結成した。
数十年にわたる紛争では、これまでに15万人以上が死亡している。

ミスアリ氏は1996年、独立を放棄して自治区を樹立することで政府と和平合意した。しかし先月、和平交渉でMNLFが政府にないがしろにされたとして、交渉からの離脱を表明していた。

フィリピン政府は現在、MNLF分派のモロ・イスラム解放戦線(MILF)と和平交渉を行っており、MILFは2016年までに新たな自治政府を発足させること目指しているが、MNLFはこの和平交渉に反対の立場を取っている。【9月9日 AFP】
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この記事を見て奇異に感じたのは、今回襲撃をしかけた「モロ民族解放戦線(MNLF)」・ミスアリ氏はかつてフィリピン政府と和平合意を進めており、その和平交渉路線に反発してMNLFから離脱してできたのが武装闘争を主張する「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」であるという点です。

MILF離脱後、MNLFは勢力が衰退していきますが、ミスアリ氏はイスラム地域の政治ボスとして大きな権力を手にしました。

かつてMNLFの和平交渉に反対したMILFが今回は和平交渉を進めており、かつて和平交渉を行っていたMNLFが今回はその妨害を行っている・・・という、逆転の構図のように見えます。

今回攻撃を行った「モロ民族解放戦線(MNLF)」の指導者ヌル・ミスアリ氏については【ウィキペディア】には、以下のように記されています。

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武装闘争のリーダーとして
1960年代にフィリピン南部へキリスト教徒の入植が進むと、元々居住していたイスラム教徒との軋轢が生まれ、イスラム教徒による独立運動が活発になった。
当時、ミスアリはフィリピン大学で講師を務めていたが、イスラム独立運動に参画。マレーシアでの軍事訓練を経て帰国後、1970年にモロ民族解放戦線の議長に就任し、フィリピン政府との交渉や武装闘争を指揮することとなった。

1976年には、政府との停戦に一旦は合意(トリポリ協定)するものの、住民投票をめぐり、和平を決裂。
一方で、組織内部の引き締めに失敗し、路線対立が激化、1984年には、モロ・イスラム解放戦線との分裂などを生じさせた。

政治家としての成功
1986年に革命が発生し、コラソン・アキノ大統領が政権を握ると、再び和平交渉を活発化。政府が憲法にイスラム教との自治に関する規定が盛り込むなど軟化姿勢を見せたことから、和解に応じ独立放棄を決定。
新たに成立したイスラム教徒ミンダナオ自治地域への関与を通じ、フィリピン政府との繋がりを深め、徐々に政治の表舞台に立つようになる。

1996年、イスラム教徒ミンダナオ自治地域の知事選挙に与党から立候補し当選。同年、南部フィリピン平和開発評議会議長にも就任した。

失脚
モロ・イスラム解放戦線の活動は残るものの、モロ民族解放戦線が事実上与党化したことから、治安が急速に回復し、経済活動も活発となった。
こうした急速な発展はミスアリに権限が過度に集中することに繋がり、政治腐敗や汚職の噂も絶えない状況となったことから、政府与党内ばかりか、モロ民族解放戦線内部でも懸念材料となった。

民族解放戦線では、ミスアリを名誉議長職に追いやるとともに、与党側も2001年の知事選に民族解放戦線の副議長を擁立するなど露骨なミスアリ外しに掛かる。
同年、ミスアリは事態を打開するために武装蜂起に打って出るものの、民族解放戦線内での支持は得られず、マレーシア(サバ州)で逮捕され反乱罪で起訴されている。

2007年、獄中からスールー州知事選に立候補し敗退。当選者に4倍近い大差をつけられるなど、かつての面影を失っている。【ウィキペディア】
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イスラム地域における自治のあり方などの理念の問題というよりは、組織内、およびフィリピン政府も絡んだ投資配分などの利権絡みの権力闘争があるようで、今回の襲撃事件も、MILFによって進められる和平合意によって、自身の権益・存在がないがしろにされることへの反発があったのでは・・・と思われます。

同氏は、組織内・フィリピン政府によって“ミスアリ外し”が進む中で、2006年11月、ホロ島の国軍基地を襲撃して武装蜂起に打って出て程なく鎮圧されるという同じような武装蜂起を行っています。

今回の襲撃自体は短時間で鎮圧されるとは思いますが、和平交渉を進めているMILFにとっては、敵対勢力によってこういう武力行使が起こされると、和平交渉の次のステップであるMILF側の武装解除という話は更に困難になるかと思われます。
襲撃を行ったミスアリ氏側の狙いもそのあたりにあるのでしょうか。
コメント
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