孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  仏教徒・イスラム教徒の衝突が再燃

2013-05-02 23:04:11 | ミャンマー

(ミャンマー・オッカン 焼かれる家屋 悲嘆に暮れる住民 【5月1日 MSNビデオ】)

全土でくすぶり続けている暴動の火種
テイン・セイン大統領のもとで民主化を急ぐ仏教国ミャンマーでは、昨年6月以来の西部ラカイン州でのロヒンギャの問題、今年3月の中部メイッティーラなどでの衝突など、少数派イスラム教徒と仏教徒の衝突が続いていますが、今度は最大都市ヤンゴンの北約100キロにあるオッカンで両者の衝突が起きています。

****ミャンマー:宗教暴動、ヤンゴンに飛び火 1人死亡****
ミャンマー最大都市ヤンゴンの北郊で4月30日、多数派の仏教徒住民が少数派のイスラム教徒の民家や商店を集団で襲撃し、宗教暴動に発展した。当局によると1人死亡し、10人が負傷した。宗教暴動は3月末以来で、ヤンゴン管区(州)に初めて飛び火した。

暴動はヤンゴンの北100キロのオッカン(人口10万人)地区で30日朝に始まった。毎日新聞が電話取材した複数の仏教徒住民の話を総合すると、路上でインド系イスラム教徒の中年女性が少年の見習い仏教僧にぶつかり、弾みで少年が托鉢(たくはつ)のわんを落とし、泣き出した。目撃した住民が「(謝罪もしない)女性の態度が不遜だ」と警察署に駆け込み、騒ぎに火が付いたという。

地元当局者によると、住民の60%が仏教徒で、イスラム教徒は25%。がれきやこん棒を持った仏教徒約500人がイスラム教徒の民家や商店160軒を次々に焼き打ちし、イスラム宗教学校も破壊した。大半のイスラム教徒は森や畑に逃げ出したが、一部で応戦したという。

大統領報道官は1日、治安当局が18人を逮捕し、多数の治安要員を配備したことを受けて「情勢はコントロール下にある」と発表した。

両教徒の対立はテインセイン政権の発足以降に顕在化。最初の暴動は昨年6月、西部ラカイン州で起き、同じ年の10月に州内で再燃した。計約200人が死亡し、今も10万人が避難生活を送る。今回は、このラカイン暴動に関する政府調査委員会が29日に両教徒の緊張緩和に向けた勧告を出した直後で、暴動の火種が全土でくすぶり続けていることを示した。【5月1日 毎日】
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“ミャンマーのイスラム教徒は主にインド、中国、バングラデシュから来た人たちの子孫。ミャンマーはこの30年ほど国勢調査を実施していないが、およそ6000万人の人口のうち多数は仏教徒で、イスラム教徒は4%程度と推定されている。”【3月22日 AFP】とのことです。(市民権を付与されていないロヒンギャがこの数字に含まれているのかどうかはわかりません)

“ミャンマーには1948年までの英植民地時代にインドから契約労働者として多くのイスラム教徒が入ってきた。しかし、ミャンマー国内のイスラム教徒は完全には社会に溶け込んでおらず、宗教間対立は軍政からの迅速な民政移行を目指すミャンマー政府にとって頭の痛い問題となっている。”【同上】ということで、宗教的・文化的な差異に根差す緊張関係が存在しています。

民主化のジレンマ
これまでは、こうした対立を軍事政権下の管理統制で抑え込んできましたが、“民主化が進展しタガが緩むにつれて、ふとしたいさかいなどを契機に、潜在的な不満や不信感、対立感情が噴出するようになっている”という側面があります。

****大統領就任2年 民族・人種・宗教対立 民主化ミャンマー、反動ジレンマ****
ミャンマーのテイン・セイン大統領が就任してから30日で2年。民主化が漸次進むにつれ、軍事政権時代は押さえつけられてきた民族、人種、宗教上の違いに根ざす潜在的な軋轢(あつれき)が、社会現象として噴き出している。ジレンマを抱えるミャンマーの融和への道のりは険しい。

ミャンマーでは4月1日から、これまで許可されてこなかった民間の日刊紙(16紙)が発行されるなど、言論や集会の自由が徐々に改善されつつある。
一方では昨年6月以降、西部ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒が衝突し、180人以上が死亡した。その火種がくすぶる中、今度は今月20日、中部メティラで両教徒が衝突した。

発端はイスラム教徒の商店主と仏教徒の販売業者とのいさかい。民家や学校、モスク(イスラム教礼拝所)などが放火された。それがジゴン、オウポー、ミンフラなどへ南下する形で飛び火し、28日にはテゴンでも投石で家屋などが損傷した。最大都市ヤンゴンでも警戒が強まっている。
40人以上が死亡、1万2千人以上が避難し、政府は非常事態宣言と夜間外出禁止令を発令している。

仏教徒が約9割のミャンマーにあって、4%のイスラム教徒は、おおむね少数民族・戦闘地域を除き広く分布し、コミュニティーを形成している。68%を占めるビルマ族の居住地域にもコミュニティーが存在し、メティラもその一つだ。

イスラム教徒の多くがビルマ語を話すが、コミュニティーでは独自の言語を使う。熱心な仏教徒であるビルマ族などの目には、イスラム教もイスラム教徒も、「閉鎖的」に映るのだという。

もともとビルマ族などの根底には、歴史にも根ざすイスラム教徒やインド系への嫌悪感が存在する。軍事政権時代には、イスラム教の拡大を警戒し抑制政策がとられもした。いきおい両教徒は打ち解けず、しかし軍事政権による厳しい管理統制下で表面上は、“良好な関係”が保たれてきた。

それも民主化が進展しタガが緩むにつれて、ふとしたいさかいなどを契機に、潜在的な不満や不信感、対立感情が噴出するようになっている。仏教徒の一部はイスラム教徒との商行為を禁じ、反イスラムのCDや本などを配布する「969運動」を展開してもいる。

大統領は融和を目指しており、また人権の観点から注視する国連と欧米の目もあるだけに、手荒なことはできない。その意味でも衝突は、民主化のジレンマといえるだろう。【3月29日 産経】
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相互不信感から、ささいな出来事がきっかけで衝突
衝突にいたるきっかけは非常にささいなことです。
西部ラカイン州のロヒンギャについては女性暴行事件というそれなりの事件が発端となりましたが、中部都市メイッティーラでは、金製品店で経営者のイスラム教徒と近くの村から来た仏教徒の客がけんかになり、客が大けがをしたことがきっかけとなり、住民がナイフや棒を手にした暴徒化し、家やモスクへの放火を繰り返す事態となりました。

今回のオッカンは“路上でインド系イスラム教徒の中年女性が少年の見習い仏教僧にぶつかり、弾みで少年が托鉢のわんを落とし、泣き出した”というきわめて些細な出来事がきっかけとなりました。
もはや事件とも言えない、ごく日常にありふれた出来事です。それがたちまちのうちに死者をだすような衝突に拡大するというところに、仏教徒・イスラム教徒両者の間に存在する根深い不信感・恐怖心がうかがえます。

求められる政府・野党の指導力
加えて、当局の対応にも問題があることが指摘されています。

****ミャンマー政府が「民族浄化」、国際人権団体が報告書*****
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は22日、ミャンマー政府がイスラム系少数民族ロヒンギャ人に対して「民族浄化」の作戦を実施と発表した。大量の死体遺棄や強制退去の証拠が出ているという。

HRWによると、ミャンマー(別名ビルマ)の市民権取得を拒否されているロヒンギャ人は殺人、迫害、追放、強制退去などを含む「人道に対する罪」を受けた。昨年10月、ミャンマー政府当局者や地元指導者、仏教僧らが、群衆をたき付け、国の治安部隊の支援を与えた上で西部ラカイン州にあるロヒンギャ人の村を攻撃させたという。

「ビルマ政府はロヒンギャ人に対する民族浄化の作戦に関与した。それは支援拒否と移動制限を通じて今も続いている」と、HRWのアジア局長代理、フィル・ロバートソン氏は述べた。政府の統計によると、2012年6月以降、ラカイン州での仏教徒とイスラム教徒の2回の衝突で、少なくとも180人が死亡した。だが、HRWは実際の死者数はもっと多いとみている。

HRWは100人以上への聞き取り調査に基づく報告書の中で、ラカイン州内に死体が大量に遺棄された場所が4か所があることを示す証拠を突き止めたと述べつつ、治安部隊がこの「犯罪を示す証拠」を破壊しているとして非難した。【4月22日 AFP】
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市民権を付与されていないロヒンギャに関しては、他の国内イスラム教徒とは事情もことなるところもあるかとは思いますが、政府には事態沈静化に向けた公平かつ断固たる姿勢が求められます。もちろん、軍事政権のように民衆に発砲して鎮圧するといったことではありませんが。

先日来日した野党指導者スー・チー氏に国民和解に向けた期待もかけられていますが、この問題に関しては「私はマジシャンではない。長い間培われた相違の克服には時間がかかる」と慎重な姿勢を見せています。
少数派への肩入れは、多数派仏教徒の不満を招き、大統領を目指す政治的立場を危うくしかねないという現実的問題もあってのこととも見られています。

スー・チー氏の言うように、特効薬はなく“長い間培われた相違の克服には時間がかかる”問題ですが、それだけに政府・野党には問題の前進に向けた、たゆまない強い指導力が求められています。
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