世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(70)

2020-11-02 00:00:00 | Weblog

そして小生と同じ疑問にも言及しているので、それを紹介しよう。



「3万年前の航海」、残る舟の謎 本当に丸木舟? 国内最古は7500年前
2019年08月11日    http://blog.livedoor.jp/wkmt/archives/51561577.html

・1日の朝日に、『「3万年前の航海」、残る舟の謎 本当に丸木舟? 
 国内最古は7500年前』、という記事が載っていました。
 (→ こちらhttps://image02.seesaawiki.jp/w/t/wkmt/f1cf022607549d69.pdf をご覧下さい。以下、全文をそのまま掲載します)

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日本列島に人はどうやって渡ってきたのか。

その謎の解明を目指した国立科学博物館による、「3万年前の航海 
徹底再現プロジェクト」が先月、台湾から与那国島へ丸木舟で
渡ることに成功した。
(これについては→ 先月10日のブログ で取り上げました。
 今回の記事は、これ迄に取り上げたの記事の総括です)

台湾から与那国島を目指す丸木舟。黒潮が流れる海を横断できた



ただ、旧石器時代のこの地域に丸木舟があったのか、木の伐採や
加工に使った石斧が存在したのか、といった確証はまだない。

当時の航海をはっきりと描き出すには、更なる研究が欠かせない。

約200㌔離れた台湾の東海岸を出航してから約45時間。
全長7.5㍍の丸木舟、「スギメ」が7月9日、黒潮を越えて
与那国島の砂浜に到着した。

舟を漕いだのは、シーカヤックのガイドら男女5人。

3万年前の航海を再現するため、夜間航海に必要な航行灯等を
除いてコンパスや地図を持たず、太陽や星で方角を探りながら
舟を進めた。

方角を完全に失ったり、波が高くて海水をかき出し続けないと
いけなかったりする時間もあった。2日目の夜は全員が休息
したが、与那国島へ向かっていた潮の流れに助けられた。

プロジェクトを率いた国立科学博物館の海部陽介・人類史研究
グループ長は、遂に海を渡ったことに、「優秀な漕ぎ手と丸木舟が
あれば黒潮に流されずに海を渡れることが分かった」、と語った。

日本列島に人が暮らし始めた約3万8千年前。

アフリカを出た現生人類は、アジア大陸から北海道と対馬、
沖縄の三つのルートで日本に渡ったらしい。

この内、沖縄ルートに当たる琉球列島の島々には3万年前頃の
旧石器時代の遺跡が点在しており、黒潮の流れる海を越える技を
身に付けた人々がやって来た、と考えられている。

どんな方法で海を渡ったのか。

現地で調達できる材料で舟を造ったと想定し、2016年に
造ったのがヒメガマを使った草束(くさたば)舟だった。

初めにつくった2隻の草束舟


安定した形にできたものの重くて速度が出ず、与那国島から
西表島への実験航海で流され、出発から約8時間後に断念した。

次につくったのは竹筏(たけいかだ)舟。台湾に育つ大きな
マチクを材料にした。

マチクでつくられた竹筏舟


製作技術が伝わる地元のアミ族の人達に協力してもらい、
2017年に台湾で実験航海したが、これも船体が重く速度が
出なかった。軽くした2隻目もうまくいかなかった。
海部さんは、「草と竹は舟でなく漂流物だった」、と振り返る。

最後に残ったのが丸木舟だった。しかし、国内の丸木舟は
縄文時代の約7,500年前が最古とされ、3万年前とは隔たりがある。

ただ、旧石器時代に遠距離の航海技術があったのは確からしい。

伊豆半島の約40㌔沖に浮かぶ神津島の黒耀石が、切れ味の
良いナイフや矢尻等の材料として3万8千年前以降の各地の
遺跡から多数出土しているからだ。

池谷信之・明治大黒耀石研究センター員は、「旧石器時代の舟は
世界的にも見付かっていないが、何らかの舟で往復し、黒耀石を
運んだとしか考えられない」、と話す。

■石斧、復元や作業難航

丸木舟の製作も難題続きだった。縄文時代の舟を超えない性能と
規模で造ることになったが、5人が乗るには直径1㍍程の大木が必要。

台湾では適当な木が見付からず、結局、石川県のスギを伐採する
ことになった。

伐採は、国内で3万~3万8千年前頃の遺跡から出る刃部磨製石斧
(じんぶませいせきふ)でされたと想定した。

木の伐採に使った石斧の例


刃の部分を砥石で研いだ石斧だが、考えた装着方法では木の柄が
緩み易く、早いと100回、もっても5千回で換えないといけなかった。

木をくり抜いて舟にする作業も難航。航海実験に間に合わなく
なると心配されたため、作業し易い工夫を施した。

首都大学東京の山田昌久特任教授は、「旧石器時代の石斧や
作業を復元できておらず、丸木舟をどう造ったのかの解明は
途上だ」、と話す。

そもそも旧石器時代に、そうした石斧が伐採や木の加工に
使われたのかはっきりしない。台湾や琉球列島の大半では
出土例もない。

早稲田大の長崎潤一教授は、「国内の確実な南限は鹿児島県の
種子島。徳之島より南では石器自体が殆ど出ていない」、と語る。

だが、石斧も舟も、どれか一つでも新たな証拠が見つかれば
状況は変わる。

東京大の佐藤宏之教授は、「丸木舟が使われた直接の証拠はないが、
状況証拠はかなり揃っている。大事なのは考古学的データの蓄積で、
新しい旧石器時代遺跡をどれだけ見付けられるかが課題だ」、と話した。

http://blog.livedoor.jp/wkmt/archives/51561577.html


と言ったところであるが、この論考でも「刃部磨製石斧」が実際に存在していたのかは、定かではないと言っている。
(続く)
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