さて話を元に戻そう。
先ずその前に大まかな時代区分表を次の示す。史実と異なる部分もあるかとは思うが、大体こんな時代感覚であることを承知願う。
これは2018.10.25の「邪馬台国とはなんぞや?」のNO.53で使ったものである。
時 代 区 分
さてこのこと(稲作を伝える渡来人などの来訪はなかった)は、遺伝子レベルで考察しても明らかなことが分かっている。
このこととは、「渡来人が大挙して日本列島にやって来たか、又は稲作を通じて人口が急増して、縄文人を駆逐して日本人となっていった」と言う論理であるが、そうであれば、日本人の遺伝子は渡来系(大陸系)の遺伝子に置き換わっていることになる筈であるが、現在の日本人(男子)のY染色体は、朝鮮半島や大陸のものとは全く異なっていたのである。
日本人のY染色体には、半島や大陸では殆ど見つからない「ハプロタイプD」と言う遺伝子がかなりの頻度で存在しているのである。
この「ハプロタイプD」と言う遺伝子は、最古の縄文土器が1万6千年前の地層から発掘されたわけであるから、そのころから縄文人には存在していたものであろう。
長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(P257)(展転社)には、「日本と周辺国のY染色体頻度」の図表が掲載されている。
そのメモリを読んで数表にしたものを、次に掲げてみよう。(数字は概数である。タイは省略)
ハプロタイプ 日本 韓国 北京 モンゴル 備 考
C 8.9 14 43 モンゴルに多く、日本では古いもの
D 34.1 2.9 0.4 1.8 古い時代から日本に存在
O 27 41.3 52.3 20.1 アジアに古くから分布
O2a 1 0 タイの最大系統、古い
O2b1 18.1 5.9 0.1 日本から韓国に流入
O2b 6.8 14 5.8 弥生期に韓国より流入か
O3 1.6 13 14.9 5.9 弥生開始期以降に流入か
K 2.5 8.9 29.2 弥生期にやって来た
合計・% 100 100 ---- ----
この表の下三つのハプロタイプは、周辺諸国に最も多く分布しているものであることから、弥生時代以降に日本に流入したものであろう。日本に古くから存在したものではない。
日本列島は2万年前頃には大陸から分離しているので、日本での比率が高いグループは古くから日本列島に存在したハプログループとなろう。
周辺国に多い比率のグループで日本列島に存在しているグループは、弥生時代以降に日本にやった来たハプログループとして間違いなかろう。
日本列島は島国であったために、大陸の諸国と異なり異民族に侵入されることなどはなかったと言ってよい。唯一のものは元寇であるが、元(げん)のフビライが属国であった朝鮮の高麗に助言され、高麗・元軍の合同軍が、文永(1274.11.4~19)と弘安(1281.6.8~8.22)年代に北九州に侵攻し、村人たちを虐殺・蹂躙しとすべくさらっていったが、これも異民族による侵略ではあったが征服などと言うほどの大袈裟なもの(大激戦であったが)ではない。
しかも日本への大量の移民もなかったことから、日本人のY染色体はその大昔の基本形を保ったまま現代まで連綿と続いていると考えてよい、とその書には書かれている。
このように日本人(男性)のY染色体は韓国人や中国人とは大きく異なっている。だから、縄文時代の末期、弥生時代の初めにかけて、「大陸から人々の渡来はなかった」と言って間違いないのである。
このように周辺諸国とは近場にありながら、Y染色体は全く異なっているのであるが(遺伝的に遠く離れた関係)、これに反して日本人女性のmtDNA(ミトコンドリア)は韓国や中国のそれと類似していたのである。
長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(P166~)では、ミトコンドリアDNA問題を扱っている。
(続く)