世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

世の中、何だこれ!(WBC敗退、36)

2013-03-26 00:00:01 | Weblog

【WBC】山本氏監督就任を正式発表「3連覇目指す」
2012.10.10 17:57

侍ジャパン監督就任会見で質問に答える山本浩二監督=10日、高輪(塩浦孝明撮影)

 日本野球機構(NPB)は10日、来年3月に行われる野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)に3連覇を懸けて出場する日本代表(侍ジャパン)の監督に元広島監督で野球解説者の山本浩二氏(65)の就任を発表した。

 山本監督は東京都内のホテルで行われた就任会見で「(WBCでの)3連覇を目指して、気持ちを一つにしていきたい」と決意を新たにした。前日本ハム監督の梨田昌孝氏(59)、元西武監督の東尾修氏(62)らのコーチ起用も決まった。

 山本監督は今月中に代表候補選手を選出し、11月に2試合(16、18日)行われるキューバとの国際親善試合で初めて指揮を執る。

 監督選考をめぐっては当初、ソフトバンク監督の秋山幸二氏(50)が有力視されたが、秋山氏の固辞で調整が難航。監督経験者の山本氏に方針転換した。

 ■山本 浩二氏(やまもと・こうじ)広島・廿日市高から法大を経てドラフト1位で69年に広島入り。75年は首位打者で初優勝に貢献。79、80年には4番として2年連続の日本一に導いた。80、81年には2冠に輝くなど本塁打王4度、打点王は3度獲得した。

 通算2284試合で2339安打を放ち打率2割9分、歴代4位の536本塁打、1475打点。89~93年、01~05年と広島の監督を計10年間務め、91年にリーグ制覇。

 現役時代の背番号8は永久欠番となっている。08年に野球殿堂入りし、同年の北京五輪日本代表の守備走塁コーチ。65歳。広島県出身。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121010/bbl12101015450002-n1.htm



しっかりと3連覇を目指す、と言っているではないか。それでも満足と言うのか。

異常さの第2は反省点が無い」と言い切っていることである。優勝と言う「目標」に対して、それが達成されていないのである。「目標未達」であれば当然、なぜそれが出来なかったのか、と誰でも思う筈である。それが反省ではないのか。

この記事をざっと読んだだけで、彼らは2~3の反省点を述べていることが読み取れる。それでも反省点が無い、と言い切っている。と言うことは、彼らは本当の馬鹿で頓馬か、それとも、ことの重大性に対して我を失っているのかのどちらかである。

彼らが無意識に口にした反省点とは、「厳しい調整を強いられた」ことと、「ボールの対応、気温の対応、アリゾナからサンフランシスコへ行った」ことである。これって反省点ではないのか。

であれば、「厳しい調整をしなくてもよい体制」を作る努力をすればよいのであり、日常的にWBC用ボールを使うようにするとか、寒いところで試合をやるのであれば、その前の調整はアリゾナなどと言う暑いところでは駄目なのではないか。とすれば、これらの言葉は、紛れもない立派な反省点ではないのか、と思えるのである。

それすら気付かない(振りをする)3人とNPBであれば、「侍ジャパン」何ぞはさっさと止めた方がよい、と言いたくもなる。

ダブルスチールの失敗も反省点だと(言外に)述べているが、これは後に触れよう。

それに、卑(いや)しくも「山本浩二」も「梨田昌孝」も「東尾修」も、日本で監督も経験しそれなりに実績を上げてきた実力者であり、日本野球機構(NPB)が自信をもって(?)起用し、「3連覇」を託した人物である以上、馬鹿でも頓馬でもない筈だ。しかしなぜ彼らは、こうも「馬鹿」で「頓馬」になってしまったのか。

小生の見立てはこうである。

彼らは「侍ジャパン」の3連覇の達成に甘い見通しをもっていたからである。そして負けた。
しかもただ負けたのではない。
彼らは意気揚々として戦場に赴いたのである。半ばこれだけの戦力であれば勝つのは当たり前(と思ったかどうかは知らないが)、と慢心していたのである。そして試合をしてゆくうちに、その延びきった天狗の鼻を少しずつ折られていったのである。そして準決勝のプエルト・リコ戦で、その鼻は見事に音を立てて完璧なまでにへし折られたのである。
普通に準備して、普通に監督をして、普通にコーチして、普通に練習をしてゆけば、たいていは普通に試合が出来たのである。普通に試合が出来ていれば、「侍ジャパン」は普通に勝利出来たはずなのである(と小生は感ずるのであるが)。

こんなことに理解のない彼らではない。彼らは、いわゆる一流なのだ。そんなことは判りきっていた。ただ、慢心してしまっただけなのだ。だから馬鹿で頓馬なのである。(それとも管理能力が欠如していたのか、とすれば尚悪い。)

だいたいが、侍ジャパンは宮崎合宿中からたるんでいた。東尾投手総合コーチは、休日とはいえ代表合宿中の2013/2/19に、東京お台場でのコンビ株式会社の「ベビーカー」の体験イベント「コンビプレママレッスン プレミアVer.」に、娘の理子と共に出席していたのだ。理子が呼ばれたのは、コンビのベビーカーのユーザーだったからと言う理由だそうだが、それだったら旦那の石田純一を出せばよかったのだ。父親の東尾修は、大事な「侍ジャパン」の宮崎合宿中だ、いくら以前から決まっていたとはいえ、万障繰り合わせて旦那の石田に代理出席をさせるべきだったのである。それともコンビのイベントにあわせて、合宿の休日を設定したのか。

石田も予定が詰まっていたかもしれないが、夫々東尾修も石田もWBC宮崎合宿も相当前から日程は決まっていたはずなので、十二分に調整する時間はあった筈だ。それでも東尾投手総合コーチは、宮崎を抜け出してお台場に行ってしまった。休日だと言え侍ジャパンのメンバーは夫々自主練習していたはずだ、だから合宿中を抜け出すことは厳禁ものだ。「侍ジャパン」のPRの場だと皮肉られても、反論は出来ないだろうよ、東尾さん。

(続く)
コメント
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