銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

加藤和彦氏の、死の、私なりの分析ー2

2009-10-19 10:35:23 | Weblog
 実は、たった、三時間ほど前にあげた文章で、北山修氏との比較対照が、加藤和彦氏の自殺の引き金になったのではないかと仮定して、石川啄木のある歌を上げています。それが、記憶が不確かでしたので、しかも、歌集を本箱から探すのが厄介だったので(徹夜明けなので余計、だるいのです)、グーグルで検索をすると、石川啄木の、『一握の砂』が、パソコンで読めるのにはびっくりしました。その中で前報、『加藤和彦氏の、死の、1』とぴったり合致する歌があるので、ここで、追記させてくださいませ。

・・・・・実務には役に立たざる うた人(びと)と 我を見る人に
                   金を借りにけり・・・・・
~~~~~~~~~~~

 共同作業による創作品が、大衆的に人気を得た場合に、どちらの貢献が大きかったかは、過去に争われたケースがあります。中里介山の大菩薩峠が新聞に連載されたときに、その大衆的人気は挿絵から来るものか、それとも文章からくるものかが世間をにぎわわせたのでした。挿絵画家であり、後に芸大教授となる石井鶴三と文書の書き手・中里介山の間で起きたことです。今ではグーグルの検索にも載っていませんが、私の父なんかは非常に興味のある話題として(絵が好きで実際に描いていたからこそ、石井鶴三びいきだったのでしょう)、いつも茶の間で語っていました。

 北山修氏は、加藤氏を天才だとおっしゃっていますが、同時に「二人は生活上のライバルであった」ともお書きになっておられます。

 ここで、また、中断をさせてくださいませ。完全徹夜明けなので、石川啄木の短歌を確認するにとどめて、次の3をお待ちいただきたいと思います。1はたった、三時間で更新しましたので、夜これをお開きになる方は、まだ、ご覧になっていないと思います。下にありますので、それもよろしく。2009年10月19日
       雨宮舜(川崎 千恵子)
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