さて、問題を有名人の卒業生如何という、小さなフィールドから、『大学そのものの変質』というより大きな問題へ、戻しましょう。
教育大学は昔は『文科系統にもとても強い』大学でした。しかし、筑波大学へと変化をしてから、大学の知名度は、理学部、もしくは理工学部系統で、有名な大学というニュアンスが強まっています。または、運動学部系統で、有名である。
これは『つくば学園都市』という地域開発と、同時進行的に、筑波大学の移転が行われたために、余計そう感じるのです。たとえば、現代で言えば、茂木健一郎さんとか、姜尚中氏クラスの有名な教授、または、助(準)教授が現れても、まったくおかしくない雰囲気の大学でした。だけど、今、「私は筑波大学の教授です」とか、「準教授です」と名乗るタレント学者はあまりいません。
理工学部のスタッフとは、もともと、テレビや新聞にあまり登場されません。研究とは、それこそ、一種の引きこもりに近い生活が必要で、しかも発表の場が、大衆的ではない学会が主だからです。だけど、文科系のスタッフは、著書を通じたりして、一般社会に名前が通りやすく、結果として、タレントとして、テレビや新聞への登場を期待されたりします。
私は学生アルバイトという意味でも、つくば学園都市では、求人数やら、職場の数で、限定をされると思っていますが、さらに問題を感じるのは教授等のスタッフのほうです。
教授やら、準教授のアルバイト∞∞∞∞∞∞∞∞
(語弊があるが、一般庶民への露出という意味で、ある意味でオピニオンリーダーの役目をすることは、悪いことではないのでしょう。
でないと、茂木さんの多すぎる露出頻度も、抗議や、抵抗を受けないといけなくなります。『あれで、ちゃんと、東大の先生ができるかしら?』と思うほどの、大活躍ですから)
∞∞∞∞∞∞∞∞にもやむをえない制限が加わってしまっていて、それで、登場が少なく、それゆえに、筑波大学の文学部系統の、部門・教授の一般大衆・社会への露出(または、貢献)が、教育大学時代に比べれば、少なくなっていると感じるのです。
~~~~~~~~~~~~~
さて、さて、その結果、移転そのものが、∞∞∞∞∞∞∞∞教育大学のオピニオンリーダー輩出という意味での、活発さと勢い∞∞∞∞∞∞∞∞を抑える目的で行われた∞∞∞∞∞∞∞∞のではないかとさえ、私は推察をするのです。高度な意味での政治的な配慮が裏にあったのではないかと感じるのです。
しかし、当時の移転賛成者に、それが見えていたかどうかを知りませんし、移転反対運動があったかどうかも知りません。そして、旧キャンパスを訪問したこともないし、新・筑波大学キャンパスを訪問したこともないのです。教育大学も筑波大学も私にとっては、知識の少ない大学です。
しかし、政治と学問の関係という意味で、教育大学の名称改変と、移転は、非常に大きな問題を提示していると、考える人間が、私です。それはすでに行われきったことだから、どうしようもないと考えるべきかなあ?
だけど、同じようなことが、自らが所属している組織に起きたら、どうするかの先例にはなると思うのです。そして、自らがどう考え、どう行動したらよいかの先例には、なると思うのです。09-10-16
雨宮 舜(川崎 千恵子)
教育大学は昔は『文科系統にもとても強い』大学でした。しかし、筑波大学へと変化をしてから、大学の知名度は、理学部、もしくは理工学部系統で、有名な大学というニュアンスが強まっています。または、運動学部系統で、有名である。
これは『つくば学園都市』という地域開発と、同時進行的に、筑波大学の移転が行われたために、余計そう感じるのです。たとえば、現代で言えば、茂木健一郎さんとか、姜尚中氏クラスの有名な教授、または、助(準)教授が現れても、まったくおかしくない雰囲気の大学でした。だけど、今、「私は筑波大学の教授です」とか、「準教授です」と名乗るタレント学者はあまりいません。
理工学部のスタッフとは、もともと、テレビや新聞にあまり登場されません。研究とは、それこそ、一種の引きこもりに近い生活が必要で、しかも発表の場が、大衆的ではない学会が主だからです。だけど、文科系のスタッフは、著書を通じたりして、一般社会に名前が通りやすく、結果として、タレントとして、テレビや新聞への登場を期待されたりします。
私は学生アルバイトという意味でも、つくば学園都市では、求人数やら、職場の数で、限定をされると思っていますが、さらに問題を感じるのは教授等のスタッフのほうです。
教授やら、準教授のアルバイト∞∞∞∞∞∞∞∞
(語弊があるが、一般庶民への露出という意味で、ある意味でオピニオンリーダーの役目をすることは、悪いことではないのでしょう。
でないと、茂木さんの多すぎる露出頻度も、抗議や、抵抗を受けないといけなくなります。『あれで、ちゃんと、東大の先生ができるかしら?』と思うほどの、大活躍ですから)
∞∞∞∞∞∞∞∞にもやむをえない制限が加わってしまっていて、それで、登場が少なく、それゆえに、筑波大学の文学部系統の、部門・教授の一般大衆・社会への露出(または、貢献)が、教育大学時代に比べれば、少なくなっていると感じるのです。
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さて、さて、その結果、移転そのものが、∞∞∞∞∞∞∞∞教育大学のオピニオンリーダー輩出という意味での、活発さと勢い∞∞∞∞∞∞∞∞を抑える目的で行われた∞∞∞∞∞∞∞∞のではないかとさえ、私は推察をするのです。高度な意味での政治的な配慮が裏にあったのではないかと感じるのです。
しかし、当時の移転賛成者に、それが見えていたかどうかを知りませんし、移転反対運動があったかどうかも知りません。そして、旧キャンパスを訪問したこともないし、新・筑波大学キャンパスを訪問したこともないのです。教育大学も筑波大学も私にとっては、知識の少ない大学です。
しかし、政治と学問の関係という意味で、教育大学の名称改変と、移転は、非常に大きな問題を提示していると、考える人間が、私です。それはすでに行われきったことだから、どうしようもないと考えるべきかなあ?
だけど、同じようなことが、自らが所属している組織に起きたら、どうするかの先例にはなると思うのです。そして、自らがどう考え、どう行動したらよいかの先例には、なると思うのです。09-10-16
雨宮 舜(川崎 千恵子)
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