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寺島「ひとはなぜ戦争をするのか」その1

2023-03-10 | 気になる本

寺島実郎(2017)『ひとはなぜ戦争をするのか』岩波書店

 21世紀になって紛争はあっても、大きな戦争はないのでは、と思うのは甘かった。ロシアのウクライナ戦争がまだ停まらない。核兵器廃止条約も核保有国はもちろん、被爆国日本も批准していない。北朝鮮はミサイルの発射を繰り返す。ロシアも核使用をほのめかす。人はなぜ戦争するのか?国連に権限がないのか?軍拡で戦争抑止になるのか?私のささやかな人生のテーマの一つである。人類はなぜ戦争を止められないのか、失敗の歴史から学ばないのか。以下、本からのメモ書きである。

 なぜ戦争になったのか。真珠湾攻撃より、戦争に突入した前の5年間の省察が重要である。

 アインシュタインの紛争解決の国連組織、カントの恒久平和論がある。

 1933年日本は満州国を建国、5・15事件で犬養首相が殺害された。

 北朝鮮のミサイル、ロシアのプーチン、中国の海洋進出と、時代環境は「力の論理への回帰」を誘い掛け、「目には目を」と報復の論理に傾斜しかねない。戦争をどう総括したのか歴史認識が問われている。日本は自らが欧米列強の植民地にされるかもしれないという緊張の中で、「開国・維新」を迎え、富国強兵で自信を深め、日清、日露戦争を戦勝で乗り切った辺りから、「親亜」から「侵亜」に反転し、自らが植民地帝国と化した

 1914年の1次大戦開戦、1915年の「対等21箇条の要求」、1917年のロシア革命に対する「シベリア出兵」と植民地帝国に豹変し、1919年のベルサイユ講和会議に列強の一翼を占める形で参加するまでの、「運命の5年間」が戦争の惨禍に引き込まれる転機であった。

 70年談話に込められた歴史認識の歪みが、日本の未来を重くるしくしている。解釈改憲しての集団的自衛権を推進する「安保法制」、「共謀罪法」などに憲法改正の動きを注視するならば、「軍事力、警察力」という国家権力の強化で、「国民主権」を否定し、国家権力による過ちを繰り返すことになるであろう。

 ポピュリズムはファシズムではないが、国民の不満に照準を合わせ、心地よいメッセージで、問題の解決でなく国民を混乱させ、ファッシズムへの誘導路となる。

 国際金融機関の肥大化、マネーゲーマーにより、格差と貧困が深刻化し、21世紀の資本主義が制御不能な状態に向かっている。

 日本の領有権の主張が正当であろうと、米国は「施政権重視」である。尖閣についても「同盟責任を果たす」と言っているのであり、「米中戦争は避けたい」という本音を認識する必要がある。

 戦争をどう総括するか。「戦争は悲惨だ」でなく、なぜあんな悲惨で無謀な戦争に至ったのか、「軍閥の暴走」と単純化する前に、国民が大政翼賛会の空気に埋没し、総力戦に参加したのか、70年首相談話にない。結論は1914年の第1次世界帯大戦からベルサイユ講和会議までの5年間を考察することが、日本の針路に大きな意味をもつ。

 中国の文明・文化の影響を受けてきた。漢字、道徳観、遣唐使、仏教、儒教まで。富国強兵で力をつけ、日清戦争(1895)で勝利し、一部の日本人は中国を「チャンコロ」と見下した。(韓国人をチョン)アヘン戦争を横目に見て、自らが欧米列強の植民地にされるかもしれない恐怖心と緊張感の中で開国・維新を迎え、経済力・軍事力を高めるうちに、列強の植民地主義模倣の路線に入る。「運命の5年間」が「植民地帝国」の路線の時代である、「満州国の夢」、国際的孤立の中で真珠湾へという道の起点である

 言った言わないという次元でなく、忖度を超えて官邸主導の意思決定の持つ問題点を聞いてみたい。特定事業への恩恵をもたらすような国家戦略特区の現状について、それで良いと考えているのか。

 多くの日本の政治家は、北朝鮮の脅威と中国の危険性を語り、その脅威に「日米で連携して戦う」というレベルの話に終始する。そこにはいかなる東アジア秩序を創造するのか、グローバル・ガバナンスを構想するのか、という視界がない。と、ワシントンのアジア専門家は、「日本は小さいね」という。

 2014年、核兵器の非人道的側面を話し合う国際会議をオーストリアが主催し、外相が「オーストリアは核を持たないことを誓う」と演説した。2017年核兵器禁止条約が採択された。(2021年発効した)

 日産、スバル、東レなど日本の有力製造企業に不祥事が続き、データ改ざんの検査プロセスでの不正が噴出しているが、経営の弛緩と現場力の劣化とはコインの裏表といえる。東芝が不正経理から原子力部門の買収失敗によって、医療、半導体など優良部門売却によって消滅の危機に立つ

 第2次世界大戦期、ヒトラーがソ連に攻め込んだ時、ウクライナの独立志向勢力はヒトラーと手を組んでモスクワを揺さぶり、逆上したスターリンによって、ウクライナ人が「シベリア送り」となった。

 アメリカの核に守られながら、原発の再利用を考えるのは、コインの裏表の関係にあり難しい。小泉、細川の「脱原発」に向けて、米国に向き合う気迫も覚悟も感じられない

 外国人投資家の主力であるヘッジファンドは、株・債権・不動産・為替、あらゆる金融商品から「利潤を奪い取る」ことをビジネスモデルとするマネーゲーマーである。日本産業の復活を願って投資しているわけでない。

 円安に反転させても輸出は伸びず、3年連続で貿易赤字である。所得が伸びていない現状で価格を上げられない。所得は微増で、税・年金・保険を払って実際使えるお金は減っている。大企業だけの賃上げで、消費税も増税で、分配における格差と貧困である。生活保護の給付基準も下げられた。(勤労者所得の統計も偽装が発覚した。消費税は増税され、大企業の法人税は下げられたが、トリクルダウンはない。)工業生産力モデルだけで国を豊かにする戦略は限界に達している。「ものづくり国家」への陶酔でも駄目である。

 なぜ宗教のために人を殺すのか。根っこには石油権益や政治抗争などの要素が絡む。本質的問いとして、人間は何故、宗教のためとして人を殺すのか。本来、宗教は救済であり、救いであり、解脱(欲望の制御)であるはずだ。振興が深ければ、自分以外の信仰は誤りであり、排除すべきだと確信に変わる。

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