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田中優子「江戸からみると」

2021-01-31 | 気になる本

田中優子(2020)『江戸から見ると』青土社

 日本の文化で江戸時代に興味が湧いてきた。絵画では印象派のルノワールの「ヴージヴァルのダンス」、ゴッホの「夜のカフェテラス」とピカソの「ゲルニカ」が特に好きである。しかし最近は、広重や琳派の俵屋宗達の「鶴図下絵」、酒井抱一の「夏秋草図屏風」等が気にいっている。文学では特定できていないが詩、さらに川柳、和歌などの短い文に興味が向いてきた。そんな心境の中、見つけたのがこの本である。内容はエッセイで、短い文章であるが情勢にあった社会批評である。そのタッチは物腰柔らかいが、やんわりと本質を突いている。彼女は法政大学の総長であり、和服を着こなす。菅総理の学術会議の委員任命拒否については、批判の声明を出した。以下気になった箇所の要旨である。(  )内は私のコメント。

 企業の社会貢献 江戸時代、豪商らは金を出した。鴻池善之助は新田開発で、伊能忠孝も測量事業に自己資金を出した。企業そのものにメリットがなくとも、社会事業は財産を持つ者の務めだ。(オリンピックも)企業が負担すべき事業だろう。

 核と生きる日本人 江戸時代の人々にとって、ものづくりの技術の向上とは、可能な限りものごとを制御することだった。ものづくりとは自然を人間社会に導きいれることであり、それは人間の生命と生活のためだ。日本人は自ら被爆しながら、そして制御できないと知りながら「核と生きる」ことを選択したのか?(2021.1.21核兵器禁止条約発効)

 江戸の非戦 江戸時代270年間なぜ戦争がなかったのか?①経済的困窮、②制度的成功である。日本は敗戦し、戦争放棄し、今や負債は1000兆円をこえる。戦争が始まらないようにあらゆる手段をとる「非戦」への条件がそろっている。

9・11を思い起そう ガルトゥングさんの「積極的平和主義」はPositive Peaceで、日本政府の「積極的平和主義」はProactive Contribution to Peaceである。こちらは率先して行う平和への貢献という意味で、自立した思想ではなく、アメリカの持つ抑止力の分担という含意が透けて見える。

 「普通の国」をめざして 「普通の国」という言葉は誰が言い出したのか知らないが、よくぞこれほどつまらない言葉を発明したものだと思う。(豊田市もミライのフツーと言っているが、意味不明である。普通とは何か?正社員、結婚、持ち家、などが確保されることなのか?)

 バス事故を乗り超えるために この事故は、気持ちの問題だけで済ませるわけにはいかない。背後には規制緩和や価格競争という社会問題があるからだ。下請けになればなるほど苦しくなる安値競争は、結局、量で利益を得る大量販売に拍車をかけ、利益は一部の大企業に集まり、貧富の差を広げ、社会全体を貧しくする。

 働き方を変える 職住同一が崩れたのは生産が工場と会社に集中し、家庭はもっぱら消費の場となり、現金収入を得るために外に出なければならなくなったからである。そこに専業主婦という存在が生まれたが、今や男性の収入が専業主婦を雇える時代は過ぎ去り、しかも保育所問題は解決しない。まずは同一労働同一賃金が最初の一歩だろう。

 日本語が世界語になる日 戦後の高度成長とは「成長」といいながら日本の歴史が作ってきた豊かさを失う時代だ。今やどこの国も、征服と拡大がとっくに限界を迎え債務体質になっている。いま日本が江戸初期と同じように方針の大転換をしたら、日本は課題解決先進国として、政界の注目を浴び、日本語は世界語になるだろう。

 わたくしする 森友学園系の塚本幼稚園で園児が「尖閣列島、竹島、北方領土を守り・・・。安倍首相がんばれ。安保法制国会通過良かったです。」と大声で宣誓せる。教育は公平と公正を基本にした社会資本である。それをイデオロギーに喧伝のために使う。江戸時代ではこういう行為を「わたくしする」という。

 しあわせの経済 これは江戸時代の経済概念で、経済の語源となった「「経世済民」つまり万民を救済するためのマネジメントに近い。(浜矩子に近い)経済が国内総生産という数字によってではなく、ひとりひとりの幸せの尺度で表現できないのであれば、経世済民までの道は遠い。

 夕張の挑戦 財政破綻した夕張市で鈴木市長(現道知事)は、課題解決のフロントランナーになりつつある。(資産の投げ売りなど問題も多い。市長の評価は分かれる。)

 江戸時代に新しい物語を 秀吉は過大な事故評価に陥ってかじ取りを誤った。家康以降初期の将軍たちは、かじ取りに成功した。秀吉晩年の事故評価と情報分析の誤りは、太平洋戦争時の日本によく似ている。

 江戸の庶民に学ぶ、生きた経済学 その限りを知らない欲望の結果が、秀吉によるアジア侵略戦争になったのである。この歴史は、拡大主義と自給率の低下は戦争につながることを教えてくれる。

 江戸時代の循環社会は、「もの作り」の循環である。自給生産する農村と、内需を活性化する都市のバランスの上に立った循環である。輸入過剰社会での再生や循環は極めて難しい。

コメント
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