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自民党政治の変容

2015-01-03 | 気になる本
中北浩璽(2014)『自民党政治の変容』NHKBOOKS
 日本の戦後の政治経済は、アメリカに支配・干渉され、経済成長、汚職、バブル崩壊、不況、政権交代など激変してきました。特に、長期政権を担った自民党の歴史と、最近の安倍政権の特徴、国民の期待に失望し崩壊した民主党の検証などを概観したいと思います。そして、地元豊田市での政治構造に焦点を当てて見たいと考えています。以上のことを前提に、先ず「自民党政治の変容」のポイントをみてみたいと思います。
 自民党の歴史は55年体制下で、派閥の合従連衡、利益誘導政治でした。それよりも、党近代化や日本型多元主義と、「自主憲法制定」の党是を重視しています。1章で党近代化の動き、2章で1977年の総裁予備選、3章で小選挙区制度の導入が浮上、2大政党間の政権交代制、4章では小選挙区制のもとでの小泉純一郎の小泉改革、そして憲法改憲を掲げ「草の根保守」を目指す安倍晋三の時代が訪れたのです。ここでは第3章と第4章メモ書きです。
第3章では、1986年7月6日の衆参ダブル選挙での自民党の歴史的大勝をあげています。それは投票率の高い農村部と、投票率の低い都市部でも潜在保守層を掘り起こしたことが、勝因としています。1987年国鉄が分割民営化され、「小さな政府」、民営化、規制緩和が推進されました。1988年リクルート事件の発覚、「政治とカネ」を口実に小選挙区制、政党助成金が浮かびあがりました。1989年参議院選で自民党が敗れ、衆参両院の「ねじれ」が生じました。1993年の「日本改造計画」で、小沢は冷戦構造の終焉(91年ソ連解体)と湾岸戦争で、政治的リーダーシップの欠如に危機感を覚えました。89年連合の結成。93年社会・公明・民社の3党が内閣不信任で、羽田派の造反で可決し解散しました。「新党さきがけ」、新政党、日本新党が総選挙で躍進し、社会党が半減しました。94年小選挙区の選挙制度と政党助成金が成立しました。細川連立政権の後に、自社さ政権が誕生しました。村山首相は自衛隊を合憲とし、日米安保を認め55年体制の崩壊が明確になりました。自社さ政権は創価学会対策で政教分離と、無党派層対策を打ち人気のあった橋本を総裁に立てた。自民・新進党の2大政党化が進み、95年参院選で社会党は大敗し、96年橋本内閣が成立した。10月の総選挙で民主党が52議席で、社会党から名称変更した社民党とさきがけは大敗した。自民党は新進党の離党者を復党させた。新進党は6つに分裂し、98年新たな民主党が結成されました。
 第4章2大政党化と自民党の右傾化
 97年リベラル派の凋落と右派の不満の爆発で、神社本庁など宗教団体の「日本会議」が設立された。事務局は「生長の家」の学生組織からなる日本青年協議会でした。98年財政構造改革の凍結法案を出し、公明党に配慮して「地域振興券」の補正予算を可決した。99年自自公連携で右傾化が始まりました。2000年自由党が離脱し、加藤の乱が起きたが鎮圧された。小選挙区制度は党執行部の統制力が強まりました。01年人気のない森に代わって、小泉が「自民党をぶっ壊す」「小さな政府」論で、返り咲きを狙った橋本に総裁選で勝った。小泉は歳出削減で公共事業費を削減し、社会保障費が削られた。そして、労働市場をはじめ多くの規制緩和が推進された。右派の支持を得るためにも靖国神社に参拝を続けた。郵政民営化に象徴される新自由主義の構造改革は大きく進んだ。新自由主義的改革(大企業)を通じた無党派層の支持は不安定であった。党幹事長の安倍は自民党独自の理念を強調しようとした。教育基本法の改定、憲法改正草案に着手した。05年の郵政選挙は劇場型となり、自民党が圧勝した。06年総裁選で安倍が圧勝した。防衛庁を省にし、教育基本法を改定した。07年には憲法改定の手続き法も制定した。07年参院選で安倍は惨敗した。民主党との大連立を画策したが失敗し、病気を理由に辞任した。福田もねじれ国会解消のためにも、大連立を模索したが失敗した。麻生が引き継いだが、リーマンショックの翌年09年総選挙で、民主党に政権交代した。10年参院選で菅首相は消費税増税を打ち出し、過半数割れした。野田内閣のもとで、民自公の「社会保障と税の一体改革」が合意し、消費税増税が合意された。この頃ロシアのミドベージェフが北方領土を、李明博大統領が竹島を訪問し、日本が尖閣諸島を国有化するなど、国際環境が悪化していた。総裁選で勝利した安倍は、3本の矢のアベノミクスでデフレ脱却、物価上昇を目指して「経済成長」を推し進めた。
 おわりに
 利益誘導政治とは、選挙で票の見返りとして、地域、企業に利益を供与する政治手法である。政治献金を受け、経済成長の果実を配分し中選挙区では安定多数を維持してきた。これには経済成長の阻害要因として財界が批判的であった。政官業の「構造汚辱」、自民党の金権腐敗体質や「土建国家」などへの世論の批判は強かった。小選挙区制度による総裁の権限を用いながら、新自由主義的改革を断行していった。マスメディアを利用するが、支持なし層は不安定で、民主党に対抗する理念の明確化をすすめた。民主党政権の失敗を原因とする野党の分裂状態が解消されない限り、勝者総取りの小選挙区制のもと、自民党による長期政権が継続していく可能性が強い。
 コメント
 小選挙区制度の選挙では、中央統制が強まり、1強が総取りになり民意が反映しません。政党助成金は政党を弱体化させ、企業・団体の政治献金は形を変えた利益誘導政治です。小泉政権での新自由主義的な構造改革は、経済財政諮問会議に代表されるように、グローバル競争に勝てる大企業優遇、労働者の流動化で格差と貧困の拡大でした。その反動で、09年の総選挙は民主党が圧勝し政権交代が実現しましたが、期待を裏切るものでした。(これについては別にします。)12年には第3極がマスコミに取り上げられました。安倍政権になって、小泉構造改革の化粧直しで、憲法改悪、集団的自衛権等右翼的な新保守主義が押し進められています。安倍政権の消費税増税、アベノミクスの失速前に電撃的に14年の総選挙で自公は2/3を確保し、共産党が躍進しました。地方選挙後に集団的自衛権を具体化する戦争法案、TPP参加、原発再稼働、消費税増税と法人税減税、社会保障削減、公共事業ばらまきで借金増大など国民世論と政権の矛盾が深まり、政局は流動化することが予想されます。
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