Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「告白 コンフェッション」

2024年06月02日 13時32分37秒 | 映画(2024)
墓まで持っていくべき案件。


上映時間74分。最近長時間化が著しいと言われる中で激しく逆行する潔さ。

主人公の浅井は、大学の山岳部で一緒だったジヨンと登山の最中に悪天候に見舞われ遭難してしまう。ジヨンは足に大けがを負っており長い距離を歩けそうもない。死を確信したジヨンは突然浅井に告げる。

「俺はさゆりを殺した」

さゆりは、これも山岳部で一緒だったが、16年前に遭難して行方不明になってしまった女性である。突然の告白に戸惑う浅井だが、その後近くに避難できる山小屋を発見する。

死に際の告白のつもりだったのに、助かってしまった。気まずい・・・、というか秘密を知ってしまった自分は消されるのでは?二人のひと晩の攻防の行方はいかに。

映画の冒頭はあまりのショボさに笑ってしまった。難しいのかもしれないけど、もう少し導入部を丁寧に描けなかったかなと。告白された浅井がちょっと立ち上がって数歩歩いたら向こうに山小屋が見えたり、動けないから死を確信したのだろうに、浅井の肩を借りたら目と鼻の先くらいとはいえ少し高台の山小屋まであっさりたどり着けてしまったり。

その後もコントのようなやりとりが続く。自分を殺そうとしているのではと怯える浅井が、ジヨンの持っているサバイバルナイフを奪おうとトイレに行っている隙に試みるが、突然背後にジヨンが立っていて仰天する。大けがしている人間が音を立てずに近寄るってあり得ないでしょう。

まあ、そんなこんなで何を見せられてるんだ状態が結構続く中で、ジヨンはついにキレて山小屋の中で鬼ごっこが始まる。階段落ちやら、貞子風の這いずりやら、ジヨンが体を張ってがんばるが、ストーリーも後半の後半に入ってようやく意外性が出てきておもしろくなる。

半分ネタバレになるが、キーワードは浅井の秘密と夢オチである。救助隊への電話で「一人です」と言った部分が回収され、あまりに強烈だった夢の影響で思わず現実のジヨンに引っ掛かる言葉を漏らしてしまう顛末はうまくできていた。

それより何より映画館の大画面で奈緒のアップが見られただけで、かなり満足度が上がったのであるが。

(70点)
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「関心領域」

2024年06月02日 12時24分37秒 | 映画(2024)
塀が隔てる正しさと幸せ。


ナチスドイツを題材にした作品は様々あって、ジャンルも正統な歴史モノからSFやコメディまで実に幅広い。いわばレッドオーシャン状態であり、ここで新たな作品を作ろうとしても新味を出すのはなかなか難しいのではないかと思っていた。

そうした中で本作は、アウシュビッツ捕虜収容所の隣に家を建てて暮らしている家族の日常生活を描くという画期的な設定を打ち出してきた。ナチスの蛮行を直接映さずに、空気感だけでどのように異常性を伝えることができるのか大いに興味を持った。

冒頭、黒い画面にタイトルが映され、それが消えた後不穏な音楽とともにしばらくブラックアウトが続く。アカデミー賞では音響賞を受賞したそうだが、エンドロールの音楽を含めて、何気ない日常に潜む異常性を伝えるのに一役買っていた。

主人公はドイツ軍人のルドルフとその家族。ルドルフは、アウシュビッツ捕虜収容所の所長を務めており、敷地に隣接する一角にプール付きの庭を持つ一軒家を構えていた。

軍人でも所長となれば管理職なので、普段の仕事は公務員のごとく決まったルーティンに乗った出退勤である。職住近接だから家族と触れ合う時間はたっぷり確保できる。ルドルフも妻もこの生活に満足しており、遠い先の将来にまで夢を膨らませるのだった。

ただ、昼は青空の下で太陽の輝きに隠されていた部分が夜になると感じられるようになる。時折響く発砲のような音や、塀の向こうから沸き立つ煙。一切の説明はないが、我々は想像してしまう。

もちろん音や煙は夜にだけ出ているのではない。少しずつ目を凝らして、聞き耳を立ててみると、日常のそこかしこに収容所の暗部のかけらが転がっているのが分かってくる。

ルドルフたちの会話、一家に住み込みで働いているメイド、川遊びをしていたときに流れてきた物質。冷静になってみれば、ここは明らかにほかとは違う空間である。しかしルドルフの妻は、「ここは若いころから夢みてきた場所」と言う。彼女はメイドに向かってこんなことも言う。「夫に頼んで灰にしてもらうよ」

映画の背景や、大局的な歴史を学んでいる者からすれば、何という物言いであり傲慢な態度かという反応になるのだが、ミクロ的に彼女の視点に立ってみれば、実はそれほど常識外れな人物ではないことを理解できてくるところがおもしろい。

ある日、ルドルフは転属を命じられる。栄転ではあったが、妻はアウシュビッツの地を離れるのを嫌がり、彼は単身で行くことに。行った先では軍部の戦略担当とでもいう仕事に就き、アウシュビッツで行おうとしているハンガリーから大量の捕虜を輸送する作戦の中核を担うことになった。

彼は功績を認められ、ほどなくアウシュビッツに戻ることが決まった。大勢の人の命を奪うことが成果とされ、輝かしい人生の階段を上っていく。それがいかに誤ったことなのかは、奪われる側に立って実際に感じてみないことには分かりようがない。

帰還が決まったルドルフは妻に電話で知らせた後、職場を去ろうと階段を下りていくが、急に吐き気に襲われる。インサートされるのは、おそらく現代の収容所の博物館の展示物である大量の靴や遺物。神の手を持った映画の作り手が出演者にいたずらをしたようだ。

それにしても、「関心領域」というのは、直訳ではあるがよくできたタイトルである。不幸は関心の外にあるのだ。最近マイノリティに配慮し過ぎる事例もあるが、それでも気付いてもらえなければ不幸のままなのだから声を上げなければいけないのである。

(80点)
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