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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ズートピア」

2016年05月14日 20時53分24秒 | 映画(2016)
それぞれの夢や理想のきっかけに。


ディズニーは強い。いくらUSJが飛ぶ鳥を落とす勢いといっても、ディズニーの強さにかげりが見えるという話はます聞かない。

特に映画関係では、スターウォーズもマーベルコミックもいつの間にかディズニー傘下となり、次々とビッグヒットを生み出している。その傾向は、伝統の屋台骨でもあるアニメにおいても同様で、「アナと雪の女王」の爆発的ヒットは記憶に新しい。

そのディズニーアニメが放った最新作がこの「ズートピア」だ。

「ズートピア」とは、言葉からすぐ分かるとおり、動物が暮らす場所(Zoo)+理想郷(Utopia)である。

登場するキャラクターたちは姿かたちこそ動物であるが、文明の発達した「人間社会」的な都市を構築し、文化的な生活を送っている。

ライオンの市長、水牛の警察署長、トムソンガゼルのポップスター。肉食動物も草食動物も野生の本能を抑え協調して暮らす様子はまさにユートピアだ。

そんな世界では、おとなしくニンジンをかじる印象しかないウサギだって警察官になる夢を叶えることができる。こちらは言ってみればアメリカンドリーム。

誰もが平等を保証された世の中で夢を追っていける社会。思い返せば、20世紀はそんな夢を純粋に持ち続けていた時代だった。冷戦の枠組みに囲まれながら、西と東がそれぞれの進む道を正しいと信じて疑わなかった。

しかし、その夢は実際には努力すればするほど何故か遠のいて行く。今やたいていの人が、平等も夢もかなえられるのは一部の力ある者に限られることに薄々勘付いていて、露骨に夢や理想を語ることに気恥ずかしささえ感じてしまっている。

しかし、本作はその恥ずかしさのハードルを、人間社会の構成員を擬人化した動物に置き換えることによって、いとも簡単に越えてみせた。

キャラクターを人間として描くと、どうしても長所・短所のようにプラスマイナスの判断をしてしまいがちなのだが、肉食や草食、体の大きさ、動作の速さなどの動物が持っている特質だと、違って当たり前のものとして受け止められるのは、目からうろこであった。

優劣のない世界の中で掲げられる平等は、叶わぬ夢や理想ではなくあるべき姿であり、うさん臭さや説教臭さをまったく感じないのである。

もちろん、そんな小難しいことを考えずに、彩り豊かな絵の中で愛らしいキャラクターが繰り広げる冒険を楽しむこともできる。というより、基本的には子供が純粋に楽しむ娯楽作品だ。これが何より本作の素晴らしいところである。

キャラクター設定も巧みだ。前述の「動物が持つ特質」を生かしつつ、ステレオタイプな性格の部分をアレンジして、意外な展開を組み立てている(途中で読める部分もあったが)。

毎度のごとく、字幕版を観るために六本木まで足を運んだが、やっぱりShakiraの歌は良かった。「インサイドヘッド」のように(あれはピクサー作品だが)余計なビデオが付いていないのも良かった。

(85点)
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「シビルウォー/キャプテンアメリカ」

2016年05月05日 09時34分42秒 | 映画(2016)
それでも人生は続く。


マーベルコミックシリーズでまず思うのは、これだけの俳優陣をよく継続して押さえ続けられるものだということ。

H.ジャックマンはいよいよウルヴァリン役を降りるようだが、15年以上を経て大スターになった彼に同じ時間を拘束するオファーを出すことは相当難しいだろう。

しかし今回もR.ダウニーJr.は出るし(ほとんど主役級として)、S.ヨハンソンJ.レナー、昨年「アントマン」が公開されたばかりのP.ラッドも顔を揃える。長期的な視野に立った企画を作りそれを実現させる組織力には敬服するばかりだ。

そして今回は、その企画戦略がきっちりと作品本体にも表れていることを評価したい。

Civil War:内戦らしいが、アベンジャーズの内部で争いが起きるというのがメインの内容になっている。

スーパーヒーローの強大過ぎる力は世界を平和に導くどころか、新たな敵を生み、罪なき犠牲者を増やすだけである。力は適正にコントロールされる必要がある。

最近の「バットマンVSスーパーマン」や、以前の「Mr.インクレディブル」でも描かれたいわば普遍のテーマであるが、本作はマーベルの歴史を生かし、主役級のヒーローたちを分断し戦わせる展開に持っていく。

それぞれがヒーローだけにいずれの意見も正しい。しかも向いている方向は同じはずなのに戦わなければいけない不条理。序盤こそカメラのブレで見づらいアクションが気になるものの、物語の軸がはっきりするに従って戦闘シーンも分かりやすくなっていく。

もともとアベンジャーズは、強い個性が集まるというよりぶつかり合うところに魅力があった集団だと思うので、多くのヒーローが異なる組み合わせで激突する対決は、まさにシリーズの真骨頂が映像化されたと言える。

それにしても悲しいのは、劇中の戦いのすべてが個人的な恨みによるものだということ。世界征服でも愉快犯でもない。大切な人を失う苦しみは誰もが理解できるだけに、扱いに注意を払わなければ次の悲劇につながってしまう。

便利になったはずなのに満足度が低くなる社会。持続的な発展を目指しながら増え続ける貧困と、そこに起因するテロや犯罪。いずれも元を辿れば私怨へと行き着く。

マーベル作品は、必ず最後にシリーズ次作へ繋がるおまけ映像が入る。一応のエンディングを迎えても決して戦いが終わらないのがマーベルヒーローの宿命である。

特に今回は、キャプテンアメリカにもアイアンマンにも笑顔なき終わり方であり、矛盾に苦しみながら前へ進む選択肢しか取り得ないヒーローたちにどうしても現代社会を重ねたくなってしまった。

(85点)
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「スポットライト 世紀のスクープ」

2016年05月05日 09時02分01秒 | 映画(2016)
黙々と裏を取り積み重ねる。


アカデミー作品賞受賞作という堂々たる冠が付いたが、内容は実に淡々としている。

聖職者によるスキャンダルという事実があまりにも大きく、余計な脚色が必要ないのはその通りであろう。

保守的になりがちな歴史ある町の「システム」に風穴を開けたのは、よその地から地元ボストングローブ紙へやって来た新局長であった。

局長が数ある報道の中からいかにしてこのニュースに注目したのかは明かされない。しかし、就任直後からトップダウンでグローブ紙の看板である"Spotlight"欄を担当する記者たちへの総力取材を命じる。

局長の慧眼と、忠実で正義感に満ち行動力に溢れる有能な部下たち。与えられたノルマ、取材対象との厳しい交渉、メディアに携わる人たちの並々ならぬ苦労が伝わってくる。

社内の人間、教会関係者、被害者に弁護士と、関係者がめまぐるしく登場するため、ただでさえ記憶力の衰えが見え始めている身にとって、話を追っていくのに相当骨を折る。

ひたすら取材して事実の裏付けをするのがメインになるためか話の抑揚に乏しい一方で、作品のポイントとなるべき意外な展開も、裁判の資料が公表されるなど専門的な面が大きく、直接感情に響いてこないことが多くなっている。

その中で印象的だったのは、取材を続ける中で、同じグローブ紙が過去にも同事件を扱っていながら記事がおざなりにされてしまっていた事実を知る場面である。

これだけ有能な社員が集まっていたとしてもこぼれ落ちてしまう。メディアに限らず、仕事に家庭に、常に謙虚に向き合わなければいけないことを改めて感じさせられる。

興味深い話ではあるが、作品賞受賞と聞くと正直「ふ~ん」と思ってしまう。俳優陣も魅力的な顔触れだが、分かりやすい賞取りの演技ではない。ただ、R.マクアダムスのキャリアに箔が付いたのは正直うれしい。

(70点)
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「アイアムアヒーロー」

2016年05月04日 20時33分53秒 | 映画(2016)
防衛力の乏しさを認識。


ZQNという名ではあるが、要はいわゆるゾンビ映画であり、それ自体はまったく珍しくない。

その中で本作が特筆されるべき点は、わが国では個人レベルでZQNを退治する手段がないということに焦点を当てていることである。

更には、人間とZQNの戦いと並行して、いやむしろそれよりも際立つ描写で、追い込まれたはずの人間たちのコミュニティの中で起きる争いや諍いを描いているところもおもしろい。

改めて平和な国ニッポンの社会は、ほとんどの国民が武器を持たない、使用しないことを前提に成り立っていることを実感せずにはいられない。だから外敵には弱いだろうし、お互いを信用しなくなったときの崩壊が無残な結末を招くことにも非常に納得がいく。

本作では、そんな平和社会でうだつの上がらない生活を送る主人公・英雄が、ZQN騒動に振り回される中で、いかに自分の中の生き抜く力を呼び起こすことができるのかを中心に話が組み立てられている。

しかしこれもおもしろいことに、英雄は銃使用の免許を持っており、幾度となくZQN退治にその力を発揮する機会が巡ってくるが、ことごとく踏み切れないまま窮地に追い込まれていく。

ついにはその切り札を他人に奪われ、丸腰で狭いロッカーに身を隠す英雄。彼はこの苦境にどう立ち向かっていくのか。

英雄はたまたま銃の免許を持っているだけで、どこにでもいる普通の日本人と何ら変わりのない人間である。

ロッカーに身を隠すまでの彼の行為や判断は、パニックになってなお日常の常識を踏み外さないし、本作はそれを決して勇気がないと蔑むように描いているわけではない。むしろ行きずりの他人である女の子を守ろうとする姿を、他者をしてほめさせているほどである。

「僕はただの「英雄(ひでお)」です」

何もできずヒーローになれない自分を情けなく感じ、自責の念にかられ続けていた英雄。全篇を通して変化した彼が、タイトルと逆説的な言い回しを最後になって敢えて口にする。

自分が思い描いていた英雄的行為とヒーローは結び付かなかった。しかしそれは決して失望でも自虐でもなく、何より重要なのはいま自分がどういう存在で何をすべきかということに尽きる。その先に誰かにとってのヒーローがいる。

パニック娯楽作にほんのりと柔らかいメッセージを漂わせている点は好感が持てるし、主役に大泉洋を配置したのも全体に説得力を持たせる効果を発揮している。

コミュニティリーダー伊浦の扱いや、終盤で主人公たちに襲いかかるZQNのご都合感など不満が残る部分もあったが、概ね楽しむことができた。それにしても、最近の長澤まさみは引き立て役が多くて不憫でならない。

(70点)
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「クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」

2016年05月04日 19時53分49秒 | 映画(2016)
こなれているけど、引っ掛かる。


多彩な方面で才能を発揮する劇団ひとりが脚本を手掛けたことで話題になっているシリーズ最新作。

頭のいい人だし、引き受ける以上はシリーズに関する知識や愛情があるのだろうと想像し、否応なしに期待が高まる。

ただ結果から言えば、ここ数年の作品の中ではイマイチなデキだったと思う。

「クレしん」特有の(時にはお下品な)ギャグ、映画版ならではの家族や友情を絡めた感動といった要点はしっかりと押さえられ、それぞれ作品の盛り上げに効果を上げていた。

では何がイマイチだったのかと言うと、その先は個人の好みに依ってしまう部分も大きいのだが、全体のストーリーが上手く流れていなかった気がした点である。

例えば、誰にも心を開かなかった転校生サキちゃんが、カスカベ防衛隊に対して次第に期待を抱いていく筋書きは、もう少し丁寧に描けたのではないか。

特にしんちゃん以外の4人は、友達になろうと言ったはいいが、夢の事件をきっかけに一度はサキちゃんと距離を置こうとしてしまっては、過去に幼稚園で遭った子たちと特別な差があるように見えない。

特別といえば、ひろしとみさえは今回も子供たちのためにひと肌もふた肌も脱いでみせるわけだが、この顛末にもすとんと落ちてこないものがあった。

夢を見る力を吸い取ってサキちゃんの悪夢に対抗するというのがユメミーワールドの世界観である。子供は夢を見る力が大きく、大人になるほど小さくなるという一律の設定は一見理解しやすい。

でも、とても大人とは言えないミッチーやヨシリンが大人扱いされていたり、ひろしとみさえがいかにもな行動や言動をするだけで子供扱いにシフトしたりする様子を見ると、設定があまりに大雑把過ぎて残念ながら醒めてしまう。

ひとつひとつのギャグには光るものがあっただけに、最後に圧倒的な感動を味わえなかったのはもったいなかった。石好きのボーちゃんが隕石を超えて小惑星になって降ってくるところなんて、かなり好きだったのだけど。

次回以降も脚本や製作に携わっていくのであれば、それはそれで期待したいと思う。

(65点)
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「ヘイトフルエイト」

2016年05月01日 03時21分14秒 | 映画(2016)
丁寧な仕事、贅沢な時間。


上映時間が長い。このように書くと批判的に聞こえるが、そうではない。

ただ、表現として必要なものを残して削り取っても3時間近くになるほど、中身がぱんぱんに詰まった映画というわけでもない。

冒頭のワンカット。一見不可解な構図からゆっくりゆっくりとカメラが引いていくと、それは猛吹雪が近付く山間の街道沿いにある看板のアップであったと分かる。

遥か遠くに見えた点が駅馬車となって看板の横を通り過ぎるまで何分あっただろう。この場面にこれだけの尺が必要かと言われれば必ずしもそうではない。しかし、単純な長回しにもかかわらず冗長とはまったく無縁で、E.モリコーネの音楽とともに緊張感と期待感が盛り上がっていく。

作りはミステリー仕立て。曲者8人が揃った中で起きる殺人事件と宣伝では言っていたが、実は事件が発生するまでも結構時間がかかる。

中心舞台であるミニーの店、そこへ至るまでの駅馬車の中。主要人物同士による一触即発の会話がそれぞれのキャラクターの紹介となっており、観ている側は、これから何が(殺人事件と分かってはいるが)どのような形で起きるのか、はらはらしながら引っ張られる。

南北戦争からそう時間が経過していない時代。本作で最も強烈に描かれるのは黒人への差別だ。ただ一人の黒人マーキス・ウォーレンにとっては四面楚歌。しかも話していくうちに、ミニーの店に会したうちの数人がバリバリの南軍派だということが判明する。

そして映画の最大のカギである女犯罪者デイジー・ドメルグ。大きな町で処刑されるために引っ張られているだけの存在だが、容赦なく殴られても不気味に笑いながら悪態をつくのを止めない。

キャラクターの作り込みやエピソードの内容がしっかりしていて、それを時にはじっくり、時には鋭くと、緩急をつけて表現される。この辺りは監督8作めの経験が成せる技なのだろうか。

事件の場面には当然グロっぽい画は出てくるが、本作がR-18指定となったのはどうやらそれだけではないようで、途中でまさかの全裸男登場。これも画にしなければ映画が成り立たないというわけではないところがおもしろい。

最大の事件が発生してからは、本格的な犯人探しのミステリーへ移行する。なぜこの8人が集まったのか、何がシナリオ通りで何が想定外だったのか、この舞台を操っていた最強の敵は誰なのか。ひとつひとつが解けていく様が爽快だ。

怪しい黒人役といえば追随を許さないS.L.ジャクソンや怪演でアカデミー助演女優賞候補になったJ.ジェイソン・リーをはじめとした俳優陣も多彩な演技で楽しませる。やっぱり映画はおもしろいと再認識する作品だと思う。

(85点)
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「ルーム」

2016年04月17日 01時53分48秒 | 映画(2016)
種をまき水をやり、花が咲くのを待つように。


どうしてもあの事件を思い起こさずにはいられない。

近くて濃密な母子の情景から始まる物語は、ほどなく二人の空間を形成する異様な経緯を浮かび上がらせる。

息子・ジャックは母親の「思いやり」をずっと信じていた。毎日暮らす狭い空間が世界のすべてだと。しかし、5歳の誕生日を境に彼は深刻な事実を知らされる。

観客が観る切り取られた画面も同様で、ジャックと同じ目線で映画の全容を明かされる作りになっている。

こうして否応なしに画面に引き込まれた後に、ジャックは命を懸けた使命を与えられる。それは幼い身にはあまりにも過酷なものであったが、母親の命を懸けた愛情に応えようと彼は立ち向かう。

正視できないほどの緊迫感と同時に、突然彼の眼前に大きく開けた空が飛び込んでくる。

本作の本当の見どころはここからである。特異な環境で育った彼が新しい世界とどう折り合いをつけていくのか。周りはどう接するのか。

ジャックを演じた子役が素晴らしい。「巧い」と言うより、この難しい役を説得力を持って演じているのが「すごい」。狭い空間で二人きりのときに母親に甘える姿も、広い世界に飛び出て、好奇心を抱きつつも少し怯えている姿も、自然なのである。

母親・ジョイ役のB.ラーソンはアカデミー主演女優賞を獲得。監禁された娘であると同時に、子を守る使命を持った母親であるという、これまた難しい役であった。

人生の大切な時間を奪われた理不尽さに屈せず、わが子に愛情と教育を注ぎ続けたジョイ。5年の月日はジャックの根幹をしっかりと築き、彼は新しい「ルーム」での出会いや発見を的確に吸収することに成功する。

かつて暮らした空間が意外なほど狭かったことに驚くジャック。日々の暮らしの中で確実に成長した彼にとって、そこは忌まわしい過去でも、戻る必要のある場所でもなかった。

特別な状況を舞台にしつつ、人間の成長の本質を的確に分かりやすく示している。全体に優しい色調だが、そこに前半の「ルーム」の殺伐さがインパクトとして加わり記憶に深く刻まれる作品となっている。

(80点)
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「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」

2016年04月17日 00時25分31秒 | 映画(2016)
横綱・スーパーマンと関脇・バットマン。


嫌な予感が限りなく強かったので、保険としてTOHOシネマズ新宿でのMX4D鑑賞初体験というをオプションを付加したが、その選択は間違いではなかった。

タイトルのインパクトは申し分ない。ネームバリュー抜群の2者による異種格闘技戦。しかも予告等で現れる映像は、あのスーパーマンがまさかの悪役?というような疑惑を呼び起こすもの。そんなはずがないことは分かってはいるけれど。

製作総指揮に「ダークナイト」を大成功に導いたC.ノーランの名前が挙がる一方で、監督は「マンオブスティール」のZ.スナイダー。どちらの色が強く出るのかで大きく印象が変わるのは必然。

冒頭はバットマンの誕生に尺を割く。生まれるのは何度めになるだろう。現代のダークヒーローの元祖だけにいくら繰り返しても荘厳さは色あせない。

その後はスーパーマンの話が大きくなる。悪役スーパーマンを作り上げる謀略を練るのは、人間でありながら宿敵として君臨するレックス・ルーサーだ。かつてG.ハックマンが時にコミカルに演じた役を担うのは、なんとJ.アイゼンバーグ。見た目こそ違うが、クセのある役はお手の物と言わんばかりに独自のレックス・ルーサーを形作っていた。

と、好意的な評価はここまで。

「マンオブスティール」の記事でスーパーマンを「破壊神」と表現したのだが、その激しさは人類を引かせるほどであった。それはまったく同感なのだけど、その設定がある以上バットマンは力ではまったく渡り合えない。

対決を成り立たせるには、スーパーマンを徹底的に受け身にして、攻撃側が弱点であるクリプトナイトを使うか、愛する人を人質にとるくらいしかない。ヒーローであるバットマンは後者を選べないから、誤解によってクリプトナイトを使う展開にしなければならない。

冒頭に誕生を描こうとも、スーパーマンの力が強大過ぎるかぎり本作のバットマンは添え物になってしまう。簡単に言えば、これは「マンオブスティール2」ということだ。

ワンダーウーマンが登場してしばし目を奪われたが、これもまた超人対決を助長させバットマンの所在をなくすものであった。ジャスティスリーグの詳細は知らないが、超人リーグにしないと。

往年の一線俳優が枯れた姿で出ているのも悲しかった。女性議員役のH.ハンター、リトル・ロマンスがもはやロートルの域に差し掛かったD.レイン、そして前作で何故か竜巻に突っ込んで行ったあの方も謎の降臨。

4DXも一度体験すればいい程度のものだったし、世の中にお金が回ることだけが救いという作品だと思う。

(50点)
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「暗殺教室 卒業編」

2016年04月13日 23時08分35秒 | 映画(2016)
感極まらない卒業。


前作では、意外と楽しめたという感想を書いたが、1年経って作られたこの続篇は、評価した要素をことごとく否定する出来栄えになっていた。

まず、見慣れたということもあるかもしれないが、「殺せんせー」の魅力が発揮されていない。話の辻褄を合わせる必要はあっても、過去の場面の描写に時間をかけ過ぎである。

「殺せんせー」の声あてが二宮和也だったというサプライズも今回は当然なく、最強の殺し屋という似合わない役を演じるのを延々と見せられるだけである。

3年E組の生徒たちや新たな刺客たちもまったくの不発。そもそも「殺せんせー」に直接立ち向かったのが、前作のラストで隠し通していた触手をチラ見させていた茅野カエデと、触手の生みの親でもある柳沢くらいだったし、最初だけ勢いが良くて雑魚キャラ級の結末に至る流れはご都合主義にもほどがある。

雑魚キャラ一掃は前座として、先生と生徒の対峙という教育的テーマが盛り上がれば良かったのだが、こちらの流れも何やらぱっとしない。

落ちこぼれ扱いされた生徒たちが一つの目標への努力を通して大切なものを体得するという王道の過程が、よく分からない高レベルな科学知識を使った薬づくりだったり、生徒同士の決闘だったり、感情移入しづらいエピソードで綴られてしまっているのは致命的であった。

もちろん感動できた人もいるのだろうし、ムキになって否定する気もないが、この類の作品が量産される傾向については再考すべき段階に来ているのではないか。

(45点)
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「マネーショート 華麗なる大逆転」

2016年04月13日 23時05分13秒 | 映画(2016)
持続可能な発展なんてありえない。


気持ちは分からないでもないが、この邦題はいただけない。

経済の映画だから原題にはない「マネー」を被せて、エンタメ要素を強調しようと「華麗なる大逆転」という副題を付けた。

確かに劇中では、馴染みの薄い経済用語をジャンルの異なる有名人にくだけた解説をさせるなど娯楽へ寄せた動きはあるが、本線は極めてシビアな話である。なにしろ一生の一度の賭けに勝った男たちが誰一人として笑顔を見せないのだから。

冷静になれば誰だって理解できるバブルの崩壊は逆転でも何でもない。ましてや、B.ピット演じる伝説のトレーダー・ベンが指摘したように、多くの人間が財産を失う事態を喜ぶなど不謹慎であり、「華麗」と形容する見識に至っては理解不能である。

但し、邦題問題を横に置けば、本作は非常に興味深い事象に満ち溢れた物語である。

もちろん経済用語を理解しているに越したことはないが、十分な理解がなかったとしても、世の中にべっとりとこびり付いた理不尽や不条理が次第に姿を見せる展開には戦慄を覚える。

そんな巨大な魑魅魍魎に対して、出自も個性も異なる俳優が立ち向かうところも見どころだ。

中でも、S.カレルは昨年のオスカー候補になった「フォックスキャッチャー」からの神経質路線を継いだような怒れるヘッジファンドのマークを好演している。彼の怒りこそが本作の柱と言ってもいいと思う。

繰り返すが、この話は逆転劇ではない。経済界・金融界の単なる自滅である。主役の男たちは真実を見抜き、真っ直ぐ追究したに過ぎない。

驚くべきは、全世界の大多数の人々がこの真実に気付かなかったか、あるいは敢えて目をつぶっていたということである。

S.ゴメスが起用されたたとえ話の「外挿バイアス」はかくも恐ろしい。

この仕組みが崩壊するはずがないという思いが不磨の大典と化し、メガバンクと格付け会社が手を組んで保身に腐心した描写は衝撃だった。ひと時代前の話とはいえ、現存する組織に違いないのだから。

彼らは問われたら答えるだろう。組織は生まれ変わったと。

しかし、このバイアスは一企業や特殊な業界だけの話ではない。

災害はいつか来るかもしれないが、今日来ることはない。うちの子供、うちの会社に限って、そんな不祥事を起こすはずがない。

周りを見回せば、紛争、食糧、エネルギーなど解決できない問題が山積みだ。薄々限界を察知しながらも、自分の手に負えるものではないし、自分が生きている間持ちこたえるならいいかと、誰もが目を背けて先送りしているのだ。

問題が起きる度にマークのように正直に怒ることは正しいかもしれないが、それでは間違いなく幸せにはなれない。

結局は、自分の中では怒りと妥協の折り合いをつけながら、いつ自分を取り巻くバブルが弾けても生き抜く覚悟を持っておくしかないということだ。

最後にもう一つ苦言。劇中でできないのは仕方ないかもしれないが、パンフレットにはもう少し経済用語の解説があってもいいはず。ネットで調べれば分かる範囲のものではあるけれど。

(80点)
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