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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「キス&キル」

2010年12月18日 02時23分08秒 | 映画(2010)
複数形のさりげない"s"の効果。


設定がどうしても「ナイト&デイ」と被ってしまったというのは妻の意見。

A.カッチャーK.ハイグルのコンビもいいが、キャリアに裏打ちされた華やかさで劣ってしまうのは仕方ない。

特に、スペンサーが南仏のリゾートでジェンに一目惚れするという下りにどうしても無理が出てしまう。物語が進むにつれて、C.ハイグルはこれまでで一番と言えるくらい魅力的に映っていたのだが。

話は、南仏から戻り結婚後3年経過した時点から本格化する。

2人は、かつてスペンサーが話していた理想の生活を得ていた。それは地域社会に溶け込んだ安定した平和な日々。

しかし皮肉なことに"KILLERS"はその理想の中から襲い掛かってきた。知人や隣人との何気ないやりとりを先に見せてある分、変わり様の触れ幅がおもしろい。2,000万ドルはゾンビ化するウィルス並みの効果を持つらしい。

ただやり過ぎの感は否めない。金に目がくらんだ人たちの末路は哀れであるとともにあまりにも軽い。スペンサーが狙われている理由のオチが分かると、その軽さはもはや悪い冗談でしかあり得なくなる。

そんな倫理観のなさに一応のくさびを打つのはジェンだ。最後まで戦闘能力に目覚めることがなかったのも、強い女性が目立つ最近の風潮において珍しくて好感を持ったが、彼女は彼女なりにKILLERSを諭す。

これだけ散々にしておいて、最後は家族会議で締めちゃう肩透かしっぷりは好きだ。

(75点)
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「人生万歳!」

2010年12月18日 01時48分53秒 | 映画(2010)
本当に何でもありと思ってるの?


W.アレンといえば恵比寿ガーデンシネマ。

就職して東京に出てきたのと時を合わせて開館したこの劇場が、年明けの1月29日で休館するという。

「世界中から選び抜いた優れものぞろいです。」というバブル期の言い回しが残る予告篇のメッセージもこれが見納めと思うと感慨深い。

その17年間の締め括りとして選ばれたのが本作である。

口数の多い小難しい老人が主役。と聞けば、アレン本人でまったく違和感がないと思うのだが、今回彼は出てこない。

ただ実際のところは彼が出ていなくとも全篇を通じて流れる空気はほとんど変わらない。男がいて女がいて、知り合いが出てきて、話がねじれていく。

なんだかんだつまらないことが多い世の中だけど、そうそう捨てたものでもない。

原題の"Whatever Works"は「うまくいくなら、何でもあり」。タイトルで宣言してるんだから、話のまとめ方が強引なんて言うのは野暮だよってこと。

でも、今回のアレン節は真っ直ぐ心に入ってこなかった。

それは、登場人物のハッピーエンドが、一様に過去との決別を経て語られているからである。

新しい人を好きになったメロディ、貞淑な妻から奔放な芸術家へと転身した母、忌み嫌っていた同性愛者として生まれ変わった父。

彼女らの幸せは伝統や宗教といった呪縛からの解放が必然であったわけで、裏を返せば保守的思想の否定を通じて、必ずしも多様性を認めていないのである。

アレンってこんな考えしている人だったっけ・・・ともやもやした感覚を残して、最後の恵比寿を後にした。

(65点)
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「GAMER」

2010年12月18日 01時21分53秒 | 映画(2010)
頭がいいのやら悪いのやら。


実在の人間をゲームのキャラクター、いわばコマとして動かす発想は、あの「アバター」に近いのかもしれないが、こちらの舞台は近未来アクションである。

だから全体を覆う空気は、「ロボコップ」あたりから近未来の定番となっている荒廃と無秩序だ。

ただ「ロボコップ」に比べると本作は笑いの感覚に欠ける。

話の基軸はそれなりにおもしろいのに、激しい戦闘シーンにばかり比重がいってしまうから、のめり込めないし残らない。

音量の大きさは辟易するほど大きいから寝入ってしまう心配はないが、結構退屈する。

最後の敵の倒し方なんてのは、マインドコントロールを逆手にとった巧いアイデアだと思うだけに、もう少し話を膨らませる努力がほしかった。

G.バトラーは、硬軟演じるも最近は当たり役がないね。今が踏ん張りどころかもしれない。

(60点)
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「エクリプス/トワイライトサーガ」

2010年12月05日 22時42分26秒 | 映画(2010)
極限の寸止め感が笑えるレベルまで復活。


前作「ニュームーン」が盛り上がりに欠けた理由は、エドワードがベラの前から姿を消していたことに尽きる。やっぱりこの昼ドラともレディースコミックとも言うべきこの物語に、運命の3人が揃っていないと話は始まらない。

ただ、その「ニュームーン」で立派な好敵手に成長したジェイコブが、本作ではいよいよ正々堂々とエドワードに対抗するのだから、その意味ではシリーズものとして通らなければいけなかった道とも言える。

それにしてもこのガチンコ勝負がしびれる。

冷血・草食のエドワードに対し、まったく対照的な熱血・肉食のジェイコブが強引に攻める。強い押しによろめくベラだが、このよろめき方がまたえげつない。

両者の目の前であんなことやこんなこと。気持ちに嘘はないし、お互いの立場として仕方ない・・・って、我慢できる範囲を軽々と超えているような気がするよ、これは。

敵をおびき寄せるために高い山の頂で待機する3人。凍えるベラを温められないと嘆くエドワード。・・・そもそもベラが薄着過ぎ。自分が冷人族だけに想像がつかなかったか、エドワード痛恨のミス。

敵失を利用しベラから口づけを獲得するジェイコブ。そこまでしながらも、堂々とエドワードと結婚の予定を進めるベラ。卑怯に隠しているわけでもないし、ここまで来るとベラを責める気にはまったくならない。行き着くところまで突っ走ってほしい。

他方、族たちの争いも大きな展開を迎える。

そう、まさかの大連立だ。

直面している危機に常識や体裁をかなぐり捨てて立ち向かう姿が爽快だ。龍馬のいない薩長連合。カーライルのようなリーダーがうらやましい。

これまで脇に控えていたジャスパーやロザリーといったキャラクターの背景に時間を割いてくれたのもよかった。それぞれに思い入れが増えれば、次の闘いもきっと盛り上がるはずだ。

ドラマは最終回の前の回がいちばんおもしろいというのが秘かな持論なのだが、ヴォルトゥーリ族との決戦、そして運命の3人の行く末をどう描いてくれるか、やはり期待せずにはいられない。原作を読まずに来年を待ちたいと思う。

(90点)
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「ラストソルジャー」

2010年12月05日 05時41分14秒 | 映画(2010)
J.チェンの心の中は深くて重い。


宣伝で使われている「構想20年」なんて言葉はまったく参考にならないが、この映画はおそらく20年よりもっと昔からジャッキーの心にあった思いを綴ったものなのではないかと想像する。

主題歌パクリ疑惑で話題になった上海万博の式典で、前面に立って中国をアピールしていたジャッキー。中国人の血や思想と商業主義の融合は、20年、いやもっと前の香港のように進むのであろうか。

ハリウッドでも名声を築いた彼の言葉は、時に国際的に物議を醸す。それ故、直接的な刺激を避け作品を通して思想を語ることが望ましいのだろうが、彼の映画の持ち味はコミカルな要素であるだけに難しかった。

それだけに本作の重さ、これまでになかったラストシーンは、彼の本気度を語るに十分である。

中国外交の基本とも言われる言葉に「戦わずして勝つ」というものがある。

孫子の兵法にあるらしいが、本作の主人公である「小さい奴」は一貫して戦わないことを説く。

ジャッキーはコミカルだけでなくアクションをも封印した。

その代わりに掲げたのは、田畑、菜の花、そして平和。

「小さい奴」との旅を経て、「衛」の皇太子はそれまでの好戦的であった自分を戒める。

一見それなりのハッピーエンドかと思うのだが、その後に示される史実は重い。

「衛」は「秦」に滅ぼされ「秦」が中国統一を果たすのだ。「衛」はほぼ無抵抗で「秦」に国を差し出したという。

それでは「戦わずして勝つ」の真意とは何なのか?戦わなかったら負ける場合はどうすればいいのか?そもそも「勝つ」とは何か?

「小さい奴」は最後も戦わず、ただ国の主が変わることは拒んだ。彼に学んだ「衛」の皇太子は、国に固執せず民生の安定と平和を選択した。

冷戦の終結、資本主義の行き詰まりを経て、新たな混沌を迎える世界の中で、それぞれがどのような道を選択するのか。ジャッキーの回答は明確には示されていない。

(80点)
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「マチェーテ」

2010年11月28日 00時22分05秒 | 映画(2010)
FEO(醜い)上等!


この手の作品としては、ほぼ文句なしのデキだったんじゃないだろうか。

冒頭から飛ばす。首もぽんぽん飛ぶ。

凄いを通り越してバカバカしいくらいという表現があるが、これはバカバカしさすら越えてしまっている。

何よりも主役のD.トレホである。

一体子供のころはどんな顔だったんだ?と疑問を持つほどの彫りと輪郭。この強烈な造形はヒスパニックの先住民族には多いのだが、主役となると話は別だ。

J.アルバと並ぶと対照性が際立つ。ムチャクチャ映画の象徴ともいえる。

まあ、ほかにもR.デ・ニーロS.セガールといった重鎮もどこか楽しそう。

国境の不法入国問題自体は深刻なはずなのに、なぜか善も悪もお祭り騒ぎ。上院議員側近の娘・エイプリル(なんとL.ローハン)に至っては、おクスリが効き過ぎて革命戦士になっちゃった。

台詞もアクションも、エログロ織り交ぜながらびしっと決めてくれるから安心して笑って楽しめる。

次回作、次々回作もさることながら、グラインドハウスの予告篇を改めて観たいと思った。

(85点)
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「リトルランボーズ」

2010年11月20日 23時19分00秒 | 映画(2010)
悪ガキはただ悪いわけではない。


兄が大きな移動電話を抱え、街にはニューブリティッシュインベイジョンの前夜といった曲が流れる。

そんな時代(1980年ころ)にまだ生息していた人種が「悪ガキ」だ。

悪ガキ=悪いガキんちょ。

リー・カーターのやってることは相当眉をひそめたくなるものばかりなのだが、その背景が子供じみている、言い方を変えれば純粋であるが故に世間は一定の寛容をもって受け入れる。

教師たちは口では「悪魔」呼ばわりするけれど、職員室の空気は決して重くはないのがその証拠だ。

フランスから交流と称してやって来たディディエも同じ。ファッションセンスや女性の扱いで大人びているように見えて、映画の撮影と聞いたら目を輝かせて演技に興じる。

そしてウィルも、その子供の資質を全開させる。

映画撮影に興味を持てば自らスタントを演じ、危ない大人風の世界にも躊躇せず入っていく彼は、ひょっとして3人のうち一番大物なのかもしれないと思った。

その分悪役を引き受けてしまったのは、厳しい規律を重んじる教会の信者・ジョシュア。彼らにもそれなりの言い分はあるんだろうけどね。

本作最大の見せ場は、いろいろな悪戯や事件でしっちゃかめっちゃかになってしまった映画作りがどうなったかというところである。

前半の大げさとも思える振り幅はここに来て効果を発揮する。リー・カーターと兄の関係に関し、観客が冒頭から同じように感じている必要があったのである。

ところで、最近は悪ガキはいなくなったのだろうか。

少なくとも、少年法の存在意義が問われるくらい背景が複雑化していることは間違いない。

この話はおとぎ話なのである。一概に昔が何もかも素晴らしいと言うつもりはまったくないが。

(75点)
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「劇場版3D あたしンち 情熱のちょー超能力♪母大暴走!」

2010年11月20日 22時57分15秒 | 映画(2010)
もはや何が何やら。


とうの昔に終わったアニメを、40分ちょっとの尺でしかも3D映画化!

何処かのネジが外れているかのような企画が実現した理由を確かめに(大げさか)劇場へ足を運んだが、オープニングに「東映」のマークが出てきて納得。この会社か・・・。

とは言ったものの、基本的に「あたしンち」好きなんです。かわいい絵とか、何気ない日常を描いた話とか。

でも映画化となると、前回もそうなのだが、あの個性的なルックスを持つ母が前面展開してしまうのである。母は目を引くための武器にはなるけど、押し過ぎると本質を見失うんだよね。

最後のタチバナ家が結集するところなんて「クレしん」と被っちゃってたし。シンエイ動画だからいいのか。

それでも、まあうちの子はげたげた笑ってたし、懐かしいサブキャラクターたちが大勢登場してくれたのはうれしかった。

でも、そうであれば尚更思うのである。何故43分なのか。その資金とやる気があれば、深夜でも早朝でもレギュラー放送を復活できないのかと。

(43点)
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「[リミット]」

2010年11月14日 02時12分01秒 | 映画(2010)
テレフォンボックスは遺物として埋もれる。


「SAW」シリーズで使われているソリッドシチュエーションホラーという言葉があるが、本作もその系譜に連なる作品なのであろう。何しろ舞台を狭い棺の内部に限定しているのだから、まさに極み。

冒頭、主人公・ポールが自分の状況に気付くところから最後の一秒まで、現実とは異なる俯瞰的なアングルを部分的に入れることはあっても、とにかく棺の外を映さずに貫いた姿勢は立派であった。

ただ正直な感想を言えば、やはり全篇通すのには少し辛い設定だったのではないか。

理由は様々だ。

例えば、棺が妙に都合よく広くなっていなかったか。

身体をキツそうに歪めながら転回していたけど、あれがどの程度現実味があったのかよく分からない。シネセゾンにロビーに置いてあった棺の模型に入って試してみればよかったかもしれない。

ある生き物が侵入、撃退する展開に至っては、眉唾度が更に増加。身体の柔らかさが半端ないというよりは、やはり特注のプレミアムボックスだったというほかなさそうなのは残念。

で、そのプレミアムな広さに、敢えて使える道具を散りばめているところは最大の疑問。

ソリッドシチュエーションホラーの元祖とも言える「CUBE」や「SAW」シリーズというのは(「SAW」はシリーズ後半を観ていないから違うかもしれないが)、理不尽なシチュエーションの解説がされないまま話が進むところに、底知れぬ不安と恐怖があったのだが、本作はそこが明らかに異なる。

背景がポールと通話相手から直接語られ、それはそれで動機としてはさもありなん調に聞こえるのだが、今度は敢えて道具を与えるといった余計な手間をかける必要性でつまずく。

例えば、ポールがいくら頑張っても携帯に手が届かなかったとしたら、話はそこで終わり、犯人は目的を達成することができない。そんな確率論的な状況をいくつも抱えるような手段を選ぶこと自体がナンセンスだ。

そもそも有り得難い状況に対しては、らしき背景を与えるよりも、これもジグソウのせいだったんですよという方が良かっただろう。

あとはやはりケータイである。基本的に大部分をケータイに頼らなければいけなかったのは仕方のないところであるし、動画やら言語の切り替えやら多くのアイデアを詰め込んだのには感心したが、反対に限界を露呈する一因ともなっていた。繰り返すが、ある生き物の珍入には力が抜けた。

それでも、もちろん面白かった部分は多々あった。特に、ポールを助けに向かう政府関係者や雇用側の責任者の脱力ぶりは痛烈な皮肉として効いている。米国でこれなら、いま批判の真っ只中にいるわが国はどうなることかと思ってしまったり。

いずれにせよ、狭いところは嫌なもんです。うちの犬ももっと頻繁にケージから出してあげないと。

(65点)
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「SP 野望篇」

2010年11月02日 00時19分36秒 | 映画(2010)
時間が待っていてくれた。


あの最終回から約3年。

「衝撃の・・・」と言われながらも、時間が経てば記憶の隅に追いやられるのは必然である。

しかし本作は見事に還ってくることができた。

それは何故だろう。

一つは、作り手側が変わらなかったことである。

岡田准一たちの熱意が保たれていたことは後から知ったが、まず外見的に本当に3年の月日が経ったのか分からないほど、各人のポジションに変化がなかったのが驚きであった。

例えば、誰かが突然ブレイクしていたり、下手すれば不祥事か何かで降板してしまったりなんてことがあっても不思議でないところが、脇の演者たちを含めて、まるでこの間の日々が凍結されていたかのように同じ空気が流れていたのだ。

スタッフが丁寧に作り上げた甲斐あって、画面や音楽のテンションやクオリティに至るまでのすべてにおいて、TVで流れていた再放送との継ぎ目がまったく気にならなかった。

次に、世の中の情勢である。

本作の魅力は、展開のリアリティではない。

事件の設定やアクションは極めて娯楽性を重視した演出で、言ってしまえば絵空事だ。

しかし、その背景にうごめくドラマが恐ろしくリアリティに溢れている。

こんなテロ大国のような話なんてあるわけないじゃんと思いながらも、ひょっとして何かの間違いで近い事態が起こりうると思わせる脚本の力こそが、このドラマの強みだ。

そしてそのリアリティの基盤である世間の状況はといえば、3年前に比べて閉塞感が確実に増幅している。

中国等の脅威に手をこまねいている政府への苛立ちの声が高まるなど、革命戦士がいつ現れても不思議はなくなっている。

そうした要素がハマったことで、受け手側もすんなりと3年前の世界の続きへ違和感なく入ることができた。

野望と革命。サブタイトルの軸が主役の井上にないことも興味深い。

今回の野望篇では、「?」が付いたままだった尾形の理念が、これまでの行動と決して矛盾を生じない形で示された。

最終エピソードでは、極めて複雑に入り組んだ相関図のすべてがどのように解きほぐされていくのか、そしてそれぞれがどんな結末を迎えるのか、大いに期待したいと思う。

(85点)
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