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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「フィフティシェイズオブグレイ」

2015年03月14日 01時57分33秒 | 映画(2015)
支配される快楽なんて存在するの?


かつて映画にはいろいろな大富豪が登場した。

インテリアやファッションなど見た目がきらびやかで画として映えることもあるし、金の力でできることが飛躍的に増えるから話の広がりも付けやすいのだろう。

それがアクションへ向かったのがバットマンやアイアンマンのようなヒーローであり、一方で恋愛モノとしての代表格が「プリティウーマン」であった。

「プリティウーマン」が公開された1990年は米国ではレーガンからブッシュ父の共和党政権、そしてわが国は言わずと知れたバブル経済の真っ只中。

そんな明るい時代を反映してか、突然目の前に何もかも兼ね備えた王子様が現れる古典かつ王道の話を真っ直ぐに描いて映画は大ヒットした。

あれから25年。

本作に登場する大富豪クリスチャン・グレイは、見た目や公の場での振る舞いこそ25年前の王子様に負けないくらいスマートだが、「50の顔を持つ」倒錯した人物という設定である。

ここしばらく疑問に思っていたのは、何故最近純粋なラブコメディが減ったのかということだった。

昨年ひさしぶりに「アバウトタイム」や「あと1センチの恋」といった良作にめぐり会えたが、いずれも英国作品であり、かつてM.ライアンが得意としたような米国の都会を舞台とする軽めの恋愛モノは相変わらず出てきていない。

本作の大ヒットはまさにその疑問への解答と言えるのかもしれない。過激なモノこそが受けるとされ、実際に支持されているのだ。クセのない清涼剤の出る幕はない。

途中までやっていることは「プリティウーマン」と大差はない。自社ヘリコプターでの送迎なんて、そこだけを切り取れば時代など関係なくロマンティックである。

しかしそこに太い杭を打ち込むのがグレイ氏の性的嗜好と契約交渉である。

「プリティウーマン」も大概マンガだが、グレイ氏の設定も大いに振り切れている。契約内容自体がおよそ荒唐無稽な上に時折とんでもない行動をとる。

さんざん気を持たせておいて「ぼくには近付いてはいけない」などと言ったり、律儀に契約を口にする割りにはエレベータ内で突然欲情したり、客観的にはどうにも切れモノには見えない。

その点、劣情の渦に巻き込まれていく側のアナスタシアは可憐で清楚で初々しい。適度に賢いので、グレイ氏のうさんくささにもそう簡単には堕ちない。

グレイ氏曰く、これまで15人の女性と契約したらしいが、お互い少しでも恋愛に似た感情を抱いたら成り立たない関係だろう。階級とは裏腹に、グレイ氏が高望みをしてしまったということだ。

ただいずれ理性が陥落する日は遠くなさそうでもある。深みにハマった男女は、その先が茨の道であっても進んでしまうものだから。

身も蓋もないけど、「どうぞご勝手に」としか言いようがない作品なのである。

(65点)
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「プリデスティネーション」

2015年03月14日 01時56分01秒 | 映画(2015)
自己完結。輪を閉じる者。


タイムパラドックスものは、いつも観た者の間で議論が巻き起こる。そこが面白いところである。

本作はその中でも決定版と呼べるものなのかもしれない。何しろこの種の話でタブーとされている領域にずかずかと踏み込んでいっているのだから。

オーストラリア映画。「マッドマックス」シリーズや「ベイブ」あたりが浮かぶが、本作の舞台はニューヨークやクリーブランド等米国である。

前情報の入手を控えて行ったので、知っていたのは主演がE.ホークでタイムマシンが出てくるといったことくらい。

そんなわけで、複雑な時間構成についていけるか不安だった。現に、冒頭の手術後のE.ホークと、その後の場面に出てくるバーテンダーのE.ホークのどちらが時間軸として後ろに来るのかすぐにはつかめなかった。

更にはバーにやって来た客の身の上話が事細かに描かれはじめ、E.ホークはひょっとしてクレジットだけの主役?と思いかけた。

しかしタイムパラドックスものである。この身の上話が後半、終盤への撒き餌であることは明白であった。

それにしてもパラドックスの核心に触れる展開については、突っ込みたい点であふれている。

無限ループの出発は誰がどこで仕掛けたのか。終着地点だけが明確に定まったが、それはやはり誰かの差し金なのか。となると移動装置の故障も故意のものと考えるべきなのか。

一度見ただけでは見逃している部分も多くあるとは思うのだが、何遍も同じ映画を観るのはなかなか難しく、ひとまず各方面のレビューを見ながらあれこれ思いを巡らすことになりそう。

(75点)
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「アメリカンスナイパー」

2015年03月14日 01時53分37秒 | 映画(2015)
それは邪心なき使命感から生まれた。


C.イーストウッド監督作品としては異例の大ヒット中。戦争を賛美しているとする声もあるが、観たかぎりそこまで決めつけられるものではないと思った。

主人公のクリス・カイルは愛国心を前面に掲げる、単純にレッテル貼りをするならば右寄りの男性だ。

それは、テキサスという地にありながらも、父親の教育の影響や、弟を守らなければという使命感などから育まれたものであった。

自由なカウボーイ生活を送っていた彼は、テレビに映るアメリカを取り巻く事情を見て、居ても立ってもいられなくなり兵役を志願する。

類まれなる狙撃手としての能力と、過酷な訓練に耐え抜く強靭な精神力が備わっていたために、中東の戦地に派遣されるや「伝説」のスナイパーとして名を馳せるようになる。

しかし戦果を重ねるごとに彼の常人としての意識が薄らいでいく。味方の多大な犠牲を防ぐためとはいえ、現場では女性や子供にまで銃口を向けなければならなかった。

同じく志願兵だった弟のジェフは、兄に「もう続けられない」と言い残して去って行く。かくも戦争は誰にとっても過酷だ。

かつて父親が子供たちに向かって、人間は3種類に分けられると語った。それは、狼と羊と番犬。

一般的に米国民は「強いアメリカ」が好きとされている。唯一の超大国、世界の警察。異論は多くあるだろうが、米国が番犬であったから世界の秩序がある程度保たれてきたと思っている節がある。

しかし、強かった米国は現在確実に揺らいでいる。イラクのフセイン政権やアル・カイダのビン・ラディンを力ずくで倒しても、次から次へと世界中でテロの種子が萌芽する。

オバマ大統領は、世界の警察という重い役割を軽減しようと試みたが事態は更なる混沌へと向かいつつある。

狼がいるかぎり番犬はいなくてはならない。それは分かる気がする。

しかしそれを遂行しようとしたときに生じた160人の殺害と人間性の崩壊という結果は、理解を遥かに超えるいびつなものであった。

何が正しいか正しくないのかは決して語らない。というよりも、おそらく答えがない。

クリスは自らが正しいと思った道に進んだに過ぎない。加えて適性も備わっていた。これは「番犬」の宿命を綴った物語なのである。

クリスを演じたB.クーパー。本人に近づけるため相当な増量をしたようだ。男前の要素が見事に消え去っていて驚いた。彼がかっこよく見えていたのは単なる素材の良さではなかったことに初めて気付いた。

妻役のS.ミラー。最近よく観る気がするが、出会いのバーでの場面にしても、妊婦や母親の姿にしても、こんなにキレイだったんだと再認識。愛しい家族が頭に浮かべば、そうそう自分の身を危険にさらすことなどできやしません。

(80点)
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「フォックスキャッチャー」

2015年03月14日 00時56分34秒 | 映画(2015)
あまりに悲しい空っぽの人生。


マイナースポーツの悲哀はスポーツ先進国の米国にもある話らしい。よく考えれば、五輪が開催されるごとに数十人の金メダリストが生まれる国である。国民の記憶に残る競技者が一部に過ぎないのは十分理解できる。

物語の中心となるのは、1984年ロサンゼルス五輪のレスリングで金メダルを獲得したマーク。しかし米国においてレスリングは知名度が低い。金メダルを獲ったといっても、昼は小さいジムで練習に明け暮れ、夜は古アパートに帰って食べて寝るだけの生活を送っている。

加えて彼には同じ五輪で金メダルに輝いた兄・デイヴがいた。彼は選手としての実績とは別に、優れた指導者・人格者、更には妻と子を持つ優しき家庭人であり、常にマークの上に立ち前を歩く存在であった。

決して表面には出なかったものの、マークの中にしこりのような劣等感があったことは想像に難くない。そこに突然、大富豪のデュポン氏から競技生活を全面的にサポートするというオファーが舞い込んできた。

趣味であるレスリングの振興のために私財を投じるという筋立ては、聞くかぎりは普通にある金持ちの社会活動だが、この行動が3人を深い溝へと落とし込んでいく。

デュポン氏が切望したのは、人として認められることだった。もっとくだけた言い方をすれば友達が欲しかっただけなのかもしれない。

ある時デュポン氏がマークに語った思い出にこんな言葉があった。

「たった一人いた友達に母がお金を渡しているのを見た」

そう、彼は底知れぬ孤独の中にいた。使用人がいたり、外界と社交辞令的に接したりはあっても、大邸宅で繋がりがある人間は母だけ。

それでも莫大な財産を盾に不自由なく人生を送ってきた。彼は思ったのだろう。欲しかったものを手に入れられるかもしれないと。

しかし、財産で人の配置を替えることはできても、蓄積もなく知識もない中で形を繕おうとしても中身が伴わないことは明らかだった。

自分の作ったスピーチをマークに読ませる。自らが冠した大会で優勝する。母親の面前で所属選手に語りかけてみせる。

形を繕おうとすればするほど痛々しさだけが増していく。一時的にでも結果が出なければ張りぼては瓦解する。

大富豪の道楽であればまだ可愛げがあるかもしれないが、残念ながらデュポン氏は必死だった。

ソウル五輪の惨敗後に広報ビデオを見返したデュポン氏は、表情こそ固定したままであったが、何かが明らかに切れた様子が伝わってきた。

デュポン氏を演じたS.カレルはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

登場時から放たれる異様なまでのオーラは、直接的には特殊メイクなのだが、その固められた表情とともに、会話の中に刻まれる微妙な長さの間が人の寄せ付けなさを際立たせる。

相手から意に沿わない返答があると、少し間を置いて”Good.”=「いいだろう」と一言発する。

どうみても全然良くない。他の様々な動作の中に、深い溝の奥に澱が溜まって行く不気味さが見事に表現されていた。40歳過ぎて童貞だとこうなってしまう場合もあるわけだ。

マーク役のC.テイタムはある意味そのまま。体は頑強だが、管理や戦略といった気遣いには向かない残念な弟がハマっていた。

逆にデイヴ役のM.ラファロは、体格的にレスラーどうなの?と初めは思ったが、話が進むうちに人間性全般を含めて違和感がなくなっていった。いい配役だった。

事件全体を顧みると、最初の時点でデイヴがデュポン氏の申し入れを受けていれば、ここまでこじれなかったのかもしれないとは思った。孤独を消し去る方法はないだろうが。

(85点)
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「きっと、星のせいじゃない。」

2015年03月14日 00時56分17秒 | 映画(2015)
たったひとつの希望を君に捧げる。


障害を持つということは、身体の自由のみならず精神の広がりをも閉ざしてしまうことが往々にしてある。

ヘイゼル・グレースは、良くなる見込みがない病状の下でも、両親の温かい愛情を感じてかろうじて自暴自棄になることなく過ごしているが、一方で人生を諦めてしまっているかのような日常を送っている。

そんな娘を見て心が痛んだ母親は、癒やしになればとガン患者が集まる集会へ連れて行く。気が進まないまま参加したヘイゼル・グレースに運命的な出会いが訪れる。

背景を別にすれば典型的なシンデレラ・ストーリーである。白馬の王子様が突然現れて、彼女の人生に希望に満ちた強い炎が点火する。

恋人・オーガスタスは、難病支援のNPOか何かが叶えてくれる一つだけの願いを彼女のために使う。旅先のオランダですったもんだの末に堅い絆を確かめ合う場面は感動的だ。

しかし病気を扱っている作品が避けて通れないのは悲しい運命。出会わなければこれほど悲しい思いをしなくて済んだのでは?しかし二人に後悔の念はいささかもなかった。

きれいにまとまった話だが、悪く言えば定型。希望を振り撒いたオーガスタスの方に突然の変化が起きるのも予想がついた。

それにしても、二人とも死と向かい合わせにいるように見えなかったのは、敢えてそうしたのだろうか。見かけをげっそりさせればいいのかと言われれば分からないが、出会いまでの絶望感や、ひとときの輝いた瞬間がいまひとつ観ている側に伝わってこなかった気がする。

そして本作で唯一の意外性だったオランダ作家。二人が親密になる重要な役どころではあるのだが、大きなどんでん返しと再登場の肩透かし。一本取られたと呟くのが正しいのだろうか、評価に迷う。

(65点)
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「ドラフトデイ」

2015年02月22日 05時19分36秒 | 映画(2015)
クリーブランドが輝く日を夢見て。


大接戦の末に衝撃の結末で終わった第49回スーパーボウル。

いまだに、あのときああしていればと思うこともあるが、とにかくシーズンは終了。一喜一憂できない寂しさが募る。

そんな中で、たまたまタイミングが合って本作を観ることができた。半ば諦めていたのでとてもうれしかった。

実在するチームや選手と架空の人物が混在する舞台設定は、往年の水島新司の野球漫画を思い起こさせる。

K.コスナー演じるサニーはクリーブランド・ブラウンズのGM。低迷するチームを飛躍させるためにドラフトでいい選手を獲りたいと切望している。

米国のスポーツは、選手の抜きん出た実力でファンを魅了するのは当然だが、いかにリーグを盛り上げるかというサービス精神、言葉を換えればビジネス戦略に長けている点が大きな特徴である。

その究極に位置するのがドラフト制度であり、完全ウェーバー制という基礎の上に繰り広げられる様々な駆け引きは、時折ゲーム以上のドラマを生み出す。

本作の架空のストーリーで全体第1位の指名権利を持つのはシアトル・シーホークス。現実のシーホークスは2年連続スーパーボウル進出しているのだから、随分思いっ切りなフィクションになってしまったものだ。

ブラウンズとシーホークスが指名権トレードの交渉を始めるところから物語が動き出す。

本ドラフト最大の目玉とされるのがQBボー・キャラハンであり、前年度下位に終わった(という設定の)シーホークスは当然指名するだろうというのが大方の予想とされている。

評論家曰く「A.ラック以来の大物」らしいが、ラックと同期のシーホークスの現エースQB R.ウィルソンは存在しないことになっており思わず苦笑する。

そもそも現在の強豪シーホークスは下位順位やドラフト外で隠れた有望選手を獲得して丹念に育て上げたチームなので、もう何から何まで180度方向性が違うのである。

そんなパラレルワールドのシーホークスに巧く言いくるめられてハイリスクな取引を実行してしまうサニー。そうまでして得た全体1位の使い道も、オーナーやヘッドコーチとの意見の不一致でチームの雰囲気は最悪に。

そこからThis is USA的な逆転劇が開始するのだが、おもしろいのは最後までいってもサニーが優秀なGMかどうか判別がつかないところである。

最後の判断はベストだった。しかし、そこに流れや運といった要素が加担した故の結果であることに疑いはない。

これはまさにフットボール選手と同じで、実力だけではスーパーボウルリングは手にできないのである。

モメンタムを読む判断力、判断を実行に移す冷静さ、そして実力のうちとされる運気、これらを「持っている」者のみが勝者の称号を得られる世界なのだ。

そうした意味においては、思い切ったフィクションでありながらリアリティもきちんと兼ね備えている話と言える。

そして本作最大の皮肉な点は、この話の終わりはあくまでドラフトのピックが成功したというだけであり、選手が期待外れだったり、ケガに泣くことになったりしてしまえば、このハッピーエンドはまったく意味のないものになるということにある。

壮大な世界の一部を切り取ってこれだけのドラマになるのだから、集大成のスーパーボウルとなればそれは盛り上がるはずである。

K.コスナー、「アンタッチャブル」から30年近くが経ってもまだまだスーツがよく似合う。監督のI.ライトマンも80年代から一線級で健在ぶりを発揮。

さらに現役の選手、コミッショナーが出演するなどNFLの支援を最大限に受けて作られたぜいたくな作品となっている。

とはいえ、この題材の映画をわが国でよく劇場公開してくれたもので、配給会社に一番にお礼を言いたい。パンフレットまで作ってくれるなんて感動でいっぱいである。

(80点)
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「ANNIE/アニー」

2015年02月22日 05時17分20秒 | 映画(2015)
幸福を呼ぶ歌声と微笑み。


もう30年以上前になるだろうか。前の映画版「アニー」を映画館で観た。

記憶はあいまいだがとても楽しかったことを憶えている。あのときにミュージカル映画との相性が固まったといっても過言ではない。

今回主役を務めたのはQ.ウォレスJ.フォックス。いくら記憶がないといっても、前作のアニーと富豪が白人だったことは憶えている。基本の設定を変えてきたわけだ。

J.フォックス演じる富豪は携帯電話会社のオーナー。また随分現代に寄せてきたものだが、IT技術を小道具として生かす場面を絡めるなど巧くアレンジしている。

お世辞にも幸せな環境とはいえない中でとことんポジティブなアニーは健在。

というよりも、前半のいじわるな里親の下での共同生活の場面も、ほとんどわいわい賑やかにしゃべって歌っているうちに過ぎてしまうから、不幸だったのかどうかも分からない。

毎週金曜日に通りのレストランの前で来るあてのない両親を待つなんて、日本なら演歌の世界だが、寂しさを外には出さず歌うことで明日への希望に変えていく。まさにこのミュージカルの真骨頂。

Q.ウォレスはオスカーにノミネートされただけあって余裕綽々。もちろんJ.フォックスもミュージシャンだから問題なし。C.ディアスの配役に苦言を呈している批評もあったが、多少のオーバーアクト含めて特に気にならず。ミュージカルは勢いがあった方がいい。

J.フォックスといえば、マイケル・J.フォックスのカメオ出演には驚き。対抗陣営の応援に彼が出てきたら勝てないよ・・・って、そういう立場になってるんだ。ほかにRihannaも発見。こちらも画面のひと。

上述のとおり展開が速いため、一見感情の深掘りはあまりされていないように映る。この話の肝である子供嫌いだった富豪の心が溶けるのも短時間のできごとである。

しかしこれも本作の特徴であるが、アニーの前向きな勢いに観客を含めた周りのみんなが元気づけられる構図なので、こうした展開に大きく違和感を抱くことはない。

幸せになれるミュージカルとして十分に満足感を得られる仕上がりになっていると言える。

(85点)
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「アオハライド」

2015年01月19日 21時06分41秒 | 映画(2015)
目の前に本田翼が現れたら選択肢がなくなる。


本田翼22歳。東出昌大26歳。いずれも旬の芸能人だし美女・美男だと思うが、高校生役は登場した瞬間から厳しいと感じた。

とはいえ、東出昌大は「桐島、部活やめるってよ」で高校生を演じていたときにはそれほど違和感を持たなかったことを思えば、CMやドラマで他の役を演じているのを見て、高校生の印象とはかけ離れていっただけのかもしれない。

物語は、中学のときに少し気になっていたけど突然転校してしまった男子が、訳ありになって再び目の前に現れるという話。

クールで大人びている、というより傷ついて寂しい様子にますますひかれていくが、殻が固くてうまく気持ちが伝わらない。

そんな二人に、三角関係と友情を織り交ぜながら話は進む。状況は特別だけど、いわゆるリア充な青春の王道である。

友人含め出てくる人が美男美女ばかりというところが少女漫画である。唯一個性的な顔立ちで微妙なのが恋敵となる高畑充希なのだが、彼女最近売れているようで。

夜明けの稲佐山など、クライマックスの舞台となる長崎がかなりフィーチャーされているが、高校があるのはどうやら富山だったらしい(路面電車とエンドロールで確認)。

努力したであろうフィルムコミッションとしてはどんな気持ちなのかなと、余計なことが少し気になってしまった。

(60点)
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