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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「寄生獣 完結編」

2015年05月04日 14時50分10秒 | 映画(2015)
神の右手、悪魔の右手。


前後篇という構成は諸刃の剣である。特に前篇を観て期待が膨らめば膨らむほど、後篇はよほど巧く収めなければ却って不満が溜まることになりかねない。

本作の前篇は、侵略者の登場から新一の覚醒までを見応え十分に描くとともに、新たな闘いの種を方々に蒔いて期待値を高めた。

それを受けての後篇であるが、相変わらず話はよくできている。

侵略者は、人間という食糧を絶やさぬように体よく社会の支配者にならんという意識で、人間の社会的行動を模するようになるのだが、皮肉なことにまさに人間が辿る破滅の道に陥っていく。

市役所の内ゲバは分かりやすい端的な例だが、田宮良子は子供を持ったことで人間の感情を芽生えさせてしまい、最期は最も人間らしい選択をとる。

様々な場面で侵略者たちが口にする。この不条理はすべて人間が生み出したものであると。

寄生獣とは人間のこと。姿かたちこそ違うが、侵略者は人間の鏡に過ぎないということなのだろう。

人間は単独では弱い存在だが集団になると別の生き物になると、田宮良子が言った。

実際、後篇で目立ったのは人間の強さであった。

特殊部隊を統制して市役所内に巣食う侵略者を駆除する人間。愛する娘を殺されて、侵略者に敢然と立ち向かう人間。

誰かと繋がって強い意識を持つことで人は本来持っている以上の力を出せるが、使い道を誤るとそれは破滅へ行き着くものでもある。

人間は弱い。弱くて強い。人間は間違う。それでも生きていく。誰かのために。

田宮良子は独学で人間を学んだが、ミギーは生身の人間である新一と共生することで、より良く実践的に学んだと言えよう。

話がよくできていた一方で、蒔かれた種であるキャラクターについては、時間的に掘り下げが難しかったようである。

前篇から出ている田宮良子に比べて、最強の敵となる後藤、侵略者の表向きのトップに君臨する広川などは、物語を動かす立場である割に出番自体が少ないし、ピエール瀧演じる三木に至ってはまさかの・・・であった。

加えて残念だったのは最後の下り。ミギーのオチをつける意味では仕方ない展開ではあるが、とってつけたようにあの男を登場させる以外に方法はなかったのだろうか。

それでも、特殊技術に関しては見事の一言で、特に対後藤の決着は作り込みが際立っていた。先日のテレビ放映版ではグロい描写が相当カットされていたが、後篇は放映自体できないのではないか。

俳優陣も負けておらず、深津絵理は侵略者に人間の感情が差し込むという難しい表情を絶妙なバランスで演じていた。橋本愛は髪が短けりゃ短いなりの美少女になるのに驚いたし、少しだけ体も張って頑張った。ピエール瀧は・・・これはこれでおいしいのか。

(85点)
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「映画クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃」

2015年04月25日 00時26分59秒 | 映画(2015)
今年も、君に会えてよかった。


「クレしん」とラテンアメリカは実は相性がいい。

しんのすけが使う一人称の「オラ」と西語あいさつの"?・Hola!"はもちろん、本当にまる出しにするかはともかく、お尻を振る踊りやおバカなノリはラテンに通じる。南米在住時に幼いわが子がしんちゃんを見ながらお尻を振って踊っていたのだから間違いない。

ただ、最近の「クレしん」映画は、「大人も泣ける」感動路線を売りにする部分もあったので、予告篇や告知を見る限りでは、ノリがうまくハマらないのではと期待値は低くなっていた。

とーちゃんがロボットになった昨年、ひまわりがお嫁さんになったり、シロにスポットを当てたりした回もあった。家族に危機が迫る中で団結する野原一家という構図をどう作り込むかが焦点となる中で、人喰いサボテン???と疑心暗鬼になったわけだ。

しかしながら、そんな奇想天外な設定に比べて中身は意外なほど丁寧に作られていた。

導入の10分か15分だろうか。野原一家が引っ越していくまでの下りは、シリーズでは珍しいくらいの春日部キャスト総出演(園長先生の故人・納谷六朗さんも)で、子供たちの友情を簡素だけど漏れなく描き、同時に最後の場面に繋がるキーアイテムをしっかりと登場させている。

メキシコに到着後はまったく新しいキャラクターが結構な人数出てくるのだが、それぞれの個性を描き分けつつ、散漫になることなく誰もが理解できるよう整理されていた。

ロケハンをきっちりやったのだろう。空港から田舎町まで、現地の風景はとてもキレイだったし、上述のHola被りや尻振りを含めたメキシコネタも押さえるべきところをしっかり押さえていた(シロの仲間になった犬ーおそらくメキシコ原産のチワワーなもう少し活躍してもらいたかったが)。

人喰いサボテンということで、かなりの登場人物が食べられる場面が映り、小さい子供は大丈夫か?と心配になったが、周りの様子をうかがうかぎり混乱は見られなかった。

人喰いサボテンとの対決はクリーチャーものの王道で、逃げる中で見つけた弱点を一気呵成に攻めようというパターン。

そこに描き分けられた現地キャラクターそれぞれの思いが結実するという流れは実によくできている。野原一家団結とは趣きが異なるが十分に溜飲を下げられる。

エンドロールで映るその後も楽しい。「サボテンランド」に西語で"MATA"(人喰い)と書き足し。細部を楽しみながら作ったんだろうなと想像し、しんのすけの帰国を喜ぶ風間くんで締め。

(80点)
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「ソロモンの偽証 後篇・裁判」

2015年04月25日 00時04分56秒 | 映画(2015)
残された人は、引きずられて振り回されて。


評価が高い人もいるので、言ってしまえば個人的な好みの問題なのだろう。この話は合わなかった。

毎度のこととして、登場人物に感情移入ができるかという尺度がある。本作では、生徒だけではなく大人の側も多くの人が出てくるが、残念ながら誰にも惹かれることはなかった。

法廷ものには過去に名作が多く、言ってみれば外れがないジャンルだ。

本作では、前篇で様々な立場として描かれた人たちが、一転して同じ証言台に立ち自分の思いを述懐するのだが、異なるキャラクターがそれぞれに見せ場を作っており興味深い。

事を収められずに引責した前校長へ感謝の言葉が贈られる場面は感動的だったし、この期に及んで責任転嫁に終始する生徒に場内が騒然となる場面も見応えがあった。

しかし決定的に問題だったのは、真実とそこに至る過程の描き方である。

学校内裁判の最終日、弁護側の提案により2名の証人尋問が追加になる。

1人は電器屋の主人。犠牲者である柏木の自宅の通話記録から、事件の真相を知る人物が電話をかけた現場に居合わせたということらしい。

そしてもう1人が、その電器屋に姿を見られた人物なのだが…。

このキーパーソンを軸に話を遡っていくと、あーそういうことだったのか、よくできてるね…とは決してならない。

彼(男子である。ネタバレ?)が裁判を仕掛けた時点で、通話記録から電器屋へたどり着くことを予想し得たか?高齢の電器屋が半年以上前に一瞬見た子供の顔を憶えている保証はあったか?

ミステリーの核心がこの程度な上に、嫌悪感を上塗りしたのは、柏木の面倒臭い性格だった。

思春期が面倒臭いのは当然だとしても、他者を偽善者呼ばわりで攻撃しまくる姿しか映されないから、じゃあこの男子をどう扱えばよかったのか解答が皆無なのである。

裁判を乗り越えた生徒たちはこれから成長できるけど、浮かばれないのは巻き添えで犠牲になった松子ちゃんだ。

そう考えると、腹立たしさの方が先に来てしまう。中学生の気持ちを理解できないなんで、心が狭いですわね。

(50点)
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「マジックインムーンライト」

2015年04月24日 23時52分04秒 | 映画(2015)
仕掛けるひとの隙を突く。


老いてますます盛んという枠を超えて、老いてから世界に飛び出して作品を作り続けるW.アレン。今回の舞台は南フランスだ。

C.ファース演じる英国人の天才奇術師スタンリーと、E.ストーン演じる何でも人の心を読み当てる米国人占い師ソフィーとの恋愛話。

結果的に恋愛関係に至る二人だが、物語の大半を占める縦軸は、ソフィーの才能が本当なのかをスタンリーが暴こうとする駆け引きである。

超常現象を信じないスタンリーが、トリックなしに様々な事象を言い当てるソフィーに翻弄され、ついには心までも奪われてしまう様子が滑稽に描かれる。

頭の良い英国人ということでC.ファースは適役だが、恋愛ものの主役としてはどうだろう。

E.ストーンは眼がやたらと大きく際立つが、こちらも何故か個人的に惹かれないので、残念ながら観ていて心が躍らなかった。

ソフィーの真の姿が明かされるところや、二人の恋愛の行く末などもあっさりしていて、非常に小品感が漂う出来映えだった。

映画館へ行った日の朝に「王様のブランチ」でアレンのインタビュー映像が流れていて、「まだまだアイデアはある」と言っていたが、まさに本作は「ありあわせの材料でちゃちゃっと作りました」という感じ。

腕を疑うことなく、安定してそこそこの料理を提供するレストラン。今回はちょっと素材が口に合わなかったかもしれない。

(60点)
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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

2015年04月18日 22時41分42秒 | 映画(2015)
頭の中でドラムが止まらなくなったら要注意。


都会の中の小さく薄汚い小部屋で、たるみきった中年男性の体が宙に浮いている不思議なオープニング。

男の声が聞こえる。話の語り部か、主人公の独白かはっきり分からない。実際と虚構が入り混じる半次元の物語の始まりだ。

薄汚い部屋は劇場の控室だった。かつてヒーローもので人気を博した俳優・リーガンは、栄光から取り残され、再起のチャンスを自らが企画・演出する舞台に賭けていた。

開演まで数日の慌ただしい舞台準備。狭い建物の中をカメラが長回し風で追っていく。バックには不規則に鳴り続けるドラムの音。

場面に切れ目がなく、落ち着く暇がない。人生を打開しようともがき続けるリーガンの心情が直接叩き込まれてくるようだ。

本作の演出の特徴は、話の中心となるリーガンの苦悩が超能力に転化して描かれる点にある。

能力のない俳優が勝手にぶちのめされ、手を触れることなく部屋の中がめちゃくちゃになる。やがて苦悩の度合いは部屋を飛び出し、リーガンは過去のヒーロー・バードマンのように市街を浮遊する。

異次元へ迷い込んだリーガンの苦悩が行き着く先はどこなのか。救いとも言うべき家族の愛に手が届きそうになったタイミングで懐に忍ばせられる拳銃。

初めて完全に場面が途切れ、太陽の眩しい光が病室へ射し込む。もうドラムが鳴ることもない。

たくさんの物を失ってようやく得られた安住の地なのか。洗面所の鏡に映された姿は果たして…。

とにかく脚色と演出のキレに感嘆する。百聞は一見にしかずと言うが、映像と音を更に深化させて比類するもののない苦悩の世界を作り出している。

オスカーには手が届かなかったものの、M.キートンのぼろぼろに寂れた演技は印象深い。これで逆に往年俳優のレッテルを貼られないか心配になるくらいである。

(90点)
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「エイプリルフールズ」

2015年04月18日 22時21分11秒 | 映画(2015)
全員が蜂谷メチャ夫。


ドラマ「リーガルハイ」に携わったスタッフが集結して作った作品とのこと。ドラマを見たことはないが、評判が良かったことは知っている。

製作は、こちらも「リーガルハイ」繋がりのフジテレビが名前を連ねる。かつての勢いをまったく失ってしまった中で、数少ない鉱脈をヒットに結び付けられるかどうか。

文字通りエイプリルフール=4月1日の一日に焦点を当てて、嘘を軸とした7つの物語を群像劇スタイルで描く、「バレンタインデー」「ニューイヤーズイブ」調の作品である。

こう説明すると目新しさがないように思えるが、嘘というテーマが貫いている点で、脚本の小技が冴える。

特に、ニセ医者と対人恐怖症の女性のエピソードでは、ニセ医者がついた救いようのない愚かな嘘からとんでもない展開になるが、最後は展開に巻き込まれた大勢の人の温かい嘘で逆にニセ医者が救われるという、思わずポンと手を打ちたくなるような練られた筋書き。

そして群像劇に欠かせない、各エピソードを橋渡しする仕掛けづくり。脚本を書くのがさぞ楽しかったことだろうと想像する。

その一方で、雑さが目立ったのが基礎となる舞台設定だ。

ニセ医者が白衣を着て病院内をうろうろするなんてことができるのか。いくらテレビ局が常識欠如とはいえ、あからさまな嘘を確信的に放送できるのか。宇宙船との交信を真に受ける中学生がいるのか。

エピソードによってはとってつけた完全に脇扱いのものがあったり、登場人物のデフォルメが過ぎたりしている部分も多く見られた。

まあ、基本コメディーということと、名の通った著名俳優陣が次々に出てくるだけでお祭り気分に浸って軽く観られるようにできており、それほど悪い印象を持つことはなかった。

(60点)
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「ソロモンの偽証 前篇・事件」

2015年04月05日 22時26分19秒 | 映画(2015)
長い幕間が続いています。


最近、はじめから二部作、三部作として制作し、期間をずらして公開する作品が多い。

特に既に世に原作が出ているものを映画化する邦画に目立つ。昨年後半だけでも、「るろうに剣心」「寄生獣」は大きな話題になった。

元祖ではないかもしれないが、この手法を使った作品で思い出されるのが「バックトゥザフューチャー」の2と3である。

同時撮影すれば、同じ俳優陣を再結集させる手間がかからず、一方で配収は2本分になるわけだから、これは上手いやり方だと思ったものだ。

しかし、ここで押さえておかなければいけないのは、この手法を使う場合「2本(3本でも)の映画を撮る」ことが前提となることである。

題名に「前篇」と付けてもよいが、あくまでその2時間なりが一つの話として完結している必要がある。

実際、「BKTF」は、2で未来の問題を解決し、3では西部劇の時代へ行って冒険している。

前篇の最後に"to be continued…"の文字が出たとしても、それまでに一つの大きな物語が展開され、観る側にそれなりの満足感を与えているのだ。

翻って、この「ソロモンの偽証」の「前篇」である。副題は「事件」。

簡単に言えば、事件が発生し、関わりのある人物が次々と登場し、風呂敷を広げに広げていったところで「つづく」となる。

いや、確かに「事件」を描いているし、「前篇」と言っている以上騙しているわけではないのだが、モラルとしてどうなの?と正直思う。

1本の作品として成り立っていないので、点数は付けられませんとしか言えない。

(-点)

後篇へのつなぎとして、感想を少しばかり。

「暗殺教室」のすく後に観たせいもあるかもしれないが、生徒たちの暗いこと。

時代が能天気に明るいバブル期なだけに余計際立つ。浮かれていたのは大人だけ、という面を強調したというところか。

同時期に学生だった立場としては、本作の主人公のように醒めた目で見るほど達観してはいなかったが、世の中で起きていることは自分とまったく別の世界のこととして映っていたのは確かだ。

後篇の「裁判」を盛り上げるためには容疑者を数多く配置することが強みとなるが、これも生徒と教師と親のすべてが薄気味悪い演技をしている一因だろう。

特に驚かされたのは、EXILEの妹グループ、E-girlsのメンバーが演じるニキビ女子と、「渇き。」の弱っちい男子が一転して演じる不良男子である。

外見に若干演技を寄せていくだけで、こうも印象が変わってしまうのだから、明るさと暗さなんて結構紙一重なのかもしれないと感じた。

後篇、ちゃんと観られればいいけど。
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「暗殺教室」

2015年04月05日 22時05分00秒 | 映画(2015)
暗殺と教育、変わり種を具材にした娯楽。


原作はコミック。だから設定は、ひとことで言えばあり得ない。

ただ人気コミックともなれば、その荒唐無稽な話に読者を引き込む力を持っているので、映画化する際には、その魅力をいかに失わないか、または原作と別の力を使って観る側に訴えていくかが重要になってくる。

本作の肝は、特殊生命体「殺せんせー」にある。原作を読んだことはないが、ほぼ間違いないだろう。

マッハ20の動き、タコ型と言われる造形の立体化。誌面からスクリーンへ出ることで最大限に魅力を活かせる要素に満ちたキャラクターだ。

着ぐるみとスーツアクターによる演技と3DCGでトレースしたという映像は不自然さを感じさせなかった。この動きを見るだけで結構おもしろい。

更に、この「殺せんせー」に付加価値を与える隠し技が声当てであった。私は事前に誰が演じているか知ってしまっていたが、他の来場者は知らない人が多かったようで、エンドクレジットでどよめきが起きていた。

客層は見事なまでに若年女子が大半を占めていた。主役の山田涼介目当てということなのだろうけど、「殺せんせー」の秘密は、最後に更なるお得感を与えることに成功している。

他方、男子にとって楽しみは限定されるのかといえばそんなことはなく、「殺せんせー」の暗殺を依頼される3年E組は美女・美少女の宝庫でもある。

話は、そんな美男美女が集まりながらも落ちこぼれ集団として扱われているE組が、担任となった「殺せんせー」の的確な指導のもとで成長していく学園物語となっている。

連載を映画の尺に凝縮しているからテンポは速い。秀才ながら問題児でもあるカルマ、英語教師イリーナ、自律思考固定砲台の律、転校生イトナ、体育教師鷹岡と、次々に「殺せんせー」暗殺の刺客が登場しては退けられていく。

若干詰め込み過ぎの感はあるが、コメディー色が強い作品でもあることから、消化不良を起こすことはない。明るく楽しい、春休みにぴったりな映画と言ってもいいかもしれない。

(75点)
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「イントゥザウッズ」

2015年04月05日 21時32分32秒 | 映画(2015)
おとぎの住人だって、人間だもの。


Yahoo!映画の評価を見ると散々な本作。確かに登場人物の紹介を兼ねる冒頭から違和感が満載なのである。

シンデレラを演じるA.ケンドリックは好きだし美人だと思うが、輪郭やパーツがシャープなので、スーツ姿などでは映える一方で、お姫さま衣装はどこかしっくり来ない。

赤ずきんはそもそもかわいげがない。その上、パン屋でパンを分けてもらうお願いをする傍らで店のパンを次々と勝手に食べていく。

ジャック少年は母親の言うとおり、賢さとは程遠い行動をとり続ける。正体不明の人に対して大事な牛を豆粒と交換してしまう。

こんな話でよかったっけ?と首を傾げたくなるような主役たち。

ここで違和感が嫌悪感に変わるともうダメだろう。

おとぎ話の登場人物を俗人に置き換えてごちゃ混ぜにした悪戯の世界として許容できた者だけが先へついていける感じだ。

「クレヨンしんちゃん」に出てくるネネちゃんが、おままごとを俗世間に落とし込んで楽しむ「リアルおままごと」の精神に近い…気がする。

ラプンツェルを含めた4つの話を、子供が欲しいパン屋の夫妻と、パン屋との因縁を過去に持つ魔女が一つに束ねる。

魔女がパン屋にかけた呪いを解くアイテムがそれぞれの話に結び付いていて、夫妻がそれを追って悪戦苦闘するのだが、彼らもエゴ丸出しでアイテムを横取りにかかる。

うまくいったり、反撃されたり、諦めたり、反省したり。俗人の素性を見せつけられて苦笑するばかりだ。

それでも何とか呪いを解き、主人公たちは自分らの話を型どおり完成させるのだが、実は話の途中に小さな綻びが仕掛けられていて、突然空から降りてきた巨人にハッピーエンド後の世界をめちゃくちゃにされてしまう。

ここからが更に本作の本領発揮で、登場人物は災厄の犯人探しでなすり合いを始め、パン屋の妻はあろうことかシンデレラの王子様と不貞の関係に。

最後に力を合わせるところだけは純粋なファンタジーへ回帰するが、バッドエンドに書き直されてもおかしくない流れ。

愚かながらも愛すべきところがあるのが人間。一度過ちを犯してもやり直して大丈夫、と激励されているもうな気になってくる。

登場人物が目的を持って分け入っていく森は、混沌の世の中の象徴。そこで人は様々に振る舞い、抜け出す者もいれば彷徨い続ける者もいる。

世の中の不条理が皮肉を込めてみっちり語られるのとは対照的に、前半で展開するおとぎ話で既に承知のエピソードは気持ちよくすっ飛ばす。

赤ずきんがオオカミに食べられて救出されるまで、ジャックが天空の世界へ上ってから戻ってくるまで、シンデレラが舞踏会へ行って逃げ出すまで、これがいずれも数秒。

あとは、俗世からかけ離れた存在の王子2人が、まるで頭空っぽに描かれているのが特徴的。これは笑えた。

巨人の風体と、最後の下りに少し雑な印象を受けたが、物語が持つ精神は好みに近い。

(70点)
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「博士と彼女のセオリー」

2015年03月16日 08時38分11秒 | 映画(2015)
覚悟と柔軟性の方程式。


「レ・ミゼラブル」で名前が大きく取りざたされてからスピード出世でのオスカー戴冠。と思いきや、E.レッドメインは実績十分の実力派とのことで、確かに難病の症状を繊細にかつ分かりやすく演じていた。納得の受賞である。

世界中に名の知れた科学者スティーヴン・ホーキング。彼の妻ジェーンの視点で、夫妻の出会いから発病とその後の歩みが描かれる。

特異な知能と特殊な病気。平凡とは程遠い人生を覚悟した二人が懸命に積み重ねた日々。

妻が綴った原作を基にしているという段階で補正がかかっているのではないかと疑問も抱くが、存命中のスティーヴンも「ほぼ事実」と納得しているらしい。

出会いから発病までの青春篇。風変わりな理系男子に心がひかれていく下りが決して荒唐無稽ではないように流れていく。

そこへ訪れる難病ALS。2年の余命を宣告され目の前が真っ暗になったスティーヴンを再び動かしたのはジェーンの覚悟の愛であった。

いつ突然終わりが来てもおかしくない中で順調に行くわけはないが、それでも二人の間には子供が生まれ、研究も世界に認められるくらいの成果を上げはじめる。

映画という短い尺には制限があるが、スティーヴンはかなり俗っぽい要素を持っている人物であるらしい。

友人が「1日に1時間も勉強しない科学者」と評する場面や、科学に関して賭けをして、更にその報償が雑誌PENTHOUSEの購読料というエピソードに垣間見られるが、知能以外の人間性がスティーヴンの成功を後押ししたのは確かだろう。

しかし本篇で最も特徴ある見せ場は、研究で業績を上げてからの二人の思いと行動である。

病状が進み、家族内の介護では立ち行かなくなったとき、家庭に招かれたジョナサンという男性。彼は教会で聖歌隊を指導する、いわば聖職者であり、劇中では真摯な思いで夫妻の手助けをするが、世間は必ずしも肯定的に捉えず、実際ジョナサンとジェーンはお互いひかれはじめる。

彼らがとった選択を万人が支持するとは思えないが、長い時間をともにしてきた二人、特別な糸に導かれて出会った二人だからこそできた選択だと思う。

女王陛下の招待にジェーンを帯同するスティーヴン。記憶が確かならば、スティーヴンがジェーンに愛を語ったり、感謝を述べたりすることはない。加えて別離の道を進んだ二人の間に、それでも確かな繋がりを感じることができる。

宇宙の謎を証明する単純でただ一つの方程式を求め続けるスティーヴンが私生活で辿り着いた先が、人間の生き方は人それぞれというところが皮肉であり面白い。彼の頭は柔軟だから、それを無理なく受け止めることができるのだろうけど。

どうしてもE.レッドメインの方が目立ってしまうが、ジェーン役のF.ジョーンズ。柔らかな笑顔が奏でる可憐さと、覚悟を決めたときの凛とした表情がとても魅力的な女性だ。英国女優は層が厚い。

(85点)
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