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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「メリダとおそろしの森」

2012年07月21日 20時51分31秒 | 映画(2012)
王女が残酷な弓を射る。


観る前の印象に違わず、やはり今までのピクサーのイメージと異なる。

主人公メリダの見た目が全くかわいくない。もともと米国産CGアニメの人間キャラは外観が微妙だが、ちりちりの赤毛に小粒の目は更にハンデだ。

それに向こうっ気が強く親に反抗してばかりという勝気な性格が輪をかける。ちょっと懲らしめてやった方がいいんじゃない?

厳格に帝王学を施そうとする母親にも問題はあったけど、その後の展開はちょっと負担のかけ方が一方的ではなかったか。

メリダにも直す面が数多くあったはずなのに譲歩するのは母親ばかり。それでめでたしと言われても、何かすっと下りてこない。

脇役もこれといった光るものがなかった。弟の三つ子、花ムコ候補の3人、混乱の直接のきっかけとなる魔女。いずれも脇の脇、味を出す手前で終わってしまった。

そして吹替え+3Dだ。まあ、子供が観に行きたいと言わなければおそらく映画館に足を運ばなかったと思うので、それは言いっこなしなのかもしれないが、特に3Dに関してはほとんど必要性を感じなかった。ピクサー、安易なお金稼ぎに傾いていないか?

繰り返しになるが、ピクサーはこれまで、おもちゃ、昆虫、モンスター、魚、車、ロボットと、人間と高さの異なる視点から描く物語で現在の地位を築いてきたはずであり、何故今になって、冒険する強い女性という他者の手垢がついたようなテーマを扱うのか理解できない。

(45点)
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「少年は残酷な弓を射る」

2012年07月19日 23時35分46秒 | 映画(2012)
ねじれた太い絆。


風になびくカーテン。断続的に聞こえる機械音。

一転するとトマト祭り。紅く潰れたトマトにまみれる主人公。祭りなのに何故かとても居心地が悪い。

目が覚めた主人公の周りは、日常の平静を装うも至るところに異常さのかけらが点在。紅のペンキが乱暴に塗りつけられた家の壁と車。突き刺すような周囲の人の視線。

家族の影はどこにもなく、この時点で「事件」の想像が粗方つく。

そこからは、「事件」に至る道のりをたどる。息子・ケヴィンが生まれる過程。生まれた瞬間から母親を疲労困憊させ続けるケビンの数々の所業。

子供は千差万別だ。同じ親から生まれても誰一人同じ人間にはならない。天使のような子がいる一方で、当然悪魔のような子がいる。

こんなはずじゃなかったのに。そう思うかもしれないが、子育てに万能な方策などない。

学校に通うような年代になってもおむつがとれないケヴィン。それでいながら、ことごとく母親に好戦的な態度をとる。父親には屈託のない笑顔を見せるのに。田中将大のような顔をした子役が憎々しく演じる。

もともと華奢なイメージのT.スウィントンだが、育児疲れでますますこけていく。そして、追い詰められながらも健気に立ち回っていた彼女を、とどめの「事件」が襲う。

想定内の展開。決定的な場面は見せない。それなのに、直視できない緊張感に満ちている。

救いようのない悪魔のわが子に母親は何ができるのか。かすかな光が見えたのは、皮肉にも事件から2年の時が過ぎてからであった。

「事件のときは分かっていたはずなのに、今は分からない」

母と子は、意識する必要もなく親子である。ケヴィンの場合、その無意識が母親に刃を向けていた。

母親以外を見ることができなかった世界から一歩を踏み出して、初めて自分の立ち位置を確認する作業に入った。

しかし、あまりに大きい代償に比べて、よかったと言えるほどでもない小さな希望。興味深い作品ではあるが、心身ともに元気なときに観ないととにかく疲れる。

(75点)
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「崖っぷちの男」

2012年07月15日 00時15分41秒 | 映画(2012)
想定外からが勝負。


この邦題は会議出席者の満場一致で決まっただろうなと想像する。

高層ビルの縁に立つ男の絵。一般的に使われながら、映画の題名としては馴染みのない言葉の響き。

ワンフレーズのみで、この先何が起きるのか、男の裏には何が隠されているのかを楽しむ映画と判断できるところが秀でている。

本篇は、そうした期待に応え、少しずつ謎を解いていく。

誰が味方か、敵か、無関係か。それは以前から仕組まれた関係だったのか。

物理的な密室ではないが、物語はホテルの21階とはす向かいの建物という極めて限られた範囲で展開する。

主人公・ニックがまさに命を懸けて挑むギャンブル。周到に計画を練るが、近いところに自分を陥れた人物がいると知っているだけに、一筋縄でいかないことも承知している。

そこで交渉人・リディアの登場だ。想定外対策として自らの側に想定外を取り込み全体を撹乱させる。その想定外を自分に有利なように導ければ、勝機が見えてくるというわけだ。

過去に傷を持つリディアは、「ダイハード」第1作の無線だけで絆を育んだ黒人刑事を思い起こさせた。あそこまでドラマティックにはならなかったものの、二人の間の響き合う関係には十分引き付けられた。もちろん彼女がキレイだったことも含めて。

全体に配役はよかったが、敵役となったE.ハリス。久しぶりながら憎々しい存在感はさすがだった。

持続する緊張感の中で、最後に下したニックの決断と、ちょっとした正体のサプライズ、あと、この手の映画には珍しく一人の犠牲者も出さなかったことは好印象だった。

(80点)
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「劇場版ポケットモンスターベストウィッシュ キュレムVS聖戦士ケルディオ」

2012年07月14日 23時46分58秒 | 映画(2012)
スーパーポジティブ。


もうTVのアニメは見てないのに、映画は観たいと子供が言い出したので急遽観ることになった。

でも、特典で幻のポケモンをもらえるところを、なんとDSを家に置き忘れ。どうせほとんど遊ばないんだけどね。

今回は数年ぶりに2本立てでの公開。

同時上映扱いの短篇「メロエッタのキラキラリサイタル」は、サトシたちは登場せず、物語はあるにはあるが、基本はポケモンたちのどたばた追いかけっこ。

いかにも幼児向けだが、ダイヤモンド&パール時代の懐かしのポケモンたちも出てくるなど、まさにお得感満載のサービス品であった。

その分、本篇の方は、サトシ一行、聖剣士一派、キュレムとその取り巻き以外にポケモンはほとんど出てこない徹底さ。尺も短いのか、話がまっすぐ進んでいった。

簡単に言えば、背伸びしたがり年代のケルディオがおイタをしてしまうが、根性とサトシたちの応援でめでたく成長を遂げるおはなし。

「がんばれ!」と言えば何とかなってしまうところは相変わらず。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいの一言だけに何も口を挟めない。

キュレムにくっ付いてひたすらケルディオを追いかける小さなポケモンが、ホラーテイストで見応えがあった。

あとは丁寧に描かれる旅の風景。これはもはや劇場版の伝統で、つい見とれてしまう。たまにはアメリカやアジアの景色も見てみたい気がするが。

(60点)
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「一枚のめぐい逢い」

2012年07月01日 21時30分10秒 | 映画(2012)
あなたは私の守護天使。


邦題では「一枚」と写真に焦点を当ててはいるが、原題の"The Lucky One"が意味するところの"One"は別だ。

主人公ローガンにとっては戦場で命を守ってくれた彼女、ベスにとっては、突然目の前に現れて家族に楽しさと安らぎを与えてくれた彼。

お互いの人生に希望の灯りを点す存在とでも言うのだろうか。平たく言えば、それが運命の人というわけだ。

タイトルロールの前に見せる戦場の場面は、仕方がないところはあるが見づらい。

後に鍵となる台詞もあるが、顔の見分けもはっきりしない上に目まぐるしく動くから、何がどうなったか分からないままにローガンの帰国へと至る。

その後、一人で写真の彼女を探す旅に出たローガンは、ほどなくベスに出会うこととなる。解説を読むと、写真の背景にある灯台をヒントに突き止めたとあったが、そんな場面はあったかな。

細部は枝葉に過ぎないとでも言うように、出会ってからの二人の距離が近付く様は打って変わって丁寧に描かれる。

ベスの立場からすれば、見た目良し、性格はまじめ、体力もあれば音楽にも通じている、そんな完璧に近い男性が突然目の前に現れたということ自体、まともに信じられるわけがない。

しかし、「何かあるはず」という疑念は甘い誘惑の前に溶かされていき、逆に前夫の横やりにより余計に愛情を燃え上がらせてしまう。

この辺りは、恋愛ものの定番とはいえ、観ている方も感情移入して力が入る。

ただ、出てきてからずっと嫌味たっぷりの完全悪役だった前夫が、息子の変わり様を目の当たりにして改心しかけたことと、それにも拘らずその後の事故に巻き込まれてしまう展開には、ちょっと首を傾げざるを得なかった。

(60点)
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「裏切りのサーカス」

2012年06月29日 23時26分04秒 | 映画(2012)
後追いに終始。


怪しげな登場人物が多い。舞台が飛び、時間が飛ぶ。狂言回しによる解説はなし。

とにかく物語が難解だ。

何か起こりそうな空気や個性的な俳優陣のおかげで、一瞬の眠気にも襲われなかった。にも拘らず、肝心なところで物語を見失ってしまっていた気がする。

裏の世界を描きつつも、派手な撃ち合いなんてものはない。とことん張り詰めた糸の上を渡るような心理戦。

分かっていても、本部から機密情報を持ち出そうとするときのスリルは、観る側を強く締め付ける。

ただ、次の展開に移ったときに、なんでこう来るんだっけ?と突然置いてきぼりを食ってしまう。

なんて頭悪いんだ自分・・・と若干落胆しながら、懸命に頭の中で話を繋げていくしかなかった。

結局「もぐら」は一人だったのか?一緒に動いていたTINKERやSOLDIERは何だったのか?

(50点)
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「ファミリーツリー」

2012年06月28日 23時12分13秒 | 映画(2012)
それでもそばにいる。


何事もないように重ねられていく日常は、良くも悪くも家族としての実績を形作る。

家族が大事だという思いは持っていながら、日々の仕事にかまけてついおろそかになってしまっていた主人公マット。

妻が突然いなくなって(正確に言えば姿はあるのだが)初めて見えたものは、ちょっとやそっとじゃ取り返せないほど変わってしまっていた家族それぞれの関係だった。

あのG.クルーニーが、焦りの表情でどたどた走り、どうにも趣味の良くない赤いシャツを着る。

顔も声もG.クルーニーなのに、どう見ても年頃の娘が煙たがりそうなオヤジになっている。

でもオヤジはがんばる。丁寧にがんばる。

途方に暮れたり、逆上したりしそうになっても、今一度踏みとどまり、父として、家長として、果ては由緒ある一族の末裔としての責務を果たそうと努める。

そんな姿を間近で見ながら、自らも成長し父親との距離を縮めていく長女アレックスが強く印象に残る。

改めて家族とは何なのかと考える。

マットには財産分与の権利を有する多くのいとこたちがいる。

土地を処分するための会議で顔こそよく合わせるものの、彼らには妻エリザベスの生命維持装置を外すことを伝えていない。

血が繋がっているから家族なのではない。お互いがかけがえのない存在と思えることがまず大切なんだ。

相手の心が自分に向かい、自分もそれに応えるだけの気持ちを持っている。そのときに自分たちが「家族」であるという感情が生まれるのではないだろうか。

かっこ悪い父親を疎ましく思うかもしれない。言葉遣いが汚い娘にがっかりするかもしれない。でも少し間をおけば、自然と同じソファに座ってテレビを見ている。それがきっと家族だ。

娘のBFシド、義父のスコット、妻の浮気相手ブライアン・スピアーとその妻ジュリーと、マットの周りには、どうにも相容れることが難しそうな人物が多く登場する。

しかし彼らは決してただ邪魔なだけの存在ではなく、彼らにも家族が存在し、浅からぬ思いを抱いていることをしっかりと描いている。

こうした点が、映画全体の温かく柔らかい空気を醸し出していて好印象を残すのだろう。ハワイの風景とともに。

(90点)
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「ソウルサーファー」

2012年06月17日 01時13分38秒 | 映画(2012)
前へ、前へ、前へ。


あまりによくできた話というのは、見ている方が恥ずかしくなってしまうことがあるのだが、エンドロールを観るかぎり、この映画はどうやら事実をほぼ忠実に再現しているようだ。

神は乗り越えることができる者にこそ試練を与える。

近視眼的なアプローチでは物事の本質は見えない。

これは全篇を通して主張している本作のシンプルかつ強いメッセージだ。

ヒロイン・ベサニーは、ハワイに生まれ、両親も兄も親友も日常=サーフィンという環境の中で育ち、何の迷いもなくプロサーファーを目指すサーフィン漬けの日々を送っていた。

そこでの突然の事故。

自分にサーフィン以外の道はないと一度は再起を目指すも壁にぶつかり、改めて突きつけられる人生の選択。

しかし彼女は、自らの強い意志と冷静な判断、周囲の深い愛情により正しい道を導き出す。

一度はサーフィンの道を諦めかける設定になっているが、本当にそんな迷いがあったのか信じられないほど、それ以外のベサニーは強く見える。

それはやはり彼女にとっての海の存在の大きさにほかならない。

冒頭で、自分の血管には海水が流れているという言葉があったとおり、すべての土台であり、創造主=神にも近い存在なのだろうと推測すると同時に、信じることの強さを思い知らされる。

翻ってわが国は、まさにいま震災後の混乱の中を生きている。

進むべき道を決められず未だ迷い続けているが、我々はできると信じることが何より大切だ。同時に、近視眼的に些細なことを妄信してしまうことは避けなければいけない。

シンプルで強い物語を彩るのは、美しいハワイの海と華麗なサーフィンのパフォーマンスだ。

A.ロブH.ハントD.クエイドといった演者たちは、地元のサーファーとしてスクリーンにぴったりハマっていた。

かなり差し替えもあったのだろうと想像するが、超一流のサーファーの演技も充実。大きな波が次々に押し寄せるハワイの海のスケールの大きさも実感した。

あとの注目はC.アンダーウッドだろう。ようやく日本版のアルバムが発売された既にスーパースターの彼女だが、ベサニーの指南役といういきなりの重要な役で出てきたのには驚いた。

(70点)
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「ロボット」

2012年06月10日 23時40分28秒 | 映画(2012)
ハリウッドよ、これが映画だ!


かつてマサラ映画ブームがあったのは、もう10年以上前のこと。

いまだ「スーパースター」の地位が揺るぐことないラジニカーントは、1949年生まれというから御歳63歳!

一応近未来志向であったり、ミュージカル部分がやや少なめだったり、いわゆるインド映画からすれば少し変化があるが、その一方でサービス精神は突き抜けんばかりの力がある。

ラジニカーント、何でもやります。

アクション、ロマンス、ミュージカルは当たり前。メイクも派手に、ちょっとスプラッター気味があったかと思えば、火災に出産に奔走し、最後はチョコレート工場のウンパルンパ並みの増殖から一気にトランスフォーム。

いわば一人アベンジャーズ状態、もしくはそれ以上。この1本観るだけで、ハリウッド映画数本のカロリーが摂取できる。そんな感じだ(あくまでカロリー換算)。

宣伝のポスターでは中心に写る女性がロボットのように見えるが、彼女は疑いなく人間のヒロイン。非常に綺麗。

でも、年齢差30歳近くありながら違和感なく恋人役を演じられちゃうラジニカーント。結局は彼のすごさに行き着かざるを得ないのがこの映画。

見どころがたくさんある中でいちばん笑えた(?)のは、感情を備わってから初めてヒロイン・サナのキスを受けた瞬間のロボット・チッティの表情。シンプルだけど、なかなかお目にかかれない類のものだ。

そして"Intermission"の文字。やはりインド映画といえば大長編、の構成は健在であった。

あと興味深かったのは、主役の博士がこのロボットを作った目的が軍事用だったってことと、その設定自体があまり否定的に扱われていないこと。ライバルの邪魔が入らずすんなり兵器として使われていたらどうなったんだろう。

(80点)
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「君への誓い」

2012年06月10日 22時21分13秒 | 映画(2012)
積み重ねる時間の尊さ。


実話に基づいたストーリーという下りはよく聞くし、記憶喪失という事象も遥か昔から使われている鉄板だ。

それでもこの物語が陳腐に感じられないのは、もちろん妻・ペイジ役をR.マクアダムスが演じているからと、あとひとつ、夫・レオが独白する人生観に共感するところがあったからだと思う。

人生には決定的瞬間が訪れる時がある。大きなうねりの前では、それまで積み重ねてきた時間は何の力も持たない。

交通事故に遭ったペイジは、ある瞬間以降の記憶をすべて失う。そこにはレオと過ごしたすべての時間が含まれており、力を持つどころかペイジの中にレオは存在すらしなくなってしまった。

かつての漫画「キャッツアイ」の最後で、記憶を失った瞳に対して「こんなすばらしいことはない。瞳ともう一度恋ができるなんて」と俊夫が言う場面があるが、この映画では、前のフィアンセに思いを寄せている時点で記憶が途切れているなど、なかなか状況は複雑で厳しい。

何て理不尽なと思いそうになるが、そこにも当然意味はあった。記憶が切れる瞬間こそがペイジの人生の分岐点であり、その後の時間の積み重ねで必然的にレオと出会うことができたのだ。

ペイジの両親の立場になって考えてみるのも興味深い。ある時、突然針路を大きく変えて自分らの元を離れていった娘が、突然その時点まで戻ってきたのである。

例えば新興宗教にハマってしまったなんて状況だったら、それは全力でもう娘は離すまいとするだろう。

しかし、謎解きのような展開で明かされるペイジの分岐点。改めて過酷な事実と向き合ったペイジの行動が興味深い。

前回は両親と完全に絶縁してしまったのに対し、今度は、一緒に住むことこそやめるが、父の計らいで再入学した法学校に通いながらゆっくり人生を見つめ直すのだ。

そして彼女の新しい人生の選択に大きく影響するのが、記憶にはないが記録として残っていたレオとの誓いの言葉だった。

大きなうねりの前では無力かもしれない日々の積み重ね。それでもそれはいまの自分を確立したすべてであり、一つとして無駄な瞬間はないのである。

「シャーロックホームズ シャドウゲーム」「ミッドナイトインパリ」ではちょっと残念な役回りだったR.マクアダムスは、今回はヒロインとして本来の輝きを存分に発揮しており、そんな彼女の姿を拝めるだけでも個人的には観る価値ありだった。

(80点)
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