このところ寝ても寝ても寝たりません・・・
こんな状態になるといつも思い出すのがこの有名な文句です。
「 春眠暁不覚 処処聞啼鳥 夜来風雨声 落花知多少」
ちなみに覚えているのはここまでで誰の句なのかは忘れました。
ホントにそのとおり!
春は眠くって何時夜が明けたのもわかんない!
あまり真面目に勉強してるつもりもなかったし、すごく興味があった訳ではないのに、
強制的に覚えさせられたモノって意外と多いんだよね。
しかもこの年になって思い出すものも沢山あります。
この間、通勤の電車の中で新聞を読んでいる人がいたら、コラムの冒頭の部分が目に入りました。
そのコラムは日本経済新聞の春秋
ワールドベースボールのネタだったみたいで、正岡子規の句が引用されていました。
「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」
この詩人、野球に多大なる貢献をした人物。
昨今、使われている、野球用語は子規が訳した言葉という事になる。
相方の雑学によるとbaseballを「野球」と訳したの正岡子規という話もあるようです。
何気なく使われている言葉でも、始まりがあるのは不思議な気がします。
こうやって言葉は生まれ、日本語と言うものを形作り、伝えられていくんだなあと感慨深いものすら感じてしまいました。
野球もサッカー熱におされすこし下火になってきてしまっているけど、正岡子規のこの句を読むと新鮮な好奇心を感じて野球の面白さを再確認したくなります。
子規の短い一生を考えると、なおのこと野球に対する情熱を感じるんだよね。
さてさて記憶の話。
「久方の~」で思い出したのが百人一首。
「ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずごごろなく はなのちるらん」
どこかで聞いたことがあるなと記憶の海から見つけてきたのがこの句でした。
ちなみにこれも詠み人までは覚えておらず・・
ただ、暖かい春の日に思い出したことにちょっと幸福感を感じました。
こういうのってどうってことないんだけど、物事を自分のフィルタを通してだけでなく
いろいろな見方をする助けになってくれているように感じるのです。
ワールドベースボールも韓国に負けてしまったけど正岡子規について改めて知る事が出来たし、野球も改めておもしろくカンジそうだし・・と言う事にしておきます。
春眠・・がなんか野球の話になってしまった。
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