日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

渦巻ないしはゴジラ I Know Where I’m Going

2016-09-19 | Weblog
I Know Where I’m Going
私は自分の行くべき道を知っている。
若さとは野心と無謀さで出来ている。危うさは若さである。
上昇志向が産みだす恋は好奇と嫌悪をもって面白おかしくネタにされてがちであるが、したたかさも、あざとさも、若さというキラメキの前にひれ伏すのである。
それはやっかみと嫉妬を伴って、批判や憧れの対象になるから大変ね。
そんな羨望を若さという力技で捩じ込めても、その先、自分の力ではどうしようもない出来事もあるはずで、栄光の先の一寸先は闇。

久しぶりに映画を観た。
原題はI Know Where I’m Going、そして邦題は『渦巻』
なかなかの意訳である。
向上心むき出しのオシャレロンドン娘 ジョーンが主人公。
高齢の資産家との結婚式を目の前にして、それまで自分の意思だけで欲しいものをすべて手に入れてきたはずの人生に、初めて自分の力だけではどうしようもならないことがある事を思い知るのである。



この邦題の『渦巻』という単語がキーワードであった。
解説の一文、「行く手を阻む、巨大な渦巻は自然の驚異であるとともに恋情のメタファーであり、ジョーンの千々に乱れる胸の内を暗示している。」
恋は渦巻のように魂をかき回し、自分の力では抗いきれないことがあるから美しく、尊い。





気持ちの良いエンディングは映画を観る醍醐味みたいなものと思うのだけどどうだろう。
意図せず、望まないのに渦巻に巻き込まれるから、物語は面白い。
否応なしに立ちどまらされて、考えさせられいる時はツライのだが、自分の思いもよらなかった結末がハッピー寄りで待っているのなら、渦巻にまきこまれてしまうのも良い。
渦巻かれたい欲がむくむくとわいている。
渦巻やら、ゴジラやら、パッピーエンディング寄りにもっていく超自然的エネルギーが足りてないのに、
降りかかる火の粉の種類までわかっていてI Know Where I’m Going。


kiss&hugもないのに、あえて茨の道を行くという勇気の物語、誰か映画化してくんねーかなー。
2時間ドラマ仕立てでも可。
コメント
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