日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

誰かに

2008-11-21 | Weblog

自分は「その」人になれるか?

結構難しい。

「この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい。」

 

中田厚仁
享年25歳。

カンボジアでの民主化運動を支える為に国連のボランティアに参加。
一言に「民主化」といっても大虐殺を行った「ポルポト派」の記憶が生々しい国でそれは大変難しい事。
だって民衆が主張すべき当然の「自由」や「権利」というものを知らないのですから。

自由って何。
権利って何。

自分たちがこうやったら心地よく生活できる、幸せを感じることが出来るという思いを持つことすら許されていなかった人たちにそれを主張しろというのは当たり前に難しい。

選挙をすることができる「民主化」というのはちゃんと「意見」を主張できる場なんだということを改めて思い知らされました。

だから正しく、正当に、平等にそれができるように「民主化」運動に彼は力をそそいだのですね。

「この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい。」
こう言い切った彼の言葉はすごい。

「誰か」というその人になることは簡単ではない。

そういえばこの間、観たTVのMartin Luther King Jr.にも同じ姿勢が。

「誰か」

曖昧模糊で不特定な人。

だけどそんな人にもちゃんと個性があり、想いがあり、「信念」と「行動力」そして「志」があるのだ。

曖昧な存在なんてこれっぽちも存在しないのだな。

大統領選では「歴史」が誕生しました。
アメリカではあり得ない事の例えとして使われていた「黒人の大統領」。

I have a dream that one day down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of interposition and nullification; that one day right down in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers

誰かがちゃんとやらねばならない事をやったということ。
それが絵空事、夢、ありえない事と思われていたことが現実になるということ。

 



志の高い話に胸をじんとさせたところですけど。

「この仕事、誰かがやってくれるよね。
そして見なかったことに・・・・。」

そうやって本日、逃げるように帰ってきました。

あたくし、蟻にも劣ります。
反省。

コメント
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