棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

腐らなかった中国の菓子

2008-02-29 17:46:02 | チョット一言
物置のすみから、10数年前にシルクロードエリアを旅したときに買った、菓子折りがでてきた。
外見、中身はまったく変わらず、その異常 さに 
「食べていなくてよかった。毒菓子」だとおもってしまった。

知人のブログ「アルプス山麓通信」に、
中国では公表されていないが、ガンで若死にしているという記事がある。
彼も10数年以前から、生の現地を知っている。
同世代の中国の知人が、異常な人数でガンで亡くなっていることの、
経験からの記事だ。

昨夜のニュースは、農薬入り餃子は染込んだものだと、なんともあきれた中国警察の見解だった。
日本はあらゆることを公表しながら、絶対にひいてはならない。

日本の食糧事情は、中国にたよわわざるを得ないが、可能な限りがまんをして
ボイコットをしよう。
それも、
声高に!!!


私のボスはお父さん

2008-02-29 11:12:00 | 賢犬さくら

この世で一番すきな人は、おとうさん。
この世で一番怖い人は、おとうさん。
この世で一番わかってくれる人は、お父さん。
私のボスはお父さん。

お父さんは言う。
「さくら。たまには鼻声だしてあまえてもいいんだぞ」と。
でも私には恐れ多いボスに、
ひさしぶりにおいきあいする人たちへのような
甘えはできない。

おとうさんはチョット寂しそうな目をしますが、
ボスは、そおいうものなのです。


37-棚からぼた餅--昔の農家を思う

2008-02-29 10:37:12 | 大人の童話
落語の「大山詣で」は、江戸時代のの裏話で、面白いですね。
どちらかといえば気晴らし・宴会的な講にたいし、結いは共同作業の集まりです。
道普請・屋根の葺き替え・草刈そして、田植え・稲刈り・山仕事など、人手がいる仕事です。

今日は、町内いっせい清掃・資源ごみ収集などかもしれませんね。
とても落語にはなりそうもありません。

農村地帯に開発された新興住宅地で、地域総出の草刈・清掃などに、
出不足料を徴収するとかで、行き違いが生じているのも、この結いの共同意識のちがいなのでしょうか。

結いは飲むのが目的ではありませんから、エプロン姿の奥様連が連れ合って飲みにいった話は聞きませんが・・・
まーー、エプロン姿でレストランやスナックで、
「うちの亭主ったらまた浮気してサーー」とか
「ねーーイケメンな男の子、紹介してヨ」
てなことがないと信じているんですが・・・・。

農村では寄り合って助け合うのが基本的な付き合いですから、
かなり濃密な関係になっていきます。
一集落が一族同姓だったりしますので、屋号で呼び合っています。
例えば、湧き水がでる家は「清水」 大通りの横だから「横道」 川が近いから「川手」など、さまざまです。
面白いのに「夏刈」 日当たりがよく、夏には水不足になりがちから、
ひとひねりして呼ばれたと思います。

その場に立つ

2008-02-28 11:43:49 | 創作活動
「良寛を歩く 一休を歩く」 水上勉著

紀行文学の名著だと思う。
著書の内容は良寛・一休の暮らした現地を歩き、
歴史的資料を軸に展開する。

著者の創作姿勢は、歴史資料の研究はとうぜんであるが、
それだけでは解明できないナニカを感知しようと、現場に立つ。

時はえたとしても、現地をあるくことにより、
芸術家としてのひらめきと感性により感じ取る。
その場に立ってこそ、資料だけでは腑に落ちなかった、ナニカがわかる。
そのようなことを、いっておられる。

突然ですが、私はあまり風景画を描かない画家ですが、
目先の収入源として、写真集などから、それらしく描いてしまう。

しかし、決定的に違うのは、
その場で五感に感じたモノが現れてこないことです。
あーーくだらない仕事をしてしまったと、つぶしたくなる。

紀行文学の名作いわれるこの著書は、
雪降る越後が・底冷えのする京都がそのままある。
白し息を吐いている、作者がいます。

不動明王--墨彩画 90X130cm

郵便配達のおばさん

2008-02-28 09:29:35 | 賢犬さくら
少しガタのきたバイク音が聞こえると、私はどこにいてもスッとんでいく。
郵便配達のおばさんで、おいしいオヤツをいただけるからだ。
そればかりではありません。
面白いからどこまでも、追っかけていく。
これには、おばさんもこまってしまい、
フリーでいる私を、つないでしまうのも おばさんなんだけど。

ダーリンもウオーン・ウオーン(頂戴・頂戴)とやかましが
私はそんなはしたないそぶりはせず、じっと見つめる作戦だ。

ちなみに、私はお父さんにはメッタニつかまらなく、逃げるのです。

良寛さんを思う

2008-02-27 10:01:15 | 賢犬さくら
愛犬さくらに、朝一の散歩をせがまされる前に、体が起きてしまった今朝。
わずかな水色が加わった鉛色の空に、西に傾いた半月の月が在る。
暖かい朝だ。
とはいってもマイナス3度だが、どこか春を感じる。

23日は雷鳴とともに横殴りの雪が波頭のごとく吹き荒れた、
大荒れの一日だった。

ガラス越しに、暗く重い冬を観ている内に、フッと良寛さんが浮かび上がり
水上勉著「良寛」を再読。
著者が切々と良寛の風景を表している世界が、雪が飛ぶ一日とぴったりだった。

「禅境ってどおいうことだ」 
本をおき、窓景色に見入ってしまう。
越後の冬は、もっと暗いのであろう。
風物は良寛さんの時代と大違いであろうが、天の営みはさほどかわるまい。

火の気もなく指先が凍るような室内で、良寛さんはどうしていたのだろう。
やぶれ座布団をかかえて、耐えていたのか。

禅境世界に座していたというより、そのようになってしまった、
とは 浅学な私の思いだった。

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「茫茫の浜」F50・・新潟の日本海を描く

36-棚からぼた餅--昔の農家

2008-02-27 08:12:47 | 大人の童話
布団の襟が息で凍り付いてしまう、長い冬でも、休む暇なぞありません。
つぎはぎだらけのハンテンに、ほっかむり姿。
チョロチョロと蛇の舌のような焚き火で、ワラジ・むしろ・かます・俵などを編んでいます。
女衆は機織・針仕事、その上トッサマのお相手にセイをだし、夜なべ仕事に大変でした。

冬季は村人も集まりやすく、講・結いなどの互助会的な集まりも盛んでございました。
講で代表的なものは、伊勢講・稲荷講・えびす講・念仏講などから、
地域産業とむつびついた、庚申講・繭玉講・山の講など、
3-4人程度からあります。
いずれも、仲間と寄り合って、一杯楽しむことが目的ですね。

ただ今の無尽などは、仲間でお金を都合しあう。
カミさんに遠慮なく飲める集まりでもあります。

歴史的にも、寄り合いは男衆ばかりでなく、女衆だけの講もあり、
この日だけは大っぴらに、馬鹿亭主の悪口を言って楽しんだのでございます。

金剛石のきらめき

2008-02-26 18:00:07 | 山郷の暮し

最低気温が マイナス10度前後の朝がつづきました。
寒いといわれる信州ですが、連日こんなに冷え込んだのは、
最近はありませんでした。
今日は予報の通り暖かく、雨が降り出しましたが、
このままであってほしいと・・・。
暖冬だった昨年の、同日の日記をみますと、水仙の蕾がふくらみ、
梅の花も開花した、とあります。

昨日などは、冷え込みが厳しく、固まった雪の表面に、
極少の結晶体が生まれ、きらめいています。

星型・方形・槍方とかたちはさまざま。
朝日があたると、金剛石のまたたきと変わり、
うれしさに目を転じれば、雪面は天の川となってきらめき、流れ、
つかの間の光のシンフォニー。

写真をクリックしてください。少しは参考になれば

35-棚からぼた餅--昔の農家を思う

2008-02-26 10:19:27 | 大人の童話
能天気な福の神に対し、一つ一つに一喜一憂する厄病神
その間をウロウロ、はらはら、ニコニコするのが人間
一切を仕切っているのは、福の神でも厄病神でもありません。

野良仕事はお天気しだい。特にお天道様の思いのままです。
それは今も昔も、基本的には変わりがありません。

それでは、チョット昔の農村と申しますのは。

田植えは、苗を一本一本植えたもので、腰を曲げたままの作業は、決して楽なものではありません。
農作業の全てが手作業ですがら、人手がいりました。
ゆい と申しまして、皆が協力しあう共同体がありました。
今日でもこの形態は続いておりますが、社会構成がすっかり変わり、問題が生まれています。
地域に無関係だった人たちが住みだし、昔ながらの共同作業に異議を唱えるのも、さして不思議はございません。

 立春から八十八夜の別れ霜、稲の種まきのめやすでした。
 九十九夜の泣き霜、と申しましていわゆる遅霜の被害が最も怖かった。
 八十八夜からおよそ33日が、田植えのころ

順調に育っても、旱魃・水害。そして台風と、お天道様しだいです。

ナニカにすがっていかなければ、どーーにもならなかったのでございます。

その上、年貢はいっそう過酷なものだったのです。
先にふれました三九郎 2月10日 をご参考に。


木立の響き

2008-02-25 18:14:10 | 山郷の暮し
バキッ! パシッ!
木立より小枝を折るような、乾いた音が響いてきます。
リスや小鳥たちが、遅い春を待ちきれずに 動き出したのか?

風が吹くでもないのに、あちこちの木々から響いてくる。
特に耳をそばだてる必要もなく、かなりの音だ。

パキッ! カサカサカサ! バキッ! バキッ!

ニセアカシヤのサヤがはじけながら、落ちているのだった。
芽吹きにそなえて、さよならの声か。

写真はニセアカシアのはじけ落ちたサヤ 
30CMくらいのものもある


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本