棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

夏風邪かな???

2014-07-31 07:04:34 | 山郷の暮し
3-4日前からなんとなく節々がギシギシと痛む。
朝夕のワンチャンの散歩も、体が重くシンドイ。
私は原因不明の「全身のシビレ」があり、脳神経内科の医師からビタミン剤のようなものをもらっている。
最近は「こおいう身体だ」とふてくされ、医師も「マーーネーー」と。
このシビレと合併したような症状はチットきついが、それにしても急に体が重くなってしまった。
なにより、毎夕楽しみな晩酌が進まず、飲む気すら起きなくなってしまった。
私の場合は体調不良の最初の表情は「酒が飲めなくなる」と、いたって簡単明白。
「もしかして夏風邪か??。そおいえば寝汗はドッとかくし、汗ばみは違う原因だ」
暑いのか普通なのかよくわからない。
しばらく使っていなかった体温計は、役に立たない。

製作に気が入っていたが、どうも冴えを感じなかった。
また、工業用の大きな扇風機をブンブン回しての仕事は、体に堪えていたのか。

昨日は医者嫌いの私でも、かかりつけの医院へ行こうと思ったがあいにく休診日。
なんとも、身の置き場にこまる夜をすごした。
今日は一番で行きます。
酒をがぶがぶ飲み、大いに意気を吐かなくてはいい仕事はできません。
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どこからきて、どこにいくのかナ??

2014-07-28 12:12:38 | 山郷の暮し
連日の猛暑でしたが、昨日は朝から黒い雨雲がひろがり、風も涼しかった。
これはありがたいと、朝一からパネル製作をする。
完成すればにわか雨がドット降り出し、気温は一気に下がってくれる。
ラジオからは高校野球の決勝戦中継で、会場の長野市オリンピックグラウンドでも大雨になり、
一時間近く休憩になっていた。

パネルはできたし、涼しいうちに草刈でも、と思ったが思っただけで止めた。

ただ今の製作作品は「雨安居・自画像」から始まり、もっと自分の存在していることの意味などを
追求したくなる。
そのように製作意図を突き動かしたのは、
ゴーガンの「われわれはどこから来て、われわれはなにをするか。われわれはどこに行くのか」
と、永遠の疑問ともいえることであった。

ゴーガンの大作から其の答えは読みきれないが、真正面からこの大問題に取り組んだ作品はすごい。
彼の晩年に近い48歳であるから、もっとすごいではないか。

「われわれは」とまでいかないが、「私はどこから来て、何をして、どこにいくのか」
と確りと作品に描き出す年齢になったのだと感じる。
自画像製作中に、この一枚ではおさまらなくなり、三部作となった。
いわば、今までの自己哲学の総集編である。
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猫の死

2014-07-24 12:09:02 | 山郷の暮し


平和に暮らしていたサクラと猫のチビクマでしたが、三年ほど前に子犬のハナがきてより、
猫は追い出されてしまった。
犬は本来 猫嫌いで、見れば追い立ててしまうのですが、このチビのハナはなんとしても慣らすことができなかった。
かわいそうだが、猫のほうが物置やご近所にウロウロするようになった。
結構 強かったとみえて傷だらけだったが、あらこちに種をまいていた。

ブログでも何度か犬のサクラとチビクマのほほえましい情景を伝えてきましたが、
サクラとて猫はだいっ嫌いでしたが、乳飲み子の子猫を一週間ほどで受け入れてくれました。
なんと、閉まっていたオッパイも出るようになり、育ててくれたのです。

そもそもネズミ対策に飼った黒猫で、ぴたりといなくなっていたのですが、いなくなったら
再び野鼠が入るようになってしまいました。

そんなチビクマですが、近所の作業場で3日前に死んでおり、ご主人が埋めてくれたとか。
最近は時々しか顔をだしませんでしたが、居ないとなると矢張り寂しいものです。
ブログ--カテゴリーの賢犬サクラ をご参照ください
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咲いた夏の花

2014-07-22 09:03:14 | 山郷の暮し
しばらくプログをお休みしていました。
とはいっても、朝の5-6時には筆を執っている毎日です。
気合の入ったテーマでの製作を始めますと、細々したことが面倒になってしまいます。
生活の一切が製作パターンになってしまうのです。
眼には入っても大して気にもせず、眺めているだけ・・。
其のひとつに、あいも変わらず雑草の茂みがあります。
切っても刈っても(大してやってはいなかったが)一雨でグッと伸びてしまう。
そんな中に、けなげにもグラジオウラスがヒヨロヒヨロと花を咲かせてくれました。
かなりの種類を植えたので、これからもっと期待ができる。
遅くにまいた巨大向日葵も、背丈はあまり高くはないが、太い茎になり蕾をつけてくれました。
なにより、藪朝顔の濃い紫の花が覆いつくすことでしょう。

写真は玄関です。花瓶は友人の陶工家による 焼き閉め花瓶 
像は小生による 恋心  
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忘れた色

2014-07-18 08:54:37 | 山郷の暮し
画家にはその画家だけが観える風景があります。
この風景は必ずしも「風景画」と呼ばれるジャンルのことではなく、
世界または時空とでも言い換えましょう。
その世界を描きだすのに、色は命のようなものです。
その色は描こうとする対象物の色もありますが、
現実にはそこに見えない、いわば心の中の色があります。
たとえば、「あのときのアノ空の色」だとか「薄汚れたあの露地の空気だ」
などと、具体的なイメージでありながら、現実に作り出せなくなってしまった色があります。
技術的にはどうにもなるのですが、肝心要の精神的なエキスを忘れてしまったのです。

ばくとして「アノ時のアノ色なんだ」と思い起こせるのですが、
ナニカその色にまつわるエキスの様なものがたりないのです。
それは色の組み合わせに微妙に違いが出てしまい「ナニカが違う」とかんじてしまいます。
以前の習作を取り出してみるのですが、単体に其の色が調合できてもチガウのです。
いまひとつ精神的なウラズケがなく、納得のいく色の組み合わせが
できないのです。
それは、作品の意図を左右するほどのことでもなく、製作中の精神的なことともいえます。

蛇足ですが「どうしてもコレダ」ということは何も画家ばかりではなく、
知り合いの音楽プロデュースの方は「アル音」にこだわり、
ココの音はバリ島できいた蛙の声でなくてはと、録音に出かけたそうです。
そのようなことは珍しくなく、人はどうでもよく自分が納得できなくてはならないのです。
其の時そのときの想いが、芸術家の財産なのです。
芸術家というのはまことにやっかいな人種なのです。

写真は「輝くもの」
完成はしているのですが、青色は秋のヨーロッパの空、しかもアノ部分の色をイメージしているのですが・・。
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蒸し暑い日々

2014-07-17 09:02:33 | 山郷の暮し
台風が消えてより蒸し暑い日がつづいています。
ワンチャンの散歩もジトーと汗ばみ、シャワーを浴びるのは心地よい。
昨日など5時チッヨト過ぎから水をかぶり、ちょいとグビッのつもりがそのまま本番になってしまった。

息苦しさに気がつけば、そのまま寝ていた。
夜中といっても12時ごろ。
歯を磨き、着替えて正式にオネンネ。
まったく自堕落なことでした。
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別所温泉の雨乞い祭り

2014-07-14 08:14:37 | 山郷の暮し
昨日は友の誘いで「別所温泉の雨乞い祭り」の見学に行ってきました。
別所温泉は 信州の鎌倉(鎌倉って日本にイッパイありますね)と称されるところで、小さな温泉地
ですが、湯治場的な雰囲気が漂いナカナカの所です。
その地で催される 雨乞い祭り は長野県の無形文化財で500年の歴史があります。

数年前に見学に行ったときは陽射しが強く、まさに雨乞いをしたくなる天気が続いている日々でした。
しかし、昨日は予報に反し雨雲が広がり、演じる方々も見学者も熱射病の心配はありませんでした。
ついでですが、今朝は雨降りから始まっています。

祭りは各自おのおの浴衣反物を幟にして「男・女の雨神」を山頂から拝し敬い誘い出し、
村道から温泉街を行進したのが始まりではないでしょうか。
私は一見し「腰巻」をチラつかせ神様を誘ったのではないかと・・・。
とまーー私見はともかく、現在は浴衣地を幟にしたもので模様が異なるので賑やかできれいだ。
鹿踊りと女の子たちの踊りがいい。
これがなかったら、オッチャン・アンちゃんたちがモソモソ行進しているだけのものになってしまい、
正直 じみーーな祭り風景になってしまう。
祭りは子供たちが参加して、見た目にも音楽的にも艶やかになり、見る者も心和むものだとしみじみと感じた。

艶やかといえば、温泉の綺麗どこ(いたとすれば)はおろか、成人の美女は参加していない。
もしかしたら女神様がやきもちを焼くから、子供さんでお茶をにごしたか・・。
またまたくだらない想像をしながらの見学でした。
詳細は 別所温泉 岳の幟 等を検索してください。

先頭の旗  雨の下に口が三つ その下に龍 不思議な作り文字・・おかみ 

小学生の女の子 派手な色合いです
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眠れぬ夜

2014-07-10 09:11:40 | 山郷の暮し
眠れぬ夜といっても、つい先の若かりしころの「眠れぬ夜」ではありません。
夜中の雷鳴は人間でもあまり気持ちのいいものではありませんが、
ワンチャンにとっては恐怖そのものらしい。
チビのハナは我が寝床にもぐりこんでブルブル震えている。
ジッとしていることもできず、我が顔をべろべろ。
「アッチにいけ」とほうりだしてもだめだから、私のほうが違う部屋にうつる。
ついてまわるハナのうえに、こんどはサクラ婆チャンがドカリと乗る。
これはもー私が動けない。
アトリエに逃げて、寝袋で寝ることに。

それにしても連日よくまー雨が降ります。
その上台風8号がいよいよ松本にも接近しそうで、これ以上の大雨は勘弁してほしい。
今朝の散歩道で、木々で覆われている暗い空の一廓がポッカリと開き、やけに明るい。
20センチ以上はあろう大きな腐れ枝が落ちている。
まだ台風の影響はないのだが、連日の雨でたっぷりと水を含み重さに耐えられなかったか。
今はお日様が照りだしましたが、台風は午後から影響があるらしい。
気おつけましょう。

写真は2010年渋温泉にて 温泉場はお猿さんに占領された
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自画像の製作

2014-07-05 16:59:43 | 山郷の暮し
ほぼ等身大に近い、お腹がポコッとでた坐像のわが身を描いています。
当然ですが油彩キャンバスに向かう前まで、何枚ものクロッキーを繰り返し、自分自身の中に
「何を画がかんとするか」を植え付け育てていきます。
と、まー大層なことを言いましたが、手が自由に動くまで習作をするのです。
それをしているうちに最終的な完成画が観えてくるのです。

もう少し能書きを言いますと、写生や写し取ることはもはや大した目的ではなく、描き出そうとする
意図にもっとも適した表現方法を探り出しているのです。
写実画にするか、はたまた抽象画になるか。それとも具象画になってゆくのか、
思考を繰り返した後に本製作に入るのですが、それからまたまた自答が始まります。

今回の「雨安居龍王丸」は今の私をさらけ出す仕事にしたいと前回投稿しましたが、当然それも大変なことです。
さて、雨安居といえば仏教の言葉で、インドではモンスーン時は虫などが多くなり、
殺生にあたるから踏み潰してはいけない。
できるだけ出歩かず、静かに瞑想をしましょう、というところが発端のようで、仏教が制度として取り入れたのです。

私の言う「雨安居」は仏教的な意味よりも、古来インドの人生観に ある年齢に達したならば
家督を譲り、生まれたままの身軽な姿に戻り、人生を考えなさい。
つまり隠居をしなさい、ということでしょうか。
隠居はしませんが、今までの人生を振り返り、これからどう役立ててゆくか、本当の意味での完成を見定めてゆくことです。

それは、悟りの世界でもなく、禅林世界でもなく、瞑想空間でもありません。
もちろん仙人生活(私にそのようなことを言う方もいますが 笑い)でもありません。
では・・ナンゾヤ・・。

トップの写真は2011年製作 真夏の白日夢より 


2009年 不動明王を描く私  かなり気合がはいっていますねーー
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自画像

2014-07-04 12:45:23 | 山郷の暮し
梅雨は本格的になり、夜半からジトジトと止むこともなくなく降っています。
ラジオが今夜にかけて、全県に大雨注意を呼びかけています。
こんな日はテンションもあがらず、気が滅入ってきてしまいす。
ワンちゃんたちの散歩も早々に切り止めてしまうので、彼らも身の置き所がなさそうで、近寄ってきてはチョコット鼻を押し付けてはゴロリ。
これみよがしに大声を上げいの大あくび。
窓辺に行っては、雨降りを恨めしそうに眺めています。

数日前から、久しぶりに自画像を描いています。
「雨安居龍王丸」とズバリ私そのものを描き出そうとしています。
自画像ならば当たり前ジャン、とお思いでしょうが、現在の心境を正直に描き出すことは難しいし、
どこか「よそ行きの自分」を描き出してしまうものです。

私は師の教えもあり、折々に自画像を描いてきましたが、どこか「ナニカ」に託して、
または偽装している自分を描いています。
「オレはダビンチの生まれ変わりだ!!!!!」などと・・笑い

数年前に描いた自画像は「不動明王を描く私」、よい作品に仕上がっていますが
「かくありたい」と言う想いの意図がこもっています。
それはそれでいいのですが、今回はなんとかありのままの自分を見つめ、描き出そうとおもいます。
あわてることはありません。
じっくりと、我が人生を振り返り、そして、ナニが残ってゆくのだろうかと・・。

ゴーギャンの名画の中に「我等はいずこより来たり、いずこに行くのか」
題名はチョット違うかもしれないが、そのような意図を含めて・・。
となると、どうしてもナニカを言いたくなってしまう。
下図です
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ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本