地元紙ー市民タイムスに投稿した「印象にのこる写真」が昨日記載されました。
先の新聞報道当でご存知の方も多いと思いますが、ただいま朝日村美術館で開催(7月8日まで)されている展示会のことです。
「きぼうのて」はすなわち「希望の手」ということで、東日本大震災に直面した大船渡市の中学生と、東京でありながら大揺れを体験した小学生に、図工の先生が「被災地を勇気付けるような作品を作ろう」となげかけスタートしたものだ。
小学生が復興にむけての心のあり方を真剣に考え、写真で表現した展示会です。
正直この写真展を説明をするのは難しい。子どもたちの写真展だと思ったら大間違いで「きぼう」という抽象的な課題で、しかも手を被写体として創造しなければならないという大変な仕事だといえる。
思うに、最初の時点では渡されたデジカメで遊び半分だったと想像できるが、しだいにメッセージを視覚化してゆくことの難しさと、伝えなくてはいけないという確信をかんじる。自分の意図にこだわった表現は決して派手な色彩や形ではなく、むしろま逆でありながら印象に残り考えさせられる。
画家の私も「天災・人災・ひと曼荼羅 東日本大震災を描く」という大作を製作し協賛出展をさせていただいておりますが、製作時の迷い・葛藤はパンフに記載されている子どもさんたちの会話そのものでした。
「作品を作ってどうするの?」「誰が見てくれるのかな?」「作らなければ見てくれないよ」「作って、送ったらどうかな」「そうだ被災地で展示してもらおう」
「でも、そんなの迷惑じゃないかな」「それどころじゃない、迷惑だよ」「じゃあ作らないほうがいい?」
子供たちの話し合いはまっとうで、とても確かなものでした。
ともすればテクニックや完成度の追求に本質を見失ってしまう私に「想いのこもった意図」の大切さを知らされる展示会です。
先の新聞報道当でご存知の方も多いと思いますが、ただいま朝日村美術館で開催(7月8日まで)されている展示会のことです。
「きぼうのて」はすなわち「希望の手」ということで、東日本大震災に直面した大船渡市の中学生と、東京でありながら大揺れを体験した小学生に、図工の先生が「被災地を勇気付けるような作品を作ろう」となげかけスタートしたものだ。
小学生が復興にむけての心のあり方を真剣に考え、写真で表現した展示会です。
正直この写真展を説明をするのは難しい。子どもたちの写真展だと思ったら大間違いで「きぼう」という抽象的な課題で、しかも手を被写体として創造しなければならないという大変な仕事だといえる。
思うに、最初の時点では渡されたデジカメで遊び半分だったと想像できるが、しだいにメッセージを視覚化してゆくことの難しさと、伝えなくてはいけないという確信をかんじる。自分の意図にこだわった表現は決して派手な色彩や形ではなく、むしろま逆でありながら印象に残り考えさせられる。
画家の私も「天災・人災・ひと曼荼羅 東日本大震災を描く」という大作を製作し協賛出展をさせていただいておりますが、製作時の迷い・葛藤はパンフに記載されている子どもさんたちの会話そのものでした。
「作品を作ってどうするの?」「誰が見てくれるのかな?」「作らなければ見てくれないよ」「作って、送ったらどうかな」「そうだ被災地で展示してもらおう」
「でも、そんなの迷惑じゃないかな」「それどころじゃない、迷惑だよ」「じゃあ作らないほうがいい?」
子供たちの話し合いはまっとうで、とても確かなものでした。
ともすればテクニックや完成度の追求に本質を見失ってしまう私に「想いのこもった意図」の大切さを知らされる展示会です。