棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

大雪になりそう

2012-02-29 08:44:24 | 山郷の暮し
降っています。すでにサラサラ雪が10 cmほど積もっています。
50 メートルほど離れた向かいの森がかすんでいます。
朝一に、もーー大はしゃぎのワンチャンと、全く真っ白な道に足跡をつけながら散歩。
面倒なので二匹共に開放。
二時間ほど経過していますが、帰ってこない。
まーー珍しくもなく、ずーーと以前のように、一山越えた集落で捕まり、保健所の世話になることもあるまい。
問題は、ワナにかかってしまうことと、人間が親切心から捕獲してしまうことです。

人災・天災・人間ドラマ 3-11 東日本大震災 を描く

2012-02-27 12:22:18 | 山郷の暮し
3-11 東日本大震災が起きてまもなく一年を迎えようとしています。
復興の動きがようやくスタート地点にたったと言われていますが、これから先、想像を絶する苦難の道なのでしょう。
この度「天災・人災・人間ドラマ 3ー11 東日本大震災」幅 8.2m 高さ 1.6m 水彩・油彩仕上げ
の大作を製作していますが、ようやく全容が観えてきましたので、今後の発表に備えご報告致します。

御国の誉

2012-02-25 09:50:09 | 山郷の暮し
春の波動を感じて早々に起きたのはチビ助のハナ。
「トーチャン・しっこ。散歩」と家中をかけまわる。
「ウルヘーー。まだ5時じゃあねえか!。サクラバーちゃんはまだ寝ているぞ」
といっても「さようでございますね」などと、静になるわけがない。
玄関戸を開ければ、1-2cm の積雪に小雨が降る。
「シッコだけだぞ」と、裏道をチョット歩き、寝直した。

昨日の続きです。
福島の方が、娘さんの嫁ぎ先である松本に移住したらしい。
ご本人にお行き合いしていないので、女風呂からグワングワンと響き渡るなかから、そうではないかと・・。
東北弁の柔らかな響きはフリュートのようで、大好きな宮沢賢治の詩の朗読を聞きたいと思うのです。
クラッシックを流しながらの製作でした。

6-佛の顔

2012-02-24 09:25:34 | 山郷の暮し
会話の中に春という言葉が入るようになりました。
三寒四温が一日も早く、逆転していくようにならないかなーー。

佛を描くときの心構えといいますか、しぜんと他の製作と心持ちが違ってくることを感じます。
ただいま製作の「天災・人災・人間ドラマ」の大作は、ひねり出す・搾り出すという発想ではなく、報道写真や新聞等を可能な限り観て、印象に残ったシーンや言葉(記事)などから組み立ってきたものです。
そのひとつが、精神文化の象徴として浮かんだのが金色堂の阿弥陀三尊像です。
いままでに描き出していなかった、穏やかな仏顔が浮かんできたのです。

実は現地に行っていない私ですが、言葉の響きにホットさせられたのが、なんと近くの温泉。
隣の賑やかな女風呂から聞こえてくる中で、お年寄りの優しい東北弁があるのです。
「いいなーー」とホットさせられた思いの、音楽のように聞こえてくるようなお顔であれと・・。

5 佛の顔

2012-02-23 08:39:50 | 山郷の暮し
2-23
昨夜からポツポツと雨が降り出し、今朝は温かみを感じながら傘もささずにサンポです。
ワンチャンに雨具を着せるなどと、アホッなことは絶対ありません。
午後には晴れるようで、北面の雪も消えてくれるでしょう。
ただいま製作の「天災・人災・人間ドラマ 3-11 東日本大震災」は、三ヶ月にしてようやく全体像が出来上がり、
これから先は色調を整5たりする、絵画的に思考(制作意図とは少し異なる)をしてゆくことになります。
当初の構想にはなかったのですが、描き進めているうちに「文化・精神的な象徴」として、中尊寺・金色堂の阿弥陀三尊が浮かんだ。

4佛の顔

2012-02-21 08:44:13 | 山郷の暮し
今朝は先日に比べ幾分らくな朝です。とはいっても、マイナス5-6度であり、八時ころでもマイナス4-5度ですが・・。
前回に私自身を観る私を感じることがある、と書きました。
そんな時の製作は気持ちがよく、いい仕事をしたと思える時間帯を得られる。
とわいっても、今の私にはもう一人の私と対話ができるまで至っておらず、はっきりと顔が観えるわけでもない(どうも第三の自分と客観的に会話ができるようになるらしい)。ナントナク感じる姿と顔など「気配」なのである。
ですから「天から降りてくる」というこや「天からの囁きを感じる」とは次元が違うと思います。
あくまでも、己自身から生み出した精神状況だと感じているのです。
ソレが他力であると言われたことがあったが、どういうことか正直わからないし、感じたことはない。
ただ、私自身が描こうとする「顔」に変わっていく、と断言できるようになりました。
そうです、その顔を描き出すことが、私の佛の尊顔なのです。

酷寒の朝

2012-02-19 09:12:43 | 山郷の暮し
今朝はサムイ。ものすごく寒い。
マイナス15度ちかく、9時過ぎてもマイナス5度くらい。
ただし、お天道様が照り、久しぶりに朝焼けのアルプスがくっきりと観える。
ワンチャン連が散歩・サンポとやかましいので、勝手に行け!! と放してやったが、30分ほどで帰ってきた。
只今、陽だまりで丸くなっている。

佛の顔-3

2012-02-18 08:46:47 | 山郷の暮し
私の描く佛の顔は私自身であるといいました。
よく聞くことに、集中していくと「天から降りてくる」などと申しますが、残念ながら私にはそおいう体験はありません。
ただし、製作時など私を観ているもう一人の透徹した顔の姿を感じることがある。
「なにのこっちゃ!」ですが、幽魂離脱ではなく、集中力が最高に充実していくと、すーーと私自身を観ているもう一人の私を上部に感じるのです(残念ながら時々です)。
その時はとっても気持ちがよく、モノがよく観えてくる。
そのような心地良い精神状態で描き出せた顔こそ、私が産み出した佛の顔ではないでしょうか。
とはいっても、何枚も何枚も下絵を制作して、自然に筆が動いてくれてのことですが、それでも本ガキの段になると「こりゃーーアカン。」と。
肝心の目は髪の毛にちい細い線ですが、それだけに変化も大きいのです。
顔こそ感覚が勝負の領域です。

佛の顔ーニ

2012-02-17 08:54:29 | 山郷の暮し
一時は日本的なオリジナルの姿を生み出さんと、無理やりにひねりだしたこともあった。
しかし、現在ある佛の姿は、二千年以上に積み重ねられた精神世界の象徴の姿である。
と心から思えだしてから、なにも無理にひねり出すことはないと決めた。
そう・・50歳半ばは過ぎていたかも知れない。(ごく最近です・・ヒヒヒヒ)
ならば、どんな顔形を理想としたらいいのか、と思索した結果「私自身」である。
またまたエッ!!といわれそうですが、其の続きは次回・・

佛の顔-1

2012-02-15 08:45:28 | 山郷の暮し
仏の顔も三度まで ではないのですが、私は沢山の仏様を描いてきた。
他のテーマとちがってやはり製作時の姿勢が変わり、経を唱え、できることならば現前に出現して欲しいと願うのだが・・。
残念ながら今までに一度たりとのありません。
「エッ!!それでよく仏画を描くなどと言えたものだ」と言われそうだが、私だけの佛の姿を観たことがない、ということです。
仏間や床の間に掛ける法事用の仏画ではなく、もっとリアルなキリスト教絵画の様な仏教世界を描かンとしてきました。
其の大きな原因は、インドからガンダーラ・西域、そして中国の壁画群を観てから、日本仏画には感じない生身の姿に感動した。
私が求めていた様式化された佛ではなく、自由でひと息を感じる仏画世界が展開していたのだ。
「これだ! オレが描きたい仏教世界だ!」と・・。
すでに30年前のことであります。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本