棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

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6-哲学するって・・

2011-01-31 08:37:07 | 山郷の暮し
哲学って???芸術って???と、浅学の私が思いつくまま記すにはあまりにも大きなテーマですが、間違っている、そのとおりだ、ということではなく、
己の思索を整理するために(より混乱するかもしれぬが)、飯にもならぬ哲学することを提唱したい。
では哲学とはなんであろうか。
それは、人間とは何であろうか、という疑問と同等のことかもしれない。
哲学とはこれだ、という答えの前に、哲学は現実生活の中でどんな位置にあるのであろうか。
たとえば在るとはなんだ、真理とは何だとどんなに思考を進めても、結果はかわらない。
つまり、考えようが考えまいが、腹の足しにはなら無いといえる。
またまた、無いとは何ぞや・・と言葉のはしはしを捉えてゆく作業になってしまう。
少し、見えてきた。つまり、哲学はパンにはならない領域かもしれない。
「人間は考える葦である」とパスカルは称したが、思考は飯代にはならない。
人間は考えることが他の動物と異なる動物だとはいいきれない。現に犬も猿も小鳥も考えている。
人間は飯代にもならない「哲学思考」をする動物なのである。
ということは、「哲学的思考」をして、初めて他の生き物と違う人間として存在しえるとしうことか。
カットは絵本 窓辺の象 より。絵 城太郎
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絵本 窓辺の象 発売

2011-01-30 12:24:07 | 山郷の暮し
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸  絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円
自費出版による小部数のため、単価・装丁に目いっぱい努力しました。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。
詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください
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ナニカとは何だ!!

2011-01-30 09:07:28 | 山郷の暮し
私は文中にナントナク・・・とかナニカ・・・と言う表現をつかうことがある。
たとえば、今回編集をした絵本『窓辺の象」にしても、主人公の象は『ナニカの力」に揺り動かされて、
自信喪失した己が変わってゆくことを自覚する。
文中では、私が体験した「星空からナニカの力」を感じたことをベースにした。
ではその「ナニカとは何だ。そこが知りたい」という要求は当然だが、その明確な説明は難しい。
というより、説明しきってしまうと、ナニカ違ってしまう、ナニカが残る。
ナントナクも同じことで、具体的な説明や提示をしきれない領域が残ってしまうのが、
ナニカでありナントナクではないだろうか。
何となくあの人が好きだとか、嫌い。というようなこととさして変わわりがないかもしれない・・。
では、春霞のように漠然と観えることや、また感じることなのか・・、というとそうではなく、自分にとって確かなことなのである。
強いて説明をするならば、ナントナクと感じたそのものと在る。そのものと同体である、と言うことかもしれない。
それ故に、客観的に外側から観る、観測し説明する、という位置関係ではないから説明ができない。
ナントナクとかナニカは、説明を超えた自身の実体に迫ることとしての語彙であり、感覚なのである。
この感覚を研ぎ澄ませていくことが大切なことです。
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絵本 窓辺の象 完成

2011-01-29 12:51:30 | 物語・絵本・童話
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸 絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円
自費出版につき小部数のため、目いっぱいの装丁・単価です。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。

詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください。
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哲学するって・・・

2011-01-29 08:39:04 | 山郷の暮し
今朝もマイナス10 度近い冷え込みですが、朝日が強く日中は昨日より気温が上がりそう・・ 
話をもどしましょう。
哲学は言葉や文字で表さないと、個人的な観念の領域になってしまう。
個人の観念は他者にとっては無いに等しい。
他者に証明するには文にしなければならず、それゆえに語彙の使い方にこだわらなくてはならなくなってしまう。
それゆえに、言葉の領域から抜け出ることはできないのではなかろうか。
では、言葉の領域を抜け、哲学的領域をあらわそうとすると、観念世界にならざるをえない。
となると、それは哲学ではなく精神世界や観念世界である。
どうもややっこしいが、説明をするとなればそおなってしまう。
多彩な表現方法を有する芸術は、観念世界と哲学世界の両者を内在しうる。
なによりも視覚化をするという、学問世界の哲学ではできないことである。
文字は確かに視覚化されたものではあるが、その視覚には何も意味をもっていない。
文字を読むことによって、解釈できるのであって、当然ながら文字は哲学ではない。
この当たり前のことを確りと踏まえておくことが肝要である。
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哲学と芸術

2011-01-28 08:35:24 | 山郷の暮し
哲学と言うと即、古今東西の哲学者の言葉がひきあいにだされる。
しかし、私の言う哲学とは、そういう学問の領域ではなく(そんなことは知りません)芸術活動をしてゆくなかで、
芸術とはナニカ、とか、表現意図の追及から必要不可欠に生まれ育ってきたことなのです。
芸術というと哲学と同じく、かなり高尚に聞こえますが、むしろ哲学や芸術とは全く無縁と思える人の行為や言葉にハッ! とさせられ、哲学的な境地を見出せる感性を研ぎつませてゆくことにあるのです。
学識があることに越したことはありませんが、解説者や評論家であることが目的ではないのです。
つまり私自身のことで(あなたのことで)、どお哲学するか・しているかと認識することです。
最近バラエティー番組などでも「哲学者」の出番が多くなりました。
とってもいいことかとは思いますが、「大哲学者はこのようにいっておりました」となると、安直な解説本を見るおもいに落ちてしまいます。

では・・。
焼き鳥屋で仕事の愚痴を言いながらのいっぱい飲みではなく、学生時代の哲学談義を思い起こして見よう。(若いころは哲学かぶれしたものです)
酒苦くして、また楽しい・・・。
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哲学的思考

2011-01-27 09:21:36 | 山郷の暮し
今朝もサブーーく、水槽の氷が盛り上がっている。
昨日に続きまじめに、自分の身についた時点から(位置から)考えて見よう。
そもそも、改めて哲学的思考とは何だと思わせているのが、絵本「生命の樹」の文の再考にある。
この絵本の意図は、時の流れである。では時とは何であろうか、ということになる。
また時を意識できるのは、現在という時である。
それならば、まず現在から考えてみよう。
我々は過去の広大な経験・経過の蓄積のうえに成り立ち、無尽の未来へと続く。
現在は過去と未来の中間地といえないか。
今あるから(中間地点)過去・未来が存在するのではなく、現在はとどまることができない。
言い換えれば、現在は即未来であり、過去になってしまう。
と言うことは存在は、絶対ではなく、観念的な現象である。
今、こんなナゾナゾをおもいだした。
三人の兄弟がいる。長男は次男・三男でもある・・・・と、
たしか過去・現在・未来の時についての話だった。
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哲学的思考

2011-01-26 08:42:34 | 山郷の暮し
真冬日でない日が2-3日続くと今朝の寒さはキツイ。
鉛色の空がジワーーとせまってくる。今日はサブーーイだろう。

10年以前に製作をした絵本「生命の樹」を引っ張り出し、PC編集を始めている中で、とくに文を再校正をしている。
インドの森に生まれたインドボダイジュが、悠久のときの流れ、自然と人間の営みを語る。自然編と人為編の二部構成によるものだ。
自然の猛威に打ち倒されながらも、再起してきた人間が、やがて自ら手にした力によって自然を破壊をし、窮地に落ちてきた現在。
人々の「信仰心」をべーすに、失意と希望にあふれた人間ドラマです。

この文は蔵書のひとつである 『哲学以前の哲学」松浪新三郎 岩波新書 1988年発行 になんらかの影響を受けていたかもしれない、とあらためて感じた。
ただ今この本を読み直し、さっぱりわからないが、哲学思考とはどんなことかアウトラインはなんとなくつかめる。
ついつい、哲学が無いだの、哲学的だなどと言ってしまうが、哲学とはいかなるものか、自己確認・整理をしなければなるまい。
昨夜、妙に冴え冴えとしてしまい、とりとめもなく思ったことを思い出しつつ綴っている。
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霜の華

2011-01-25 08:43:40 | 山郷の暮し
先日投稿しました窓ガラスに咲いた水蒸気の結晶を「霜の華」と称しているようです。
NHKの朝のニースで、美ヶ原高原にある標高2030mのホテルで、この「霜の華」の撮影に人気があることをつたえていました。(22日)
この地点は、アルプスからの寒気がもろにぶつかり、ウイスキーがフワーと凍ってしまうほどだ。
(それほどびっくりするほどではないのですが、近間で冬山を体験できる)
最近はどうか知らないが、冬山登山の第一歩として訓練をした。

夏の美ヶ原へは、我が家から車で一時間以内。賢犬サクラをつれて時々散歩に行くところ。
牛の放牧地で、標高2000m前後で、北海道のような緑の広がり。
絶景かな、絶景かな。日本百名山の一つです。
しかし、真冬はナメタラアカンデ!!
ただし、ホテルの車で送り迎えは心配ないと思うが・・。昔はスキー場もあったという。
話を「霜の華」にもどそう。
我が家の窓ガラスに咲きました。などと自慢にならないが、マイナス10度前後になると咲くことがある。
我が家で最も寒いところは、天井が高く、隙間だらけのアトリエだ。(この時期の仕事は体によくないからヤラネーー)
冷凍庫なみになってしまうが、湿気が少ないのかこの霜の華は咲かないのです。
なかなか、微妙なものです。
写真は今冬初めて、風呂場の窓に咲いた華です。
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新年会

2011-01-24 08:55:32 | 山郷の暮し
日が当たる前の気温が0度と、温ったケーー朝です。
薄雲が被っていますが、お天道様が消してくれるとありがたい。

昨日は、平均年齢70歳を超えている、同窓画会の新年会に初めて出席した。
もと芸術学部教授だのxx会会長だの、高齢チンピラ(これは私だが)だの、ヤーー大変でした。
この私が一番若く(笑うことなかれ)平均年齢をグッとさげている。
しかし、酒が入ればみな同じ。
名前などわからないから、センセイ/先生でとおす。便利な言葉だ。
美味しい焼酎がないので知り合いの先生とウイスキーを飲む。
「お互いに弱くなりましたねー」と言いながら、一本空け終わったところでお開きとなった。
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ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本