棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

下駄の話

2016-12-21 09:25:16 | 山郷の暮し
昨日に続きアッタカですね。
今日はもっと気温が上がり12-3度になりそうで、陽だまりなどは20度を越すでしょう。
そう・・今日は冬至ですね。
9時を過ぎた今、ボヤーーとした下弦の月が真っ白なアルプス上空に見えます。

朝一の散歩でフット「下駄を飛ばして天気予報」を思い出し投稿しましたが、続いて浮かんだメロディーがあります。
「昭和枯れススキ」でなんとも哀れっぽく、暗く滅入ってしまう歌でした。
ソレを歌ったカップルの歌手が下駄を履いてステージに上がる。
なんと年末の紅白に出場。私は視聴したのであります。
(もしかしたら間違っているかもしれないが、下駄でステージにびっくりしたのだ)

歌謡番組はあまり視聴しなかったのですが、それでも流行っていたものは自然と耳に入る。
歌詞やメロディーは好きになれなかったが頭の中にインプットされていた。
なんとも恐ろしいことで、歌えるのである。(いやだねー)

サテ、あんな陰気な歌が流行った昭和49年-1974年-はどんな時代だったのであろう。
気まぐれに検索してみるとびっくりした。TVドラマや映画などがあったとは。
様々な情報で読む気は失せてしまったが、昭和4-50年代は高度成長のまっただなかで、
なぜあのような暗い歌が流行ったのか、トテモ分析できません。

この年は父が3月に85歳で亡くなっていた年だった。
翌年から海外の仏教遺跡から辺境地への単独の旅がはじまり、それまでの価値観に大きな変化をもたらしていった。
その主なものに、画壇の執着であったがどうでもよくなっていった。
また、直接ゲバッたわけではないが、60年安保の挫折感は私の創作に影響をしていた。
ソレからの開放であった。
下駄の話が大きくそれてしまいましたが、なにぶんぶらぶら歩きの散歩でのことで・・・。

コメント (1)

下駄と天気予報

2016-12-19 11:09:05 | 山郷の暮し
今や天気予報は当たって当たり前。もし間違ってしまったら経済的にも大騒ぎになってしまう。
まるで予報の通りにお天道様があわせてくれているかのようにあたりますが、今なお天気予報イコール下駄のイメージがどこかに。

私が高校生のころまで下駄を履いていた。
さすがに其の年になってまで下駄を飛ばし「明日天気になーれ」とはしなかったが、子供たちはそのように遊んでいた。
下駄飛ばしで苦い経験を思い出した。
あまり張り切りすぎ、ガラス戸に命中、エラクおこられた。小5-6年だったかも。

当時も決して安くは無かったと思う。
下駄の歯がすっかりすりきれ、板にかろうじて鼻緒がついていたくらいまで大事に履いたもの。
そおいえば歯の入れ替えもあった気がするが・・。
その下駄も割れて足裏に挟まったときの痛かったこと・・。
家近くならいいのだが遠道をびっこを引きながら、割れた下駄を手に決まり悪く帰ったものだ。

鼻緒が切れることもよくあった。
このブログを読んでくれる方に、只今青春真っ只中の人はいないかもしれないが鼻緒が切れるとは、
親指に挟む部分でもっとも弱いところ。
古い小説では男女の出会うチャンスとして書かれていたりする。定かではないが漱石にもあったような。
想像すれば、鼻緒が切れうろうろしている書生に、見目うるわしい女性がハンカチなどを裂いて「鼻緒をたててくれる」
または、女性に書生が手垢まみれた手ぬぐいを裂いて、無骨に鼻緒を立てる。
まーーいろいろな絵になります・・。

そんな下駄が最後まで残っている、または残っていたのが旅館で、履き慣れない若い人が石畳にけつまずいたり。
鼻緒が緩んでいる(伸びてしまい足にフィットしていない)とそのようなことになる。
それで思い出したのが、母親の下駄は軽く履きよかったが、其のたびにお小言をくらった。
つまり鼻緒が伸びてしまうからだ。
父親のものは幅広で歩くときにあたってしまい、これまたよくなかった。
女の子用のポックリは兄弟に女の子がいなかったので知らないが、履いてみたかったなーーーー。

季節はずれの暖かな散歩に、トまーらちも無いことを思いながら。

写真は記事と無関係ですが、ゴーギャンの「マリヤを拝す」の作品をイメージして作ったもの
コメント

交通事故

2016-12-16 09:58:11 | 山郷の暮し
まだ薄明かりの6時半ごろ、けたたましいサイレンが暗い谷にこだます。
救急車・消防車・パトカーと次々とうっすらと雪化粧をした谷を走り抜ける。
家の中では犬のハナが負けじと呼応し、まことに賑やかな朝となった。

9時代は通勤や大型トラックが行きかう、ラッシュアワーの時間帯であるが、時おり小型車が通る程度。
眼下の国道254号は出発点は東大赤門前から、我が家から10分ほど下ったあたりまで。
交通情報によく報じられる三才山トンネルは、我が家から車で20分くらい上った地点で、
軽井沢で有名な東信地域と松本平らを結ぶ大動脈だ。
そればかりではない、大型トラックには九州や東北ナンバーも珍しくは無く、たの動脈に事故が起きるとこの道に流れると聞いたことがある。
遠くの車なのか、我が家から見える退避場には早くから数台の大型車が止まったままだ。

こおやって書いている最中でもサイレンが響き、レッカー車が上っていった。
かなりの事故なのかもしれない。
この谷に住み着いたころは事故が毎日のようにあり、目の前のカーブで大型車がスリップしたり、
下の家に飛び込んだりと事故多発道路だったが、数年前からだいぶ少なくはなった。

大事故だと予見するとビデオカメラをかかえて駆けつけたものだった。
其の多くが報道陣より早く、TV局に採用されたこともあった。
余談だが、あまり早いと救急車と事故車くらいであまり画にならない。
しばらくして、様々な車が集まりようやくソレラシイ画面になる。
なかには亡くなった方も映されていた。
スマホなどと簡単に投稿できる時代ではなかった。
今朝の事故はおそらく画になるものが撮れると、オートバイで駆けつけたであろうが、もうそんな元気は無い。

只今10時 うっすらとお日様が照らし出し、枝の雪が光る。
車はまったく行きかいしなくなってしまった。

アッ 空が賑やか・・・ヘリが谷の上空を
見に行ってくるかなーーーー

写真は今朝の宴会テーブル

昨日の東西を遮る東山 ここに国道254号 三才トンネルが抜けている


松本の象徴的 常念岳 みごとなぴらミットは氷塊のごとくだ
コメント (1)

迷いの挙句は

2016-12-13 12:05:24 | 山郷の暮し
昨日は真冬並みの冷え込みで夕刻の散歩道はガリガリと音を立て、水溜りの氷も溶けずにあった。
今朝は4度と平年の朝らしいが、予報の通り冷たい陰雨しとしと。

さて制作のことですが2000年の頭のころ描き始めたが完成できずに、お蔵入りした作品が出てきた。
「連続する生命体」をベースにしたものですが、あまりにも小難しい仏教哲学の「意識とか時限」をテーマにしている。
裏書には「倶舎論より」とあり確かにそれらの解説本を読みあさったことを思い出した。
では、この作品によってそれらのことが思い出されたかというと、影も形もありません。

今見ると、難解な論理を付け焼刃のまま画にしようとした無理があり、結局はおてあげになってしまったのだ。
制作時より10数年たち、倶舎論が多少なりとも解ったので制作が進む、などということではなく、
フットひらめいたのがこの意図ははじめから画にならない。
これは説明画またはイラストであるから、私の意図ははじめから不要である。
むしろ不理解な上での制作は邪魔であったと気がついた。
絵にならないものを、無理やり絵にしようと力んでいたのである。

さて、この画の意味は「異なる時限またわ意識」の多重性を表したものであるが、同一時限でこの多重性は認識できない。
たとえばある時限から別な時限は見ることはできない。
別々なものであるが、それがどこかに存在するということではなく意識のみである。
では意識とは・・・。もーーーわけが解らなくなり、ネットで検索してください。
と言わざるを得ませんが、唯識3年倶舎8年ととてつもない迷路に陥ってしまう。

その結果、結局はどうでもいいことなのである。
そうです、得た結論は「どうでもいいことを表していた」ということです。

ということはオレもどうでもいいのかな・・・。


修正前の画面 黄色の線はチョークにて動きを表してみたもの

追 これからまだまだ加筆することになるが完成には至らないかもしれない。
そんな画でゴンス。
コメント

野菜

2016-12-11 18:18:29 | 山郷の暮し
今日はお日様は出ていたのですが冷たい一日で、師走であると知らされた。
ただいま真っ暗になり13夜くらいでしょうか、月が寒々とカーテンの隙間から見えます。
明朝はかなり冷えそうです。

お昼に食事に行き、マーケットに寄りますと野菜が高いですねー。
前年度とどのくらい高騰しているのかは分かりませんが、以前だったら店頭に出ないちっちゃなキャベツが100円。
白菜の4分の1が90円。高いと思う。
そおいえば、近くの自然農法をしている農家が、今年は出来が悪くて・・とこぼしていた。

なんだか分からないものがありました。
なんとアロエの葉っぱ(?)で100円。
「どうやって食べるの」と聞きましたら「塩コショウで炒めてもいいし、オシタシ・サラダにもなるとか」
最前テスト的に調理。
分厚い皮をナイフでそぐとこんにゃくをもっと透明にしたようなものが。
ぬめりがあり、苦味があるがなんとなく体によさそう。
軽くゆでてみるとやはり透明で美しい。
味はないのだが、しゃきしやきした歯ごたえが悪くは無い。
これから本格的に調理をして、晩酌の一品にしよう。
品のいい薄味で調理すれば結構よさそうな気がします。

写真 下は私のアンヨです
コメント

吾が意を得た漢詩

2016-12-06 11:49:30 | 山郷の暮し
先に投稿した中国の名詩図鑑を相変わらず就寝時に読んでいます。というより眺めているのかな・・。
それでも探している詩があるのです。
暮れ行く晩秋の渓谷を描いた「色の終わり」の画は、水墨画のように詩を書き入れたい思いであることを投稿しました。
とわいってもまともな漢詩が書けるわけでなく、吾が意を表した詩を探していたのです。
ありました。ようやく出会いました。

宋時代のテイ コウ(1032-1085)・・漢字が無い

秋日偶成のなかより

万物 静観すれば 皆自得する 四季の佳境は人と同じ 道は天地有形のものにまで至る
吾が心は流れ行く雲の悠々たることと一体する

と言う訳が書かれています。
真意は大変深い心境でしょうが、結句には其の心境に達したものこそ豪傑である と。

私はとても豪傑だと言い切れませんが、「色の終わり」は万物と一体となった心境を描いたものです。
「色の終わり」と妙な題名ですが、終わりイコール終焉や滅する、と言うことではなく、
一切を凝縮した次元から再び生まれ出る、全てを含んでいると言うことです。

上記の漢詩をぜひ読むことをお勧めいたします。
コメント

敦煌夢譚

2016-12-01 19:02:10 | 山郷の暮し
歳月人を待たず と申しますが年を得れば得るほど10年20年がつい以前のことのように感じてしまいます。
30年前、中国が海外の人に対して地域限定ながらようやく開放しはじめ、当時のバックパッカーにとって当局の目をかすめて
未知のところを旅したかが自慢でした。
私もウイグルより西の地帯にヒッチなどをしながら入り込み、結局は公安に見つかってしまい追い出されました。
未開放地区だとは知らなかった、ということで幸い多少の賄賂で許してもらいました。
書き出したら限が無い、超しんどいシルクロードエリヤの旅でした。

海外観光客いらっしゃい。しかし、国民との接触はできるだけさせたくないのが当局の本音が丸見え。
気ままな一人旅で現地の方々に接し、時にはお世話になることは最大の楽しみでしたが中国では難しかった。

そんな厳しい監視の中での「敦煌」は気楽なほうであった。
それでも郊外の農家で楽しんでいたら、いつの間にか公安がやってきて、私ではなく農家の方になにやら激しい口調で怒鳴っていた。
どうやら国民のほうが罰せられることのようだった。

さて、肝心の仏教美術の宝庫 莫高窟のことですが、これこそ語りきれない。
びっしりと描かれた仏たちが舞い躍り出てくるようなゆらめきを感じたのは、昨日のように思い出す。
其の感激が後日「敦煌夢譚シリーズ」と開花し今も描いている。

窟内の見学は自由にはできず、団体が来ると戸をあけてくれる。
ワイワイがやがやとまことに賑やかで、心静かに仏様たちとお話をする などトテモいかない。
あるときなどは団体が去った後見ていたら追い出されたり、戸を閉めらせれたりと散々な目にもあった。
正直 直接鑑賞することは難しく、土産物屋でスライドを買い込んだ。

いま思い出すままに書いていますが、当時の中国は「公務員」だらけで実に横柄で腹立たしかった。
とくにオバちゃん連は無礼であった。
デパートらしきところでの買い物も、ねーちゃんは寝ているし、奥では男たちがマージャンをしている。
結局 仕事をきちんとする必要が無い社会だった。
ある日本の商社の方が、日本だったら一人でできることを6人いるが、互いにけん制しあい結局は何もできていない。


そんな中国が現在は・・・・。隔世の感あり。



コメント

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本