棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

大腸検査

2014-01-30 09:13:47 | 山郷の暮し
昨日は大学病院に丸一日いることになってしまった。
というのは、市の集団検診で「大腸がん」の再検査通知を受け、朝一からでかけたのです。
数年前にも検尿で再検査をしたのですが、小さなポリープで心配がないとのことでしたので、割合気楽にでかけたのですが・・・。

2Lの洗浄水をトイレと行き来しながら、2時間以上かけて腸をきれいにするのですが、今回はなかなか通弁がなく苦労をした。
Pm3過ぎにようやく内視鏡検査。少々痛かった!! 肩に麻酔をしました。

さて、アッタ!!  なんてものではない!!
{デカッ!!!!!!} なんと15mmもる。形状は風船玉のようにポコリと浮いているようにも見え、また、だらしなく横たわってしまったり。
ともかく、「やべー」と思った。
バチン・バチンと摘出する。実際 操作の音が聞こえます。
そのあと、傷口の治療なのか一センチほどのカプセルを三個ブチ込む。
「宇宙船のカプセルみたいですねー」のワタクシに「脱出カプセルですねーー」と医師が言う。
「へーーおもしれーなー」という気分でしたが・・・。

そのあとレントゲンを撮る。
医師の説明によると、顕微鏡検査をした結果今後のことを考えましょう、ということだった。
以前見つかったポリープは問題がなく、今回のものはそれ以後に出来たもので、検査をしてよかったとのこと。

病院を出たのは夕暮れになっていた。
何も食べていない一日だったが、お腹ははってしまいどうにもならない。
晩酌はイケナイ、と言われる前に食欲もなし。
芯から疲れてしまい熱い風呂がなんとも気持ちが良かった。

はーーーー、問題はこれからなのですが、今夜は旨い晩酌をしたいものです。


 

年取ったなー

2014-01-28 09:15:55 | 山郷の暮し
「ア-- 年をとったなー」としみじみ感じることがある。
私も当然ですが話は賢犬サクラのことです。
我が家に来てから今年で15年。人間で言ったら90歳近いのかもしれない。
足腰がすっかり弱ってしまい、腰が曲がってしまった。
「犬は最初から腰は曲がっているぜ」とおっしゃるかもしれないが、ピンッと跳ね上がった尻尾はたれ、
腰が落ちたスタイル。
明らかにへっぴり腰になってしまった。

孫のハナは三年目に入るが、まだまだバーちゃんにじゃれつく。
バリバリの女子高生と90最近いバーちゃんが運動ができるわけがない。
引き止めなければ、バーちゃんは・・・・。

それでも散歩は好きで、朝などは「はやく行こう」と甘えた声を出す。
「犬も歩けば棒にあたる」ではないが、本当にけつまずいたりする。
それは私と同じで、思わず「お前も年をとったなーー。おしめの心配をするときがくるのかなーー」
なんだか我が身に転じてくる心境です。

「バンコック 路地物語」Youtubeに投稿しました。
バンコックは今や日本にとって近い所。
南国の開放感の上に、多民族が醸し出す庶民のエネルギーは日本にはない。
ビルの谷間の、チョット薄汚れ雑然とした路地に入れば、庶民の裸の生活が見られる。
華僑の多い地域は一層パワーが強く、道教寺院の広場は市場でありイベント広場。
京劇の野外公演があり、劇場にはない庶民の熱気を見ました。
ぜひご覧下さい。なお映像は古い形式ですのでご容赦ください。

暖かい日だというけれど

2014-01-26 09:12:07 | 山郷の暮し
今朝は春のような感じでしたが、雨が降り出してきました。
かなり雨脚もはっきり見え、雪も混じってくるかもしれない。
ドヨーーンと濁った日は、冴えない頭も一層鈍くなり、何もする気が沸いてこない。
コタツに丸くなってチビリチビリ・・・という気すら起きない。
朝一から酒の話もナンですが、酒を飲む というのも馬力がいるもので、明るくご陽気に飲めるのが体にいい。
ただ、することもなくだらりと飲む酒はよくない。
私は酒好きだがダラリと飲むのは嫌いだ・・・・、そーでもねーーか。

昨日YOUTUBEに動画を投稿しました。

インドネシア・カリマンタン島  1994年の撮影
 熱帯雨林に暮らす ダヤック族の美術 にひかれフィールドワークをしているなかで、偶然に出会ったシャーマンの呪術儀式の撮影です。
 うすくらい中で行われたので、映像はいまひとつですが貴重なものです。
 同行のジャワ人の通訳も始めて見ると。また部族言葉がわからない上に、「野蛮な首狩族」という意識もあり嫌がっていたことを思い出します。
、儀式の内容は不明です。
 小生のブログに投稿しました。---海外紀行文----


写真整理

2014-01-24 09:52:45 | 山郷の暮し
連日マイナス8-9度が続いています。
予報では日中は3月並になるとかで、大いに期待をしています。
といっても、凍りついた頭では製作もするきにならず、窓越しの陽を浴びて恍惚状態ですが・・・。
まーーそれでもいけないと、気まぐれに1970年後半からの海外の旅の記録整理をしています。

70-90年にかけ、ヒマラヤ・トレッキングをよくしました。
それは、登山が目的ではなく、ヒマラヤの寒村に残るチベット仏教寺院(gonpha)を訪ねるためでした。
過疎化した村にたどり着けば、氷づけになった見事な壁画があったり。
僧侶が修行した洞窟など・・。今はそれらは崩壊し無くなってしまったことでしょう。

1994年撮影の エベレスト街道周辺の取材テープに、
山肌にへばりつくように作られたルクラ飛行場(2500m)の映像がありました。
ヒマヤラで数少ない緩い斜面の飛行場へは何度も搭乗しましたが、そのたびに「シマッタ!!」と思わされたものでした。

小石を吹き飛ばす様は今はなく、アスファルトになっています。
貴重な映像かと思います。YOUTUbeに投稿しました。
「岩淵 龍王丸」と検索していただければOKです。

写真は昨年 ミニ登山をしたものです。かっこいいーーー

コンドルと車輪の物語

2014-01-23 08:29:10 | 山郷の暮し
エッセイ集(ネクタイと江戸前)を読んで「アッそおだったのか」と初めて意味を知ったのが、
誰でもが心揺さぶられる名曲 コンドルは飛んでゆく の意味でした。

廣淵升彦さんの「コンドルと車輪の物語」 をかいつまんで紹介します。

インカ帝国は1532年にスペイン人・フランシスコ・ザビエルが率いる200名ほどの者たちにあっけなく降伏をしてしまった。
その一番の要因は、馬と大砲だったという。
しかし、インカには圧倒的に人員があり、大砲があったとしてもゲリラ戦術で負けないはずなのに、と私は不思議におもっていました。
ところが、太陽崇拝のインカの宗教は、太陽のように円形のものは恐れ多くて、生活用具や武器も無かった。つまり運搬具としての車輪しかり。円形になる弓すら武器としてなかったという。

そして、「白い男たちが船に乗ってやってきてインカを滅ぼす」という先帝の夢の言い伝えもあった。

それから400年以上、インディオと呼ばれる子孫は地を這うような苦難と惨めな生活がつづいている今日です。
今なお苦しいインディオの人たちが信じている予言がある。

神であるコンドルは死んだが、いつしか蘇る。そして自由に大空を飛ぶようになる。
その日インカは蘇る」
この悲しみと希望が入り混じった民謡が「コンドルは飛んでゆく」で、1960年ポール・サイモンが世界的なヒットになった。

この曲を知らない人はまずいないことでしょう。
しかし、特に意味まで心が及びませんでしたが、なにか悲しみをたたえたメロディーが焼きついている。

私は10年ほど前にホンジュラスにいったおり、公園で地元のグループが演奏をしていた。
レコードで聞いていたものとは違っていて、哀調ばかりではなく明るく、さすが本場は違う、と思った。
長くなりましたので、歌詞の訳

(惨めに這い回る)カタツムリよりは(自由に空を飛ぶ)スズメになりたい。
(いつも頭を叩かれる)釘よりは金づちになりたい

虐げられた苦しく悲壮な叫びの歌だったのです。


妙な所

2014-01-21 09:30:12 | 山郷の暮し
今朝は零度前後の暖かな始まりです。
いつもの山沿いの散歩コースで、以前から感じていた事なのですが、今朝ははっきりとわかりました。
とはいっても大したことではないのですが「陽だまり」と呼ばれるホットなポイントがありますね。
犬猫などはよく知っていて、平和な風景を創っています。
その陽だまりとは真逆の「冷たい所」があるのです。(なんという名称なのでしょう)

この地域は養蚕業が盛んで、山すそはほとんど桑畑だった。
今は放置され大木となって茂っているのですが、散歩コースの一部で夏でもなんとなくヒンヤリとする所があります。
特に風道でもなく緩やかな斜面です。

今朝、フードも冠らずにすむ散歩でしたが、その地点に行くととたんに白い息になってしまった。
足元の雪もここだけは表面が凍っていた。
今朝ほどはっきりと「冷たい所」だと感じたことはなかった。

そこで連想したのが、ただ今TV放映されています超自然現象や超能力に関する番組です。
オカルトなどを科学的に分析しようとする、科学者たちのドキュメントでもあります。
「お化け屋敷・お城」などで妙に寒気を感じるポイントがあるそうですね。
それらも科学的に測定。証明しようとしているようです。
と、我が家近くの「寒い所」とTV番組はまったく無関係ですが、いつものごとくラチモない連想ですが、
科学的に計測をしてやろう、と思っただけで家に着いたらその気は無くなってしまいました。

大寒

2014-01-20 09:54:40 | 山郷の暮し
昨日よりも少し緩んだ大寒。とは言ってもマイナス8度と相変わらずですが、日中は暖かくなるのを
期待しましょう。
ワンちゃんに引っ張られるまま、薄日の中いつものよりも長い散歩でした。
カサカサ鳴る雪道をただなんとなく歩く。
フット せっかくだから何か考えなくては と思いつつも 何お・・・。
昨日見たTVのことか? はたまたネットでの情報か? ブログの記事か?
いやいや夢の続きか・・。
しかし、全てが断片的で、とても思考するなどというものではない。
どうせボケ頭。何か考えているのだと想うふりをしよう。
「誰に?」 当然 自分自身へだ。

三本の朝ドラ

2014-01-18 09:36:37 | 山郷の暮し
連日寒い日が続いています。
今日からセンター試験の始まりますね。
この制度はいつ頃から始まったのか忘れましたが、当初は賛成反対で大変でした。
いつのまにかそんなことがあったことすら、忘れられてしまいました。
過激な試験戦争の良否が問われて久しいのですが、一人ひとりが楽しく暮らせる社会になることがすべての目的なんです。
そんな理想的な社会を示してゆくのも 物語のひとつのあり方 かと思いますが、そんな小説は世に出なくなってきた気がします。

阿部野ミクスの三本の矢ではなくて、ただ今 BSでは新旧の三本の朝ドラを放映していますね。
朝 7-15 ちりとてちん (2007年) 7-30 ごちそうさん:(現在) そして私の大好きな 19-00 ちゅらさん( 2001年)
視聴していてフットおもったことは、時代・背景・設定 は当然違うのですが、
筋立ては少しも変わらないのだと改めて思う。
「いまさら何お・・あたりまえじゃん」といわれそうですが、先週から今週の筋立てがあまりにも同じなのです。
恋人または夫婦間の行き違いから起きるドラマ。
それも大したことではなく、こおすれば解決するじゃん。
と答えが見いだせる範囲でドラマは進む。
事実は小説よりも機なり と申しますが、本当にそのとおりで、恋人またわ夫婦の関係が壊れてからの方が、はるかに複雑なことになってゆくのですが・・・。
まーー、朝一から夫婦別れの末に、刑事事件や民法問題になる話など視聴率はとれないでしょうが・・。
ホームドラマはそこそこにまとめることが、大衆受けする要因なのでしょうねー。
(ココが肝要であるのでしょう)

一人ひとりが人生の主人公である と改めて考えながらの散歩でした。



哲学者

2014-01-17 09:45:14 | 山郷の暮し

TV・ラジオの番組がカワッタナーーと感じていることの一つに、哲学者と称する学者がバライティー番組に出演していることです。
タレントのバカ話の中に、チョイと小理屈を並べ立てる。
歴史的ヨーロッパ哲学の諸説を貼り付ける青臭さばかりが残るのだが、
しかし、辛口番組にならないように進行し、哲学者は結局タレント化されてしまう。
ディレクターの「チョット小難しいことを言わせて味付けをする」演出のうまさなのか、
タレント化した学者の慣れなのか・・・、ともかく、私は哲学者の****です。 
と言うのがなんとなく可笑しいというか、変だなーーと感じてしまう

 どだい哲学などは、一般人の実生活に直接は関わりがないことだ。
古来の西洋哲学のウンチクをこじつけられても、「へーーそうなんだ」とキョトンと演じるタレントさんたち。
いやいや、彼らばかりでなく私も実はちんぷんかんぷん。

とわ言いながら私は絵画表現は 哲学する という事を時々書いていますが、それは西洋哲学または学説上のことではありません。
芸術行為は瞬時の発想や感覚だけではいけない。数学的な順序建て、論理が必要である。
ということです。

哲学するって、だれでもができることです。
お風呂に入っているとき、またはナニカをしているとき、ポット何か真理めいた言葉が生まれたら書きとっておきましょう。
あとから、哲学的な屁理屈で飾り立てるのも面白いです。


ある番組で哲学者がクラシック音学家の話に対し、バロック音楽のウンチクを述べ始めた。
哲学者は聞いているだけではじっとしていられない人種と見へ、話をややっこしくする。

屁理屈をたっぷり塗りつけることができたら、これはもー哲学者です。
ただただ哲学は言葉の(文字の)世界であると感じますが、実生活の中からハッとさせられる言葉に気づくことが肝要です。



「三つ子の魂て 百までも」

2014-01-15 09:22:55 | 山郷の暮し
安倍晋三首相の靖国参拝で浮かんだのが「三子の魂百までも」という諺でした。
問題は簡単に決着するどころか、ますますねじれていくきがします。
靖国神社は日本人の心の問題だ とされると、私は素直に受け入れることができない。
これは近隣諸国との問題以前に、私たちの問題なのです。断じて日本人の精神ではないのです。

安倍総理の突然の参拝は理解できないし、中・韓の反発は予想できたはずだ。
「それほどでもあるまい」と読んでいたとすれば、これは話し以下だが、なにか意地のような気さえする。
58歳という年齢からしても、その固執ぶりは異常とも感じてしまい、
代々の血がなせるもので、若い政治家が勉学や知識・教養などからの保守的思考に傾いた、
などと甘いものではないと感じている。
自民党の支持者全てが「右翼」であるわけでないのに、阿部さんの超右翼的な行動は血であるとしかいえないし、
そお感じる怖さがあるのです。
その血をたぎらせる元はどこからであろうかと疑問をもっていた。

ネットを見ていましたら、なるほどと思った記事がライブドアにありましたので紹介します。
長州の神社?靖国--軍の形を考える - 石井 孝明
ぜこの神社にてこ入れするのか、私は不思議に思った。
安倍首相は旧長州の山口県選出の議員で4代の政治家を出した士族の家の人、
母方の祖父は岸信介元首相だ。

山口県は戦前、常に軍に協力的だった。小学校、中学校の優等生には在郷軍人会の幹部が訪問して、
陸軍幼年学校や士官学校の受験を勧め、受験指導をしたという。
今は消えたが、昭和の中頃までその雰囲気は残っていたと、何人かの山口県民から聞いたことがある。
自分たちの陸軍という考えがあったのだろう


記事からは靖国神社の事のおこりがわかり、選挙地の戦略以前の「三つ子の魂て 百まで」の血統の流れ的感覚だった。
最近では、当初の 不戦の決意 もいつしか消えている。
誇大妄想だと早く気づいて欲しいが無理 か・・。



ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本