棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

生体変化?

2015-08-29 10:08:17 | 山郷の暮し
昨日の夕刻の散歩は雨がふる前に済ませようと、薄手のブレーカーを着て5時ころ家を出た。
いつもの川べりを10分ほど行くと、鉛色の重い空気がボーーと赤みをおび心地よくなった時だった、
唐突にものすごい雨が降る。
まさにバケツをひっくり返したような激しい雨に、何処にも逃げようがない。
犬のハナもコレにはびっくりしたようで、帰りたい一心の様子。
綱をとけば一目散に家に帰るのだが、私が着く頃には我がベットはびしょ濡れだろう・・。
とわかっていたので「あきらめて濡れて帰ろう」と。
5分ほどでピタリと止んだが、ずぶ濡れだった。
こんなことは、此の地で初めての事だった。

猛暑が続いた夏だが、一瞬にしてどこかに行ってしまったような昨今だ。
農家では秋口の大事な時期に「日照不足」が心配だといっていた。
飛び交っていたつばめも、3日前にピタリといなくなってしまった。

激変の天候に関係有るのかワカラナイが、例年だと「女郎蜘蛛」を筆頭に蜘蛛の巣がいたるところに張られていた。
特に国道の歩道フェンスゃ電線は汚らしかったが、今期は掃き取ったように少ない。
この女郎蜘蛛は、私が此の地に住み着いた30年ほど前には見られず、冬が幾分暖かく感じだした20年ほど前から徐々に増えていった。

植物などは外来種がはびこり、ただいま河原を覆っているのが「アレチウリ」で、歩道にのびたツルが脚に絡む。
まだまだ沢山あるが、自然は変化をしているものだ。

安保法案の危険性

2015-08-27 16:35:04 | 山郷の暮し
雨模様の昨日は涼しさをこえて寒くさえあった。
窓辺の温度計は20ド前後で、9月下旬から10月の温度らしい。
気がつけば草薮はすすきの穂が雨に濡れて、薄ら寂しく見える。

夕方より、以前から誘われていた「護憲平和集会」に行く。
説明するまでもなく安部首相が打ち立てた「戦争法制化」の反対である。
地域集会といっても数十人の集まりで、第一回めとしては大した努力だと思う。

信州大学教授による「安保法案の違法性と危険」についてクールな分析公演があった。
中でも「集団的自衛権」という ことば にだまされてはいけない。
自衛となると、安部首相が唱えている「家族を守るのだ・我が家を守るのだ・国を他国から守るのだ」
という自衛というと 「そうだ ゴモットモた゛」 となる。
しかし本音は 「他衛」 で、日本が攻撃を受けていなくとも親密なアメリカを衛(守るため)。
つまり 他衛 ということで我が国が直接攻撃を受けなくても、武力攻撃が可能にする。
その他 憲法学からいくと明らかに違憲・違法なことが秘められているという。

学者の緻密な解析にはさすがだと思ったが、我々は「何となく肌で感じる危険性」で、
晩酌も後回しにして集まっているのである。

集まった多くの方々は私と同じ、60年代の安保闘争から70年代のベトナム戦争反対を知り、
中には運動に参加をしていた人たちもいることだろう。
結成集会に初参加して当時のような血のたぎりこそなかったが、背筋がグッと伸びる気がした。 
 

コオロギの声

2015-08-20 16:40:38 | 山郷の暮し
月並みですが「暑さ寒さも彼岸まで」の例えにぴったりな今年の夏でした。
信州でも猛暑日が続いただけに、盆明けには涼しさを感じる空気が流れ出しました。
草薮からはコオロギの声も聞こえ、どことなく秋の気配がしてきました。

スイッチを入れっぱなしのラジオからは、天地がひっくり返った如く響いた高校野球の中継も、今日で終わりました。
雨空の重い空気が沈んだ散歩道は青草の匂いが淀み、快適な気分とはいかない。
手前勝手なもので、直射日光の強さに「ひえ~~」と、木陰を求めていたのも2-3日前だ。
とはいってもこのまま涼しくなるわけではあるまいが、残暑厳しいということになる。

夕刻はすっかり早くなってしまった。
外の宴会テーブルは7時にもなると裸電球の明かりが趣向をそえる。
条件反射のごとく「いっぱいやるか」となってしまう。

今夕はお湯割りでいこう

終戦70年

2015-08-16 09:27:48 | 山郷の暮し
昨日は終戦70年でした。
ラジオで式典の中継を聞いていましたが、安部首相の言葉は先の終戦70コメントと同じく、
なんとなく空々しく、真意が伝わってきませんでした。
この人の本音は別なところにあるな--と思わせるものです。

天皇陛下のお言葉は決して難しい言葉遣いでなく、心のこもったもので、納得できるものでした。
その心のありようは大変な違いかと思います。

私は昭和19年生まれと、翌年に東京大空襲がありました。
幸いに親兄弟に不幸はなかったのですが、明治神宮近くの屋敷は丸焼けで、書生二人が我が家の防空壕でなくなってしまったと母から聞いたことがあります。
焼け出された一家は、父の故郷である信州に疎開したわけです。
当然ですが、ワタシはまったく記憶がありません。

戦後の光景でまず目に浮かぶのが、上野駅の通路にたむろする「戦災孤児」または「浮浪者」です。
ワタシと同じような年の子どもたちが、全身灰色になり固まり、力なく見つめる目です。
怖さで母の手をグッと握った記憶がありますので、3-4歳になっていたでしょう。

蛇足になってしまいますが、そのような視線はインドの旅で何度も観ることになったのです。

そして、昭和30年代までお祭や町中で見かけたのが、白い服を着た「傷痍軍人」です。
戦争で手足を失った身体のまま、アコーデオンを奏でながら軍歌を歌い、物乞いをしていたのです。
此の姿はなんとも哀れで、不気味でした。
この傷痍軍人のことを調べたことが有りましたが、新聞等には記載されていません。
障害手当が支給されていたので、本来は禁止されていた事らしい。

戦争・・・その真っ最中より、終戦の後のほうが苦しかったと、母から聞きました。

イラストは拙著「松本歴史絵巻」より ブックマークにあります、検索ください

雨降りだー

2015-08-13 08:10:04 | 山郷の暮し
お盆休みに入ってから猛暑が一休みで、少し楽になりました。
今朝は雨空で少し肌寒いくらで散歩に出ようとすればパラパラと来た。
「少しくらい濡れてもいくかーー」とハナに声をかければ、「お父さん、ワタシぬれるの嫌い」とあまり気が乗らない様子。
まもなくパラパラがザーザーになり、私も行く気がなくなる。
久しぶりの雨降りだ。
日記を見れば、先月17日の台風11号以来の雨降りである。
只今8時。雨脚はかなり強くなり、流れる空気も涼しい。
ハナはまったく行く気がなく、ソファーで丸くなってしまった。

一雨欲しい

2015-08-11 13:27:29 | 山郷の暮し
先日の熱気を残したまま夜が明け、ふたたび煎るような朝日が続いていたが、今日はどよ~~~んした空。
風もあり、ひと息入れることができる。
しかし、雨は振りそうもない。

眼下の女鳥羽川の水量もすっかり減ってしまったが、田んぼを潤す水は足りているようだ。
此の川は、松本市内を流れるのだが、もう一本 田川というのがあります。
昨日、その川沿いを運行したがまったく水が無い。
河原に生えている雑草すら枯れそうであった。

散歩道の畑の野菜はほとんどがクタ--としている。
水を沢山必要とする、トウモロコシやナスは危機的状態だという。
今日あたり一雨欲しいが、降りそうもないな--。

写真は12-8-6のもので、水量も結構あります。
此の子どもたちも、もう河原で遊ぶことは無いでしょう。

魔女の飛来

2015-08-09 10:34:59 | 山郷の暮し
蒸し暑さでやる気が起きずグダー-と寝転んでいる。
なにか塊のような熱さを感じれば、犬のハナがいつの間にか横にいる。
「ただでさえ暑いのに、アッチにいけ」とジャ犬にする。

熱気が淀む中、蝉の声がこだまし、ラジオからは高校野球中継がぼやーー と聞こえてくる。

寝返り・・・作品を押しこんである部屋の隅を見れば、ナニカ変なものがいる。
「?????」しばらくわからなかったが、立体作品を覆ったものだった。

魔女みたいだなーーとぼやーとした思考の中で、身の毛もよだつようなシーンを連想したが、
浮かび上がる前にZZZZZZZZZ。

起きてから写真を取り見なおせば、実物よりもソレらしく見えます。
{そんな風に見えねーー}
なんて言わないで、我が家の隅っこに「鬼ばばあ・魔女」がいるのです。サブーーー-。

広島平和祈念

2015-08-06 08:58:05 | 山郷の暮し
今日は米国が原爆を投下した日。そして、明日は長崎に同じ大罪を犯した日でもあります。
今日そのことすら知らない子どもたちが増えているといいます。
許すことは大切なことですが、事実をきちんと教え伝えることとは異なります。

終戦70年で私の人生と重なっています。

10月に開催する「聖なる世界を描いて50年展」に展示する、20年ほど以前に制作した本堂天井画
「阿弥陀如来来迎図」に祈りました。
此の絵のような世界がいつになったら達成できるのであろうか。
まるで庶民の願いと逆行するような昨今の情勢で、御佛の教えが虚しく聞こえてしまいます。
言えることは祈っていても、極楽から来てくれるものではない。
来迎とは、此のような世界があるということに気付いてくれることで、行動することです。

合掌

民族衣装

2015-08-05 08:38:38 | 山郷の暮し
さわやか信州 が売りの観光地で、「暑い アツイ」と書いていてはいけませんね。
しかも、朝夕は精霊な空気が流れる我がハナの谷ではなおさらです。
都会ではもっともっと酷暑のことでしょう。
それこそ さわやか信州 にお越しヤス。
と今朝は少し余裕が言えるほどの気分の良い夏の朝です。

パキスタンでの猛暑を体験したことを書いてきましたが、そこで思い出したのが現地で買った民族衣装です。
現在 紛争の真っ只中の中近東ですが、TVなどの映像で見られるのが、ネグリジェみたいなぶかぶかなカッコをした
ひげもじゃのお兄さんが最新式の兵器を構えている。
日本ですと若者に人気がある「とび職の作業ズボン」に少し似ている。
しかしもっと、ぶかぶかな衣類です。

今回初めて測ってみました。私サイズのMサイズですかず、なんと幅は90センチ。長さは110センチと私にぴったり・・・です。相撲取りでも大丈夫なサイズで、どんなに長くても胴元で巻き込めばOK。
上着は即出てこなかったが、ワイシャッツの裾をひざまで長くしたものだ。
綿布も柔らかく着心地がいい。


最新兵器となんとなくちぐはぐな感じですが、この衣類は暑い夏には最高だ。
現地で買ったものが今なお健在なのを思い出し、「夏物衣類・民族モノあり」と書かれた箱を引っ張り出す。
 ナニカものすごく整理整頓がついた几帳面な感じですが、さにあらず。10年・20年前がそのままでごんす。

背が高かったらけっこうカッコイイのではないかと思うのですが、私はいっそうずんぐりむっくりな姿になってしまいます。
この衣装で買出しせずさしもの私もできず、家だけにしていますが、あらためてこれはいい。
ぶかぶかしているので、内に風が起こり合理的な衣類だ。
民族衣装は其の地その地に適したものであると知らされる。




砂嵐

2015-08-03 09:01:46 | 山郷の暮し
真正面から強い日差しを受けながらの、今朝の散歩はなぜか足が重くもつれてしまった。
気力も今ひとつで中途から帰ってきたが、寝冷えをしてしまったかも知れぬ。

前回は猛暑で思い出したパキスタンの砂漠での経験だったが、続いて体験がクッキリと思い浮かんだことが在る。
舞台は同じくパキスタンで、首都カラチより砂漠の都市ラホールに向かう汽車旅のことだった。
乗る車両は当然一般者向けで空調などありはしない。(AC付車両があるのかなー-)
蒸し風呂列車は熱風を吹こみ、むくつけき男どもの好奇の目とひと息のなか、ゴーゴーと進む。

突然汽車はストップ。駅も何もなく、砂地の広がりにポツンポツンと貧弱な木がみえるだけ。
外では大声で走り回っているオトコがいる。
車内はただでさえ暑いのに窓を慌てて閉めだした。
ギラギラ輝いていた大地は、にわかに薄くらくなり、すざましい砂が叩きつける。
あらゆる隙間から砂が入り込み、熱さと砂で声も出なくなってしまった。
飲水がなくなった私に、水を分けてくれる優しきおっちゃん連だった。

列車の停止時間は1時間ほどだったと思ったが、幸いに線路は埋まらなかったようだ。
何となくわかったことは、10数年来の大砂嵐で同乗者のおっちゃん連もかなり興奮をしていた。

終点のラホールにはかなり遅くに着き、その夜はクラー付きの2級ホテルに泊まったと思う。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本