棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

Mayday !! Mayday!!

2014-10-30 11:54:48 | 山郷の暮し

「メイデイー・メイデイー」映画などでお馴染みの、遭難信号である。
通常の私達の生活ではまったく無縁なことばですが、私の友で必死な思いで叫んだものがいます。
その地はアメリカの砂漠地帯で、軽飛行機にて訓練中のこと。

満タンで飛び立ったはずだが、燃料計器が左右(左右の翼に燃料を入れる)ともにどんどん減ってゆく。
燃料がタンクから漏れている!!!
頭のなかは真っ白。
それでも飛び立った飛行場に引き返す。
燃料計器がゼロなった時、滑走路が見えたと同時に「メイデイ・メイデイ」を絶叫。
無事着陸できたのだが、計器の故障だった。

このメイデイなる緊急遭難信号を発信するということは大変なことで、飛行機の発着は停止のみならず
他の機能も停止してしまう。
それ故に多少の故障くらいでは、めったに発信するものでなく、珍しいことラシイ。
そおいうことで、その後はかなり面倒なことになったようだ。

この彼はその後も墜落事故に遭遇している。
さすがに軽飛行機は見るのも嫌になったという。
全てがアメリカでの話だが、話の背景の大きさに「まゆつば」とおもってしまうほどだ。
 
この大将のことはまたまたお話をしましょう。

老犬

2014-10-29 13:44:51 | 山郷の暮し
犬も歩けば棒にあたる ではありませんが、犬も老いればボケてくる。
今年で15年になるサクラは、人間に換算すると76--80歳にあたるそうです。
(大型犬110歳と犬によって異なるラシイ)
白内障は5年ほど前から気がついていましたが、目が利かなくなったとは感じなかった。
それよりも後ろ足・・人間でしたら足腰が年年弱くなってしまった。
三年前に猪を仕留めたが最後だ。
その頃はハナはまだまだ子供で、ただ吠えるだけで、要領を得ない。
狩りを教えるような仕草であった。

最近はどことなくボケの症状を感じます。

以下はネットからのコピーです。
痴呆になると習得してきた様々なしつけを忘れてしまい、
重度になっていくと自分の名前さえわからなくなっていきます。
そのためトイレのしつけも忘れてしまい、ところ構わず排泄してしまうようになる事もありますが、
その一方で全く我慢のきかない垂れ流しの状態にはなり難いといわれています。
おそらく鼻が良く縄張り意識の強い犬社会にとって、外敵から身を守るために匂いを残してはいけないという
本能が残るためと考えられます。
身体に匂いがつくことを嫌がるので自分の寝床でそのまま排泄してしまうということも少ないです。

二足歩行の人間だけが腰痛を病むようになってしまった、というようなことを聞いたことがありますが
犬でも腰痛になってしまいます。
モツレルさまなど、私とよく似ています。
特に右脚がいけなくなり、医学的に共通するところがあるのでしょうか。


勇猛果敢な時代のサクラ

夜尿

2014-10-28 09:36:56 | 山郷の暮し
雨脚がはっきりと見える夜中、花火がポ~ン‥ポーンとあがる。
その花火もあまり派手なものではなく、雨脚が赤くきらめく程度だが美しい。

おっといけねー、小便タイムだと気づく。
それにしても浮世絵を見ているような美しい夢だった。

天気予報で今朝は冷えると報じていたので、厚手の毛布に変えたためか、暑かったのかもしれぬ。
水に関する映像はたいていオシッコだ。

夜尿は私ばかりでなく、犬のサクラばーちゃんは昨年ころから2-3度になってしまった。
クーンクーン泣いて知らせてくれる時はいいのだが、我慢をしきれずにローカなどに漏らしてしまう。
まだオシメはつけていないが、夜中の一仕事でオシッコ散歩は結構大変である。
散歩とはいっても庭先だけだが、腰がいたい現在、コレはこたえる。

サクラばーちゃんは腰が定まらずヨタヨタする姿は、私と同じ。
滑稽というより悲しくなってしまうのは、自分の紐を踏んで前に進めないことである。
そして、何をしても反応が遅くなり、全て孫のハナに負けてしまう。

「お前も年をとったなー-」
夜中とて邪険にできない。

写真はひたすら眠り、鹿や猪を仕留めた面影は無い只今のサクラです。


3年前のサクラと孫のハナ


ハナ 3歳の暴れん坊です

一年前の日記

2014-10-24 12:00:08 | 山郷の暮し
今書いている日記帳が終わったので、最初を開いてみたらちょうど一年前から始まっていた。
私の日記帳は、オモシロイと思ったものの小片を挟み込んだり、新聞記事を折りたたんだりと
かなり分厚くなっている。
基本的には製作日記で、生活のこもごもはあまり書かれていないが、天気のことは欠かせない。
これは只今のブログも同じ書出だしで、まずはお日様の様子からだ。

さて、昨年の同日の日記には、台風27-28号が接近しつつありとかで、昨日から雨降りである。
と書かれ、大島に大災害をもたらした台風だ。
今年は18-19号と大荒れになったが、今のところこれからは台風が発生しないそうだ。
台風さんはもー結構ですね。

制作はかなり気合が入っていた月で、100号「160-130センチ」と対峙していた。
「私が如何にして存在しているか」を自らに問ているものだ。
「性の営み」があってこそ「私は存在する」
ということを、宗教観抜きで表すことであった。

面白いことに、この時点では題名が定まっていなかった。

写真は完成画 制作時の写真がわからない

一年前の日記

2014-10-24 11:57:17 | 山郷の暮し
今書いている日記帳が終わったので、最初を開いてみたらちょうど一年前から始まっていた。
私の日記帳は、オモシロイと思ったものの小片を挟み込んだり、新聞記事を折りたたんだりと
かなり分厚くなっている。
基本的には製作日記で、生活のこもごもはあまり書かれていないが、天気のことは欠かせない。
これは只今のブログも同じ書出だしで、まずはお日様の様子からだ。

さて、昨年の同日の日記には、台風27-28号が接近しつつありとかで、昨日から雨降りである。
と書かれ、大島に大災害をもたらした台風だ。
今年は18-19号と大荒れになったが、今のところこれからは台風が発生しないそうだ。
台風さんはもー結構ですね。

制作はかなり気合が入っていた月で、100号「160-130センチ」と対峙していた。
「私が如何にして存在しているか」を自らに問ているものだ。
「性の営み」があってこそ「私は存在する」
ということを、宗教観抜きで表すことであった。

面白いことに、この時点では題名が定まっていなかった。

秋雨

2014-10-22 11:56:39 | 山郷の暮し
ワンちゃんたちは丸くなって静かにしています。
夜明けから雨が降り続いています。
静かな、実に静かな花の谷です。
色づきが刻々と進み、その色が溶け込んだ雨が煙っています。
いまや見向きもされない柿が、一層鮮やかに見えます。
小鳥たちがついばむにはまだ早いのか、なにか寂しくそぼ濡れています。


秋雨

2014-10-22 11:51:38 | 山郷の暮し
ワンちゃんたちは丸くなって静かにしています。
夜明けから雨が降り続いています。
静かな、実に静かな花の谷です。
色づきが刻々と進み、その色が溶け込んだ雨が降っています。
いまや見向きもされない柿が、一層鮮やかに見えます。
小鳥たちがついばむにはまだ早いのか、なにか寂しくそぼ濡れています。


ヒマラヤの大雪

2014-10-19 09:59:57 | 山郷の暮し
17日のCNNニュースです。

ネパール・カトマンズ(CNN) ネパールのヒマラヤ山脈を襲った季節外れの大雪や雪崩で、16日までに27人の死亡が確認された。日本人を含め、行方不明者も多数いるとみられ、
軍がヘリコプターを出して捜索を続けている。これまでに救助された人は226人に上った。
最高地点のトロンパス(5416メートル)を目指すトレッキングで人気のアンナプルナ地区とマナン地区は、
14日に大雪や雪崩に見舞われ、外国人など多数が遭難した。
軍の捜索隊は16日、高さ4900メートルの地点まで到達し、14人の遺体を発見した。
頂上までの550メートルの区間にまだ犠牲者がいる可能性もある。


ヒマラヤの只今の季節は乾季にあたり、濃い紺色の空に突き刺さすようなヒマラヤの高峰が迫る。
ネパールで最も安定をした季節で、それだけにトレッキング・シーズンです。

3000メートルを超える登山道も強い日差しで暑い。
4000メートルくらいまで人々の暮らしに触れることができ、村歩きのトレッキングを楽しめる。
それ以上は生活圏を超えて、山岳トレッキングであるが、割合軽装備で5000メートル付近まで行かれる。

私もニースにあるコースを歩いているが、特に難しいコースではなかった。(高所順応はできていた)
それだけに、無防備なトレッカーも少なくなく、トロンパスの峠では高山病で死亡しているインド人などを見たことがある。
地元の農民やガイドマンは特に何もせず、むしろ関わりあうことを避けていた。
それほど珍しいことでもなく、無防備と無知さにへきへきしている様子だった。

この度の遭難騒ぎは、思いもしなかった大雪ではあったが、トレッキングをしている者達もどこか観光気分でいる連中も
少なくないことを言いたかったのです。

蛇足ですが、ヒマラヤを歩いているのですが山の写真が即出てきませんでした。

読書

2014-10-15 10:22:33 | 山郷の暮し
読書の秋 という訳ではありませんが、昨夜は珍しく酒がなく、自然に休肝日となりました。
TVのアホ番組を見るのはもっとアホなことで、腰をやんでから久しぶりに本を手にした。

枕元にある本を適当に引っ張り出せば、エンディの「はてしない物語」で何度目かの読書になる。
適当に開いて読みだしてもおおよその筋は見えてくる。
特に新たな発見はなかったが、どことなくワクワクしてくるのは不思議だ。

枕元にある本の中で「宮沢賢治」ほど読み返しているものはないが、読むたびに何かしら発見を感じられる。
正直そのたびに発見があるのか判らないが、そのように感じさせてくれるのが賢治の作品だ。

エンディと賢治の作品を比べることは陳腐なことだが、スピート゛感というか展開がことなる。
賢治作品には大人になった私でもじっくりと読めるが、エンディ作品はやはり少年少女向きといえるか。

いま少年少女と書いたが、この言葉近頃聞かなくなったと思いませんか。
またまた蛇足になりそうなのでこれまで・・。

写真は30歳代後半に農協関係で描いたもの

高齢者ステッカー

2014-10-12 11:03:05 | 山郷の暮し
マーケットなどで腰をの字に曲げた高齢者が、ヨッコラショと車に乗り込み、運転をして帰る様を見ると
「おいおい大丈夫かよ」と思ってしまう。
それが他人ごとではなくなり、私自身がそのような身になっています。
徐々に回復はし、運転をして自力で買い出しをしていますが、上記のごとき様子です。

一番の問題だった全身のシビレはいつの間にか和らぎ、忘れる時があったりしていますが、
腰痛からくる本来の痛みが「芽生えだし」これからが時間がかかりそう。

当初ためらっていたをついて歩くのも他人の目にも慣れ、むしろ気分的に楽になった。
年に関係なく杖をつかなくてはならない方はどこにでもいるし、お互いに注意をするものです。

そこで、高齢者と障害者のステッカーを貼ることにした。
すくなくとも周りの車が注意をしてくれるだろうという「アマエ」も期待しているのです。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本