棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

風薫る朝

2017-06-27 17:01:29 | 山郷の暮し
もーー2017年も半分になってしまった。
いまさら歳月人を待たずといっても詮無いが、制作をしていない日々は
「俺は何をしているのだろう」と、どことなく不安になる。
若いときよりも「これから何が出来るのだろうか」と、残された時 を思うことがある。
そんな思いもあり次の制作は、と蛇足的に制作に入ったのが
前回の投稿 「花いかだ・朝・夕・夜」の三部作に続き、実験を兼ねて習作をしてものを仕上げていた。
和紙をくちゃくちゃにして、一種の絞り染めのような模様を創り、それを生かしつつ制作を進めていく独自の技法だ。

完成をし生渇きの油彩の状態で写真を撮る。写真-1



ピカッ!!と、フラシッシュをオフにしておかなかった。
ところがモニターでのチェックで「こりゃなんと名画ではないか」と。
水面の輝きがすばらしくいい。写真-2



この輝きを参考にふたたび筆をとり、完成とした。
見出しの作品 風薫る朝 F50 91x127cm

油彩は反射をしてしまうので、ピカッは厳禁でものにならないがこのようなこともあるのだ。
多分生渇きだったので、その部分が特に光ってしまったのだろう。
写真のようには描き出せなかったが、面白い体験だったので記しました。

注・撮影状態は同じではありませんから色は異なる。



花いかだ-3 夜の部

2017-06-18 16:46:13 | 山郷の暮し
満月が湖面に映る様を描いたのであるが、これは実写ではなく創作の空間だ。
以前に試みたことがある和紙の 絞り の方法で、どのような染まり方をするのかわからない所がある。
ソレが面白いので、予想を超えることを期待をするが、さほどのものでは無かったのだが。

キャンバスは布ではなく障子紙なのです。
化学繊維の入った紙は非常に強く、かなり無茶なこともしてきた。
くちゃくちゃな状態を幾分伸ばし、これに描き入れるのであるが、これから先が私のあみ出した方法である。

裏打ち(表具のひとつで、裏にもう一枚糊付けをすること)をするのだが、絞った部分が延びてななか均一な面にならない。
これにはまいった。
プロの表具師では絶対にやってくれないだろうなー、と思いつつ苦戦をしているうちに、しわも絵の要素にしよう。
そして、ちぎりえ の技法をとりいれれば、まったく問題はない、と気がつく。

制作結果は、ちぎりえの技法は使わなかったが、細かいしわの動きが面白く、彩色により強調する。
これは予想よりも上出来で、まるでニンフが漂っているように見えてきた。

さて、問題は上部であるが、花吹雪が頭に降りかかるま近な空間を設定。
難しい。
足元の水面は当然平面の広がり。
それに、頭上の空間を表すのだ。

失敗をもかまわぬと、意を決して黒系と白色のペンキを撒き散らす。
花吹雪の様子になったが、頭上の位置になっていない。

試しに花びらを実物大くらいに切り抜いて散らしてみる。
正直びっくりするほど空間が生まれた。
絵画制作の面白さを改めて知る思いであった。

それより、金銀の箔にて最適な位置に画着込む。

緊張感というかぎりぎりでの均衡を保っている画面は、ほんの一点で変わってしまう。
例えれば天秤秤のようなもので、均衡を保ちながら錘が増してゆくのである。

この夜の部が最も楽しく、予測を超えた作品になった。

2-花いかだ・夕刻

2017-06-16 16:27:45 | 山郷の暮し
前回書きましたが「花いかだ」を描くことが目的ではなく 薫風 を表したかった。
その手段として小波を描き、アクセントとして「花いかだ」に至ったのですが、描きこむことによって物語が生まれてきた。
朝の部では桜の花はまださほど散っていないので、数枚の小さないかだがが流れてくる光景だ。
出来るだけ静かな透明感を表す。

色彩が極めて少なく、もっと強い色を使いたくなってきた。
一種の色彩に対しての欲求不満であったかもしれない。

夕刻の散歩で水田に写る日没の輝きに「これだ!!」と。
まぶしいくらいなの光の散乱だが、刻々と写る山並みは深く沈んでゆく。
当初は上部だけに山陰を描いたのみであるが、面白くない。
田んぼに写る光景の中に手前まで伸びてくる峰の影があった。
ヨシ。これだと、ぐーーと描きこむ。(ある種の別な意味がある)

さて問題は一番手前の花いかだをどのように描くかだ。
ピーーんときたのがモネの「睡蓮」である。
画集をしみじみ眺めた結果、とても俺には出来ないし、あまりにもバタ臭くなってしまう。
なによりも、いくら旨くかけたとしても モノ・モネ真似である。

ふたたび田んぼの様子を観察。
水藻やゴミなどが流れ寄っている。
見方によっては美しい。
花いかだの量を増やし、朝の部からの時間の経過を感じさせた。

ほぼ完成だか面白くない。
写生画であって、私の絵または創作世界になっていない。

と、まーーソレからがああでも無い、こうでも無いといつものモヤモヤがはじまった。
これが創作の楽しみでもあるのです。
最後の決め手は、金銀の箔をチョットはる(使いすぎると、きらびやかにはなるが目的が変わってしまう)

そして、想像は夜の部へと飛んでいった。

花いかだ--朝の部

2017-06-15 18:40:29 | 山郷の暮し
今年 我が家の桜の開花は平年並みであったが、それからの天候が寒暖激しかった。
日記を見るとこどもの日ころまで花見酒を楽しんでいた。
ぼやけた記憶の中ではあるが、これほど長く花を楽しめたことはなかった。

柔らかな風を受けるたびに、ダイナミックな花吹雪にわーーーと歓喜し、舞い踊る光景が脳裏に焼きつく。
薫風に酔いしれているうちに、この風を表現できないものかと小波を描くことを思い立つ。

「花いかだ--朝」91-162cmは、まだ直射日光を受けていない時間帯を設定。
微風にひたひたと寄せる小波だ。

写真を参考にせざるを得なかったが、柔らかな光の朝をどのような画材で制作するかが大問題だ。
わかりやすくいえば、墨画的・水彩・日本画材そして油彩などがある。
制作意図としては墨彩画をベースに、私があみ出した技法で、仕上げは油彩にもっていく。
水彩仕上げでもいいのであるが、水面のヌラリとした粘性が表しにくい。
そのほかいろいろな違いは写真ではわからないのです。(だから本物を見なくては・・)

描き進めているうちに、波紋だけではどうもまとまりきれずに「花いかだ」を入れることがひらめいた。
小波に別なアクセントがうまれた。
ソレまでは風を表す手段として小波をモチーフにしたのだ。

写真をよくよく見ると、まったく気がつかずにいたが小枝が写っており、その葉っぱの緑がなんとも美しい。
早速 小枝を切って画面に添えてみると、写真のように波模様に溶け込んだように見える。
その時は思わずうれしさで「やったーー」と。
その写真を撮り、見比べるとサンプル写真と変わりがない。

それからが腕のみせどころだと、可能なかぎり写実に徹底した。

とまーーそんなわけで「できたーー」となりましたが、夕方の散歩で田植え前の田んぼのきらめきにピーーンときた。


完成を祝う

2017-06-14 10:20:38 | 山郷の暮し
五月の中旬より「春のそよ風」が描き出したく、まじめにアトリエにはいっていた。
風を描けるわけも無く、どのような表現法でいくか当初は定まらなかったが「花吹雪」が浮かぶ。
吹雪と称されるが実際、強い風の時などまさに白い風のようである。

ソレを描くのも面白いが、水田の新緑の稲を渡る「風の足跡」的な光景は無いだろうかと思い巡らす。
気がついたのが湖面を揺らす小波だ。
カメラを手に観察に行ったが、とても描けるものではなさそう。
観ているうちに、過去の日本画の名作が次々と思い浮かぶ。
装飾的な作品の頂点はやはり琳派の名品だ。
そして、唐紙などに多い連続模様。

とてもじゃーないが俺には描けねーー、と湖面を見ながら描こうとする勢いが失せてしまった。

写真を観ているうちに、写実と離れた模様というか広がりが脳裏に浮かんできた。

クロッキーを繰り返しているうちに、画材・描く手順やサイズなどが具体的に練りあがってくる。
この時が一番楽しく、いわば芸術家の時といっていい。
現実には脳裏に思い描いたごとく表現できることはまれで・・と言うよりも無に近い。
ソレゆえに描きだす前の夢想に近いその時こそ、芸術生活の醍醐味だと言える。

さて、朝の湖面を描き出す。
数点の桜の花びらの「花いかだ」を描きいれる。
これはいけると感じ、次は日が沈む光景を描き、そして一気に湖面の朧月へと制作が進む。
ほぼ20日ばかりの割合早い制作日だった。

昨日 作品を母屋に移し、吾が作品と対話をしながら晩酌を楽しむ。
我は偉大なゲイジュツカなりと。

次回から一点一点の紹介をする予定です。
 花いかだ・朝 91-162cm

知っていました?

2017-06-09 09:41:15 | 山郷の暮し
散歩コースで国道254号の退避場のわきを通る。
トラックなどが一休みしていたり、掃除をしていたりする。
だいぶよくはなっているが、なまゴミや吸殻の塊。はたまたオムツなどが捨てられている。
確認できたわけではないが、普通車の連中が捨てていくのが多い。

今朝、荷台の整理をしているデッカく綺麗なトレーラーがあり、なんとなく見とれてしまった。
決して新車ではないのだがよく磨きこまれた美しさがある。
眺めているうちに友達の話を思い出した。
「トラックはタイヤの数によって高速料金がちがうので、タイヤが上がるようになっている。」
と言うことだが、実際にタイヤが上がると言うことはどおいうことなのかよくわからない。

中年の運転手さんに問えば
「タイヤの数と言うよりも最新のトレーラーは車軸が上がる。
確かに車軸の数によって大型料金か特殊車両料金に分かれる。
この車の総車軸は牽引する方に2軸、トレーラに3軸と全部で5軸なので大型の1.5倍もかかってしまう。
残念ながらこの車両は古いので見せることが出来ない」
ちなみに 4軸までは大型料金だが、いろいろな値段設定があると言う。

それにしても荷台はステンレス張りでピカピカだ。
何か特殊なものを運んでいるのか聞くと「紙のロールや木材チップ。松本にある製紙会社に運ぶ。」
思いもしなかった物だったが、逆に綺麗なわけである。

汗だくの運転手さんの顔つきから「晩酌が楽しみですね」といえば
「いやーー、普段は飲みませんよ。毎朝アルコール検査があり、少しでもあれば仕事が出来ません」
「いやーー失礼いたしました」と返答しました。

まったく知らないことでしたので興味ある話でした。
手を止めてしまった運転手さんありがとう。

アカシヤの道

2017-06-04 18:15:34 | 山郷の暮し
夏日が続いていましたが今日は風が冷たく、とてもTシャッツではいられません。
朝の散歩では手が冷たくなってきたほどでした。

只今の散歩道はアカシヤの花がぽたぽたと落ちてきます。
桜のように舞い落ちるのではなく、すこししおれた花が重さで落ちると言う感じです。
花で白くなった道を歩くと、なんとなくプチプチとした質感があり気持ちがいい。
   


谷は新緑から濃く深い緑に変わりました。



ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本