棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

父ちゃんはたいへん

2012-01-30 08:47:12 | 山郷の暮し
連日 お天道様のお顔もあまり見られず、ものすごくサブーーイ日です。
ピシッ!!と氷破れそうな夜は、星のまばたたきもなく一層寒さを感じます。
夜明けも次第に早くなって、六時頃に明るくなってきました。
それとともに、ワンコウたちの目覚めも早くなり「トーチャン散歩」と大騒ぎ。
「ウルヘッーーー」というよりも、私も目覚めが早くなる。
その散歩ですが、今週いっぱいは犬三匹の大所帯。
賢犬サクラの娘モモの一家が、海外旅行で面倒をみることに。
此のワンチャンは、ハナのお母さんなのですが、あまり母親の自覚がないようで、子供帰りしてしまう。
キャンキャン・ワンワンと、もーー 父ちゃんはたいへんでゴンす。


東日本大震災を描く

2012-01-25 08:46:26 | 山郷の暮し
3東日本大震災を描く
絵巻風な構成にすれば描けると閃いても肝心の意図は・・・。
同じものを描くにしても、意図によって違う。他者から観てのことではなく、あくまでも己にとって描く意味だ。
その心の位置がしっかりとしていないと、自分にとっていい仕事をした、ということにはならない。
東日本大震災より言われているのが、関わり合いとか絆とか・・・、自分の足元を見直すことの大切さが言われ、大変いいことだと思う。
表現するという行為はまさにそおいうことで、自分が納得できなかったら本当とはいえない。
少々めんどくさくなってしまいましたが、「オレがこの東日本大震災で、芸術家としてできること。
表し得ること」で、じぶんにとって描く意味である。
一枚一枚の写真や記事を読んでいるうちに、憤りと悲しみがこみ上げてきた。
そう・・、この思いを一つ一つ描き込む「天災・人災・人間ドラマである。
破壊・希望・再生の人間ドラマである」
このことだと感得してから筆を取れるようになった。
時には感情が高ぶって涙を流しながらの製作だ。
そうです、自己演出に酔いながら、ていねいに、丁寧に描き出しています。




猫のチビクマのこと

2012-01-23 09:38:26 | 山郷の暮し
我が家には犬二匹と猫のチビクマ一匹、それにゲジゲシ虫数匹・ゴキブリ数十匹・越冬中の虫たち数百匹・エクセトラ・・。
さて、二年ほど前までにはブログでよく登場したチビクマですが、昨年春から飼いだした賢犬サクラの孫にあたるハナが登場してから、追い出されてしまった。
それ以来、お隣の物置などに寝起きしているようなので、めんどうだが近くまで餌を運んでいるが、食い扶持もままならぬ状態がつづいている。
最近は本来自分の住処である我が家周辺に来るようになったので、私としては餌運びには多少楽になった。
たいへん感の良いハナは、夜中にいきなり甲高く吠え上げ、私もサクラもびっくりさせられてしまう。
猫のチビクマがこっそりやってくるようだ。
今朝、新しく積もった雪に、外においてある餌に向かって、ちっちゃな足跡が点々とついていた。

犬は喜び山駆けまわる

2012-01-21 09:12:45 | 山郷の暮し
20センチ以上は積もった雪は、早朝のフワフワからベターーっとした重い雪にかわった。
そして、今朝もドヨンとした鉛色の空から、ゴミのように舞落ちてくる雪。
お天道様がカッ!!っと照りつけてくれればいいのですが、ナカナカ。
我が家から20メートルほど下の国道254は、即 雪かき・ケミカルが散布され、通行には全く問題がないが、そこに出るまでかコリャ大変。
車は昨日から雪に埋まったまま。
喜んでいるのは、賢犬サクラにハナ。
昨日は夕方の散歩に、私の不注意から離れてしまった。
紐が付いているのが気がかりだが、どうしょうもない。マーどこかに絡みつかないことを願うのみ。
日が落ち急速に寒くなった頃、裏山からけたたましいハナの泣き声。
ヒーヒーいいながら雪の斜面を登れば、彼らが遊びまわった足跡だらけ。いつしかサクラも紐を引きながらついてくる。
木に紐が絡みついている。めんどうだから、そこでまた放つ。
8時頃 ハナは雪だるまになって帰ってきた。

雪景色

2012-01-20 08:37:40 | 山郷の暮し
10センチほど積もったフワフワなパウダー雪を、蹴っ飛ばしながらの散歩。
梢から雪が滝のごとく落ちる。何の音もないのだが、ドドドドっとすざましい響きが聞こえそう。一瞬の美である。
写真をなにわいにしている兄は、ある雑誌の取材でこの一瞬をモノにしたく、半日も待っていたという。写真は撮れてこそ作品になるが、絵画や文などはその点は楽である。
脳裏に焼き付ければいいし、其様をタラタラと能書きを曰わればいい。
ところで、俳句などではこのことをなんと言うのであろう。
などとおもいながら、霧のごとく降る雪景色を観る。

2-東日本大震災を描く

2012-01-19 08:38:38 | 山郷の暮し
ただいま気合が入っての製作「東日本大震災を描く」の続きです。
巨大な船が、あらゆる生活物資のゴミと化している光景は異様はど迫力がある。
大惨事の表現として、写真も絵もこの光景を表さずにはいられない。
絵画表現としても象徴的な光景だが、そのままでは絵にならない。
絵画はは対象を咀嚼してから、再構築しなおした上でのしごとである。
何枚となく下図制作をしたが、どうしても先に進まない。本絵に入るきがしないでいた。
図書館や書店などでの写真集の、その迫力に負けていた。
対象に喰われてしまい、この状態では描き出せないとあきらめかけていたが、11月のことだったか。
図書館にてメトロポリタン美術館収蔵の「観音絵巻」を観ているうちにハット閃いた。
東日本大大震災を絵巻風な構成にしよう。
芸術家たるもの、限りない想像力で描きだせばいい。「現地に立たなければ」という思いがどこか引け目に感じていたが、それは芸術的意図とは異なることだと気がついた。
それならば、大局的な構図を決め部分はソレに準じて描き出そうと・・。
そう決定すると気分的にはかなり楽になった。
昨年の11月に入った頃だった。

酷寒の月

2012-01-18 08:41:32 | 山郷の暮し
朝の6時半ごろ凍りついたような空に薄いオレンジ色がくわわってきました。
東の山々の輪郭が切り絵のごとくくっきりとし、梢の一本一本が銅版画のように強い線で浮かび上がってきます。
先日の朝焼けのアルプス写真(1-12)と真反対に、東の空には望月が貼りつけた如くあります。
ワンチャンの鼻息は白く立ち昇り、凍った路面に足を取られたりと、相変わらず厳しい寒さが続いています。
背中を曲げて出勤・通学ばかりでなく、時には鼻を上げておっ月様を観てみましょう・・。

真冬日

2012-01-17 08:41:29 | 山郷の暮し
昨日は一日中お天道様を拝めず、サブーーイサブーーイ真冬日でした。
気温の低いのはエイヤッと気合でなんとか・・、でも、ドヨンとした重い空には気が滅入ってしまいます。今日はどうやらお日様ピカピカとなりそうだ。
そんな日にはワンチャンたちは畑の枯れ草に遊んでいますが、昨日のような真冬日にはさすがに可哀想。
製作に乗っているなか、うろうろと歩き回っていました。
ハナは時おり「トーチャンは遊んで」と、一升瓶の栓を器用に飛ばしながら、しきりと誘ってきます。
「かまっていられるか」と栓をなげればシメタ!とばかりじゃれてきます。
サクラばーちゃんはうんざりしてしまい、ふて寝をしています。
さて今日は・・・。

小正月

2012-01-16 08:36:53 | 山郷の暮し
以前は昨日(15日)は成人の日であり、小正月として旧来の様々な伝統行事がありました。
中でも門松・正月飾りなどを燃やす「どんど焼き」があり、松本地方では「三九郎」とよばれています。
その起源は様々な説がありますが、むかし三九郎さんがナニカをしたらしい(いま思い出せません)。
この三九郎は「道祖神祝い・厄落とし」などと複合し、素晴らしい子供たちへの伝統行事です。
その記事を投稿しようと思いましたが、いまは15日ではなく、暦の成人の日になってしまったようで、すでに終わっていました。。
それでもと、旧い地区を訪ねようやくみつけました。
三九郎の周りには子供どころか人間っけがなく、サビシーーーイきがしました。
また、以前は祭壇などがひつらえ祝っていた道祖神も、人気もなく寂しくなってしまいました。
他者が、懐かしがって「残念だ・ざんねんだ」というのは簡単ですか、現代的ハウスが建つ地域の人にとっては「めんどうだ」といっても、いかしかたがないのでしょう。
蛇足ながら、小生も理由はともかく、地域の行事にはいっさい参加をしていません。
 三九郎 幕末期の道祖神

東日本大震災を描く

2012-01-14 08:38:31 | 山郷の暮し
東日本大震災を描く-1
あの東日本大震災のすざましい映像を観たとき、正直 現在の地獄絵が描ける、と思った。しかし、どうやって・・・、どのように。
なによりオレにとってどんな意味があるのかと。
そして、此のテーマは他者の仕事かもしれない、オレがテーマとするものではないと、一種の傍観的な感覚になってしまった。
夏のことであったか、現地に労働奉仕に出かけている、旧知の青年とあった。
「龍さんこそ芸術家の目であの惨事と人々を描いてほしい。どんな表現をするのか観てみたい!!」その一言にはガツン!ときた。
そおか・・、オレの作風を知っている青年がそのようにおもっていてくれたのか、しかし、オレは現地を知らない。
しかし、写真資料などで描けはするが、現地を知らずして、観ずして描いていいものなのだろうか。
珍しく頭の中は悶々としていた。
ある日、TVでの視聴ではあるが、被災地に足を運び描いたという大作を観る。
現地を知らない私も、写真などで描いていた下図構図とほぼ同じだ。やはりポイントはみな同じである。
屏風絵仕立てという作品は、「やられた」という感じで、名前はワカラナイがかなり力のある作家だと思う。
つづく

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本