棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

インドネシア-ニアス島

2008-03-27 09:52:49 | コレクション
東南アジアの多様さの要因の一つが、種族の多さであろう。
ひときはインドネシアは、14000もの島から成り立っており、それぞれの小島にオリジナルの伝統文化が伝わっている。
現在の種族分布になったのは、たかだか300年あたり前から。
高い文化を育んでいる種族のほとんどは、タイ山岳地帯から、マレー半島をえて、長い歴史を得て、定着した海洋民族の血が流れている。
立派な伝統家屋の多くが、どことなく船を思わせる作りです。

赤道直下のニアス島。
村々を訪ね歩くトレッキングは、かなりバテタ。
ヒマラヤトレッキングで、歩くことには慣れていたが、炎天下の草息がムンムンとする小道はきついものだった。

昔は巨木が生い茂っていたと思われるが、島全体がキングココナッ林に変わってしまった。
この島に渡るとき、スマトラ島の人たちに言われた。
「ココナッツの好きなマラリヤ蚊が多いから、絶対にカヤをもっていけ」と。

夕刻、集落全体に蚊遣りの煙がたなびく様は、絵にもかけない、詩情あふれた一時でした。
現在はどうかわかりませんが、電気はなく、当然エンジン音などない。
石畳の広場は夜遅くまで子供たちの声が響き、遠くからカーチャンの呼び声がきこえる。

ニアス島、今、私がいの一番に行きたいところです。

 

インドネシア・ニアス島

2008-03-26 16:15:54 | コレクション
2004年スマトラ地震で、記憶にある方もいると思います。
その地震の報道に、いの一番に気になったのが、インド洋の沖合い100Kmの小島ニアス島だった。
位置から行って被害が心配されたが、一向に報道が無い。
現地に飛んでいないので不明だが、甚大な被害だったようだ。
ニアス島の検索をお勧めします

ニアスの伝統文化はかなり高度なもので、特に巨大な船を連想させる伝統家屋は、すごいものだ。
また、石造の技術は高く、巨石文化の島とも言われている。
島の中心部の山岳地帯の集落地は、石敷の広場を、巨大な家屋が囲んでいる。

ニアス族の人たちの顔つきは、精悍で鼻筋が通り、細面。どことなくアラビア人に似ている。
民俗学によると、彼等とよく似た文化が、インドとビルマの国境山岳地帯にあるらしい。
まだまだ研究が進んでいない、謎お起きニアス島である。

写真の木彫像は、全高30cm ほど。
シラハ・サラワと呼ばれ、先祖霊と豊穣祈願のもの。
右手には指導者の象徴の指揮棒
左手には、器をもち、そこに米粒をおいて祈っていた。
下記のアドレスの貼り付けに失敗。
ニアス島を検索→ヤフーオークションに参考になる説明があった

http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d9353894

この像は、泊めていただいたお宅のものだったが、巨大な住居に反し、経済的には困窮していた。
背に腹は変えられず、買ってくれとのことで、私にも大金だったが、仕入れたものだ。

ニアスの文化について、ぜひ書き綴ってみたい。

予算なし・バリのお土産

2008-03-26 14:34:57 | コレクション
石を投げれば日本人にあたるほど、人気のある島。ひときは女性たちに大人気の観光地。
私は搭乗したことはないが、日本からダイレクト便がある。
土産品となると、彩色された木彫が有名で、日本のいたるところで飾られている。

インドネシアはイスラム教徒が圧倒的だが、バリはヒンドゥー教徒の島。
本場インドとは、違った展開をしている。

緑豊かな南国の風物に、何もせず、ぼーーと幾日もすごす。
夜は島のどこかでもようされている、奉納踊りを目当てに、レンタルバイクで、でかける。
時には、でかけた集落のロスメン(安宿)に逗留。
土地土地には、日本酒ににた醸造酒があり、これがイケル。

金が無くなり、帰国の段に土産でもとおもうのだが、資金なし。
次回にすりゃーいいか。と、一番安いボールペン。
なんのことはない、いまあるバリのコレクションは数点しかない。

森の住人の悲劇-カリマンタン

2008-03-25 11:58:18 | コレクション
熱帯雨林の喪失は、森を守ってきたダヤック族の、居住区が失われていくことでもあります。
土地所有権の意識など無かった人々。
気がつけば、先祖からくらした森が、国のものや有力者のものになっていたり。

特に、移動生活をしていたプナン族の人々は、強制的に定住させられてしまいました。
切り開かれた地に建てられたロングハウスは、晴れ晴れとした良好な環境に見えますが、作物は育ちにくく、クソ暑いのです。

目をすっかりやられ、笑いを失ったお婆ちゃんたちが作った、
ビーズと木の実の鈴のお土産用ネックレス。
プナン族の女性たちが実際に使用していました。

首都ジャカルタの土産店では、20倍の値段になっていた。

熱帯雨林の住人

2008-03-24 09:21:41 | コレクション
地球温暖化の危機が叫ばれ、日本企業による伐採が問題になったのは、
もう20年も前になる。

私は森に暮す人々をとおして、消え行く熱帯雨林を絵本「森へ帰ろう」に表した。
正直、私は積極的に自然保護運動をしていたわけではなく、
インドネシア・カリマンタン島の森に住む、総称ダヤックの宗教・文化に興味があり、研究のためはいりこんでいた。

日本の縄文文化に合い通じる木彫・模様などの表現は、
森がなくして宗教も文化も成り立たない。
縄文文化の研究も、森をベースにした、考察が必要だと気ずいた。

写真の木彫は、硬い鉄木をおそまつな刃物で彫っていたものだ。
注目してほしいのは、長く伸びた耳たぶ。
帽子には、女の守り神(安産の象徴)がほられています。
わかりにくいかもしれませんが、膝などの関節部の奇妙模様は、つる草を連想します。
あらゆる生命は、森のようにからみあい、つながりあっている。
というのが、彼らの根底にあるとおもえる。

私のシリーズ作品「連続する生命体」の発想の原点となりました。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/renzokutai/renzokutai.html

地獄のさたも金しだい

2008-03-23 15:17:08 | コレクション
お彼岸で、お墓まいりに出かけた方も多いでしょうね。
そこで思い出したのが、
写真の『冥府用の紙幣・小切手帳・カード・パスポート」

香港に住む、道教の信者のお墓参りにお付き合いしたときです。
この擬似紙幣を、墓地の大釜で盛大にもやします。

「陰府銀行」「冥都銀行」「冥国銀行」とは、よくつけた名前ですね。
しかも、一枚が5億円。
それがどっさり必要になるということは、あの世に簡単に行けません。

地府護照--パスポートの有効期限は一年。
さすがに、写真は貼るようにはなっていません。
これらはセットになっています。
1990年香港にて--1.5香港ドルと記されていました。

残念ながら葬式は見たことがありませんが、興味はありますね。
佛教でも同じような、習慣があるのでしょうか。

ネパールの焼き物

2008-03-22 11:40:17 | コレクション
大好きなネパールは、ここ数年いっていない。
政治の不安定からくる、暴動が怖いからで無く、他の地域にこころひかれているからだ。

ネパールに焼き物があるの?
焼き物といっても素焼き程度で、日本の植木鉢の強度も無いが、
祭事の使い捨ての、聖なる土師器・植木鉢・水瓶・壷などをを製造している。

製造の中心地は、首都カトマンズが30分ほどの、小さな町ティーミー。
ろくろは、直径2Mはある木製の円盤。棒で回し、あとは惰性。
多少ろくろに心得があるのでためしたが、立っての中腰姿勢で、とても現地の職人のようにはいかなかった。
大瓶などは、たたいて成型する技術は、なかなかのものでした。

強度がないのは、土も高温にはたえられないし(日本で実験結果・溶けてしまう)、まず、高温にする燃料がない。
薪など高価であるから、ワラ・牛の乾燥糞がおもであった。

写真は「ヒンゴー」といわれ、ヒンドゥー寺院にある、狛犬のようなものの家庭用。
ローソクたてなどですが、50円はしなかったと思う。

船便で送るのですが、これが又大変だった。
まず、まともに着かないと覚悟のうえでの発送。
届かないか、ぶっ壊れているか。
写真のものも、割れています。
今から思えば、愉快な時代だった。



ネパールの焼き物-2

2008-03-22 11:19:04 | コレクション
愉快な顔をしていますねー。
ネパールのヒンドゥー寺院にいきますと、日本ではおよそ神々と思えない姿の像がびっしりとあります。
骸骨が踊っていたり、はたまた裸の女神が生首をぶらさげいてたり。
日本流に称しますと、地獄と極楽がごちゃまぜになったような、世界が展開しております。
おどろおどろしていながらどこかユーモラスで、人間的な血の通いをかんじます。

ネパールはヒマラヤばかりでなく、ヒンドウ教とともに、多彩な文化が花開いている国です。

カチカチ-ネパールにて

2008-03-21 10:48:42 | コレクション
最初にインド・ネパールに行ったのが1972年。
それより、何度か訪ね歩く地となったが、ネパールは地域的に研究の的がしぼりやすく、本当によく行った。
私のコレクションの中でも、買い入れた美術品など、かなりの数になっている。

写真のものは、集落の掘っ立て小屋然の雑貨屋にあったもの。
言葉の不自由さもあり、最初はナニに使う道具かさっぱりわからなかった。
オッチャンが取り出した薄汚れたハンカチから、なにやら小さな塊がコロコロ。
道具にはさんで、カチッ!とわる。

乾燥ビンロウを砕く、いわば胡桃割り機みたいなものだった。
名前は「カチカチ」といっていたが、きちんとした名称があるのか?

さて、ビカロウといってもお分かりなら無いと思いますが、やしの木に似たビンロウ樹の実を乾燥したもの。
石灰とまぜてクチャクチャしていると、口の中は真っ赤になる。
カスをペッ!と吐くのだが、これがすざましく、血反吐のようだ。
当時はいたるところに吐き出されて、不潔さの要因でもあった。

ビンロウ愛好家は現在、台湾が最も多く、かなりの高額品もある。
主に、インドネシア・インド・ネパール・その他などへの輸出産業品でもある。
台北市や都市などは現在、道端でのペッ!は禁止されている。

なんでも試してみる私だが、コイツだけはする気がしないでいる。

敦煌-チョコット三危山へ

2008-03-20 11:00:14 | コレクション
壁画は保護のため、自由に観ることは出来ないのは、当然なことだ。
と、思っても面白くネーー。

西遊記に登場する火炎山を彷彿とさせる、三危山に登ろうと思い立つ。
ともかくクソ暑いから、リックの重みといったら、水である。

登るといっても、登山とはちがう。
小石だらけの斜面をともかく登る。
ルートなどないが、基本的には選んだ尾根をそれないことだった。

クラクラする熱気と、耳鳴りがする静けさ。
日陰を求めて岩陰にいけば、ものすごいゴミの散乱だった。
ギヤーーー。
圧倒的人口のなせる国は、チョコット来た程度では、未踏地などないのだ。

山でどこでも転がっていた小石は、川原石とおなじく角が磨かれている。
山危山一帯は、古来より名玉石の産地なのです。

ホームセンターに売っている、バラ石みたいなものなのですが・・・

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本