棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

2-絵画の難しさ

2010-08-31 07:52:08 | 山郷の暮し
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私の属する公募展の総評をたのまれたので、その折の話の続きを致します。
芸術は哲学であり、真理(普遍性)の探求だと小難しいことを言ってしまいました。
哲学は言葉や文字での表現ですが、絵画や彫刻は視覚に訴えるもの。
いくら高等な真理を語っても視覚表現できなくてはならないし、出来たとしても、限りなく100%近く理解されない。
特に絵画は「この色好き・嫌い。テーマーが好き嫌い」などなど、観覧者の好き嫌いの感情の中で一瞬に仕切られてしまう怖さがあります。
まだ立体作品は鑑賞に時間がかかり、多様性があります。演劇・音楽・文学はもっと時間をようします。
作品と観覧者との間に、時間の経過が必要なのですが、絵画に対しては好き嫌いの反応は一目で決まってしまいます。
鑑賞者は一瞬・一目で決めていいのです。
とはいっても、出品者にとっては「もっとじっくりと鑑賞してくれ」と、願うのですが・・・。
写真は、向日葵シリーズより---GOOD MORNING F15
メッセージ性の強い作品製作が多い中で、向日葵シリーズは「其の時の心のままを、そのまま表す」ことを意図としている。
朝一に、向日葵と目があい、おもわず「Good Morning」
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絵画の難しさ-1

2010-08-30 07:44:40 | 山郷の暮し
8月も終りになりましたが、暑さは依然として続いています。
しかし、夕焼け時間が早くなってしまいました。気がつけば稲穂は黄色くなり、ススキの穂も光っています。

松本美術館にてIAC美術会信州展が開催されて昨日終了しました。
私の出品作は「向日葵のシリーズからです」
これらの作品は先に企画・展示した「人類の愚行を描いた40年」のような、小難しく叫んだ作品ではアリマセン。
ワーきれい・ウヒャー・ヒェーーだのの感情・感動をむき出しに描いてきた、81年から現在までを選んだ3点です。
思想的なものは意図としていない、その時の感情表現です。
チョットへ理屈になってしまいますが、芸術の表現はそのことに在る、という方もいますが私はそうは思っていません。
それは、子供的表現なのです(子供の物は芸術ではありません)
また、心温まるいわゆる癒し系の作品が、本来の芸術家のしごとではありません。
では・・・。芸術仕事は深い洞察から生れでた、実践的哲学的世界の展開なのです。
感性や感動の素直な表現が芸術ではなく、芸術は真理を求めた探求的仕事だといえます。
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独酌の桃源郷

2010-08-29 07:48:16 | 山郷の暮し
ゴロゴロと景気よく騒いだ入道雲も、こけおどしで待望の夕立にもならず、落陽を受けて赤くそまりだす。
いいねーー。じつにいいねーーと、頂き物の上物ウイスキーをとりだし独酌。
刻々と変わる光に魅せられながら、チビリチビリとウイスキーを舐める。
酒はワイワイと飲むのもいいがじっくりと天空を飲むといった思いでの独酌はたまらなくいい。

普段は泡盛や芋焼酎だが、在庫を飲み干してしまった。
いただき物をナメル。「上物はウメーのは当たり前だが、味に品があるなーー」と、又チビリ。
赤色に染まった入道雲を背景に、頭上の桜の枝から油蝉が不細工に飛び立ち、五位さぎの夫婦がけたたましい声を上げながら谷をのぼってゆく。
カエルの元気のいい声が、なぜか部屋の中から聞こえる。
いいねーー。頭の中は陶酔境が広がってゆく。
足も本には賢犬サクラと猫のチビクマがじゃれあっている。

蚊に一発やられ、我夢想桃源郷世界は打ち壊され、現実のトバリの時間に引き戻された。
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南方的光景?

2010-08-28 07:24:20 | 山郷の暮し
モコモコと湧き上がる入道雲。今日こそは夕立がほしいと期待するのだが、陽が落ちる頃はちぎれてしまう。
野菜作農家は遅くまで散水作業にはげんでいます。
樹齢30年ほどなる我が家の桜の木一本だけが、先週あたりから猛暑に照りかえるなか葉が落ち続けています。
初めは虫の影響かなと思っていましたが、どの木よりも早く黄色になった葉がハラハラと。
今日は明らかに葉の茂みも薄くなり、木陰も暑い。
毎日、オシッコを引っ掛けていたとか、特に何をしたとか、なにもないのですが・・・。
多少は他の桜の木に比べ、アルコールのニオイは嗅ぐことはあったでしょうが・・・。
全てが白光に照りかえり、ムッとする熱気の中、何の前触れもなくハラハラと落ちる葉。
まるで暑さに耐えかねたような光景。
詫び錆びなどと程遠い、南方的な奇妙な一瞬です。
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武士は食わねど

2010-08-27 08:02:10 | 山郷の暮し
風景画
私はあまり風景を風景画として描いてこなかった。
ただし、画中の風景(バックの背景として)として描くことがあり、数多くスケッチをしてはいます。
10号くらいの風景画を描いてください、と依頼されることがあるが、描かない。
理由は明快で、私よりうまい風景画作家ばかりで太刀打ちできない。
ひねた言い方をすれば、私にとって風景画を描く必然性がないのである。
正に「武士は食わねど高楊枝」の、死語に近いたとえのやせ我慢
今日は「食っても食っても爪楊枝」でなくてはいけない時代かもしれぬが・・。
先の「人類の愚行を描いた40年展」旧知の画家が東京からきてくれ、こんな話になってしまった。
「よくまーー今まで若いころの思いを描き続けてきたもんだ。
これじゃー金にならねーよなーー。
オレなんざー家族を養うために、大学の講師なんかしているよ。」
自嘲をこめた言葉だった。
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百日紅

2010-08-26 07:56:51 | 山郷の暮し
連日の猛暑ですが、今朝あたりはどんよりと溜まっていた熱気もなく、ヒヤリとした空気が流れきます。
とはいっても、日中は35度近くまで上がり、夏の花ヒマワリも日中はぐったりしている。
必ずしも実った身の重さばかりではなさそうだ。
そんなヘべレケになりそうな昼日向でも、元気のいい花木が百日紅(さるすべり)。
濃い桃色を白色光のなかで輝かせている。
この百日紅のことで、芥川龍之介の雑記集のなかで面白いのをみつけた。
  百日紅  
自分の知れる限りにては、葉の黄ばみそむること、桜より早きはなし。・・・・・・
からはじまり、他の花と比べて朝寝・宵寝が好きな花はないと・・・。そして
自分は時々この木のおうちゃくなるに、人間同様腹を立てることあり。

と、なんともかんしゃく持ちなことをいっている。
百日紅の勝手ジャン!!となってしまうが、よくよく観察しているものだと感服してしまった。
それにしてもサルスベリの漢字は面白いし、其のいわれも愉快だ。

写真の絵--入道雲 2004年--110X130cm
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ゲゲゲの女房より・・苗字帯刀

2010-08-25 07:41:42 | 山郷の暮し
人気の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で、なんとも懐かしいセリフをききました。
艶っぽいオバアチャン(竹下恵子)が、小学生の孫をまげますときに「苗字帯刀の家柄だといいました。
私も同じような年頃だったでしょうか、父母から同じようなことを言われたことを思い出しました。
ドラマと同じように???? でしたが、なんとなく「俺は野郎どもと違うんだ」と思った・・かもしれない。
改めて辞書を引きましたら「江戸時代 平民が特に許されて苗字をとなえ、刀をさしたこと」とある。
ということは、父が口にしていた我が家は末は源氏清和天皇・ナンタラカンタラ・・・とちがってしまうが。
マーーそれはともかく、次いでながら「武士は食わねどたか楊枝」などと、すきっ腹かかえてのやせ我慢。
誇りを持ちなさい、ということで、ただ今の「食っても食っても爪楊枝」も節制がなくて困ったものですが。

話をドラマに戻しますと、終戦産れの私にとって、ドラマにでてくる戦争中の言葉は、まだ生きていた時代でした。
それらの言葉を完全死語にするのではなく、確りと解説することが必要でしょう。
狂気の時代・盲目の時代を、決して繰り返してはならないためにも。
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賢犬サクラのハズバンド

2010-08-24 08:21:19 | 山郷の暮し
明日から開催されるIAC美術会・信州展の飾り付けです。
仲間でワイワイと、効率がいいのか悪いのか・・まーーお祭り騒ぎでしょう。
数年前まで我が家の近くにいた、賢犬サクラのハズバンド・クッタン(チベット語で犬)が亡くなったと、22日のコメントにありました。
よく吠える犬でしたが、クオーター分西蔵犬の血がミックス。
ゴロニャンとお腹を出して甘える。
牧童犬の血を受けているから、賢いはずだが・・・。
ただし、寒さにはめっぽう強く、雪を冠っていびきをかいていた。
サクラとの間に娘が一匹(momo )がいますが、体型はサクラのようにスマートで凛々しいのですが、父親煮に似てよく吠えるのが玉にきず。
近所に飼われており、賢犬サクラもお母さんを続けていますが、今年の暑さで食欲がなく、かなり痩せていた。
話をもどそう。
このクッタンは私の知る限り、日本中を数箇所移り住んできたつわもの犬。(死亡時は東京)
キャン!!と甘え声をだすが、なかなか媚びるのがうまい、生き方上手犬であった。
生き物全てが必ず死があることは解っていても、悟ったことなど言えぬもの。
写真はたくさんあったのですが、デテコナイ。
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俺龍カレー 続き

2010-08-23 07:38:22 | 山郷の暮し
インドカレーについてうんちくたれるほど知識もないが、インドカレー即辛い、とはかぎらない。
広大なインド大陸だから、地域によって異なるのは当たり前だ。
カレーとはスパイス(マサーラ)をふんだんに使った野菜煮物やスープのようなもの。
日本流に言ったら、味噌・醤油・調味料のようなもので、「カレー粉」というものはない。
日本では濃縮味付け製品だらけで、あまり個性の在るたべものがなくなってしまったが、
路傍のキタナ食堂はみごとに、個性溢れた味付けばかりだ。

インドの食事で感激したものが在る。
ほとんどはステンレス製のお盆のような大きな器(ターリー)に、数種類の煮物・飯・チャパティーなどが盛られるが、
南インドの屋台での経験だが、お皿は聖なる器としてバナナの葉っぱだ。
食べ終われば巻いてポイ。足元にいる犬や鶏があとしまつをしてくれる。
そして、極めつけの器は、沙羅双樹の葉を楊枝で縫い合わせたお皿は、記念に持って帰りたかった。
この器も聖なるもので、祭り時には使われている。
今日も、神から与えられた聖なる右手で、俺龍カレーを引っ掻き回し、遊びながら食べよう。
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俺龍カレー

2010-08-22 07:10:49 | 山郷の暮し
日本のカレーは確かに美味いが、甘かったり、粘り気があったりして、少ししつっこい。
(知人のインドの方も帰国土産に買って帰るが、甘さが気になると申しています)
インドのダルバーといわれる定食は、6種くらいのカレー味の油揚げ煮物を、水ぽいカレースープとクチャクチャ混ぜて食す。
日本的には、煮物などを味噌汁をかけて食す。・・・ウヘーー不味そう、ですがそんな感じです。
まーー、神様の贈り物、聖なる右指でこねながら、遊び感覚で面白ったー(当然、難しい作法があります)、
昨夜は(今日も)ゴウヤを入れ、ニガカラを楽しみながら、キムチ&ヤッコと食す。
もちろん芋焼酎が主役です。
先にも書きましたが、ピリ辛カレーとヤッコは大変会う。ヤッコは当然木綿豆腐です。
賢犬さくらは口先をフーーフーーさせながら食ってしまった。
猫のチビクマ????昨夜は見なかったナーー。
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ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本