棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

新聞報道

2015-10-22 10:23:04 | 山郷の暮し
前回報告したとおり展示室が離れていたので部屋別で展示意図を変えましたが、一口でなんと言ったらいいのか苦慮しました。
その結果として「聖空間」としたのです。
地元の新聞「市民タイムス」はさすがに上手くまとめて紹介していただきました。
「記事を読んで面白そうだから来ました」と数名の観覧者にいわれました。
では、その記事を・・・・。

命を表現 画業50年たどる
市美術館 岩淵龍王丸さん作品展

松本市稲倉の画家・岩淵龍王丸さんの作品展が、市美術館で開かれている。
50年の画家人生で移り変わってきた表現方法など約50点の作品でたどっている。12日まで。
20-30代は国内外の旅先で感じたものを表現し、40代にかけては月や太陽、仏を西洋的な要素を取り入れ、
さらに歳を重ねて無数の枝が絡みあう、「生命樹」などを描くようになった。
近作「私は何処から来て、私は何者か、私は何処に行くのか」は80号5枚の大作で、生命樹によって連綿とつながる過去と未来を表現している。

医師で仏教哲学者だった父親の大殿さん(1889-1974)と、兄で写真家の岩淵四季さんの絵画写真もあり、
龍王丸さんと同じ自己や仏教といったテーマを追求しながら異なる方法で表現した三者三様の作品が並ぶ。
龍王丸さんは「命の尊さ、強さ、素晴らしさを感じてほしい」と話している。(片岡 望 記者)




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松本市美術館

2015-10-21 11:39:40 | 山郷の暮し
松本市美術館は駅からブラブラ歩いても15分位の近間にあります。
代表的な収蔵作家は当地出身の草間彌生氏で、外にはクネクネねじれた水玉模様のチューリップの大きなオブジェがあります。
三階は氏の常設展示室で、いたく感動する方や、気持ちが悪くなってしまったと感じる方など様々。
と、美術館のことはネットを見ていただくのが手っ取り早いので記載されていないことを紹介します。

市民ギャラリーとしてギャラリーA-Bと多目的ホールの三室があります。
いずれも15mX9mのスペースで、移動壁面で様々なレアウトが可能。
文化活動の盛んな松本はほとんど予約でイッパイという盛況さ。
半年ごとに予約受付だが、当然キャンセルなどがあったりして運が良ければ好日に確保できる。
美術館の企画展示会によっては体層な入場者になりますが、市民展示会だけではお仲間発表会になってしまう。

私は今までに数回展示会をしたが、ほとんど事前予約会に出たことはなく、
「キャンセルや適当な月日に・・」とお願いしていますが、今回も幸運にも二室借り受けることができた。
しかも、大人気の篠山紀信写真展と同日で、体育の日と連休であった。

ただし、部屋続きではなかったので展示方法に苦慮した結果、別々なタイトルとした。
すなわち「聖空間」として、ギャラリーAは「光明世界を描いて50年 りゅう王丸作品展」
多目的ホールは兄の写画劇場として「想像可視世界」と亡父の「世紀姿勢曼荼羅」

我が展示会への流れ人数は15-600人で統計を取るのが面倒になった。
ギャラリーを行き来し疲れたーー。

写真は天井絵ほ・阿弥陀来迎図 の複製写真420cmX300cm お寺の住職さんと


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シンドイかたずけ

2015-10-17 10:45:21 | 山郷の暮し
花の谷は赤みを帯びた霧が薄っすらとたなびく柔らかな初秋の朝でした。
霧がスーーと消えると紅ずいた樹々が現れ、展示会の忙しさですっかり忘れていた季節の移ろいに気が付きました。
ボート眺めていたのですが、体の芯から疲労感がビリビリと広がり「温泉でも行くかな-」と現実的な意識になってしまった。
とはいっても、展示をした作品の額を外したり、あらためて梱包をしたりとやることがいっぱいだ。
部屋は引っ越し風景である。

「これだけの作品は何処に保管しているのか?」と会場で尋ねられる度に
「まだ倍は売れ残っているので‥‥」と冗談を言っていますが、本当のところ整理に大変です。
保管場所で注意をしなくてはならないのが「湿気とネズミ」ですが、我が家ではいくら部屋があってもここが泣き所。
額縁をガリガリされたり、廊下に直においた作品にカビ・シミが出てしまったりと、湿気には一番困ってしまう。
ともかく、これだけは自分でやらなくてはならない作業だ。
この記事も一休み気分で書いています。

写真はオープン前の静かな時。
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展示会終わりました

2015-10-15 11:36:55 | 山郷の暮し
疲れたーー。
毎度のことながら展示会は心身ともにくたばりますが、今回はシビレの負荷も大きく筋肉がヒーヒーだった。
「弱みを見せてたまるか。自分に負けてたまるか」という思いのやせ我慢の6日間でした。
そして、体力的に厳しく、オレも年取ったな-ということに。

美術館の本展では7月から「篠山紀信・写真力」がテレビ局の協賛で開催されており、連日600人は越す入場者。
それも最終日は我が展示会と同じで、朝一からバスが来る盛況だ。
その流れで当方も3-400人以上で、最終日は1000人近かったかもしれない。
ほとんどは「流れの入り」だったが、地元からも300名以上は観覧してくれた。

さて、作品鑑賞の感想ですが25歳以降の写実画の小品から始まり、
今回のメイン作品である「私は何処から来て、私は何者か、私は何処に行くか」の大作である。
更に、抽象的な「連続する生命体」へと進み、ラスト作品は「輝くもの」「波動-希望の力」
で締めくくりましたが、これらの作品の意図が、展示作品の流れを観て初めてわかったと言われたことはありがたいことです。
コレカラぼちぼちまとめ上げていきますのでヨロシク。


飾り付け 搬入飾り付けは一日でやらなくてはならず、コレが大変であるが、皆なれており順調に終わった。
また、最終日は午後4時で終了し、2-3時間で一気に片付けることになる。
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3-展示会

2015-10-05 10:07:31 | 山郷の暮し
展示作品のスタートは「旅人シリーズ」から始まります。
これらの作品は公開することはあまりなかった。いわば若かりし頃の日記のような心情で描いていたものですが、
今回整理をしてわかってきたのですが、今の私の根本になっていると思います。

作品のほとんどは455-380mm 以下のものですが、写真の「此岸より彼岸」は1981年完成 P100(112-1620mm)です。
中央画壇に属している頃発表の場を得て、それなりの評価をいただいた作品です。
1980年代は海外の旅に明け暮れしていた時代で、精神的にも脱皮を繰り返しているころでした。
確か・・画壇を退会したのもその後だったと思います。

一見単純な構成ですが、作品と観るものとの空間に XYZ の座標軸を作り上げているのです。
「今私は此の座標に在る」ということを表しているのです。

「旅人シリーズ」の最後の作品として位置づけました。 
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2-展示会 旅人シリーズ

2015-10-03 15:39:17 | 山郷の暮し
旅人シリーズ 1970年代(25-30歳後半)

私達の世代(70歳代)にとっての青春時代は、ベトナム戦争をぬきにして語ることはできません。
当然 当事者として関係をしたわけではありませんが、様々な要素から影響は大きく、
精神構造の一画をなしています。反骨と挫折。
正義・真実への願望は、やがて精神世界への旅へのあこがれとなって行きました。
私自身の心の変遷を正直に表し得ないかと、いつしか禅林世界での「牧牛図」的な表現を志していったのです。

「旅人シリーズ」は若かりし頃国内各地を彷徨い、やがて海外の辺境の地に旅を始めた25歳ころから、10数年間の心のありようを真っ正直に描いたものです。
今から思い出しても、決して楽しい旅ではなく、いったい何のためにこんな苦辛をしてまでと、
疑問と苦悩しながらの旅でした。それ故に今日まで未発表の作品でしたが、
今なお創作活動の骨幹をなしていると、改めて気がついております。

蛇足ながら画中の犬は、迷い苦しみ自問自答する自身の精神状態を表しています。
それは最新作の「私は何処より来たり・何をなしたか・私は何処に至るや」
迷い苦しむ不安定な精神状態と、満足し安心しきった平穏な心を表しています。
「旅人シリーズ」を意識したわけではありませんが、
いつしかそのようになっていったのです。
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展示会

2015-10-01 10:07:55 | 山郷の暮し
早いものですね-。もう10月になり一週間後には長年計画をしていた展示会
「光明世界を描いて50年・りゅう王丸作品展」です。
此の展示会は昨年70歳を節目に回顧展ではなく「今ある私はこうである。」と描き上げた
「私は何処から来て・私は何者か・私は何処へ行くのか」の発表である。
この作品ができあがるまで一貫して追い続けてきた「生命の軌跡と尊厳」の創作変遷を観ていただくことでも在る。
「りゅう王丸曼荼羅」と称することができる展示会です。
パンフレットや案内ハガキは既に郵送致しましたが、いつものことながら切手代が一番高く付くと感じます。

それでは、はがきのご挨拶文を紹介いたします。
松本市美術館  多目的ホール+ギャラリーA
2015-10月7日より12日  am10--pm5 入場無料
松本市稲倉1093 岩淵りゅう王丸 ℡ 46-2981

此の度の展示会は私(りゅう王丸)の人生の節目として 光明世界を描いて50年 として作品発表を計画してきたものですが、奇しくも兄(四季)も私と同様な制作意図で計画をしておりました。
すなわち70歳を過ぎた現在、他者の評価よりもいかにして己が存在してきたか、生き様を真摯に表した創作を試みていました。
兄は写真でもなく絵画でもない写画という技術で、我が家と関係深い松本市会田岩井堂を舞台にした「伝道空間礼拝」を制作。
さらに亡父 故岩淵大殿(1889年-1974年) も同年に岩井堂を背景にした「世紀姿勢曼荼羅」全8幅7mを描いておりました。
ほぼ同年の人生観や芸術観などの違いや共通性など、三様の世界をご覧頂きたくご案内いたします。
● 多目的ホールは「聖空間」として
故岩淵大殿 (1889年-1974年) 70歳の制作 ほぼ3年を要した制作で、哲学者とし自説の絵画化を試みたものです。「世紀姿勢曼荼羅」1.8mX7m  「羅漢図」ほか
「伝道空間巡礼」 岩淵四季想像可視世界 写画劇場第15幕
           寺社の文化財などを撮影。絵画も制作したことから写真をベースにPC    
         「塩尻市善立寺天井画・阿弥陀如来来迎図」実物大複製3mX4m  りゅう王丸
            写真撮影編集・・岩淵四季
            展示総数・‥20点
● ギャラリーA

光明世界を描いて50 りゅう王丸作品展
「私は何処から来て・私は何者か・私は何処に行くのか」F80-5枚 145cmX560cm
70歳を得た人生観・芸術観・宗教観などの総集編として描く。中途体調を壊し足掛け2年となった。この作品に至る経過としての、50年間の創作意図の変化を展示します。
多目的ホールとギャラリーAの2室お借りすることができ、異なる意図で展示致します。


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ryusun

つぶやき

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子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本