棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

きのこ

2016-09-29 14:51:03 | 山郷の暮し
んともウットオシイ天気が続いています。
日照時間は例年の4割以下のようですが、気温は高めですから梅雨時以上にカビ臭い。
いつものでしたらキノコ狩りの話になりますが、さっぱりです。
先日散歩で畦道を行きますと草むらにキノコが生えていました。
あまりうまくはない「ムラサキシメジ」でしたが、テスト的に一掴み採る。
酒の肴の一品として湯がき、大根おろしで食す。
「美味い」びっくりするほど香りと旨みたっぷりだ。
ムラサキシメジはどちらかと言えば苦く美味しくはないキノコなので、採ることはあまりなかった。

同じキノでもは生える場所によって味は千差万別だと聞いてはいたが、その違いを始めて味わった。
それではと、翌日は欲を出して採る。
三回ほどオシタシやみそ汁に入れて楽しんだ。

スカッと晴れ渡った空が早くみたいなー。

逆光の絵

2016-09-10 10:55:32 | 山郷の暮し
久しぶりに拝観したミレーの作品や、一連のバルビゾン派の作品から触発されたように、キャンバスを外にすえて制作したことは前回書きました。
ただただ素直に自然と向き合う中で、フット気がついたことがあります。

逆光の情景を描こうとしたとき、対象物をよく見るために光を遮るか、そうでない場合とではまったく違って見えます。
いまさら何だ・・と言われてしまいますが、あらためて朝方や夕刻の情景を描こうとすると、画面がまったく違ってくることに気がつきました。

逆光の絵といえばまず思い浮かぶのがミレーですね。
彼の作品は夕刻の光が多いのですが、人物などは光の中に深く沈みこんでいます。
つまり、ミレーは目に入り込む光をそのまま受けた状況での情景を描いているのです。
前回投稿記事にジュールのことを紹介いたしましたが、ミレーかと見間違えるほどの作品でありながらミレーよりもキレというかはっきりしている。
私はそこにミレーよりも現代性を感じているのですが、彼の視覚は逆光を遮り描き出していると気がついたのです。

皆様も、強い光を受ければ手で遮って対象を見ます。
当然ですが対象物は逆光の中に浮かび上がります。これを描くか、まぶしい状態を描き出すかの違いがあります。
どちらがいいということではなく、製作意図の違いによって光そのものの受け止め方も違っていたのです。
本当にいまさら何だ・・と我ながら思ってしまいますが、初めて制作体験し納得できたのです。

さて、我が作品ですが最初に手がけたのは、朝日が照らす以前の我が雑草畑です。
逆光とはいってもまぶしいほどではなく、さわやかな朝の情景を描く「晩夏・73歳の朝」。
真夏の勢いを失ってはきたが、実りをつけ首をたれた向日葵に、私自身の姿をたくしてみました。

つづいて2作目は日が落ち、空が色づいてきた夕刻の畑です。
ミレーの作品と同じような夕刻時間ですが、光を遮った状態でスケッチしました。
ミレー作品と情景はまったく違い比べるのは恐れ多いことですが、対象物をミレーのようにに暗く沈みこませることはしませんでした。
この画も私自身で、黙々とトマトを採取しているのですが、自分自身を観ている・思っているということでしょうか。

体内に眠っていた勉強時代が甦ってきました。


元気ですよ!!

2016-09-02 12:11:16 | 山郷の暮し
長い間投稿をしていませんでした。
「いきてるか???」と冗談ともつかない電話をいただいたりしましたが、実際いつ何があるのかわかりはしない。
といっても爆弾テロにあったりはすることは無いでしょうが、地震・災害はありうることです。

猛暑日もしだいに少なくなり、朝夕はめっきり涼し、虫の声も一段と賑やかになりましたが、
せんじつ38度という酷暑の真夏、10年ぶりに山梨美術館にいき、ミレーの作品に魅入ってきました。

美術館の建設当時からミレー購入まで山梨にアトリエがあり、当時のミレー購入の反対運動から、
「おらが美術館日本一」と変貌する過程をみてきました。
本当によく美術館にかよい、ミレーの画法を学び私のベースとなっていったのです。
今回久しぶりに鑑賞し、新たな感動を覚えませんでしたが、ひとつ大きな収穫がありました。
特別展示の作家で私はまったく知りませんでしたが、同時代の画家・ジュールの作品がありました。
ミレーとテーマも画法も似ており見間違えるほどの作品ですが、ミレーよりもスルドイ感じがします。
ミレーの牧歌的・旅情的なやさしい時空とは異なり、どことかく現代性を感じたのです。
脳裏に作風が焼きついてしまいました。

夕刻 相変わらず外の宴会テーブルで一杯楽しんでいると、わが雑草畑の盛りを過ぎたひまわりが唐突に私自身に思われたのです。
其の瞬間ジュールの作品が甦り、珍しく本当に珍しくクロッキーをしたのです。
何も考えず・思わず、ただ夏の夕暮れにただずむ向日葵です。

翌日から本画制作に一気に入りました。


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本