棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

トラジャ族の生活

2008-03-31 16:37:40 | 海外紀行文
壮大なお葬式の話の前に、私がお世話になった、トラジャ族の人々の生活ぶりを、お話いたしましょう。

町で知り合った青年が幾分か英語が通じたので、にわかガイドマンとして手伝ってもらう。
山すそに見える集落を目指し、棚田を適当に行く。
突然現れた闖入者に、広場で遊んでいた子供たちが泣き出すやら、いしを投げられるやら、大騒ぎ。
70年代にネパールの寒村を訪ねたときと、同じだった。
お土産用のビスケットや飴をとりだす。これは旅のコツでもある。
集落の人口は不明だったが、お年寄りと女子供ばかりだった。
学校はあったが、通っている様子は無かった。

集落は母屋(トンコナン)が5棟、作業場をはさんで米倉が平行に並ぶ。
周囲は竹林があり、建築材料として欠かせないが、水汲み・ザル・籠などばかりでなく、竹筒に米や肉などを詰め、火にかける蒸し器として、日常生活に欠かせない。

竹林とともに椰子林が広がる。
食料や油ばかりでなく、地酒(トアック)用の椰子もある。
バナナのような房状の茎を切り、樹液を自然発酵させたものだ。
高さ10メートル以上ある木の上部に竹筒がぶら下がり、回収にはまるで猿のごとき技で、木々を渡っていく。
インドネシアの中でも、特に旨いといわれ、どぶろくに似た味で、こりゃーイケル!!

トラジャ族は基本的には、稲作農耕民だが、米飯はぜいたく品で、サゴヤシの澱粉やタロイモだった。
塩味の菜っ葉煮ていどのおかずで、3日もしたらましなものが食いたくなってしまった。

特に貧しかった地域に入り込んでしまったかもしれないが、貧しい。かなり貧しかった。(別な集落では、小さな店はあったが・・)
美術品のような伝統家屋トンコナンだけに、一層ギャップを感じてしまった。

インドネシア-コーヒーの山里トラジャ

2008-03-29 11:36:06 | 海外紀行文
インドネシアの地図を観ますと、最も大きいのは前回書きましたカリマンタン島
その斜め下にKの字に見えるのが、スラウェシ島。
複雑な形の島で、
その中央山岳地帯がタナ・トラジャ
日本ではトラジャ・コーヒーで御存知の方も。

最初に出かけたのは80年代後半、まだ交通の便もよくなく、秘境といわれた地域でした。
確かに、予定時間とうりにはいかないバス運行でしたが、たいしたことはない。
山々に囲まれた郡都ランテパオに到着すれば、とても秘境などと称しては失礼な町。
ネットなどみますと、今は観光地化され、便利になっているようですね。

周辺の平地から山岳地帯に暮すトラジャ族は、ニアス族の人々とどこか似た雰囲気があります。
同じように、鼻筋がとおり高い。精悍な顔つきは、貴族的ですらある。
アジア人特有の、団子鼻・愛くるしい目・ずんぐりむっくりの身体、とは少し異なっています。

トラジャ族の伝統家屋は、トンコナンと言われ、屋根の形と言い、壁面のレリーフなど、インドネシアの伝統家屋の総合物のような作りです。
みごとな屋根材は、半割り竹を何層にも組み合わせたもの。柱・床材はやしの木。

中でも、ALANGと呼ばれる米倉は、母屋のミニュチュアみたいでひときは美しい。
鳥の飛び立つ形だとか、船型といわれますが、
私には、側面から見ると、水牛の角の形だと思いました。

母屋(トンコナン)の正面には、突き出た屋根を支える柱が立ち、そこには水牛の角がビッシリと飾られている。
祭事などで、水牛を振舞った証で、富の象徴だそうです。
また、守り神でもあり、特に白い水牛の木彫飾りは、地位をしめすものらしい。

トナジャ族の壮大な葬儀は、バリ島と同じく世界的に有名です。
私も、幸いにその一部を見学することが出来ました。

NHKの朝ドラ-ちりとてちん

2008-03-28 13:40:37 | チョット一言
NHKの朝ドラ「ちりとてちん」終わってしまいますねー。
けっこうはまってしまい、時には朝昼晩と観てしまったり。
それだけ観ていながら、役者さんの名前は知りませんが、お母さんがいいですねー。

印象に残った台詞が、あります。
「あんたのことは良くわかる。私のお腹の中にいたのだから」
というようなことでしたが、女性の本質を知らされ、ハッ!とした。

というのは、これから少し男的に理屈ぽくなってしまうのですが・・。
私は50歳半ばを過ぎた頃から、男は女性の手の内にあるのでは・・・
と思うよおになりました。
男女平等社会だといわれても、お題目のとうりでないことは事実です。
男女について心理学の本などをよんでも、どうも腑に落ちない。
よく称される男女の心理の違いなども、著者の多くが男で、理屈で女性を説明しょうとしている。

「ちりとてちん」のお母さん(全ての女性に)に、理屈ではないナニカを感じることができました。
男は、このナニカに理屈をこねる生き物なのです。
男は、お釈迦様の手の内を飛び回る孫悟空。

インドネシア-ニアス島

2008-03-28 10:27:31 | 大人の童話
現在は満足な産業の無いニアス島。
クラクラする暑さのなか、ようやくたどり着いた山奥の集落。
立派な石畳の広場中央にある、お堂のようなところで休んでいると、
「ニッポンジンデスカ。ジョートーネー。ビンタ、こわかったあるねー」と、奇妙なニホン語。
インドネシアにいけば、お年寄りから聞かされる、侵略日本軍の爪あとだ。
なんとニアス島にも一時期、日本軍が駐屯していたというから驚きだ。

東南アジアの旅は、「すみませんでしたねー」と、なんとなく自責の念にかられる旅でも在る。
そんな時、インドネシアの御老人は「サマサマ。あなたはわるくない」と言ってくれる。

インドネシア語で、最も素敵な言葉だ。
サマサマ--お互い様とも、気にするなとも。
欧米人にはない、日本も含めた東南アジア人にある、心情かもしれない。

ニアス文化の今ひとつの謎、巨石文化。
どこの広場にも必ず作られているのが、高さ2M以上はある、石積みの跳び箱だ。
実際に観たわけではありませんが、男たちの成人儀式として、飛び越えるらしい。
そのほか、直径2Mはある、すばらしい石テーブル。石柱・彫刻・椅子など限が無い。
不思議なことに、近在に石切り場がないことであった。

写真は数ある集落の一つ。
インドネシアの種族の多くが「首狩り」の習慣があった。
前記のダヤック族やニアス族は、60年ほど以前まであったという。
ニアス族は近年まで、村単位で戦争をしあい、苦役としての奴隷を確保しあっていた。
そのため、集落は見晴らしのきく、高台に広がっている。
長老から、やしのみ爆弾で戦った話など、面白かったが
ある村などは全焼し、古い家は消失してしまったといった。



ツーリング意気込みはよかったが

2008-03-27 18:37:12 | 賢犬さくら
ドドドドトーーー。眼下の国道を憧れのハレーが、存在感のあるひびきをこだまし、過ぎていきます。
あああ、オレもあんなでかいバイクの運転がしたい。
まずは大型の免許を取得しなくては、と思い立ったのは40歳を過ぎていた。

ともかくようやくとった。
さーナナハンで若い連中と青森までツーリング。
二日目にして、腰がガタガタになり、汽車で独り帰ってきた。みじめだった。

同じようなことが、そのだいぶ前にあった。
20歳代のとき初代モンキーを買い、北陸を一周。
初代のモンキーはスプリングが無く、震度はもろに。
確か、一日3時間も運転したらヘトヘトになってしまった。

今、物置から引っ張り出し、売ろうかなーと、磨いているところです。

話を戻すと、海外をフラフラしているうちに、免許の更新を忘れパーになってしまった。
今年は更新年。二回目は馬鹿だといわれてしまう。

インドネシア-ニアス島

2008-03-27 09:52:49 | コレクション
東南アジアの多様さの要因の一つが、種族の多さであろう。
ひときはインドネシアは、14000もの島から成り立っており、それぞれの小島にオリジナルの伝統文化が伝わっている。
現在の種族分布になったのは、たかだか300年あたり前から。
高い文化を育んでいる種族のほとんどは、タイ山岳地帯から、マレー半島をえて、長い歴史を得て、定着した海洋民族の血が流れている。
立派な伝統家屋の多くが、どことなく船を思わせる作りです。

赤道直下のニアス島。
村々を訪ね歩くトレッキングは、かなりバテタ。
ヒマラヤトレッキングで、歩くことには慣れていたが、炎天下の草息がムンムンとする小道はきついものだった。

昔は巨木が生い茂っていたと思われるが、島全体がキングココナッ林に変わってしまった。
この島に渡るとき、スマトラ島の人たちに言われた。
「ココナッツの好きなマラリヤ蚊が多いから、絶対にカヤをもっていけ」と。

夕刻、集落全体に蚊遣りの煙がたなびく様は、絵にもかけない、詩情あふれた一時でした。
現在はどうかわかりませんが、電気はなく、当然エンジン音などない。
石畳の広場は夜遅くまで子供たちの声が響き、遠くからカーチャンの呼び声がきこえる。

ニアス島、今、私がいの一番に行きたいところです。

 

インドネシア・ニアス島

2008-03-26 16:15:54 | コレクション
2004年スマトラ地震で、記憶にある方もいると思います。
その地震の報道に、いの一番に気になったのが、インド洋の沖合い100Kmの小島ニアス島だった。
位置から行って被害が心配されたが、一向に報道が無い。
現地に飛んでいないので不明だが、甚大な被害だったようだ。
ニアス島の検索をお勧めします

ニアスの伝統文化はかなり高度なもので、特に巨大な船を連想させる伝統家屋は、すごいものだ。
また、石造の技術は高く、巨石文化の島とも言われている。
島の中心部の山岳地帯の集落地は、石敷の広場を、巨大な家屋が囲んでいる。

ニアス族の人たちの顔つきは、精悍で鼻筋が通り、細面。どことなくアラビア人に似ている。
民俗学によると、彼等とよく似た文化が、インドとビルマの国境山岳地帯にあるらしい。
まだまだ研究が進んでいない、謎お起きニアス島である。

写真の木彫像は、全高30cm ほど。
シラハ・サラワと呼ばれ、先祖霊と豊穣祈願のもの。
右手には指導者の象徴の指揮棒
左手には、器をもち、そこに米粒をおいて祈っていた。
下記のアドレスの貼り付けに失敗。
ニアス島を検索→ヤフーオークションに参考になる説明があった

http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d9353894

この像は、泊めていただいたお宅のものだったが、巨大な住居に反し、経済的には困窮していた。
背に腹は変えられず、買ってくれとのことで、私にも大金だったが、仕入れたものだ。

ニアスの文化について、ぜひ書き綴ってみたい。

予算なし・バリのお土産

2008-03-26 14:34:57 | コレクション
石を投げれば日本人にあたるほど、人気のある島。ひときは女性たちに大人気の観光地。
私は搭乗したことはないが、日本からダイレクト便がある。
土産品となると、彩色された木彫が有名で、日本のいたるところで飾られている。

インドネシアはイスラム教徒が圧倒的だが、バリはヒンドゥー教徒の島。
本場インドとは、違った展開をしている。

緑豊かな南国の風物に、何もせず、ぼーーと幾日もすごす。
夜は島のどこかでもようされている、奉納踊りを目当てに、レンタルバイクで、でかける。
時には、でかけた集落のロスメン(安宿)に逗留。
土地土地には、日本酒ににた醸造酒があり、これがイケル。

金が無くなり、帰国の段に土産でもとおもうのだが、資金なし。
次回にすりゃーいいか。と、一番安いボールペン。
なんのことはない、いまあるバリのコレクションは数点しかない。

雷はニガテ

2008-03-26 12:56:23 | 賢犬さくら
昨夜から久しぶりに、とんそくおじさんが来宅。
残念ながら「トンソク」はなく、お蕎麦のお土産に、お父さんはごきげん。
上等なそば粉だと、話していましたが、私には、おじさんが料理した「マーボー豆腐」の方が、ズットうまかった。

私の苦手な雷が、朝から強烈な音を立て、すみっこで丸くなっていると、お父さんは「だらしがネーなー」と、笑います。
耳のいい私たちにとって、でかい音は、ニガテなのです。
どよーんとした空気が、冷たい風に一変してしまいました。

お父さんは、こたつに丸くなり、だらしが無い。
トンソク

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本