棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

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オークション

2017-11-27 17:23:58 | 山郷の暮し
私は他人が使用した物に嫌な思いはなく、同じものがお得に手に入るならばいいのだ。
一番いい例がカメラで、型落ちしたものや使用感があってもかまわない。
ただし、壊れていてはいけないが。

PCを始めたのは10年以前になるが、少しも上達はしないが使ってきたものは、全て中古品だ。
数台機能不全にしながら、PCの仕組みを幾分わかりだし、自分で記憶メモリUPやHD交換などをしてきた。
安く手に入ったという気楽さからだ。

中古品の購入はオークションが主で、たいした失敗はない。
日本刀の鍔をいただいてより、もっとほしくなりオークションを検索すればあるある。
しかし、骨董品はなにが本物で、適正な価格はあってないようなものだと承知しながら当初は「これがイイナー」と感じたものを3点ほど入札する。
落札日までは残り3日。

たいした価格ではないのだが、気になり時々チェックをすればUPをしだす。
わたしの自動入札価格を超えだしてしまった。
落札時間はいつもだったら「良い子のおねむタイム」か酩酊かいびき時間だ。
それでも、意地になってゆく自分に気がつき「やばいからここで止めておこう」とあきらめたり。

事前の落札タイムになったら自動延長になっり、「エッそんなことがあるのか」と初めて出展者の延長時間を知ったり。
水割りをちびりちびり飲みながら画面を見ているうちに「俺なにやってんの。アホらしい。寝よう。」

翌日チェックすれば、それらが落札されており早速取り引手続きをする。

なにか入札そして落札の過程が面白くなってきた。
ソレより適当な鍔を見つけツバをつける。
届けられたものを観て、なんとなくしっくりしないものがある。
写真写りのいい品物だったり・・。

骨董品にはあまり深入りしないように気おつけましょう。

写真の鍔はキンキラ金で、おそらく新物でしょう。
それにしても、値段的に割に合うのかなーー、などとおもったり。
真贋は買い手の問題ですものねーーー。
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日本刀の鍔

2017-11-24 16:53:29 | 山郷の暮し
懇意にしている医師は20歳代後半から日本刀に興味をいだきだしてから、50年近くなるという。
当初は骨董屋に進められるまま、小遣いの範囲(いくらだかわからないが)で購入。
だまされた事や、思いもしなかったものが手に入ったりし、時には10数本にもなってしまったという。
博物館や一流店の刀を観て眼を養っていく中で、無名の名品と感じるものを探し出す楽しみを見出した。

今は整理をし、数本であるが自信のある収集品だという。

当然なのであろうが、桐箱に入った鍔(ツバ)もどっさりあり見せていただいた。
私には物騒な刀身よりも意匠に富んだ美しいツバに興味が湧いてきた。
実践的な力強いもの。金銀豊かな象嵌物はどう観ても装飾目的で、実戦を離れたものとおもう鍔。
刀剣にはまったくの素人、というより興味がなかったが、美術工芸品としての価値は解る。

ずらーーと並んだ中に、大振りな何の細工もないツバに魅入ってしまった。
「それは明珍作の名品です。やっぱり目に付きましたか・・・」
それではさし上げましょう・・・、とはいわなかったが、
「文鎮にお使いください」と小振りながらゆったりとした雰囲気のツバを渡してくれた。
へりくだって文鎮にでもと言ったが、そのような品物ではないことはわかったので辞退したが、結局いただいてしまった。

この手入れはどうしたらいいのですかと問えば
「私は骨董屋さんと違い、素手でなでながら楽しんでいます。刀身では出来ない別な楽しみで、投機が目的ではありませんから・・・。」

帰ってよりツバのことを初めて調べてみた。
歴史から種類など盛りたくさんあり、酒ボケした思考では次ぎ次と蒸発してしまったが、そのなかで記憶に残ったことを記しましょう。

刀は戦では突き刺すのが技で、手を滑らせて自分の刀で切ってしまうことを避けるための、ツバで防止する目的から作られた。
映画のようにチャンチャンバラバラ、鍔迫り合いなどあまりないわけだ。
戦国時代以前は皮を張り合わせたものがほとんどだったようだ。

江戸時代になり戦がなくなってから、特に元禄以降はツバの目的は実戦ではなく、美術品またはステータスとして変化していった。
特に苗字帯刀を許された商人・金持ちなどがぜいを尽くしたものを造らせたようだ。
そんなものが、今日 博物館に展示されたり、骨董店で数十万円以上もすることになった。

いただいたツバを手の内で楽しんでいるうちに、医師の言ったように桐箱に入れておくのはつまらない、の意味を感じる。
私で買える範囲のツバを撫で回したくなってきた。

写真・・・、わかりにくいがウサギがあちこちにいる。裏面には浮き彫りされた大きなウサギが一匹。

オークションに出展されているのではないかと、検索が始まった。
次回はその顛末を・・・。
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早すぎる初雪

2017-11-21 16:22:28 | 山郷の暮し
昨夜 11時過ぎだったか、窓が黄色にチカチカするのでカーテンを開いて驚いた。
真下の国道254号を、融雪剤散布車が回転灯を回しながら作業をしている。
「こりゃー積ってしまう」と思わせる降り方だった。

今朝の谷は真っ白な雪化粧だったが、積雪は1センチほどで済んだ。
「サブーーイから散歩はシッコダケダ」とハナに・・。


10時過ぎに美術館に用事があるので、2キロほどで谷を抜ければまったく雪の気配もない。
なにか拍子抜けしてしまった。
市内は雪がなくとも、この谷には雪が積もってしまうことは珍しくない。
「家は雪が降ったよ」といえば「山の中だもんね」と、面白くもないことを言われてしまった。

夕方の散歩を早々に終えてきたが、凍てつく冷気が流れ、木陰には雪が消えていない。
それにしても早すぎる初雪ではないか。
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戦争・迫害 消えない人々の悲劇

2017-11-18 18:22:38 | 山郷の暮し

20世紀は戦争の世紀だったといわれ、21世紀以後はその愚を繰り返さない世紀への幕開けになるのかと期待していた。
だが、紛争はあちらこちらで勃発し、ニュースも新しみを感じなくなるほど感覚が麻痺してしまった。

現在 中東・アフリカばかりか、仏教徒によるロヒンギャへの殺戮はゾッとするほどおぞましい。
ネットには生々しい映像が流れ息を呑むほどだが、不条理にたいして若かりしころの怒りがこみ上げて来ない。
正直 麻痺してしまった感覚に私自身が悲しくもある。
そこで思い出した作品がある。
以下は、2010年に戦争という人類の愚かな行為をテーマに描いてきた作品展示会のキャプションを紹介します。

何という戦争なんだ 1985年制作 f100 油彩

1970年ベトナム戦争は拡大し、米軍はカンボジアまで侵攻していった。
米国がまさに泥沼に入ってゆく中、日本では軍需景気で湧き上がり「大阪万博」でうかれていた。
そんな日本であったが、アフリカでは民族間紛争が拡大。特にビアフラは生活物資も途絶え、餓死する子供たちの写真が次々と報道された。
(後で暴露されたことだが、時のビアフラ政府の為政者たちの情報操作で、国際援助を受け莫大な利益を得て取得していたらしい)
その後ビアフラばかりでなく、民族間紛争は絶えることなく勃発し、そのたびに弱き市民が犠牲になってきた。

85年、アメリカのミュージシャンが立ち上がり、アフリカ飢餓旧救済チャリティー・コンサート WE ARE THE WOLDで あった。

今こそあの声に身を傾けるんだ 
今こそ世界が一段となって
人々が死んでいく 命のために手を貸すときが来たんだ

飢餓状態の子供たちの姿は、インドの旅で数多く観てきたが、正直わたくしにはどうすることもできなかったジレンマがあった。
(心に残るとっておきの話・潮文社--インドにて--記載)
ならば、その子供たちを真正面に捉えようと、激しい憤りを持って描いた。
しかし、政治色が強すぎると中央画壇からは冷遇され、画壇と決別するきっかけになっていった。
自分が目の当たりにしたリアリティーをベースに、真の告発・叫ぶ創造へとなっていった記念的な作品です。

今一度作品を見直し、私自身を考えなくてはならない。
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晩秋

2017-11-17 10:56:09 | 山郷の暮し
今朝は畑地を霜が一段と強い白色に変えていました。
お日様の暖かさを感じる9時ころに散歩に出れば、桑の葉が自らの重さに耐えかねてハラハラと落ちる。
いよいよ晩秋にはいったのかなーー、とチョットうすら寂しくなる。
なんとなく気になっていた「シマヘビちゃん」も冬眠に入ったか、行き会うこともなくなった。


昨年は「色の終わり」と奇妙な題名とも思える暮れ行く渓谷を描いた。
(16-11-14日投稿)
一切の光が闇と化してゆく寸前の輝きの中に、孤高な心持で釣りをしている私なのです。
漁夫の利を得ようなどという欲心はなく、釣り針さえついていない。
大自然と一体化して行く心境を描いたものです。

さて今年はどうかというと、腰が再び痛み出しなんとも気が上がって来ない。
早い話が制作欲がまったく湧いてこないのです。
ともかく足腰を冷やさないように注意をするのが肝要で、リハビリ体操も大いに有効なのですがこれがなかなか一人では続かない。
以前のような大事に至らないように、トボトボと散歩をしています。
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深まり行く秋

2017-11-10 11:36:05 | 山郷の暮し
昨日旧知の友がふらりと訪れ、お日様を浴びながら酒なしの談笑。
たわいのない話の中で友が「晩秋というのはいつごろなんでしょうねーー」と。
確かにどんな様子を晩秋というのかわからないが
「桐葉落ち天下の秋を知る。」というような句があったが、私は桑の葉がいっせいに散るころだと感じると答えた。
二抱もありそうな桐の葉は散るというより、バサリッと落ちる。
我が家の桐も黄色くボロボロになっているがまだ健在だ。




今朝は2-3度と一番の冷え込みになったが、まだ桑の葉も散らずにいる。
冷たい気の流れが緩んだ9時過ぎに散歩に出る。
あまり良い色ずきではなかったが、ここ3-4日の暖かさが幾分色味を豊かにしてくれた。
緩やかな風に桜の葉が次々と舞い散り、部屋に差し込む光が強くなった。

先日投稿した「動けなくなったシマヘビ」だが、日中の気温が上がったおかげで巣穴に戻れたのか見当たらなくなった。

ひえーーサブーーイ。と言うのもまじかですねーー。


下の川原を縄張りにしている白鷺です。
この鳥の優雅に飛ぶ姿を写したいのですがバカチョンでは無理。
今朝はめずらしく松のてっぺんでキョロキョロしていました。

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動けない蛇

2017-11-05 17:36:15 | 山郷の暮し
文化の日はスカッと晴れ上がりましたが、昨日はどんよりとした雨空で寒かった。
今朝は3度くらいと冷え込み、霜が降りていました。
朝一の散歩は9時前後とお天道様が顔を出してからになり、上着も日に日に厚手になっていく。


朝の散歩道で(夕方は別なコース)10日ほど前から同じ所で出会う「シマヘビ」がいます。
今朝の寒さの中でもジーーとしており、死んでしまったのかと思いましたが、ハナが鼻をちかずけるとわずかに頭を上げました。
元気なときはサッと逃げてしまい、まったく心配のいらない蛇なのです。

昨日などはそぼ降る雨に動けず、なんともかわいそうになった。
といっても、石垣にむりやり入れ込むわけにもいかず、枯れ草をかけてやった。
自分の力で巣穴にもどるかぎりどうしょうもない。

ハナも動かない蛇には興味も湧かないようで、しらんぷりだ。

この蛇がマムシだったら、文句なくタタッ殺すところですが・・・。
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日本晴れ

2017-11-03 16:48:39 | 山郷の暮し
「日本晴れ」なんて久しく使わなかった言葉だ。
文化の日は確かに晴れあがり、雨降りの記憶はないほどだ。
今年は天候不順で紅葉の色つきも悪く、茶色一色で期待は出来ない。
秋の実りはどうなのかわからないが、散歩道でのどんぐりや栗はあまり良い出来ではなさそうだ。
この辺は熊さんの心配はないが、たぶん餌不足で里に下りてくるのではないだろうか。


先日は霜も降り、発情した雄鹿のどこかもの悲しい声が響きます。
(口笛をながーーく吹いた感じ)
急速に秋が深まっていきます。
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ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本