棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

3-靖国神社を考える

2018-08-14 16:31:32 | 山郷の暮し
 話を当初のプライムニースに戻ると、番組では遺族会会長を務めた政治家が戦犯を合祀されることに
遺族会全体が強く反対をしてきたが、突然合祀の決定が報道されたらしい。
まったく寝耳に水の思いであったと・・。
その時の松平宮司の隠密裏ともいえる独断決済だったようだ。
 
 この松平宮司の本音は、太平洋戦争は米国による策略であった。わが国は決して悪くは無かった。
それゆえに戦犯を合祀するのは当然である。
 昭和天皇が一度だけの参拝(正しい語彙は知りません)されたことがあるが、戦犯合祀以来お止めになったと言う。
そのような流れに対し宮司は、天皇参拝などは特に望んでいない動きに出たと言う。
想像だにしなかった解説に、正直びっくりしてしまった。
それゆえに、自分の思い込みや誤解をこれはしっかりと思い、整理しなくてはならないと感じたのです。

 また、神道は成否を決める教典が無いので、各神社宮司の判断で決まってしまう。
其れに対し異議を唱えることは不可能で、結果的にまちがっていたとしても元に戻すことができない制度らしい。
それゆえに「A級戦犯の合祀 12名(2名は時の文官でこれも不可解)」は松平宮司の独断的・突然の決定であった。
そしてこの問題はますます国際問題となっていることはご承知のとおりで、宮司の独断に短を発しているというのです。
 この松平宮司について検索してみますと、どっさりと賛否がありました。
是非 開いてみてください。

 では本題について・・となりますと・・・。

ネットで検索した程度の付け焼刃ではとても解決できるものではない。
一人ひとりが関心をもって調べてみることがたいせつです。参考までにコペパをします。

 歴史認識に関する問題
靖国神社は、戦死者を英霊としてあがめ、戦争自体を肯定的にとらえているのだから、そのような神社に、
特に公的な立場にある人物が参拝することはつまり、同社の第二次世界大戦に対する歴史観を公的に追認することになる、
として問題視する意見が存在する。
そういった立場からは、日本の閣僚は同戦争における対戦国に配慮し靖国神社に対する参拝を禁止・制限あるいは自粛すべきとする主張がある。

 最後に私の考えを示すと、靖国神社は一宗教法人。早い話が法律的にはあのオーム真理教と同じなのです。
まるで国家宗教団体かのように、国の長が出向くのは本末転倒だと断定します。
ネットなどで様々な説を読んで見ますと、まだまだ私自身の考えを示しきれませんが、
終戦記念日を迎えるにあたり、2010年の個展 Humanity Peace Hope のタイトルが蘇りました。

冒頭の写真はタイ仏教の「祈りの像」です。本文と直接関係はありませんが、大乗仏教ですと菩薩か観音になってしまいますが、南伝仏教はあくまでもお釈迦様を尊崇します。
合掌する像は数々ありますが、衆生が真摯に祈る美しい姿だと思います。
蛇足ですがタイの仏教美術に観られる肩から炎のように立ち昇る衣装は、オーラを表したのではないでしょうか。

靖国神社を考える-2

2018-08-13 14:23:42 | 山郷の暮し
 靖国神社の問題にたいし感情論になってしまうのは、私ばかりではないことに、この問題の難しさがありそうだ。
一つの要因と思うのは神道には、大宗教のような教典又は神学等がない。
つまり教えに対して成否の判断ができないか、あいまいになってしまう。
 神社の構成が宮司に負かされ、それぞれに運営されている。
統一された教え又は導き等がないゆえに、宮司の決定に賛否を問う基本的な綱領が無いらしい。

 神社は何がしの神様がおいでになる。
または降臨される祈りの場であることには否定すべきではない。
一神教の宗教体系にとって、神道の八百万の神々の感覚は不思議なことらしいが、私のささやかな辺境地への旅の経験から、
豊かな自然環境にはぐくまれた日本国土ゆえに生まれ育った宗教観だとおもう。
長野県護国神社境内の慰霊碑
 
 御来光に思わず合掌をし、非日常的なパワーを感じ取る受動態を宿している日本人。
巨木・巨岩・山野に対して、それが神様だと認識しなくとも、ても同じような感性を持つわたしたちです。
そんな私たちに天皇のために戦って亡くなった御霊(英霊)を神社に祀るとは「神様にする」ことではないだろうか。
下卑た言い方をすれば、なにもご褒美が無いから勲章をあげて「神様の扱いをしよう」とでもいうようにだ。
靖国神社はそんな自然観から生まれた日本人の心・信仰心 から乖離したものではないだろうか。
 
 浅学で靖国神社の歴史を薀蓄できないが、今日の問題は当初から問題があったうえに、とんでもないことが起きてしまった。
太平洋戦争で亡くなった方々の英霊を合祀するのは100歩譲ったとしても、A級戦犯を合祀し、時の首相が参拝を始めたことにより、
侵略を受けた国々から猛反発を受け始めた。当然なことである。


 プライムニュースから知ることができた数々に驚きとともに、まさに眼からうろこが落ちる思いであった。
 

靖国神社を考える-1

2018-08-12 17:46:35 | 山郷の暮し
 靖国神社を考える-1
 先日のプライムニュースで「靖国神社を考える」というような番組がありました。
出演者の名前は出てきませんが、遺族会会長の政治家と歴史家そしてジャーナリストでした。

 正直 靖国神社と聞いただけでなにか最右翼の本部、又は日本をまちがった方向に向かわせた上、終戦後は反省も無い存在だと忌み嫌っていた。
私のそのような思いはどんな認識からなのか、特に思いも及ばず今日まで来た。
確かに靖国神社の成り立ちや、小史などを読んだことはあるが、頭の中に沈殿したことは「明治維新」で亡くなってしまった兵士を英霊として祀り上げた維新政府の政策でもあった。それゆえに天皇に盾を突いた西郷を始めとする人々は排斥されてしまった。
 そして、その後につづく戦争で亡くなられた人々に勲章を与え神様の扱いにしたのだ。
 
  注--冒頭の写真は「長野県護国神社です」

 今でも田舎の墓地に行けば、日清日露戦争そして太平洋戦争時代の「○×勲章・・」と刻まれた立派な墓石を見ることができる。
誤解を恐れずに書けば、水飲百姓が最終に得た誉れである。
皆から「お国のためになり、親孝行な息子だ」といわれたのであろう。
必要以上に大きな墓石を見るたびに、「お国に尽くした」と評した国家の欺瞞を感てしまうのです。、
そして、その思いが靖国神社へと連なり、正規な学識よりも感情的になってしまう。
そんな浅学の私の感情はどこからくるのか、今回良い機会なので考察してみた。

 靖国神社と言えばまず思い出す光景がある。
東京に在籍したころ靖国神社観光にふらりと出かけたことがあった。(特に記念日と関係が無い)
大鳥居をくぐったとたんなにかイヤーーな気分になったのは、日章旗に日本軍の国防色軍服を着た鉢巻姿の若い一団を見たからだ。
もはや前に進む気がうせ、そのまま帰ってきた。(当時は今ほど大音量で騒ぎ立てていなかった)
そのとき以来とは言わないが、日章旗イコール国粋主義者・戦争となってしまった。
 日章旗といえば、学校ばかりではなく祭日には一般家庭も玄関先に飾ったものです。
旗竿を掛ける金具がついていましたが、いつの間にかそのようなことは廃れてしまった。
もし、今も日章旗をかかげたらご近所から要注意と倦厭されることでしょう。
 靖国神社と日章旗、そして国防色といわれた薄茶色の軍服が連想してしまう。
理屈抜きにイヤーーな気分になっしまうのです。
 そんな気持ちにさせる深層心理の作用として、記憶にまったく無いが思い当たることがある。
私は昭和19年(1944年)東京生まれ、大空襲で焼きだされてしまったのだ。
まったくの感情に過ぎないことで、問題の本質ではないことは十二分に承知をしているが、私にナニカがしみ込んでいると思っています。

かんぴょう

2018-08-11 18:44:58 | 山郷の暮し
雨の気配がある夕方の散歩でお婆ちゃんが「兄さん、干瓢もっていきましょ」とでっかいやつをつきだす。
「食べ方を知らないし、いいですよ」とご辞退したが、どうしてもと言うことになってしまった。
正直 それを持って帰路に着くには重過ぎる。
足元に小さいやつがあったので「お婆ちゃん、それでいいわい・・。」
「小さいやつはまずいから、コレにしましょ」と中型ものと小さなもの。

一度湯がいて灰汁を取るのだそうだ。

犬のハナが運んでくれるわけでなし・・。ありがたいがしんどかった。
家に着いたときは腕はビリビリと、しばらくは上げることもできなかった。

味噌汁・鉄火とういろいろ調理ができるようだが、晩酌には向きそうにも無い。

人類の愚行を観る私

2018-08-09 16:13:53 | 山郷の暮し
人類が絶対に忘れてはならない日です。
冒頭の作品は80年代に描いた「人類の愚行を観る私」F30です。
60-70年代にかけるベトナム戦争が終焉しても紛争は収まらず、中東地域へと広まっていった。
安保闘争からベトナム戦争反対とじっとしていられなかった時代、
絵を描く者として「人類の絶対してはならない愚行」
として戦争や紛争などをテーマとしとた作品を制作してきた。
残念ですが原子爆弾はますます拡散し平和は遠のいていきます。
この作品の題名を「人類の終焉を観る私」にならないようにしなければなりません。


2010年に「終戦65周年 人類の愚行を描く」と個展を開催した。
終戦75周年に向けて新たな作品と、展示会を練っている。

偽りのマリヤ

地獄図部分

話を作品に戻しますと、しっかりとした構図でよく練られている画面だと思えます。
制作当時は日展系の画壇に属していましたが評価はひくく、むしろ倦厭されたくらいでした。
政治的や宗教的な作品を嫌う日本画壇そのものを知らされていきました。

ある兵士の帰国・・蝉殻を使ったオブジェ

残念なニースがありました。
普天間飛行場の辺野古への移転阻止を貫いた翁長知事の死去に「あまりに急すぎる」と、
移設反対派らから惜しむ声が相次いだ。
気骨のある政治家であったと思います。


8月6日 白日夢

2018-08-06 09:38:00 | 山郷の暮し
18-8-6 広島原爆投下--平和記念
今日は広島原爆記念日。1945年と同じ月曜日だとニースでしりました。
同じような猛暑のなか、戦時下であえぐ人々を一瞬に地獄の業火に包んでしまった。
いまさら私がつたない言葉を綴っても虚しく、平和記念での阿部首相の挨拶と同じく実のない虚しさをんじます。

「8月6日 白日夢」F50
この作品は昨年に制作したもので、松本の町とアルプスが一望できる高台の畑地からのものです。
山梨から帰る中途のことで、今でもしっかり脳裏に焼きついています。
湧き上がる入道雲に雷がしきりと輝き、アルプス連山は黒雲に掻き消え集中豪雨が振り出す。
畑仕事をしていたご夫婦が雨風に押されるように帰路に着く。
思わず「すげーー。」と感じ、これは絵になると直感した。

当初は観た情景を描き出すことであったが、しだいに其れだけでは意図として満足ができなくなった。
そんなとき迎えたのが8月6日であった。
平和式典の中継を観ている内に閃いたのが、原爆投下をイメージした作品にすることであった。
雷雲のたれこめた黒雲は、原爆の黒い雲であり、最手前のヒマワリは、被災された人々を象徴した。
それで一応完成とした。


今年の春にこの作品をあらためて観ている内に、完成はしているのだがなにか物足りない。
高まる感情のまま描いてはいるが、体験者の描いた絵にトテモ及ばない。
ならば、もっとシュールにしようと、私の作品で時折登場する「分身」ともいえる少女を描き、構成を変える。
「8月6日白日夢」とした。
しかし、言うまでも無いが、原爆投下は現実のものであった。
被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准せず、今日の首相挨拶にも触れることが無かった。 

早朝の田園

2018-08-01 10:27:44 | 山郷の暮し
熱いです。くそ暑いです。
先ほど宅急便のおっちゃんが「松本のさわやかな夏は何処へ行ったダイ!!!。」と汗を噴出し品物をとどけてくれた。
さわやか信州の夏は刺すような陽射しで、元気なのは油蝉のみ、一層暑く感じる。
それでも楽な方なのでしょうが、日中は犬のハナとともにグたーーとしています。

本当に暑い地方の方々にはもうしわけが無いのですが、朝は本当にさわやかで農道の散歩は信州ってイイなーーとしみじみ思います。
緑色の稲の絨毯が広がり、朝露が宝石のごとく輝き、柔らかな風でハラハラと消えていきます。
そんな田んぼにわが身を映してみれば、影の輪郭が後光のように輝きます。
光と水滴の微妙な現象なのでしょうが、これはなんとも心地よくなり、わが身に手を合わせてしまいます。
写真では判りにくいと思いますが、朝日が昇りきらない時間帯に見ることができます。
もし、田園地帯に出かけることがあったら、早朝の散歩をお勧めいたします。

話を少し広げますとわが身が後光のごとく光り輝く現象で有名なのが、山などで起きるブロッケン現象です。
私も数度経験がありますが、ボヤーとした輪郭が虹色になり、幻想的な神々しさに感動しました。




コレは高山に限らず、霧などが立ち込め背後から光を受けたときなど、霧の中に浮かび上がります。
実は我が家の玄関先数メートルさきは落ち込み、花畑になっています。
秋から冬にかけ一帯に濃い霧が立ち込めると、背後から受けた街灯でブロッケン現象が起きます。
写真に撮ったことはありませんが、今度機会があったらフラッシュでもたいて--笑い--挑戦してみましょう。


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本