棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

身近な温泉場

2017-07-26 12:34:04 | 山郷の暮し
ここ3-4日なんともうっとおしく、重苦しい天気が続いています。
豪雨で災害にあわれた地域の方々に比べたら申し訳ありませんが、かび臭い雨はうんざりします。
こんな時は近くの浅間温泉の指先がチリチリしてくる風呂がスッキリしていいのですが、
その公衆浴場が先月でフリーで入浴できなくなってしまいました。
つまり200円の入浴料から、月ぎめの会員制3000円になってしまいました。
その理由は、管理をしている組合員の方々が高齢になり、客が増えるほど大儀になってきた。
行政の支援もあるのではないか、の意見も考慮したが結果として
「やる気がなくなってしまった」と言うことです。
これはもーどおしようもありません。

会員制にして、鍵を持った人だけに入浴をしてもらう、ということで、浅間温泉の名湯がまた一つ消えてしまった。
小さな風呂場は点々とあるのですが、しだいに会員制になってしまい、現在てごろな公衆浴場としては一軒になってしまった。
この風呂も悪くはないのですが、極熱風呂好きの私には物足りないのです。

浅間温泉は歴史も古く、松本藩時代は藩主などもお忍びでやってきたところ。
幕末には多くの文人墨客が宴会を開き、中でも「東海道膝栗毛の作者 十返舎一九」なども來松しているから、きっと温泉を楽しんだことだろう。
そんな旅館も当の昔に消えてしまい、今浅間温泉で浴衣姿で歩む人を見ることはない。
さびしい限りの温泉場となってしまいました。


制作日記

2017-07-13 09:11:08 | 山郷の暮し
草花も一気に成長し、我が家の「ズクなし菜園」にもトマトがいくつか実をつけてくれました。
添え木をし、ワキ芽をつまなくては成らないようですが、ワヤワヤと伸び放題で、葉も茂っている。

パクチー(コリアンダー)毎日摘みながら、あのカメムシにそっくりな香りを楽しんでいる。
正直ほって、放てもどんどん伸びてくれるので楽である。

とまーー夏は楽しく制作も気合が入り、時には5-6時にはアトリエに入り午前中いっぱいの仕事になる。
今年は暖かくなった四月下旬から、いままでにないくらい爆発的に制作をしている。
次々と浮かび上がってくるテーマは、風 なのである。

最初の大作は桜の満開も過ぎた うてな の赤茶色の桜と、燃え上がるように咲いている赤い花桃。
そして、最後の花びらが吹き飛ばされる花吹雪。我が家の縁側の風景を感じたまま描き出したものだ。

その次の大作は(91x182 3枚)激しい風ではなく、優しく薫る 薫風 を描き出すために水面の模様や花いかだを描く。

そして、惰性ともいえる描き出しだったが、窓に吹き込んだ風風景を描き出す。
その発想の元がなぜか1997年にホンジュラスに行ったとき、赤道直下の激射で遺跡見学はおあずけ。
安ホテルに寝転んでいるときに、暇つぶしに花柄のカーテンがかかった窓を撮る。当然フイルム
たしか白光色に輝く中に教会の尖塔が見えていたのであるが、未熟な写真技術では写っていなかった。
なぜかフッとその写真を思い出し、ソレを元にイメージを膨らませて「窓・薫風 F30 73-91cm」




そして同じ構成で夜の風景だ。「ささやく夜」または ウインディの夢 は意図的過ぎるか・・・。
当初をは朧月夜に鳥や魚などをファンタスチックに描くつもりであったが、現実の月夜(その夜は薄曇りの上弦の月)
観月をしているうちに「何の説明的なことはせずにこのままの夜空が描けたらいいのだ」と悟る。

窓ガラスに映った食卓風景の構想は、1990年の旅で、ドイツのお宅に御呼ばれになった時を思い出す。
特に何も無かったが、ローソクに火をともし、ワインにクラシックが流れ、なんとなく時が流れた気がする。
まったく忘れていたことだったが、描いているうちに場所などをはっきり思い出したのは我ながら不思議だ。




ひとつひとつの経験がスパイスとなって、作品に味わいを加味してくれるものなのでしょう。

小さな果物

2017-07-06 10:17:45 | 山郷の暮し
特別大雨警戒 が発令されている福岡・大分県。この警戒予報は始めて聞く言葉で、大変なことになっているようですね。
これから被害が明らかになってゆくのでしょう。
なにぞと無事であることを願っています。

小生の地域も、昨日は一時激しい雨音に包まれてしまいましたが、眼下の女鳥羽川の増水もたいしたことは無い。
散歩コースの小さな澤がチョロチョロ水から、それなりに濁り水が増えていますが、それも2-3日で元に戻ってしまうでしょう。
被害にあわれている方々には申し訳ありませんが、農家にとって水遣りの手間 から開放された事でしょう。

さて、梅雨の時期は桑グミや木苺が食べられるときでもある。
散歩コースではところどころで摘みながら・・。
3年前に亡くなった賢犬サクラはこの桑グミが大好きでよく食べていましたが、孫のハナはまったく関心が無い。

グミは黒色に近い紫色に口が染まり、通称「トドメ色」といったが、今の子供は桑グミが甘くおいしいことすら知らないようだ。
学校帰りの中学生が「おじさん、そんなの食べれるンですか?」と。

木苺はあまりみつからないが、薄い甘みは「上等な水菓子」のようだ。
これなどは知る人のほうが少ないかもしれない。

今朝の散歩は陽射しをいっぱい受け、口・指先をトドメ色にし、口直しに「木苺」を数個食す。

写真上は 桑グミ・・大きいものは2センチほどある。注意をしなければならないことに虫。特にあの強烈な匂いのカメムシがいることだ。


木苺で1.5センチ大 グミほど実ってはいない。

夏の使者 おお紫蝶

2017-07-03 15:37:10 | 山郷の暮し
夏の使者 と思っている「おおむらさき蝶」が一羽窓ガラスでジタバタしていました。
今年初めてで、いよいよ夏になるのだと感じます。
今日は一羽でしたが夏日の気温になると数羽、それ以上訪れてきます。
人懐っこいというか恐れないのか、頭や肩にとまったりする。
時にはおでこなどをなめ回し、「オイ・・くすぐってー」と。
くもの巣に引っかかったものを救出することもある。
砂糖水などを置いておくとチューチューと吸い込むのがよくわかる。

これから飛来してくる蝶たちは、羽もしっかりして光り輝いているのだが、しだいに羽も破れ色もうせてゆく。
くもの巣の下にバラバラになった残骸を見るとなんとなく悲しくなる。

アゲハチョウが卵をつける「カラタチ」も15年もたち、かなり大きくなった。
当然 きれいなアゲハチョウがたむろしてくれる。
この蝶はおお紫ほど愛嬌がよくないが、ハナ花を渡り歩く様は何処と無く優雅である。

梅雨も上がり、猛烈な暑さもこれからであろう。


しっかり開ききった瞬間は撮れませんでした。
写真は難しいものですね。

間抜けな話

2017-07-01 10:02:25 | 山郷の暮し
南国地方に大雨をもたらした梅雨前線はいよいよ関東北緯に移ってきました。
昨夜からしとしとと小雨が降り続いています。

さて、間抜けといいますかアホなことですが、愛犬ハナとWan!!/GyaO!!と四つんばいになって遊んでいた。
私自身の運動(?)をかねて、腰を痛めない程度に動き回るのです。
私が跳びかかる真似をすればパット逃げるのですが、たまたまハナが跳びかかるタイミングと同じになってしまった。
GATUN!!ギャ!!となったのは私だ。
眼がくらくらし、ポタポタと血が滴り落ちる。
眉毛を切ってしまった。
ハナは危険を察したかどこかに隠れてしまった。

出血はまもなく止まり、たいした傷ではなかったが3日過ぎ、ようやく痛みが治まった。
決してハナは悪くは無い、私自身の間抜けなことでした。

さて話は変わりますが「間抜け」の意味を改めて辞書を引きますと「することにぬかりのあること。とんま」とありました。
特に変わった解釈ではなく少しがっかりした。
というのは「間」は大切なことで、落語などはこの間の取り方しだいだと言われるほど。
あらゆる芸能でも同じことですが、われわれの生活にも「間」のとり方の必要を改めて言うまでもあるまい。
というようなこともあり「間抜け」は頓馬ばかりではなく、もっと複雑な裏意味があるのではないかと思ったのでした。
まーーらちもない間抜けな話でゴンス。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本