棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

ただ今製作中

2008-07-31 11:39:14 | 創作活動
昨日、ブロクがお休みしているので、腰痛がひどいのではないかと 心配した友が来宅。
ありがたいことです。
確かに治まったわけではないが、製作に気合が入ってくると、ほかのことはあまりしたくなくなってくる。
いつしか背中を曲げた姿勢になってしまい、肩もこってくるが、身体は至って健康で、酒も美味い。

作品は身心の調子がそのまま描きこまれてしまうから、できるだけ健康な状態がよい作品が生まれる。
腰痛というハンデーを抱えてしまったが、精神的にはいたって健康で、作品への思いも充実している。
ただ今製作の千手観音曼荼羅は、「仏画」といわれる法事などの仏教的行事のためのものではない。
千手観音というお姿をお借りして、生命が満ち満ちているこの世を歌い上げているのです。
それゆえに、佛教教学の千手観音ではなく、曼荼羅世界を現わしているのです。

少々へ理屈ぽくなってしまいましたが、生命の尊厳と歓喜を、宗教家的な解釈でなく、芸術家としての感性で現わすことです。
7月14日投稿の「ただ今製作中」よりもかなり描きこまれてきました。
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朝なのか夕暮れなのか

2008-07-28 08:45:14 | 山郷の暮し
今年の夏は稲妻ピカピカ・雷鳴ドカンドカン・大粒の雨はドヒャドヒャ
よくまー夕立があります。
野菜にはいいのでしょうが、コレも過ぎると困ったもので、倒れてしまったり、ブクブク大きくなりすぎたり。
ターイヘンのようです。
我が家のヒマワリは、みんなオネンネしてしまいました。
それにしても、今日は夜明けなのか、夕暮れなのか・・・。
行きかう車はライトを点けています。
そして、ドバーーーと雨が。
肌寒いくらいです。

写真は、昨日の夕時の東の空・・・東京方面・・・で、茜色が反射して谷は奇妙な光に包まれていました。
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イモリの赤ちゃん

2008-07-27 16:54:07 | 山郷の暮し
水槽でのイモリのたまごを発見してより観察日記をつけていました。
ほぼ25日して、ゼリー状の透明なカプセルの中に、目玉が確認でき、時おり回転をする。
ぜひ孵化する瞬間を写真に撮りたいと、ジーーーと待機していた日もあった。
なにぶん、何時どのような時に孵化するのか資料が無い。
一ヶ月して、早朝はあったカプセルが9時頃にはつぶれている。
水底に1.5CMくらいの、めだかに似たイモリノ赤ちゃん。
首の周りにはヒレのようなものが、マフラー状にある。
手足は見えない。

孵化して3日目のは、本当に小さな前足が確認でき、底を歩くように泳ぐ。
4日めの今日は、更に小さな後ろ足が見える。
写真では確認できませんが、ちゃんと五本の指があります。

さて、イモリの親は3匹で、卵も3つうみました。
一番大きかった卵はまだ孵化していません。
死んでもいないようで、孵化の瞬間が撮影したく、カメラをすえたまま。
暇というか、腰痛で行動がままならないから、アホみたいに腹ばいになって眺めています。
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奴さん

2008-07-26 18:01:21 | エッセイ・随筆
親ゆずりのヤッコ好きで、3日も見ないと一ヶ月もお眼にしなかったほど。
好きがこうじてつくったほどだ。

今夜は久しぶりにご対面し、一杯やれる。
そおーー。ヤッコといっても凧ではなくて奴豆腐のことです。
充填豆腐であろうが、なんたら能書きをいう豆腐であろうがなんでもOK。
京都の有名店で食したが、わが松本の豆腐はウマイと思った。

蕎麦すきが色々能書きをたれて、蕎麦を打ったり、食ったりするとはちがう。
あればいい。できるならば絹ごしではなく、木綿こしがいい。それもカタイのが。
お皿などを重い石にして、水をきって食す。
パックに入っている水は甘みであり、味噌汁にいれてもいい。
だが、痛風にはヤッコはよくないらしいが、諸説あります。

むかし、ちょっとした割烹料理店で冷奴といったら、親父が
「そんなものは料理ジャーネーから、うちにはありません」ときた。
「こんなうまい料理をだすんだから、手作豆腐に決まってるジャーネーカー」
と、大見得切ったら親父はだまってしまった。
面白いもので、それから親父とはきがあってしまった。

そろそろヤッコで、カーチャンからの形見の薬缶で、焼酎をおかんする時間だ。
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赤貧だった芭蕉

2008-07-26 10:33:10 | エッセイ・随筆
私とくに俳句に造詣があるわけでなく、むしろ知らないのですが、思い浮かぶのはほとんどが芭蕉の句だ。
すごいことだ。優れた物体ならば文化財として保存されていくが、忘れ去られてもいく。
ところが、実体の無い「ことば又は文字」によるものは、永遠に続いてゆく。
理解の仕方は時代によって 変化してしまうのは当然だが、そのものは変わらない。変わりようが無い。
そんなすごいものを表した松尾芭蕉さん(1644-1694)は、具体的にどおやってオマンマを得ていたのであろう。
芭蕉の句からは生活臭はなく、苦悩も無い。
といって、自然を歌い上げても 万葉人のような、素朴な自然への驚喜・畏敬ではなく、自然の本質に徹している深さだ。
生活ぶりが判らないのである。
芭蕉を尊敬していた良寛の歌は、深遠な精神の禅境を表しながらも、酒がのみたいだの、腹が減ったの、彼女が来ないだのと生活観が読める。

先日投稿した昭和17年「奥の細詳講」ばかりでなく、他の解説書も眼をとうしてみた。

「もろうて喰ひ、乞ふて喰ひ、飢えや寒さをどうにか逃れて、めでたき人の数にも入らん年の暮れ」
いやはや、赤貧もいいところだった。
ホームレスに近い生活で、弟子たちの添削や教室で わずかな金銭を得ていたのだ。
スポンサーといっても大した資産家はおらず、ほとんどが貧乏弟子ばかり。
大富豪の「太鼓もち」てきなお金目的のことは一切しなかったようだ。

後世に残る大芸術家は 精神は豊かでも、懐は寂しかった
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人の痛みを知る

2008-07-25 11:37:30 | チョット一言

92歳で亡くなった晩年の母を訪ねたとき、時おりものを投げるように置くことがあった。
振る舞い・作法に細やかな人なのに、そのしぐさにいささか戸惑い
「いやーーボケがいよいよでてきたのかなー」と、兄たちとも話したものだった。
ところが、現在私が腰痛で動きがままならぬと、いつしか投げるように物を置かざるをえないのである。
ソット置くとか、ゆっくりたおやかに動くということは、ことのほかエネルギーを使っていたのだ。
今回初めて気がついた。
母はて思うように手足が動かず、自分の動きに腹立たしさをいだいていたのだと。

今さらと云われてしまう事ですが、苦楽は自分で体験して始めて判ることが多いのでした。
特に、人から判りにくい病や苦悩は、なおさらのことです。
一つ一つの体験から、人のやさしさを感じ、自分も出きることが増えてきました。
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古本やで見つけた愛読書

2008-07-24 18:22:06 | エッセイ・随筆
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb11.html
奥の細道詳講

月日は百代の過客にして行かう年も又旅人なり

ご存じ 松を芭蕉の「奥の細道」の冒頭です。
ときおりコレが読みたくなるのです。
コレとは昔に古本市で500円で買った昭和17年・9版目の解説本です。
芭蕉の文章をそのまま理解でき、味わえるにこしたことはアリマセンが、そんな学識はありません。

この本自体の文や、漢字すらわからないところがありますが、何処となく現代解説本の空々しさがありません。
つまり、芭蕉の時代背景に近いと言いますか、想像力ばかりでなく、生活観が似ている時代の著書だったと感じます。
芭蕉が詠った現地調査にしても、新幹線で行ったとか、国道何号線を何キロ行ったとか、そんな興ざめする文では無く、歩いているペースというか真実味を感じるのです。

前記の文頭について著書では
「この紀行全編のうち、この文章が特に言い知れぬ魅力を感じさせるのは、その簡潔流暢な筆ずかいのためでもあろうが、それよりも更に文章のそこに流れる彼自らの真実観が、一言一句の間にも、じっくりと染み出ているからであらう。
実にこの一節は前編の冒頭として、よく全容を窺はしめるに足りる妙文というべきである。」

索引なども現代の状況とかなり違って、その又索引が必要なくらいですが面白い。
明治は遠くなりにけり--ではなく芭蕉の元禄時代(1668-1704)は、学芸・文化が盛んで、「人生は旅」の哲学的観念がピッたしな時代だったのでしょうか。
少なからず、現代の著書よりは感動が生きています。
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日本人のこころ

2008-07-23 17:43:20 | エッセイ・随筆
日中の暑さも吸い取られたごとく消え、穏やかなたそがれ色に変わってきました。
花の谷は、ニイニイセミやツクツクセミが耳鳴りのごとく響き、その中に時おりウグイスの元気のいい声がきこえてきます。
静かです。限りなく透明な静寂が谷にしみこんできます。

閑さや岩にしみ入蝉の声

蛇足ですが芭蕉の名句中の名句
奥の細道--山形領の立石寺の山頂にて詠ったもの。
解説書など読みますと、この蝉の種類は、その数は多いか少なかったか、と喧々諤々。まーーどうでもいいようなことと思いますが・・・。

虫の声・風の音・水のささやきなど自然の音に詩情を感じ、静寂の極みを意識する日本人に対し、欧米人はそれらは騒音になってしまうらしい。
映画などの擬音に、日本とアメリカ映画では大きな違いがあるとききました。
特に日本人が繊細で優れた感覚の民族などと思いませんが、私たち日本人の感覚は、やさしくて豊かな自然環境から育ってきたものだと思います。

コンクリート・ジャングルという言葉も古臭くなってしまうほど、「乾いた心」が当たり前にならないように。
涼を呼んでくれる風鈴の音が、騒音に感じない娑婆でありたい。
声を掛け合い、ゆっくり歩きましょう。
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体感-曼荼羅世界

2008-07-23 09:56:33 | 山郷の暮し
先日の連休に東京の友達が、酒・食い物をかかえてきていました。
蚊は少々いても窓は全開。
お日様と草木の香りのする風が、敷きっぱなしの寝床部屋に満ちる。
「東京では味わえない怠惰な時だーー」
と、コ悦マンの友は酒をなめなめ本を読んでいるうちに、グーーとねている。

夕刻、にわかに東の山に黒雲がかかると、ぴかぴか・ゴロゴロ。
ゴルフ場のサイレンが無粋に鳴り響く。
すざましい雨に緑色の谷は、鉛色に支配され、閃光が走るたびに大粒の雨が一瞬止まって見える。
縁側の戸を開け放ち、吹き込む雨霧を受けながら酒を飲む。
刻々と変化する大気の流れに、心身をゆだねる。
これこそが曼荼羅世界」であると体感できる。
「リュウサンが、通常の風景画を描かないのが判るような気がする」

友になによりのお返しができた夕立でした。
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変わらず腰痛のぼやきです

2008-07-22 12:53:22 | 山郷の暮し
ヒェー・イテー。
と悲鳴をあげた痛さが走ってより、もう一ヶ月になる。
整骨院にいって,背骨のヨコズレはレントゲンで確認できても、治るわけでなし。
痛みを和らげるといっても、薬で麻痺させる西洋医学の対処療法のみ。
なれば、整体のでばんでそれなりのところにいっても、特に目立った患部がわからない。
「骨盤のズレも足の違いも無いが、腰廻りが異常に硬い」
つまり、昨日今日が原因でわなく長期によるもの。
やっかいである。ラシイ・・・

私は正座は平気で、背筋がのびたし姿勢はほめられるのだが、今は猫背で体が小さくなってしまった。
とてもトレッキングどころではない。
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ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本