棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

はまってしまった-源氏物語

2009-02-01 16:51:11 | エッセイ・随筆
図書館に行くと絵本を見るために、児童部に必ずいく。読み漁っている子供、読み聞かせているお母さん。とうの昔になくなってしまった我が家の風景だ。時おり借りてくるのが、子供に訳された名作本。著名な作家の別な視点からの力量を汲み取れる。
最近、瀬戸内寂聴の『源氏物語」を読み進むうちに、人間関係・年齢などがこんがらがってしまった。それらを整理しているうちに、もっと詳しく知りたくなり、他の訳本を読み出す。面白いことに、本によっては年齢が1-2歳ちがっていることがあったり・・・。原本は・・これはヨメヌ。
主人公の光源氏と幼き頃からの友であり、ライバルであった義兄--頭中将に語らせたらとどうなるか・・・。
イケメン光源氏はマザコン・天性の女ったらし。そこが大もてするのだろうが、魅力に溢れた男を、再発掘したくなった。
「珍訳源氏物語」にただ今挑戦中。その書下ろしを・・・
宮廷の女官やった「紫式部」が、貴族社会の色恋を暴露した「源氏物語」。
ごぞんじ主人公・光源氏殿のおなご遍歴を軸に、彼を取り巻くモンの、なんともややっこしい人間関係を描き表わしたもの。
宮廷のおなごたちが奪い合うように、回し読みしてる現状に、わいの立場として調査をしなくてはならへなんだ。
 わいも読んでみたが、あっこまでお盛んではありゃしまへんが、主人公の光源氏殿はたいがいはそのとおりの「おなごったらし」やった。
そへんの内は話の「源氏物語」が、後々の世まで大ヒットするとは夢かておもわへなんだ。
オマエはどなたはんだ?とたんねるか・・
わいは為政の最高位・太政大臣と、いきなり言うたて解るまいなーー・・・・
おいでやす--京都弁変換ソフトにお願いしたんどす。

誘惑の絵

2008-10-10 11:15:27 | エッセイ・随筆
イワシ雲がちぎれ、ぼつんぽつんと飛んで行き、それも光の中に溶けていく。
朝から素敵な私の空です。
私のブログを読んでくれる方々、ありがとうございます。
もし、昼間に目を通しておられましたら、素敵な空を見上げてください。
夜でしたら、オッ月様を見てください。
大きく息を吸って、「うれしいなー」と思ってください。
それでは、
誘惑の絵などというと、またまた春画の続きかといわれてしまいますが、同じ誘惑でもズット深刻で、哲学的なテーマの作品のことなのです。
画家ボッシュやブリューゲルの作品は、皆さんがなんとなく見聞きしていると思いますが、なんとも奇怪な画面ともいえます。
作品の意味は日本人にはおよそわからない。
それも当然で、ヨーロッパにおけるタブーごとや民話・寓話などがキリスト教、倫理でこねられている。
当のヨーロッパのキリスト教徒だって、作者の作意はわかっていないといいます。

美術館でボッシュやブリューゲルの本物を観た時は、正直なところ予備知識はすっ飛んでしまった。
細かな描写に、かなりの大サイズの作品とばかり思っていたが、予想よりも小さな画面に、ビッシリト描かれた様にびっくりしてしまった。
なによりも、写実力の確かさと、想像力はすごさを感じた。
ブロック的な画面構成は、物語の意味は図録解説に頼るしかなかったが、全体からのイメージは必ずしも強いものではなかった。
では、なにをテーマにしているかというと「聖アントニーの誘惑」という、苦行事に起きる悪魔の誘惑なのです。

仏教では、ブッタが6年間の苦行中に、様々な悪魔の誘惑に悩まされた末に、克服し降魔した。
仏教美術では数々の名品が生まれてきました。
そうです。キリスト教ではイエスが同じような試練があり、そのテーマの作品もあるのですが、なぜかあまり人気がありません。

聖アントニーは紀元251から356年頃の人で、修道院を創立した元祖らしいのです。
彼の苦行の方がなぜか有名になり、多くの芸術家が、想像の天使を羽ばたかせ、無数の名画を描き出してきたのです。
中でも特異なのが、ボッシュやブリューゲルの作品なのです。

キリストの苦行の作品があまり世にでなくなったのは、神の子を冒涜するという思いもあったのでしょうか。
そこへいくと、仏教は本当に人間本来を追求してゆく宗教かと思います。
   続く

中国の春画について-4

2008-09-28 15:29:22 | エッセイ・随筆
楊貴妃が登場したところで、中国4000年の歴史の中で、ひときは絢爛豪華な時代絵巻を創造した唐時代(618-906)
なかでも、玄宗帝(在位712-756)。先に書いた周時代の後宮制度を復活し、実践をした。
なにせ、120人の美女のお相手ではものたりず、なんと4万人の美女美女を囲っていた。そのなかに、かの楊貴妃がひっそりといたが、なんとか美女連の頂点に立たねばならぬ。磨きに磨きあげて機をうかがっていた。
ひょんナ事から玄宗帝のお目に留まった。
帝は61歳。楊貴妃27歳。
当時の房中術書からすれば、お払い箱入りに近い年齢だが、だてに年季は積んでいなかったとみえ、帝はいっぺんでメロメロになってしまった。
絶世の美女を、盛唐の詩人・白居易は、天性の麗質。瞳をめぐらせ、にこりとすれば百媚を生ず・・・・
彼女の肖像がは残っていないが、8世紀初頭の石彫画に美形をしのぶことが出きる。
ほっそりとした身体は、正に風に揺れる柳のようだが、どことなく豊満さがある。
線の見事な表現力といえよう。
お顔は下膨れで、細い肉体でありながら、骨ばっところはなく、現代のただ細い身体とはまったく違う。
ずばり、イイオンナで、すきそーーな・・・・。(ナニガ)
春画と限定できないが、唐代の美人がとなると、墳墓に描かれた壁画しか残されていないが、いずれも一見ほっそりと見えるが、豊満な肉体美・艶美プンプン。
詩人・白居易は当時流行のペルシャ系の化粧法のことを、酷評しているのが面白い。
白居易さんは、べったりと塗られた口紅を、まるでドロを塗ったようだと、なげいている。
ただ今の日本の化粧法は、ガンクロとまでは行かないが、個性の在るお顔作りとは思えないのですが・・・。
春画となると、当時のものはないようですが、時代時代に模写されたものがのこっています。
当然素晴らしいもので、写実性に複雑な物語性も織り込んだ絵ずくりは、観られる楽しみが加味されている。つまり、覗かれている 楽しみだ。


中国秘画のはなし--3

2008-09-27 08:59:11 | エッセイ・随筆
今朝方は冷やっこい風が流れ、いよいよ本格的な秋を感じさせます。
今のところ、雲が広がっている空ですが、稲刈りにはちょうどいい天気かもしれません。それでは・・・・

中国の帝王学の一つ「房中術」の目的は延年長寿で、セックスもそのための医術なのであった。
ひたすら男は、女人の精気を吸い取るに在る。オバハンは男の精気をむさぼり、吸い取る。
皇帝は若き玉門から放出される津液(シンエキ)を、オバチャンは精液を飲むのである。
されば、若き精気が血のごとく我が体内をめぐり、脳にいたり、いつまでも若く精力絶倫でいられる。
というわけだ。めでたし、めでたし。
そこで喜んでもいられない。さらに神仙術となる。
もーーー面倒だから止めます。精力がきれてしまった。

文字の国、中国だけあって、紀元前からの事々が文として残っているが、
絵となると、13世紀の栄元時代以前のものは喪失しているらしい。
このころの房中絵を観ると、宮廷の見事な調度品が描かれ、ゆったりとした空間の中に、お二人さんが語り合ったり、まさぐりあったり、なにか高貴なふんいきがあっていい。
中国絵画世界の独特な空間作りは、儒教・道教の影響を受け、「仙境世界」を現わしている。
房中絵にも、山水の名画を鑑賞する趣があります。
女性の顔も十代の初々しさが漂って、笑い声が聞こえてきそうだ。
肝心の(?)合体図は宋代のものは観ていません。

話は飛びますが、かの楊貴妃の纏足されたアンヨは、手のひらにのったといいます。
確かに、描かれている美女の足は手よりも小さく描かれている。
纏足の目的は、逃げられないようにとか言われますが、ガキの時から物になりそうな女の子を、房中用に作り上げたのでしょう。
まさに、奢侈文化の極みではないでしょうか。
写真は纏足の部分で、足の小ささは絵画的デホォルメとは思えません。

ジーザス・クライスト・スパースター

2008-09-19 11:39:14 | エッセイ・随筆
台風の影響が出てきたのでしょうか。10時ごろから雨がしとしとと降り出し、長袖上着をきました。
各地で被害が報じられていますが、無事であることを祈ります。

昨夜 何気なしに、9時からのBS映画劇場にチャンネルをいれる。
大評判だったこの作品を、当時映画館で観たときの衝撃を久しぶりにおもいだした。
当時(1974)の批評は賛否両論。特にキリスト教関係者からは非難の嵐だったと記憶している。
キリストに関係した映画は 数知れない名作があるが、ずばりイエスを現わした映画は無いような気がする。
イエスは後姿や影などで暗示させる映像の中で、ヒッピー(60年代以降の古い言葉ですが)スタイルのイエスが登場。
出演者はと酒場やゲームセンターにたむろした若者スタイル。
そんな彼らが歌い踊るロックミュージカルの、現代的な演出の大胆に度肝を抜かれた記憶がある。

昨夜の視聴で、改めてその現代性と、表現の巧みさを読み取ることができた。
何から何まで新しずくめでなく、古典を確りとベースにし、現代と無理なく融合・共鳴した表現であった。
もしかしたら、21世紀の現在だから、正しく理解できるのかもしれない。

神の子イエスを触れてはならない存在から、人間としての苦悩・矛盾を表し、かえってイエスが身近におもえた。
さらに、ユダの苦悩は正に私たちだ。
この映画の主役は、人間ユダだったんだと、はじめて理解ができた。

話は変わりますが、私の創作活動も、古典と現代をいかに溶け合わせていくか、大きなヒントを得た映画だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーザス・クライスト・スーパースター
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーザス・クライスト・スーパースター
写真は「愛欲曼荼羅」の一部

賢治文学-2

2008-09-02 13:12:24 | エッセイ・随筆
虔十公園林--宮沢賢治

賢治文学はどれもこれも大好きなんですが、なかでも虔十公園林の風景が いつも散歩をしているコースに似ているのです。
人によっては、ぜんぜん違うよ!と思うかもしれません。
そんなことはどうでもよくて、私が物語に出てくる子供たちになったような 気分にさせてくれる林があるのです。
主人公の「チョット足りない、いつもしまらない笑いをし、皆からバカにされている虔十」が木陰にへらへら笑って、子供になった私を見ているような、そんな気がしてならないのです。
法華経の心に通じていくとか、詩人の贖罪意識や苦悩を反映しているとか、そおいう小難しいことは文学解剖者にまかせて、なんだか、泣きたくなって来る様な感動をおぼえるのです。

そうそう・・。雁の皇子・土神ときつね・光る素足
シュールリアリズムの絵画を思わせる、ガドルフの百合
あげたらきりがありませんね。

宮沢賢治

2008-09-01 09:46:47 | エッセイ・随筆
私の雑然としたベットの周りには、いつも宮沢賢治全集があります。
古本市などでつい買ってしまい、同じ手のものがたまっている。
寝て読むには、文庫本が手軽でいい。
普通に寝る(?)前に一読。真夜中に妙に目が冴えてしまったときなど。
同じ作品をこれまで 何度も何度も読んできただろう。
とわいっても、原文をそらんじている訳でもアリマセンが、やはり「春と修羅」の詩は、体内からジワーと悲しみがこみあげてきます。
アレだけの作品を残しながら、不遇のうちに亡くなってしまったのは、日本の権威優先文化構造だったためでしょうか。
日本文学会の、天才だとおもいます。

賢治文学を読んで思うのには、彼は心から「青空・晴れた日」が好きだったんです。
空の描写は、まるで空を擬人化したごとくて゛、その表現は宇宙的で 豊かな生命感にはびっくりしてしまいます。
幻想的世界でありながら、不思議なほどリアリティーがあり、物事を見極め究極まで迫った 抽象絵画を感じます。

今 パッと作品の一説が思い浮かばないのですが、これは私のアルコールで犯されたポンコツ脳で、賢治のせいではありません。
空の描写や光の表現は、せん越ながら私の絵画表現の中で、彼の光のイメージを意識しています。
秋雨ともつかない、ジメーーとした夏の終わりの雨に、宮沢賢治はこんな空をどんなふうに表現をするのかなー と フッと思ったわけです。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本