棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

戦争-お灸をすえたが-27-愛欲曼荼羅

2008-11-30 09:50:48 | 大人の童話
師様は地球以外の知的生物、つまりエイリアンさんに
「チョットお灸をすえる程度に、アホどもに気ずかせてくれ」と頼んだのだ。
ところが、高度なエイリアンさんが住む星では、数十万年まえに「地球人のような戦うこと」を完全になくなっている。ということだ。
とうぜん武器など 燃え盛る星星に投げ込んでしまった。
地球上で時々観測される星の爆発は、数十万年前の武器廃棄処分だったんだ。
それでも、偉大なる尊師様のお願いだから、地球に住むエイリアンさんに密かに連絡を取り、神業的なことをして警告した。
君らも記憶にあるだろう。
大都市のデッカイ ビルを二つ三つぶっこわした。
犠牲者がでたことは本意でなく、真に残念だったが、エイリアンさんがビックリしたのはそれからだった。
なんと爆破されたビルをダシに、さらに大きな犠牲者を出していることだ。


nhk-愚問のインタビュー

2008-11-30 09:22:29 | チョット一言
強い朝日がカーテンの隙間から差し込んでいましたが、しだいに弱弱しい光に・・。暖かな一日であってほしいですねー。
賢犬サクラが散歩に行きたくて「フイーン・フイーン」と媚、あまえる。
「オレ足腰がまだ正常じゃーねえんだけど」と、腰を曲げポトポトと200Mばかり。それで足りるわけでなし。あとは好きにしろと、紐を放つ。
裏山へピューー。夕方にはかえって来るであろう。

昨夜はNHK杯を晩酌しながら、エドー・エドー・beautiful!!と盛り上がり飲んでいました。
浅田奈央ちゃんから、日本勢の独占。素人が見ていても納得いきます。
そして、インタビュー
いつも思うのですが、NHKのインタビューって、始めからそお答えてほしいというような、じつに味気のないもの。
今回も、ナオちゅんがラストに、こけたのを彼女はジョークで済まそうとしたものを、受け止めていない。
話の発展がナイのです。
海外の選手のジョークを交えた豊かな返答に、日本選手との知識・精神力の違いかと感じてもいましたが、私たちに伝わってくるインタビュアーの資質にも大いに関係しているのでした。
NHKのお定まりの質問は相撲でこりごりだ。
もっと、自由で躍動的なインタビューを望みたい。
追申--あい変わらずですが、愛犬サクラはさきほど(4時半)ヘトヘトになって帰ってきました。いつもは見向きもしないペレットを食っている。自給自足は出来なかったと見える。
今日もいい天気で助かりました。ぞっとするくらい冴え冴えとした三日月・宵の明星が見えます。

素敵な光-大きく口をあけて

2008-11-29 11:08:56 | 山郷の暮し
すてきな空です。
PCから手を離し、お天道様に向かって大きく口を開け、のどの奥まで光をいれましょう。
もし、夜だったら星の光を飲み込みましょう。
素敵な光です。

私のブックマーク「問答無用」電気親父さんも、美しい光に喜びをみいだしています。
読んでみてください。私も釣られての投稿です。

「朝はどこから来るのでしょ」の童謡。「光の国から来るかしら」が思い浮かぶ。
なぜかついでに、武者小路実篤の「明るい農村運動」でしたか・・・。
絵手紙の見本のような絵を思い出す。
写真は85年作「記憶の歪」F50

追申--暖かな一日でしたねー。この山郷も14-5度でした。
陽だまりの枯れ草にネッコロガッテ、生暖かな山おろしの風の音を聞いましら、枯葉が顔をなぜていきました。
すっかり暗くなった空に、金星がひときわ輝いています。
今夜の晩酌は美味いゾーー。

戦う本能-26-愛欲曼荼羅

2008-11-29 09:24:32 | 大人の童話
うこと
ワシは先に語ったように、我が尊師様 そして教団にはむかうものは、断固として闘うと言った。

言葉には言葉をもって、論には論をもって、力には力で対応する。
そもそも、人類の脳の一番奥の部分に、爬虫類時代の記憶が 遺伝子レベルで残っていると、NASAの科学者の著書「エデンの龍」にある。
ということは、我々は爬虫類のように、弱肉強食の宿命を背負っているということだ。
さらにだ、人の体質は「遺伝子と環境の掛け算」だといわれる。
爬虫類なみ頭脳プラス、自分たちが生み出した環境・状況が加わってしまう、となると、こりゃーヤバイ。

歴史を紐解けば、戦争ばかり。
それもだ、聖戦だの平和のためだの、人権だのと、大層な御託を並べてはいるが、ふるいにかけたら、欲得と 戦う本能かもしれぬ。

「だからこそ、宗教家がなんとかしてほしい・・・。」
そのとおり、まったくそのとおりだが、正直ワシラが寄ってたかっても、どーにもならぬことでもある。
肝心の、人々の平安と生命を守るべき宗教が、武力を最強の手段としてきているからなー。
なんせ、宗教は人間世界の産物で、その人間の本性だから・・・・。

だが、偉大なる尊師様は、解決法を見つけ出してくれた!!!

雨上がり

2008-11-28 10:20:58 | 山郷の暮し
雨雲がちぎれお日様が照りつけると、畑から林から、そして山全体から、ワーーーと叫び声をあげながら水蒸気が立ち昇る。
乱反射した一郭が、光の風船球のように黒々とした林に漂っています。
30分と続かない自然の妙趣です。
清冽な空気の流れを深呼吸。

追申
信州の風物詩 漬物の準備風景が報道されだしました。
野沢菜はの取り入れもボチボチ見られますが、まだまだ本格的ではないようです。
気温がもう少し下がる方が甘みも増し、やわらかくなるのだそうです。
以前に野沢菜付けに挑戦したことがありましたが、これがムズカシイ。
水がアガラナイとか、重石の加減があるようです。

尊師の肖像画-25-愛欲曼荼羅

2008-11-28 09:25:36 | 大人の童話
法する尊師様の肖像画
吾らの父母・神仏さま、全能の聖人で在らされる尊師様。
あまりにも崇高な教理は、愛欲にまみれた衆生には理解できないと、一時は己だけのお悟りとするつもりだったという。
禅定する尊師様を取り囲んだ、動物たちがジーーとなにか訴えるように、見つめていたという。
無欲なものほど、語らずして通じる。
と、尊師様は感激なされ、動物たちに語って聞かせたという。
宇宙の大いなる力から、愛欲にまみれた衆生達に伝えてくれんと、要請を受けたという。 

観たまえ、無機質な物体が生命を得て、喜びのあまり浮き上がってしまった様を・・。
芸術家はその場の様子をみごとに描き出しているではないか。

蒸気機関車におもいを馳せて

2008-11-27 12:01:52 | 山郷の暮し
先の連休に、北信濃地をSLが運行したニースから、私の幼児期からの汽車の旅を思い出し投稿しました。
さらに「わらべ歌特集」の放送を聴き、子どもの頃にインプットされたものは、ビックリするくらい鮮明に浮かび上がってくることを改めて感じました。
蒸気機関車の思い出の最後に、以前に製作した絵本「旅立ち」について。

舞台は米国の大平原にある町。
とうの昔に廃線になって、埋もれてしまっていた線路を、子どもたちが発見。
不思議な老人との出会いから、自分たちの町の歴史を知っていく。
話は展開してゆき、大人たちがとうに忘れていた駅や汽車のこと、なにより自分が子どもだった頃を思い出す。

蒸気機関車や駅舎、汽笛など、理屈ぬきで郷愁の念に駆られる。
サンテグ・ジュペリの言葉ではないのですが、大人はかつて子どもであったことを思い出していくのです。
アナログである人間の本質に里帰りする世界をあらわしたものです。
ブログ用に再編集していきたいと思っています。

追--この作品は米国での出版にと挑戦しましたが、立ち消えになってしまいました。

教団幹部の肖像画--24愛欲曼荼羅

2008-11-27 09:35:00 | 大人の童話
に、尊師様は偉大なる教理を、視覚・聴覚によっても衆生に教化するために、多くの芸術家にアドバイスと、援助を惜しんでいないと語った。
確かに芸術家はすばらしい。
正直、ワシラが言葉・文字をつくしても、とても及ばないことが多々ある。

話次いでといっては恐れ多いことだが、我が教団の芸術家による名作・迷作・冥作・謎作の一部を紹介しよう。
素晴らしい作品だろう。
ワシは評論家のごとく 能書きいっぱいの饒舌で判ったようなことを言う気はない。芸術家の本当の意図は、言葉にできないとおもうし、諸君が感じてくれればいいのだ。
ワシ等は芸術家作品から、尊師様のお言葉の深さを理解できればいいのら・・・。

権力の魅力--23愛欲曼荼羅

2008-11-26 09:30:51 | 大人の童話
権力・権力といえヤツは魅力に満ちたもの。
食通ぶったナニナニ先生ばかりでなく、芸術家だって権力を欲している。
いや、独善的な彼らだからこそ人一倍権力欲が強いかもしれない。

ワシ等は権威を否定している訳ではない。むしろ、おおいにケッコーだ。
「イワシの頭も信心しだい」というが、「イワシの頭は芸術だ!」と、権威の在るゲイジュツカがいい、タレントが「そーだ アートだ」と黄色い声をあげたとたん、3匹100円のイワシは食卓から消え、TV上の飾り物になるってーもんだ。

お猿さんのお絵かきに「作為を超えた作為。全ての思考を超越した浅学非才芸術」
だと わけのわからぬこと をもっともらしく唱えた学者・評論家。
私も負けじと、スパッとお脱ぎあそばしたお嬢さん。
裸体に絵の具をぬたくって、ゴロゴロ・ペチャペチャ。
ついでに、「アハハハハーン・イヤイヤ・だめーーー」のサウンドつき。

受ける・売れる・流行る は芸術と無関係だと
受けない・売れない・流行らない ゲイジュツカは絶叫する。
「る」と「い」の違いは表裏一体といえる。

聖職者も学者も評論かも役者タレント・俗人も、みんな権力に憧れ、権力にこびるのである。
それでもゲイジュツカは、権威権力とは無縁で、自由世界に闊歩し、昼寝を楽しんでいると思いたいのは、庶民のささやかな抵抗意識かもしれない。

遠き昔、桃源郷で遊興した文人墨客の世界は、夢のまた夢だが、我が尊師様のお教えに浴すれば、夢が夢でなくなるのだ。
ゆめゆめ疑うことなかれ。




駄々っ子

2008-11-26 09:17:56 | チョット一言
甘やかされ育った者 
麻生総理は海外に行くとバカに威勢が良くなる。
江戸っ子的歯切れのよさだと評されて、人気があったが、どうも違うと思う。
当然報道でしか判らない範囲だが、彼は決して庶民派でもなく、あっ気らかんで気さくな人物ではない。
むしろその逆で、自分が一番と、人を食ったところが見え隠れする。
いわゆる良家でだいじだいじと、わがままいっぱいに育ったままの人生観だ。
ヨイショした言い方をすれば「帝王学」的な幼児教育の元に育ったのであろう。
それ故に、怖い者しらず、人にこびる必要も無いから、海外では受ける要素がある。
つまり、言いたいことは其のままいい、通ってきた人生である。
思い立ったことは即可能であったし、出来なくともケツを拭くのは自分でなくていいいのだ。
細やかな配慮などの気配りとは無縁の、必要性の無い生き方なのだ。
以前にも殿様総理(細川)から安部・福田と、タイプは全く違いますが、共通点があるのです。

国民への ばらまきおこずかいにしろ、道路税のことにしろ、どこか思いつき的だ。
わがままに育っている子が「ほしいほしい」と、ばたばたしている情景が見えてくる。
取巻きはたまったもんではあるまい。内部崩壊の兆しが見える。
三つ子の魂百までも のことわざではないが、こんな政治家が増えてくることは決してよくない。
最近の麻生総理を見ていると、北朝鮮のトッチャンボウヤのバカ長男と良く似ている気がします。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本