原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昨日(2018.01.22)我がブログを取り上げて下さったBook_CD様へ

2018年01月23日 | その他オピニオン
 つい先程発見したのだが、同じくgoo に「Book_CD」(正確でない場合お詫びします。)のタイトルでブログを公開されている方のサイトにて、我が「原左都子エッセイ集」を取り上げて頂いている現場を発見した。


 Book_CD様には、何年か前にも我がエッセイ集を取り上げて頂いた記憶がある。

 ごまんと存在するブログの中から、わざわざ拙いエッセイを綴り公開している我がブログを貴ブログ内でピックアップして頂きましたこと、御礼申し上げます。


 それでは、早速その内容をコピーさせて頂き、以下に紹介しよう。

 原左都子エッセイ集~時々みかけるブログ
 blog.goo.ne.jp/4456hs/

 都内の富裕層の人のブログ、富裕層の正論、意見。
 左翼的でもなく、右翼的でもなく、中立的。
 政治色がないのがいい。
 元高校教諭らしいが、左翼的ではない。
 北海道に居住の下層の私とは思考、思想が異なる。
 違う意見、異なる意見を読むと参考になる。
 当然、共感する箇所もある。
 
 (以上、Book_CD様がご自身のブログ内でご紹介下さった文言をコピーして紹介したもの。)


 ここで、「原左都子エッセイ集」著者である私ども 原左都子 本人より、上記ご紹介文の内容を訂正・補足させていただこう。

 一番に訂正申し上げたいのは、「富裕層」の文言だ。
 都内在住は間違いない事実だが、我が家はまかり間違っても「富裕層」でなはい。
 自らも「庶民」である事実を、エッセイ本文中に幾度も公開している。
 そもそも、Book_CD様がおっしゃるところの「富裕層」の定義って何なのでしょう??
 現在の我が国は歪み切ったアベノミクスの大失策により、「富の8割を国民の1%が独占」している状態と私は捉えているのだが。 その1%になど入りたくもないのが本音でもある。

 「政治色」に関してだが。
 右翼でも左翼でもないのは正解だろうが、より詳細に言うならばどちらかと言えば「左寄り」かもしれない。(少なくとも断固として「反安倍政権」派であることは揺るぎない事実だ! 事ある毎に安倍バッシングエッセイを綴り公開しておりますので、再度バックナンバーをご確認いただけますと幸いです。)
 それに加え政治色が全く無い訳ではなく、かなりの頻度で「時事論評」カテゴリーにて政治関連エッセイを綴り持論をぶちまけ公開しておりますので、以後お見知りおきを。

 次に「元高校教諭」に関して。
 これも正解だが、私の場合過去の職業経歴に於いて「医学経験」の方がずっと長い事実も付け加えさせていただこう。 医学関連民間企業、国立研究開発法人研究所、その他にて「医学基礎研究」に励んだ期間の方が、教員経験よりもかなりの期間長いのが事実だ。

 最後に、Book_CD様は北海道にお住まいとのことだが。
 同じく北海道にお住まいの「原左都子エッセイ集」愛読者の方々が複数存在されている。
 特に我がエッセイ集開設直後から10年以上に渡り、2000本に近づいている我がエッセイ集のエッセイほぼ全文をお読み下さり、定期的にエールをお贈り下さる愛読者の方が北海道にお住まいです。
 特に国内に限れば、人間の思考・思想に“個人差”はあれども“地域差”はさほど無いのではないかと捉えている事も、付け加えさせていただこう。

 
 それに致しましても、Book_CD様がこの度我がエッセイ集にご共感いただき、ご自身のブログ内で取り上げて下さった事実に再度感謝申し上げます。
 

大雪とハイヒールと白いボア長ぐつ

2018年01月22日 | 雑記
 (写真は、つい先程 午後2時40分に自宅バルコニーより撮影した、大雪の中下校途中の小学生たち。)


 気象庁は本日22日、日本列島の南側を通過する「南岸低気圧」の影響で、23日明け方にかけて東日本や東北地方で大雪になる恐れがあると発表した。 関東甲信地方の降雪は22日夜にかけてがピークとなり、東京23区でも積雪の可能性がある。 気象庁は路面凍結や交通の乱れなどに警戒を呼びかけている。
 同庁によると、22日は前線を伴った低気圧が日本列島の南岸を発達しながら進み、同日夜には伊豆諸島を通過するため、西日本から東北の広い範囲で雪が降る見通し。 南岸低気圧の通過後は、西高東低の冬型の気圧配置が27日ごろまで続く見通しという。
 東京都心では、22日午前から断続的に雪がちらつき始めた。 夕方から夜にかけて気温は氷点下近くまで下がる見込みで、松本積主任予報官は「予想より低気圧が南を通っているため気温が下がり、雪が増える可能性がある」と話した。
 (以上、ネット上の大雪に関する気象情報を引用したもの。)


 朝方から降り始めた雪は正午頃より急に激しくなり、冒頭の写真の通り東京23区内に位置する我が家の周辺でも既に5㎝程の積雪が観測可能だ。
 
 そして、たった今娘からもメールが入った!
 本日は大雪のため勤務先職場より早期帰宅命令が下り、今電車に乗っているそうだ。
 この大雪が続くと確かに大都心の交通網が乱れて当然だろう。 親としては勤務先の早い勇断に感謝したい。

 気象情報によれば、大雪は今夜にかけて更に激しさを増すとのことだ。 明日朝までの積雪量を予想するに、大都心にして記録的積雪量となることに間違いない。


 話題を変えるが。
 大雪と聞いて思い出すのは、上京後の我が大雪時の大失態だ。

 上京以前は南の地方に位置する郷里に生まれ暮らしていた私だが。 
 そんな私にとっては、大雪と言えどもせいぜい5㎝程度の積雪の記憶しかない。 それも子供時代の話であり、ハイヒールを履く年齢に達して以降大雪を経験していない身でもあった。

 上京後は、我が“お洒落感覚”に更に拍車がかかる。
 そんな私は、(今思えば)愚かにも大雪時にハイヒールを履いて通勤したものだ。 ただし少しばかり危険に対する配慮もあり、いつもは10㎝程のヒールなのだが積雪時には5㎝程のヒールで出かけた。
 それでも転ぶ。 また転ぶ。
 それを職場の同僚に訴えても、皆から「積雪時にヒール靴は非常識だ!」との指摘しか返って来ない。
 ただ、今思えば当時の私は若かった。 転んでも大した怪我をしないため、やはり“安全よりお洒落感覚”優先だ。 これは絶対譲れなかった。

 そんな私が20代後半期に差し掛かった頃、冬場に郷里帰省した際たまたま雪が降った。
 大した積雪量ではないのだが、東京の積雪時にハイヒールを履いてよく転ぶ事実を母に話すなり。
 母がすぐさま取った行動とは、私を靴屋に連行することだった。 そして、雪道を歩けるシューズを買うから好きなのを選べ、と言う。
 そんなもの要らないのが本音だが、そこまで母が言うならと、私は内面ボアの白い長靴を買い求めた。

 郷里を離れる頃には既に雪が止んでいたため、私はハイヒールにて東京へ戻った。 その後、母がすぐにその白い長靴を東京まで宅配してくれた。

 東京に戻って後の事だ。
 これまた大雪に見舞われた。 それが運悪く、知り合って日が経たない彼氏とデートの約束があった日だ。 
 ハイヒールで出かけようにも、物凄い大雪でとてもじゃないが不能だ。
 私も覚悟を決めた。 母が郷里で買ってくれた白い長靴を履いて行こうと!
 そして彼氏に会った直後に告げた。 「今日は大雪だから、こんな長靴で来てしまったのだけど…」
 それに応えて彼氏曰く、「十分、可愛いよ」
 当時はそんな一言にほだされる年代だったのも、包み隠さぬ事実だが…。

 そうだとせよ、未だによく覚えている一言だ。 
 その後、私は本気で「適材適所」のファッションが可能となった気もする。
 
 その「適材適所」ファッション理念は、我が娘にも伝授している。

 本日も朝から大雪ファッションで出かけた娘もそろそろ無事帰宅することだろう。

ずっと同年代だと思っていたら…

2018年01月20日 | 人間関係
 昨日、私は某所にて某女性に対し大変失礼な“もの言い”をしてしまい、未だに“ばつが悪い”思いで過ごしている。

 当該女性が「原左都子エッセイ集」を読まれていない事を願いつつの本日のエッセイ公開だが…


 某所へ通い始めてから10年足らずの年月が経過している。
 某女性(Aさんとしよう)は私よりも先に某所へ通われていた様子だ。
 当初より、お互いに単独行動タイプの似た者同士との感覚があった。 そして間近で対面すると挨拶をする関係でもあった。

 その関係がより進化したのは、半年程前からだろうか。
 私側が挨拶に加えて二言目を付け加えたことがきっかけでAさんもそれに好意的に反応してくれ、後の会話が弾むようになった。
 その後は某所内で会う都度長めの会話を楽しむようになり、その会話内容がプライベートに及ぶまでに進化した。

 Aさんに対する私の第一印象に関してだが、第一義として「同年代」がキーワードとして背景にあった。 そしてAさん側も同様の感覚がある事と確信していた。
 昨日以前までの会話内容に於いては、まさにお互いに「同年代」が共通項として背景にあるがために話題がブレず、長話が続行できた事に間違いない。

 そして、昨日のことだが。
 年が明けてAさんとお会いしたのは昨日が初めてだったため、お互いに「今年もよろしく」の会話の後、正月を如何に過ごしたかの話題となった。 Aさんはご主人とお二人でご主人のご実家がある九州に旅立たれたとの事だ。 

 その話題で一時会話が弾んだ後、私がAさんに問うた質問がそもそも“墓穴を掘る”きっかけとなった。 
 (参考だが、私の場合今となってはわざわざ混雑時期に旅に出る趣味が一切無い。 その時期に敢えて旅立つ人種とは、おそらくその時期にしか休暇が取れないのだろうとの感覚がある。 と言うことは、Aさん宅は未だ現役世代ではなかろうか??) 
 そのような憶測が脳裏に浮かんだ私は、Aさんに尋ねた。
 「ご主人は、現役世代の方ですか?」
 Aさん応えて、「はい、そうです。」
 その回答にかなり驚いた私は、「もしかしたらAさんも現役世代ですか??」
 Aさん、「はい。私も職業に従事しています。」
 そこまで聞いた責任をとるためにこちらも現状を伝えるべきと考え、「我が家の亭主は定年退職して既に6年近い年月が経過しています。」
 それに少し驚いたAさんが、「年齢が離れたご夫婦なんですか?」と問われる。 「いえ、さほど離れていません。」と私が応えると、「随分お若く見えますね!」と更に驚かれる。


 その後「そんな事はないですよ」等々しどろもどろに返答しつつ、私は反省しきりだ。
 上記の会話内容をすぐさま分析した私だが、そもそもお互いに「同年代」感覚がきっかけで会話を楽しむ関係を続けてきているにもかかわらず…
 心無い私の一言で最悪の場合その関係を“崩壊”に持ち込んでしまったのではないか!? なる悪い予感がするのだが。
 特に、相手は女性だ。 Aさんとしてみれば、ずっと高齢域の私側から同年代だと思われていた事実がとんでもなく痛手だった事だろう。 (私って、そんなに老けてみえるか!??)とAさんが今も嘆いておられる様子が想像可能だ。 


 とにもかくにも現代のこの世の中、庶民レベルに於いてすら「個人情報保護」に邁進せねばならないわ、ハラスメント観念が強靭となり過ぎるわ、の現状だ。
 その状況に配慮せねばないとの暗黙の圧力下に、人間関係の続行が困難な事態となり果ててしまっている、と感じるのが現在の我が私見だが。
 たかが庶民間の会話に於いてまでもそれらに留意せねばならない得体不明の拘束感が強靭で、お互いの氏名や年齢さえ聞けないし語れもない。 (未だに、Aさんのお名前を聞けずにいる私だが。)
 
 このような時代背景下に於いて、Aさんに対する我が問いかけは誤りだったのか?? と今現在尚悩んでいるのだが。
 私としては今後も通い続ける予定の某所にて、“似た者同士”のAさんとの会話を続行したい意向だ。
 もしもAさんが寛大な人材だった場合、それが叶うのかとも期待しているのだが…

 とにもかくにも、人間関係に於いて「窮屈」な時代背景を実感させられる。
 

23年前の大震災発生直後に献身的に動いた医療ボランティア

2018年01月18日 | 時事論評
 昨日(2018.01.17)、阪神・淡路大震災の発生から23年目を迎えた。


 東京暮らしの私も、“あの日”の事は鮮明に記憶している。

 晩婚の末、高齢出産にて誕生した娘が未だ1歳少しの頃だった。 既に発達の遅れに気付いてはいたものの、未だ“赤ちゃん”状態のためさほどの懸念を抱いていない段階だ。 1歳の誕生日過ぎて、やっとこさ“はいはい”をし始めた娘のその姿があまりにも可愛らしく、その動きを見ては目を細めていたものだ。

 婚姻時点で当時は未だ珍しい存在たった超高層タワーマンションの一室を購入し、生まれたての娘も含め一家3人で暮らし始めたのだが…。 どうも“暮らしにくさ”を引きずる日々だった。
 例えばビル風が日々強く吹き荒れるため、バルコニーでの布団干しを禁止されていたり、洗濯物が砂埃で汚れる。 エレベーターの待ち時間が長い。 管理費がべらぼうに高い。 等々…
 転居するなら早めの方が少しでも高く売却出来ると判断し、住居の買替えを実行に移した。 秋頃に売りに出し、年末には買い手が見つかり、年明けには売却の段取りとなった。

 さて売買契約締結に向けての最終確認のため不動産仲介会社の担当者がやって来たのが、1995年1月17日の事だ。 
 午前10時過ぎに我が家を訪れた担当者氏が、血相を変えて私に訴える。
 「今朝早く関西地域で大規模地震が発生して、死者が数百人出ているようです!!」
 朝からテレビを見る習慣がまったくない私にとって、大震災の第一報がこれだった。
 「え~~~~~~~~!!!」と驚愕するばかりで、開いた口が塞がらない。 ただ、担当者も仕事の都合があるだろうと推測して、早速面談に入り1時間程で最終確認を終えた。

 担当者が去った後、早速テレビのスイッチを入れると真っ先に画面に映し出されたのは、高速道路が横倒しになっている光景だった。 (嘘でしょ?!? 何かの間違いじゃないのか??)としか感じられない。 その後はテレビ画面にくぎ付けだ。 1歳少しの娘も“はいはい”をやめて、私の隣で訳がわからないなりにテレビ画面を見つめ、横で驚愕する私と一緒に動揺している様子だ。 
 そうこうしていると米国在住の姉から電話が入り、「関西で大地震があったとの報道だが、どうなっているか?」と尋ねる。 姉は大阪の大学へ進学後10数年間大阪で暮らしていた故に、現地知人の安否を気遣っているようだ。
 この日は夜遅くまで阪神・淡路大震災に関する報道を注視した。 特に夜間に入り、神戸市長田区一面が火災で焼け落ちる映像は、まさに地獄をみる思いだった…。


 ここから、表題に掲げたテーマの本題に入ろう。

 昨日昼間は外出していたのだが、夜間になりテレビ報道や新聞にて改めて阪神・淡路大震災23年目のニュースに触れた。
 その後、gooブログを訪問したところ。
 タイムリーに、阪神・淡路大震災関連記事を公開されているブログに出くわした。

 関西地方で医師・大学院講師をされているM氏(とさせていただく)が、23年前の大震災発生直後に医療ボランティアとして活動された記載を公開されていた。
 この私も過去に医学経験があるものの、臨床経験(医療現場勤務経験)が皆無のため、自ずと医療ボランティア力は無くその経験も皆無だ。
 そんな私にとってM氏の医療ボランティア記述は実にリアルであり、また感銘を受ける内容だった。 早速コメントを入れさせて頂いたところ、M氏より更なる詳細のご返答を頂戴した。
 
 そのご返答の内容を、私なりの表現にて以下に紹介させていただこう。
 大震災発生のあの日、M医師先生は偶然にも勤務先の大阪の病院にて夜勤をされていたらしい。 仮眠中に物凄い揺れに驚かれたものの、幸い病院の建物には被害がなかったようだが、すぐさま「神戸の病院はどうなっているのか」他の職員氏達と共にテレビ画面にくぎ付けになられたようだ。
 神戸に同業のお知合い医師がおられたM先生が連絡を取られた後、夜勤勤務明けに緊急の医療資材の確認やそれを持ち出すことが可能か、などを看護師たちと手分けして行うと同時に、足の確保などを話し合い準備を整える作業に入られたそうだ。
 尼崎から連絡が入り、4病院が倒壊、倒壊の恐れがあること、また病院の多くが臨時的に野戦救護所的に運営されつつある事など、また「合流したい」との申し出もあり、M先生たちは平常勤務の医者との申し送りも済ませ尼崎へ向かわれたそうだ。  合流場所の阪神尼崎駅からは緊急チームが急遽編成され、彼らの道案内で長田地区に向かったとの事だ。
 後はもう何が何だか分からないままに動かれ…。 現地では、野戦救護所状態だったものの、病院関係者の手伝い、消防や警官のグループに合流、応急処置と病院への橋渡し役などを手分けして行ったのを記憶しておられるそうだ。
 現地では、被災はしたが比較的軽症だった人たちが中心となって、倒壊した家屋、火災した家屋の確認や、行方不明となっている人の捜索などが行われたとのこと。
 以上のような厳しい状況の中、取り敢えず「動けた」ことに、幾らか「使命の一端を担えることが出来た」のではないかと自負されておられるようだ。 M氏は緊急医から医師の一歩を踏み出されておられるとのこと、それもあり医療ボランティアとして動けたとも言える、と記されていた。
 そしてご返答の最後に、今から23年前の出来事はある意味でM先生の原点の一つでもある、と結ばれていた。
 (以上、gooにブログを公開されているM医師先生よりのコメント返答より私がアレンジしつつ引用させていただいた。)


 最後に、私見でまとめるが。

 このM医師先生よりのコメントご返答内容とは、今後の大災害発生時に“緊急”「医療ボランティア活動」体制を発動するに際し、貴重な資料となり得るのではなかろうか?
 
 「医療ボランティア」に関する情報に関しては、私は今まで海外の激戦地域で活動している報道しか見聞していなかった。
 もちろん、国内の災害時にも「医療ボランティア」が活動している様子はメディアにて伝えられてはいる。 だが、国内の場合“緊急”感に欠けると言うべきか、要するに大災害がある程度沈着して後の報道に過ぎなかったように感じるのだ。
 もちろん、それも重要であろう。

 その点、M先生が23年前の大震災時に実行された「医療ボランティア」活動とは、まさに大災害発生直後の“緊急事態”に対応されている点に於いて素晴らしい故に感銘を受けるのだ。

 阪神・淡路大震災は、早朝の5時台に発生した大災害だ。
 夜勤明け直前の大揺れにも動揺せず、ご自身のお疲れの身体も後回しにされ、まずは「人命救助」の発想が浮かび、それをすぐさま行動に移されたM先生はじめ医療スタッフの皆様の果敢なボランティア精神・行動に、大いなる拍手を贈らせていただきたい。 

 M医師先生のような医療関係者が今後ますます増えたならば、大災害発生直後期の「医療ボランティア」活動が更なる充実を遂げるのであろう。  

医療依存せずして我が身体はいつまで持ち堪えるか

2018年01月16日 | 医学・医療・介護
 本日午前中、先週より手術入院中だった我が亭主が無事退院した。

 久しぶりの自宅がよほど嬉しいのか、家に帰り着くなり子どものように無邪気にはしゃいでいる。
 かなり体重が減少した様子で頬がこけているが、これだけ元気な様子だともう大丈夫だ。

 結局、私の“開放感”は入院初日午前中限り… 
 またもや今日から家庭内業務が2倍に膨れ上がる。 いや、日中は家にいない娘には普段からほとんど手がかからないため、3倍4倍の負担の日々が舞い戻って来そうだ。


 そもそも、医療に関する考え方やその行動が180℃異なる我が夫婦だ。
 同じくバリバリ“医療依存派”の義母の下に生育した亭主が、普段から病院へ行かない訳もない。 少しでも身体に異変を感じるとすぐさま病院を訪ね、医療依存の道程をずっと歩んで来ている。
 
 片や私は過去の医学経験によるものが大きいが、普段より「予防医学」の観点から自助努力で我が身の健康管理を実施している。
 例えば、栄養バランスの維持、摂取カロリーの適性の維持。 “料理嫌い”の私ではあるが、これらの管理には厳しい。 我が娘には幼き頃よりこの指導を欠かしていない。 その成果故か、私と娘はずっと理想体型を維持し続けている。 片や、私の指導に従わず自由奔放に行動したい本能にほだされやすい亭主は、暴飲暴食で健康を害することが多い。
 適度な運動とて同様だ。 私と娘には昔から運動習慣が根付いているが、亭主はと言えばその日の気分次第だ。 結果として運動をしない日々が長引く事も多く、体脂肪を増やすに至っている。
 私と亭主の間で何よりも大きく差がつく問題は、“精神状態のコントロール力”だ。 私に言わせてもらうと、(我が亭主も“元科学者”であるにもかかわらず)何故これ程までにその能力に欠けているのか、未だに理解に苦しまされる課題だ。 


 私の“医療依存度”の低さに関してだが。

 もちろん、まったく医療依存をしない訳ではない。
 自己判断でこれは“医療依存するべき”と結論付けた際には、必ず病院受診する。
 その最たるものが「歯科」だ。 歯科分野に於いては、例えば虫歯の場合自然治癒はありえない。 必ずや歯科医を訪れている。
 
 また、私は40歳時に「皮膚癌」を患いその摘出手術を受けている。
 22年前のあの時も、自己診断で我が皮膚病状を“悪性”と嗅ぎ取り皮膚科を受診した。 案の定 “悪性” すなわち「皮膚癌」の診断が下り、すぐさま大病院にてその摘出手術を受けた。 
 その後20年以上が経過しているが、今でも突如として皮膚に出没する“できもの”に関しては正直なところ恐怖感を抱かされる。  と言う訳で、自己診断不能な得体の知れない皮膚の“できもの”に関しても、必ずや皮膚科を受診する習慣がある。
 昨夏にも、それを実行した。 肘をぶつけた後に血痕のような出来物が出現し、それが2ヶ月経過しても消え去らないため皮膚科を受診した。 皮膚科医師先生曰く、「悪性ではないですが、いつまでも消えない恐れもあります。それでも心配はないです。」 この医師先生の一言にどれほど安堵させてもらえたか。  結果として今現在尚消え去っていないが、先生が仰った通り特段の健康被害は発生していない。


 最後に、我が亭主の入院話題に戻そう。

 亭主は本日退院して自宅に帰ったばかりだが、今回手術を受けたことにより大いに安堵している様子だ。
 何分“医療依存度”が極めて低い私故に、近年は義母や亭主の病院付添い時に病院を訪れ医療の現状を垣間見るしか機会が無い身だが。
 その立場にして病院現場を視察するに、昨今の病院とは“医師主体”ではなく“患者主体”へと移ろごうと努力している姿勢は確かに感じ取れる。 

 医療現場が更に“患者主体”に進化すれば、患者側も変化し得るのか? 
 それに期待したいものだが…。 

 本日退院したばかりの我が亭主を観察するに、本日に限って言えば未だにはしゃいでいるあり様だが。

 また明日になると、身体の何処かが痛いから病院へ行くと言い出し…
 また入院するから私に付き添え、と言い始めるのだろうか……  
 それをまた補助せざるを得ないのが我が宿命だとしてもだ。

 今後も「医療依存」を最小限に留め、予防医学・自助努力で生命を繋ぎ通したいと欲している我が身がいつまで持ち堪えるのか、の確約がそろそろ欲しいのも本音だ。