(写真は、朝日新聞2015.11.21 付 「be」 漫画家 山科けいすけ氏による 「らいふいずびうちふる」より転載したもの。 本日曇天にて自宅室内が暗く、写真がいつもに増して不鮮明な事をお詫びします。)
とかく他人から見知らぬ人を紹介される事とは、紹介される側にとっては迷惑な場合が多いと私は認識している。
その一例として定年退職後の男性の“大迷惑度合い”を的確に表現したのが、上記の山科氏による4コマ漫画と言えよう。
写真不鮮明につき、以下に漫画の内容を紹介する。
定年退職後男性の娘曰く、 「お父さんに会ってもらいたい人がいるんだけど、明日連れて来ていい?」
父驚いて曰く、 「え…!?」 (妻を早くに亡くし男手一つで育て上げてきた娘が… いや、父親の世話で人生をムダに使わせはいかん… 喜んでやらなくては…)
ところが娘が一老人を引き連れて来て語るには、「(こちらは)朝日田雁二郎さん。」 当該朝日田さんが挨拶して、「はじめまして」
娘曰く、 「(父は)近所つきあいもできなくて、友達もいない。 (朝日田さんは)お父さんの相手をしてくれるって。」
朝日田さん曰く、 「まずは将棋からはじめましょうか。」
娘の父である定年退職男が怒って曰く、 「よけいなお世話だっ!!」
(以上、上記写真の漫画を文章にて紹介したもの。)
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
いやはや、この漫画の主人公である定年退職男性がおっしゃる通りだ!!
娘さん側は未熟ながらも親切心で自分の会社の上司を父に紹介したのであろうが、よくぞまあ“余計な気配り”をしたものと、この私もその“ありがた迷惑度”を推し量って余りあるのだ。
このような経験は、我が過去に於いても幾多とある。
例えば、中学生の頃に私は部活動現場の女友人関係に悩んでいた。
それを見かねたクラスの親友が、「それならば、〇〇先生に相談すればいい」と言い始め、すぐさま女性○○先生にアポイントメントを取ってしまったのだ。 これが大変! 実はその〇〇先生に対して、私は大いなる苦手意識を抱いていたのだ。
そもそも生まれ持って天邪鬼気質の私が、学校の先コウ(先生の事だが)など信頼する訳があるはずもなかった。 ただ親友がせっかくアポを取ってくれ、それに応じると〇〇先生も言ったとの事実を私側が無視出来るはずもなく、その相談が実行される事態となった。
人間とはまさに“以心伝心”だ。 さすがの〇〇先生も私に嫌われている事を承知した上での面談と相成ったようだ。 その時の面談内容と言えば “狐と狸の化かし合い” だったと結論付けてよいだろう。 結果として何らの方針も得られず、その後私は自分の力で問題解決に漕ぎつけた。
その後年月が経過して、私が適齢期を過ぎた頃の話だ。
いつまでも結婚したいと言わない私に、実親も含め、各方面の周囲連中が“お見合い”の紹介を持ってくる。
その中で、確かに私側から考察して「釣り合う」と思える紹介もあるにはあった。 ところが(大変失礼ながら)そのほとんどが私の意向に沿わない相手の紹介なのだ。 言っちゃ悪いが、その程度の男性とそもそも付き合おうとも思ってもいない私に対して、まさに様々な見合い話が到来したものだ…。
(その結果として“罰当たり者”である私も、結局はお見合いにて現在の亭主に恵まれている事実を付け加えさせていだだこう。)
あるいは少し趣向が異なるが、30代後半頃に某職場でほんの一時期一緒に働いていた部下女性より、とんでもない迷惑を被った経験がある。
どうやら彼女は、私の肌が“曲がり角”と認識した模様だ。 確かに当時の私はちょうど超多忙期に瀕していて、寝る時間も惜しみ学業と仕事の両立(加えて恋愛と酒三昧の日々)を実行していた時期だ。
その時に大いなる迷惑だったのが、その彼女が自分勝手に私の個人情報を某化粧品会社に登録したとの事実である。 その後の私に対する化粧品会社の営業の程が物凄い! 当時バブル絶頂期だったのだが、こちらとしてはその化粧品会社の撃退に無駄な時間を割く事に躍起にならされたものだ…。
悲しいかな当時は未だ、何が親切で何が迷惑かに関して思考不能な人間が多く蔓延っていた時代背景だったのであろう。
最後に、私論でまとめよう。
ご自身が寂しい人ほど、身勝手に他者に人を紹介するとのとてつもない迷惑行為を深い思慮なく実行してしまうのではなかろうか??
私の経験から、その結論を導き出せそうに思うのだ。
例えば、結婚願望がほとんどないと言い切っていた私に「お見合い」を進めた人種など、その最たるものと私は位置付ける。
まあそれでも、そういう人間関係が成り立っていた遠き時代に感謝するべきかもしれない。
昨日、高齢者有料介護施設に住む義母と、娘の誕生祝に際する食事会にて街の食事処で久しぶりに再会した。
既に時代は変遷し、高齢者施設に於いても、志ある年寄りには今の時代に即した介護サービスがなされている様子だ。
我が義母は、元より一番の介護者兼保証人である私に対する礼儀を、今尚少しも失っていない。
その事態に感謝しつつ、今後も義母と最大限の良き関係を築いていきたいものだ。
とかく他人から見知らぬ人を紹介される事とは、紹介される側にとっては迷惑な場合が多いと私は認識している。
その一例として定年退職後の男性の“大迷惑度合い”を的確に表現したのが、上記の山科氏による4コマ漫画と言えよう。
写真不鮮明につき、以下に漫画の内容を紹介する。
定年退職後男性の娘曰く、 「お父さんに会ってもらいたい人がいるんだけど、明日連れて来ていい?」
父驚いて曰く、 「え…!?」 (妻を早くに亡くし男手一つで育て上げてきた娘が… いや、父親の世話で人生をムダに使わせはいかん… 喜んでやらなくては…)
ところが娘が一老人を引き連れて来て語るには、「(こちらは)朝日田雁二郎さん。」 当該朝日田さんが挨拶して、「はじめまして」
娘曰く、 「(父は)近所つきあいもできなくて、友達もいない。 (朝日田さんは)お父さんの相手をしてくれるって。」
朝日田さん曰く、 「まずは将棋からはじめましょうか。」
娘の父である定年退職男が怒って曰く、 「よけいなお世話だっ!!」
(以上、上記写真の漫画を文章にて紹介したもの。)
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
いやはや、この漫画の主人公である定年退職男性がおっしゃる通りだ!!
娘さん側は未熟ながらも親切心で自分の会社の上司を父に紹介したのであろうが、よくぞまあ“余計な気配り”をしたものと、この私もその“ありがた迷惑度”を推し量って余りあるのだ。
このような経験は、我が過去に於いても幾多とある。
例えば、中学生の頃に私は部活動現場の女友人関係に悩んでいた。
それを見かねたクラスの親友が、「それならば、〇〇先生に相談すればいい」と言い始め、すぐさま女性○○先生にアポイントメントを取ってしまったのだ。 これが大変! 実はその〇〇先生に対して、私は大いなる苦手意識を抱いていたのだ。
そもそも生まれ持って天邪鬼気質の私が、学校の先コウ(先生の事だが)など信頼する訳があるはずもなかった。 ただ親友がせっかくアポを取ってくれ、それに応じると〇〇先生も言ったとの事実を私側が無視出来るはずもなく、その相談が実行される事態となった。
人間とはまさに“以心伝心”だ。 さすがの〇〇先生も私に嫌われている事を承知した上での面談と相成ったようだ。 その時の面談内容と言えば “狐と狸の化かし合い” だったと結論付けてよいだろう。 結果として何らの方針も得られず、その後私は自分の力で問題解決に漕ぎつけた。
その後年月が経過して、私が適齢期を過ぎた頃の話だ。
いつまでも結婚したいと言わない私に、実親も含め、各方面の周囲連中が“お見合い”の紹介を持ってくる。
その中で、確かに私側から考察して「釣り合う」と思える紹介もあるにはあった。 ところが(大変失礼ながら)そのほとんどが私の意向に沿わない相手の紹介なのだ。 言っちゃ悪いが、その程度の男性とそもそも付き合おうとも思ってもいない私に対して、まさに様々な見合い話が到来したものだ…。
(その結果として“罰当たり者”である私も、結局はお見合いにて現在の亭主に恵まれている事実を付け加えさせていだだこう。)
あるいは少し趣向が異なるが、30代後半頃に某職場でほんの一時期一緒に働いていた部下女性より、とんでもない迷惑を被った経験がある。
どうやら彼女は、私の肌が“曲がり角”と認識した模様だ。 確かに当時の私はちょうど超多忙期に瀕していて、寝る時間も惜しみ学業と仕事の両立(加えて恋愛と酒三昧の日々)を実行していた時期だ。
その時に大いなる迷惑だったのが、その彼女が自分勝手に私の個人情報を某化粧品会社に登録したとの事実である。 その後の私に対する化粧品会社の営業の程が物凄い! 当時バブル絶頂期だったのだが、こちらとしてはその化粧品会社の撃退に無駄な時間を割く事に躍起にならされたものだ…。
悲しいかな当時は未だ、何が親切で何が迷惑かに関して思考不能な人間が多く蔓延っていた時代背景だったのであろう。
最後に、私論でまとめよう。
ご自身が寂しい人ほど、身勝手に他者に人を紹介するとのとてつもない迷惑行為を深い思慮なく実行してしまうのではなかろうか??
私の経験から、その結論を導き出せそうに思うのだ。
例えば、結婚願望がほとんどないと言い切っていた私に「お見合い」を進めた人種など、その最たるものと私は位置付ける。
まあそれでも、そういう人間関係が成り立っていた遠き時代に感謝するべきかもしれない。
昨日、高齢者有料介護施設に住む義母と、娘の誕生祝に際する食事会にて街の食事処で久しぶりに再会した。
既に時代は変遷し、高齢者施設に於いても、志ある年寄りには今の時代に即した介護サービスがなされている様子だ。
我が義母は、元より一番の介護者兼保証人である私に対する礼儀を、今尚少しも失っていない。
その事態に感謝しつつ、今後も義母と最大限の良き関係を築いていきたいものだ。