原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

幾つになっても自分が付き合う相手は自ら選びたい

2015年11月23日 | 人間関係
 (写真は、朝日新聞2015.11.21 付 「be」 漫画家 山科けいすけ氏による 「らいふいずびうちふる」より転載したもの。 本日曇天にて自宅室内が暗く、写真がいつもに増して不鮮明な事をお詫びします。)


 とかく他人から見知らぬ人を紹介される事とは、紹介される側にとっては迷惑な場合が多いと私は認識している。

 その一例として定年退職後の男性の“大迷惑度合い”を的確に表現したのが、上記の山科氏による4コマ漫画と言えよう。
 
 写真不鮮明につき、以下に漫画の内容を紹介する。
 定年退職後男性の娘曰く、 「お父さんに会ってもらいたい人がいるんだけど、明日連れて来ていい?」
 父驚いて曰く、 「え…!?」 (妻を早くに亡くし男手一つで育て上げてきた娘が…  いや、父親の世話で人生をムダに使わせはいかん…  喜んでやらなくては…)
 ところが娘が一老人を引き連れて来て語るには、「(こちらは)朝日田雁二郎さん。」 当該朝日田さんが挨拶して、「はじめまして」
 娘曰く、 「(父は)近所つきあいもできなくて、友達もいない。 (朝日田さんは)お父さんの相手をしてくれるって。」
 朝日田さん曰く、 「まずは将棋からはじめましょうか。」
 娘の父である定年退職男が怒って曰く、 「よけいなお世話だっ!!」 
 (以上、上記写真の漫画を文章にて紹介したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 いやはや、この漫画の主人公である定年退職男性がおっしゃる通りだ!!
 娘さん側は未熟ながらも親切心で自分の会社の上司を父に紹介したのであろうが、よくぞまあ“余計な気配り”をしたものと、この私もその“ありがた迷惑度”を推し量って余りあるのだ。


 このような経験は、我が過去に於いても幾多とある。

 例えば、中学生の頃に私は部活動現場の女友人関係に悩んでいた。
 それを見かねたクラスの親友が、「それならば、〇〇先生に相談すればいい」と言い始め、すぐさま女性○○先生にアポイントメントを取ってしまったのだ。  これが大変! 実はその〇〇先生に対して、私は大いなる苦手意識を抱いていたのだ。
 そもそも生まれ持って天邪鬼気質の私が、学校の先コウ(先生の事だが)など信頼する訳があるはずもなかった。  ただ親友がせっかくアポを取ってくれ、それに応じると〇〇先生も言ったとの事実を私側が無視出来るはずもなく、その相談が実行される事態となった。
 人間とはまさに“以心伝心”だ。 さすがの〇〇先生も私に嫌われている事を承知した上での面談と相成ったようだ。 その時の面談内容と言えば “狐と狸の化かし合い” だったと結論付けてよいだろう。  結果として何らの方針も得られず、その後私は自分の力で問題解決に漕ぎつけた。

 その後年月が経過して、私が適齢期を過ぎた頃の話だ。
 いつまでも結婚したいと言わない私に、実親も含め、各方面の周囲連中が“お見合い”の紹介を持ってくる。
 その中で、確かに私側から考察して「釣り合う」と思える紹介もあるにはあった。  ところが(大変失礼ながら)そのほとんどが私の意向に沿わない相手の紹介なのだ。  言っちゃ悪いが、その程度の男性とそもそも付き合おうとも思ってもいない私に対して、まさに様々な見合い話が到来したものだ…。
 (その結果として“罰当たり者”である私も、結局はお見合いにて現在の亭主に恵まれている事実を付け加えさせていだだこう。)

 あるいは少し趣向が異なるが、30代後半頃に某職場でほんの一時期一緒に働いていた部下女性より、とんでもない迷惑を被った経験がある。
 どうやら彼女は、私の肌が“曲がり角”と認識した模様だ。  確かに当時の私はちょうど超多忙期に瀕していて、寝る時間も惜しみ学業と仕事の両立(加えて恋愛と酒三昧の日々)を実行していた時期だ。 
 その時に大いなる迷惑だったのが、その彼女が自分勝手に私の個人情報を某化粧品会社に登録したとの事実である。  その後の私に対する化粧品会社の営業の程が物凄い!  当時バブル絶頂期だったのだが、こちらとしてはその化粧品会社の撃退に無駄な時間を割く事に躍起にならされたものだ…。  
 悲しいかな当時は未だ、何が親切で何が迷惑かに関して思考不能な人間が多く蔓延っていた時代背景だったのであろう。


 最後に、私論でまとめよう。

 ご自身が寂しい人ほど、身勝手に他者に人を紹介するとのとてつもない迷惑行為を深い思慮なく実行してしまうのではなかろうか??
 私の経験から、その結論を導き出せそうに思うのだ。
 例えば、結婚願望がほとんどないと言い切っていた私に「お見合い」を進めた人種など、その最たるものと私は位置付ける。
 まあそれでも、そういう人間関係が成り立っていた遠き時代に感謝するべきかもしれない。

 昨日、高齢者有料介護施設に住む義母と、娘の誕生祝に際する食事会にて街の食事処で久しぶりに再会した。
 既に時代は変遷し、高齢者施設に於いても、志ある年寄りには今の時代に即した介護サービスがなされている様子だ。

 我が義母は、元より一番の介護者兼保証人である私に対する礼儀を、今尚少しも失っていない。 
 その事態に感謝しつつ、今後も義母と最大限の良き関係を築いていきたいものだ。

レム睡眠が脳内記憶に及ぼす影響

2015年11月21日 | 学問・研究
 私は、実によく夢を見る。
 正確に言えば、見た夢をよく覚えている。

 それは何故かと言えば、睡眠途中の夜中や朝方によく目覚めるせいだ。
 人は誰しもレム睡眠中に夢を見ているものだが、その後直ぐにノンレム睡眠に移行し深く眠り込んだ場合、朝起きた時点では夢の記憶が無いことが多いと見聞している。

 心がウキウキ弾むような夢を毎晩見れたなら嬉しいものだが、私の場合は決してそうではない。
 そのほとんどが悪夢の部類だ。 深層心理部分でよほど昼間重圧を受けているのだろうかと自分で夜中に分析せねばならない程に、私は毎夜悪夢に苛まれているとも言って過言でない。


 例えば最近よく見る夢の事例を列挙するなら…。

 過去の仕事を実際する夢。 
 特に医学関連業務に従事していた頃の夢をよく見る。 夢の中で当時の実験を繰り返すのだが、上手くいかなかったり取り返しがつかない失敗をしでかす等、その実験に困惑している夢をよく見る。 
 医学基礎実験に関わった事の無い方々にはご理解頂けないかもしれないが、例えばDNA実験などその計量単位とはμ(マイクロ)の世界なのだ。 それを少しでも誤った場合取り返しがつかなくなるのだが、実際夜中に神経擦り減らして実験せねばならない夢を見る極限辛い状態から、いい加減解放して欲しいものだ…。

 重要な書類や身分証明書を無くす夢。
 これなど、一種の老化現象かと自己分析している。 自分の老化を認め、それに甘えていられる人種ならば、こんな夢を見なくて済むのかと考察したりもする。
 ところが私の場合は、自分がいつまでもしっかりしていなければ周囲が成り立たない環境下にある。 その一例として、実母・義母2人にこの先の介護・保証を全面的に依存されている。 片や我が家に於いては、一応就職内定が決まったものの、尚サリバンとして娘の未来を見通し支援せねばならない立場だ。 そんな環境下に於いて、私自身が失策醜態を晒す訳には行かないとの意識が強靭であるのに、自分自身が年老いているとの感覚が内面にもたげている事実が、この種の悪夢を引き起こすのだろう…。

 あるいは、「原左都子エッセイ集」を綴っている夢。
 これも、私自身の自己実現目的にライフワークとして自主的に執り行っている“無償活動”であるにもかかわらず、何故悪夢として夜中に再来してしまうのかに関して既に自己分析出来ている。
 要するに、私は“責任感”が異常なまでに強い人間なのだ。 覚醒している時間帯には、あくまでも“自己実現”と自分に言い聞かせて綴り公開しているにもかかわらず、一旦眠りに入ったら、悲しくも、それも自分の責任範疇と化して無意識に自分を責めてしまう脳内機能のようだ。


 ここで、今朝方見た夢の内容を明瞭に記憶しているため、紹介させて頂こう。

 私はそもそも、車の運転が苦手だ。
 それは自動車教習所に通っていた19歳頃より続く感覚なのだが、とにかく生来的に運転能力に欠けているようで、教習の第一段階、第二段階をクリアするのに長期間を要した。
 何とか実技試験最低ライン合格(学科だけは高得点を取ったが)にて運転免許証を取得したものの、その後若気の至りの一時期を除き、運転が楽しいなどと思った事はだだの一度も無い。 そのため、娘の習い事等の送り迎え任務を終了した10年程前に、自分の意思で車の運転をきっぱり・すっきり終了した。 

 そんな私は、現在既に車の運転を完全卒業しているにもかかわらず、何故か車を運転している夢をよく見る。
 そのすべてが、危険運転で死にそうな超悪夢だ。
 ところが、今朝見たのも車運転の夢だったものの、例外的に何故か運転がスイスイ行くし、しかも半端な映画などよりずっと面白い“スペクタクルもの”だったのだ!
 どういう訳か私が運転する車に娘と義母が同乗しているのだが、その二人が完全に私の運転に依存している。 そんな中運転を進める私だが、幾つもの“関門”に出食わす。 例えば行く先に扉やトンネルがある。何故かそれが私が通過しようとする直前に開いたり通り易かったりする。 これはラッキーと運転を進めると、今度は前面に海が広がっている。 そうしたところ、車が宙に浮いて空に飛び立つではないか! それに任せて空を遊泳していると、次なる場面は我が郷里の海水浴場だ。 その砂場を車で走り続けていると、我が母の実家に辿り着く…。  その後は記憶にないが、私はどうやら夢から目覚めた様子だ。
 目覚まし時計を確認すると、ちょうどいつも起床する朝の時間だった。

 と言う訳で、原左都子の場合は“今夜も寝るのが苦痛”とのマイナス心理状態にさせられる程に、夜な夜な悪夢に苛まれていると言えよう。


 ところが、この夢をもたらす「レム睡眠」に関する新たな研究成果を、朝日新聞記事上で発見したのだ。
 朝日新聞2015.10.23 夕刊 「浅い眠り 記憶への助走?」と題する記事内容を以下に要約引用しよう。

 夢を見る浅い眠り(レム睡眠)には、続いてやってくる深い眠り(ノンレム睡眠)の時に脳内の記憶定着を促す役割があることを、筑波大学と理化学研究所などのチームがマウス実験で確かめた。 これは、脳科学の長年の謎だったレム睡眠の役割解明に繋がる成果という。 
 「レム睡眠」は、鳥類と哺乳類だけにみられる状態。 大人の睡眠時間の約15%を占めるが、具体的な役割は不明だった。 上記研究者達は、レム睡眠からノンレム睡眠へ切り替える脳内スイッチ役の神経細胞を特定してマウスの遺伝子操作でそれを作り出し、レム睡眠の効果を調査した。 その調査により、逆にレム睡眠を増やすとノンレム睡眠のデルタ波が強くなる事が判明したとの事だ。
 デルタ波には、記憶形成や脳機能回復の作用があることは既に知られている。 研究者は「レム睡眠により脳内記憶の整理が施されていると考えられる」と話す。
 (以下略するが、以上、朝日新聞夕刊記事より要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 毎晩毎晩悪夢ばかりを見せられて、私の脳内は一体どれ程老いぼれてしまったのかと悲観していた身だ。
 ところが上記朝日新聞の新たな研究発表を見ると、レム睡眠には後のノンレム睡眠の“デルタ波”に有効に作用する働きがあるとのこと。
 そうであるならば私も悪夢ごときにいちいち夜中に目を覚ましていないで、そのままノンレム睡眠に移行する努力をするべきなのか!?
 ところがそれが不可能な事態こそが、真実老いぼれた証拠なのか?!?

今時の娘って自分の恋愛を親に話したいの?

2015年11月19日 | 時事論評
 表題に関してだが、もしもそれが未だ思春期の中高生程の娘であるならば、多少理解可能な気もする。

 ところが20歳過ぎて成人している娘にして、彼氏との恋愛話を親に語るなどとの“幼稚な心理”の程が、私には到底理解しかねるのだ。


 恋愛相手との連絡手段が固定電話しかなかった昔の時代には、確かに、自分の恋愛がその固定電話を通して親にバレたものだ。

 この私にもその経験は幾度かある。
 我が家の場合、かかって来た固定電話に大抵母が出ていたが、男性から私宛の受信の場合、必ずや会話の後で母が私にその電話の主に関して確認したものだ。 「今の男性は誰?」と。 それに私も手短かに答えた。 「大学の友人だよ。」「バイト先の知り合い。」あるいは「運転免許教習所で知り合った男性。」等々と…。
 あるいは恋愛相手と会う時には、過疎地に住んでいた私の場合彼氏の車にてのドライブデートが多かった。 そうした時に相手男性は我が家の近くまで車で迎えに来るのだが、それを母が室内からこっそり観察していた様子でもある。 デートが終わって帰宅した際に、母が「なかなか好感が持てそうな男の子だね。」云々と私に告げたりしたものだ。

 我が母の場合、私の恋愛に関する詮索はその程度だった。
 と言うのも、私が医学専門職目指して大学で頑張っている事を十分に把握していたためだ。 (この子は結婚などまだまだ先の話。とにかく今は職業人として自立することに専念している。)と親として信じていた故だろう。
 それはその通りなのだが、母と私の間で食い違っていた部分とは、私がちょうど20歳になった頃より“家を出て単身での自立”を目指していた事実に関してだ。 その我が水面下での策略を当時の母は露知らず、この子は次女だし家に残ってくれるはずと信じていた様子だ…。 
 私側としては、当時より必ずや“家を出て”自立(自立先を東京と決定したのは卒業年度の夏頃の事だが)する事を最優先課題として虎視眈々と狙っていたため、郷里にての恋愛に於いて「結婚」などとの将来像が描けるはずもなかったと振り返る。


 ここで、 2015.11.7付「朝日新聞」“悩みのるつぼ”に寄せられた 20歳大学生女性の相談内容を以下に要約引用しよう。

 私は20歳の大学生だが、10歳近く年の離れた社会人の方とお付き合いしている。 交際期間は1年程で、穏やかな彼とは喧嘩もするが仲がよく、私の事を大事に思ってくれている。 学業やバイトや相手の仕事にも支障を来さず交際は進んでいる。  しかし、母が私の学歴よりも低い相手との付き合いを猛反対する。 別れなさいとの意見が聞けないのならば、学費も払わないし留学もさせないと言われた。 学業と恋人を天秤にかけられた状態では、冷静な判断が出来ない。 今の気持ちを押し殺してでも彼と別れて、母の言う通りにすべきなのか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より要約引用したもの。)

 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 この20歳の大学生が、一体何が言いたいのかが理解不能な相談内容である。
 20歳と言えば、現役大学入学した場合2、3年生に位置付けられるのであろう。 恋愛相手男性が“学歴が低い”事実を本人も認め母親同然に蔑んでいる様子だが、一体全体、この女子大学生が描く将来の職業像とは如何程にご立派なのであろうか?
 それを相談内容に記してくれない事には、誰だって相談に応じようがないと私は思うのだけど…。

 この私とて20歳頃には一応の自分なりの将来像を描いていた。 それは上に記した通り、親元離れ“単身で”職業人として自立したいとの夢だった。
 それを実行して既に40年近くの年月が流れた立場から考察するに、相談女性からは(おそらく分野は違おうが)私同様の職業未来像を描いた上で恋愛問題に関し“悩みのるつぼ”宛に新聞投稿したとは到底思えない。
 失礼ながら自分が何様かの判断も出来ない未熟さにして、相手男性を“自分よりも学歴が低い”とくだらなくも母娘で結託し、たわ言をホザいているだけの低レベル相談内容としか受け取れないのだ。

 
 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏の回答を、以下に紹介しよう。
 (参考だが、今回の岡田氏の回答の程が実に素晴らしいのだ。  原左都子にして、岡田氏の評論に“全面的に”賛同出来たのは、今回が初めてと言えよう。)

 相談者の悩みが、何だかヘンテコなのが気になった。 
 好きな人がいる。母に反対された。 この場合、恋する乙女が考えるのは「じゃあナイショで付きあおうか?」だ。 ところが相談者の選択とはそうではない。 私ならば「母を騙す」しか思いつかないのに。
 相談者は「彼との別れを既に決意している」。  母の反対を押し切ってまで付き合い続ける程の価値を彼に感じていない。 
 貴方自身が上記意見に賛同する部分があるのならば、今一度、心をまっさらにして「この面倒臭い恋を続けたいのか?」を考えよう。 
 これこそ、貴方の求める「冷静な判断」だ。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答者 岡田斗司夫氏による回答内容の一部を要約引用したもの。) 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 大学を出たから自分の価値が高まるなどとの馬鹿げた(不毛の)階級意識など、バブル経済崩壊期頃以降、既に形骸化しているものと私は捉えている。

 今の時代、一体如何程の国民が大学入学・卒業していると相談者(及びその親)は捉えているのであろうか? (その正解を言えば、半数近くの庶民が国家の歪んだ大学乱立の恩恵で進学出来ている実態だ。 そのマイナス効果たるや悲惨な事をわきまえた上で、自分の娘が付き合っている男性を母親たる者が評価出来ているのだろうか??)
 少しでもこの国の大学政策のあり方を理解しようとの向学心や危機観念があれば、現在の大学現場が置かれている事情など誰だって一目瞭然のはずだ。

 なのに何故、相談者の母は娘の交際相手を深い思慮もなく罵倒・否定したいのか?  しかもそれを真に受ける娘側も、母親同然の“体たらくぶり”としか言いようがない。
 
 母娘共々少しは世の中の実情を知った上で、未熟な娘の恋愛を評価・応援してみては如何なのか。
 真っ先に娘の恋愛相手に捨て去られるのは、貴方達母娘の方だ!  との極論をぶつけたくもなるのだが…。

老夫婦間で生活観が食い違った場合の対処法

2015年11月17日 | 人間関係
 先週末、義母が暮らす高齢者有料介護施設が年に2回開催する身元保証人懇談会出席のため、当該施設へ出かけた。

 この懇談会に出席している人物とは、大抵が入居者の子息達である。 
 保証人が入居者の娘さんである場合、その娘さんが一人で出席している様子だ。 片や保証人が息子さんの場合(我が家もそれに該当するが)、息子さん夫婦で出席している場合が多いようである。
 その理由について、実質的に日々義母の保証人を務めている私としては重々理解可能だ。 要するに何処の家庭も血縁関係の有無に関わらず、実際面で要介護者の世話をするのが(実娘、嫁を問わず)“女性”であるとの事なのだろう。


 そんな中、先週末出かけた懇談会にて珍しいバージョンを見かけた。
 入居者(イコール要介護者)が妻、そして身元保証人がその夫、とのカップルである。
 ところがこのご夫婦を傍目で観察する分には、どう贔屓目に見ても要介護者である奥方の方がしっかりしていて、保証人であられるご主人の方がずっと老化が進んでいるがごとく私の目には映るのだ。 
 例えば、奥方がご主人に「ちゃんと筆記用具を持参して来たの?」などと確認している。 それに対しご主人の方は、室内にてコートを脱ぐでもなく、私が挨拶してもボーッとした表情でただ突っ立っておられるのだ。 後の懇談会にての発言で表明したのは、当該ご主人が現役時代には企業役員等社会的地位のある人物であられ、それを今尚ご自身のプライドとされている様子である事だ。
 
 それにしても老齢に至っていくらプライドを保っていると言えども、傍目から客観的に観察してご主人の“老化”の程は一目瞭然であるのは否めない。
 後は私の憶測に過ぎないが、このカップルの場合、おそらく経済面では恵まれておられるのであろう。 そんな環境下に於いて、奥方の方が日々“プライド高い”ご亭主の世話をする事に辟易として、ご自身こそが高齢者施設に入居するとの手段でご亭主から“逃げる”との行動を採ったのではあるまいか?!?

 いやはや、何の役にも立たないのに下手に自尊心だけ保ち続ける身内高齢者を家庭内に抱え込む事態程厄介な事はないだろう。 もしも我が身がそうであれば許し難い事実、との私見に基づく憶測に過ぎない話だが…。


 さて、大幅に話題を変えよう。

 朝日新聞10月24日 別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、74歳男性による 「妻が都会への移住を言い出した」 である。  以下に要約して紹介しよう。
 北海道在住だが、道外出身の74歳の妻が突然関西の大都市へ移住したいと言い出した。  妻曰く、「4年前から考えていた。高齢にして冬の寒さがきつい。 残りの人生をコンサートや映画・演劇を楽しめる温暖なところで過ごしたい。今年移りたい。」  詳細に調べて作った計画書を見せられ、今住んでいる家を売ればマンションを買っても余裕が出ると言う。 もっと前から言ってくれたらお互いに話し合うことも出来ただろうに、何故唐突にと、不信感がこみ上げてくる。 この街にも映画館が2館、年に1,2度オーケストラや劇団が来る市民会館やホールがあるのに、「それでは満足出来ない」と妻は言う。 結婚以来長年この地に住んで来た妻が言うところの寒さが耐えられないとの言葉は理解不能だ。 別居して互いに行き来出来ればよいが、経済的に不能だ。 妻を諦めさせる方法を教えて欲しい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より要約引用したもの。)


 ここで、原左都子の私論に入ろう。

 とっとと離婚手続きを取って、妻の望む地に一人で行かせてあげればいいじゃん。 とりあえずはそれしか言えないよねえ。
 
 ところがそれを実行不能なご亭主が置かれている立場も理解出来る程に、私も年齢を重ねてしまったようだ。
 おそらく、厳寒地である北海道の片田舎に県外から奥方を迎え入れて以降、長年その奥方のお世話になり切っているとのご夫婦関係であろう。 
 で、今更妻が都会に出て新しい生活を堪能したいだと?

 その辺にご亭主として、今一度着目しては如何なのか?
 何故奥方が都会に出たいと考え始めたのかに関して、夫たるもの、もう少し観察力を持つべきだ。 本当に映画やコンサートを楽しみたいがため“だけ”の目的でそれを実行しようとしているとは、私には到底考えられない。
 奥方はネットをたしなんでおられるのだろうか? それが一つのキーポイントとなろう。 70代程の年代層とは普通にネットを楽しむ世代ではなかろうかと、私自身のネット経験より考察する。(と言うのも、「原左都子エッセイ集」は開設直後よりその年齢層男性ファンを中心に支えられ成り立っているとも考察可能なのだ。) もしかしたら、相談者の奥方はネット上で自分のハートをくすぐる関西地方に住む男性に出会った可能性が大きいのではなかろうか? それこそが奥方の都会(関西の大都市)移住希望の一番のきっかけではないのか、と私は想像したりもするのだ。
 さらに付け加えると、私自身が今後老後をエンジョイする一手段として、当該「原左都子エッセイ集」(及びそれをリンク展開しているSNSサイト)をもその拠点とするべく位置付けている。(あくまでも一手段だが。)


 最後に私論でまとめよう。

 朝日新聞相談者男性に限らず、世の男性どもとは、日頃一番お世話になっている奥方の存在を邪険にし過ぎている事実こそが、このような奥方の“信義違反”発想の発端となっていると結論付けてよいように思うのだ。

 片や、奥方女性もよく考えて欲しい。
 貴方達夫婦が結婚直後より「独立採算性」にてずっと家計を打ち立てているのならば、奥方が今に至ってその行為に出ても致し方ないであろう。 が、もしも亭主の給料でずっと養われている身分であるなら、奥方の立場として少しは恥を知ろうよ。
 奥方は都会のマンションを購入すると言うが、その維持管理のために月々発生する管理費・修繕積立金、加えて駐車場代金が如何程かかるか分かっているのか?  そもそも田舎過疎地の土地付き不動産物件がいくらで売却可能と考えているのだろう? 私の場合も地方過疎地に実母が住む実家があるためよく理解出来ているが、母亡き後は家屋の解体費用がかかるのみだ。 残った土地を売却したところで、その資産価値の低さなど目が当てられない程悲惨、という事実を既に把握出来ている。
 
 老いて尚、自分自身が培ってきた経済力により老後の楽しみを独力で紡げるならば、夫を一人厳寒地に残して奥方が一人身勝手に旅立っても許されるであろう。 冒頭に挙げた事例のごとく、奥方一人で有料介護施設へ“逃げる”との手立ても採れよう。(参考のため、義母の事例を参照して有料介護施設入居の場合の概算総額を披露するならば、交友享楽費等も含め年間数百万円程の費用が発生している。 それをこの奥方は自分で支払える経済力があって新生活を望んでいるのだろうか?)

 そうではないとすれば、よくぞまあ身の程知らずにそんな大胆な発想を夫に対してホザけたものと呆れるばかりだ…。
 夢とは幾つになっても自らの総合力で叶えらる基盤があってこそ、真に叶うものだよ。
 
 ましてや、老齢に至って長年連れ添ったご亭主と生活感や目指す方向が食い違った暁に、奥方が自分の希望をどうしても叶えたい場面に於いては、ご亭主との「格闘」を覚悟しない事には叶わない事実、と私は認識しているよ。

大学生達が日・朝韓の明日に架けたアートの橋

2015年11月15日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞2015.11.12夕刊記事 「壁はある。でも『対話したい』アートの橋」と題する記事の写真を転載したもの。 朝日新聞の写真説明によれば “「橋」を作った学生ら。手前が武蔵野美術大学で奥が朝鮮大学校” 朝日新聞デジタル版には動画も掲載されているそうだ。)


 大学生関係のエッセイが続くが、一昨日“これぞ真の「異才」!”と感動させられる新聞記事に出会った。
 前回のエッセイ内で、大学生を「小僧」「若造」との表現で揶揄したが、こんな骨も身もハートも実行力もある学生達が存在する事実に真に心を打たれる思いだ。


 冒頭から話が大幅にズレるが、私事に入らせていただこう。

 今となってはもう時効と判断するが故に明かすが、実は我が娘の高校2年生終盤頃までの第一志望大学が上記の武蔵野美術大学だった。
 出産時のトラブルにより生まれ持って発達面に不具合を抱えていた娘故に、サリバン先生として娘幼少の頃より「お抱え家庭教師」に励んで来た母の私だ。
 そんな娘の発育過程に於いて、ある特異的現象に気付いていた。 これに関し、2014.7.23公開バックナンバー「“色の後からものが見える”」に於いて綴っているため、以下にそのエッセイの一部を要約して紹介しよう。
 何分産まれ持っての事情を抱えている我が娘だ。 発語は遅いし運動能力の開花も遅れている中、親として気付く“特異性”があった。
 人より遅く歩き始めた娘をよく散歩に連れ出したのだが、未だほとんど発語のない娘が東武東上線の電車を指さして「ワイン」と言う。 最初何を言ったのか理解できなかったが、我々の前を通り過ぎる電車に塗られたラインカラーが娘の言う通り「ワイン色」である事に気付かない私ではなかった。 電車が走る事象よりも、この子は「色」に着目したものと、初めて我が娘の特質に気付かされた事件だった。
 極めつけは、娘の発語が多少出て来た時点(おそらく2歳半頃)地下鉄(現在の東京メトロ有楽町線だが)に幾度か乗せた後、娘が地下鉄駅に着く直前に繰り返す。 「次は白」「次はピンク」「次は灰色」「次は虹色」等々と…。 地下鉄とは道中が真っ暗闇である。 そんな電車に乗せられた幼き娘の関心事とは、次に着く駅の「壁の色」だったとの事だ。 それにしてもよくぞまあ、地下鉄有楽町線内のすべての駅の壁色を記憶しているとは、親馬鹿ながら“天才”素質があるのではと驚かされたものである。
 (当時の年齢で)20歳を過ぎた我が娘は今現在も、ものを“色”で表現する特質性から完全に抜け出ていないのが困りものだ。 例えば「お母さん、そのピンク取って!」 「お父さんが茶色を持って出かけた」等々…。
 そんな娘の“色特異性”こそを芸術方面で活かそうと過去に於いて策略した親としての思いは、当の昔に挫折している。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)

 娘が小学4年に進級した頃より造形教室に通わせ、生徒個々の自由を尊重して下さる美術家先生の下で娘は造形美術にたしなむ事と相成った。 何をやらせても時間がかかる娘ながらも、主宰者先生の寛大さに支えられ、本人なりに楽しく制作に励んだ。 
 中学校に進学して後も当該造形教室にて「油絵」を自分のペースで描きつつ、娘の美大進学志望が徐々に現実的になった様子だ。 
 娘が高校生となり、いよいよ大学進学を目指す時点で娘に確認すると「美大」を第一志望として頑張りたいとの意向だったため、親として早速高1から高校放課後の夜間は美大予備校へ通わせた。

 娘が高1になった暁に、武蔵野美術大学を第一志望大学としたいと言い始めた。 ならばサリバン母の私もその思いに付き合うのは当然の成り行きだ。
 幾度となく(性懲りもなく)娘に付き合い、我が家からは決して近いとは言えない東京都下に位置する“武蔵美オープンキャンパス”を訪れている。 (おそらく年間3度程通っている事を計算すると、娘が美大受験をギブアップする高2の終盤まで6回程武蔵美に通ったことになろう。 (もちろん、第2、第3志望美大のオープンキャンパスへも親子で足繁く通い詰めたが。)


 娘と共に6回も武蔵美オープンキャンパスに通ったサリバン親である原左都子にして、武蔵美のすぐ隣に「朝鮮大学」が存在していた事実を露知らなかった事実とは何たる失策!と、冒頭の朝日新聞記事を見て思い知ったのだ。

 ここで、ウィキペディア情報により「朝鮮大学校」に関する情報のごく一部を紹介しよう。
 朝鮮大学校は東京都小平市に本部を置く各種学校扱いの朝鮮学校の一つであり、朝鮮大学校は日本における朝鮮学校の最高教育機関に位置づけられる。 学校関係者は大学水準の教育を行っているとしているが、文部科学省から大学としての認可を受けていないため、法律上は各種学校の位置付けであり国内省庁が管轄している「省庁大学校」には該当しない。 開講科目は基本的に朝鮮語ですすめられるが、日本人教員も多く採用しており日本語の講義科目も多い。 在学生の大半が朝鮮高級学校の出身者であるが、一部日本の高校卒業生や高認合格者も在籍する。 朝鮮学校出身者以外の生徒は編入班と呼ばれるグループに入り(留学生別科に相当)、朝鮮語の習得などを行っている。 生徒には韓国籍、日本国籍の者も在籍している。 卒業生の進路は、朝鮮総聯職員、朝鮮学校教員などのほか、在日同胞企業などへの就職が多い。一方で他大学の学部、大学院進学者もおり、国内の大半の私立大学と一部を除く国公立大学は同校卒業生に大学院(法科大学院を含む)受験資格の門戸を開いている。
 在学生の生活では全寮制を採用しており、一部寮生活が困難な者を除く全員が寄宿舎生活を行っている。部外者の普段のキャンパス内への入場は制限されており、訪問者は所定の手続きが求められる。
 以前より、学園祭期間中にはキャンパスが開放され、近隣住民などでにぎわいを見せていた。しかし2007年に以降の学園祭は非公開とすることが決定された(2008年は悪天候のため学園祭は中止、2009年は校舎移転半世紀記念として一般にも公開された、だが今後の予定は未定である)
 (以上、朝鮮大学校に関するウィキペディア情報より一部を引用したもの。)

 
 これに対し、今秋明日に架けるアート像を描いたのが武蔵美及び朝鮮大学校の学生達だ。
 
 「壁は確かにある」 でも、向こうにいる相手と対話したい。
 そんな思いで武蔵美と朝大の学生達が、両大学間の敷地の境界にある一枚の壁ブロックに「橋」を架けるアートプロジェクトを完成させたとのニュースである。
 お互いの気持ちをぶつけながら完成させたのが冒頭写真に紹介した「木の橋」だ。
 この橋を造るにあたり、学生達の中から「いっそ壁を外そう」との意見も出たらしい。 その中、「双方の壁を認めた上での対話がしたい。この壁があってこその橋を架けたい。」との素晴らしいご意見での決着をみたとのことだ。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記の事例の場合はまさに理想的な国際交流であるのは元より、大学現場に日々通っている現役学生の立場からこのような国際親善の提案が出て、それを大学現場で実行した(出来た)事実こそが実に素晴らしい!

 繰り返すが、国家や大学現場が入試段階で18,9歳の若造の中から「異才」を集めたい等々と大騒ぎする以前の課題として、今回の学生達の国際交流の実態を参照してみてはどうなのか。