昨日我が娘がはたちの誕生日を向かえ、ケアマンションに住む義母を自宅に迎えて一家で娘の20歳の門出を祝った。
ところで我が家では実母と義母の呼び方を違える事により、娘幼き頃より両者を一家内で識別している。
当初はそれぞれを「○○(地名)のおばあちゃん」と呼び識別していたのだが、長たらしいのに加えて、同じ祖母とは言え両人の人格やら容貌なりがまったく食い違う事に違和感を抱いていた私から、自然と呼び方を変えていった。
その結果、義母は「おばあちゃん」、 実母は「ばあさん」と呼んでいる。 (私にとっては実の母など 「くそばばあ!」で十分と思う事も多い程、憎たらしい存在であるが…。)
ただし、亭主と娘はさすがに我が実母を「ばあさん」と呼ぶことは避け、相変わらず「○○のおばあちゃん」と呼んで気遣ってくれているのが申し訳ない程だ…
加えて、私は義母に面と向かっては決して「おばあちゃん」とは呼ばない。 必ずや「お母さん」である。 これは今後も徹底してそう呼んでいきたい程に、私にとって義母は尊敬すべき人物でありその存在感は大きい。
片や郷里の実母とは年に2度程しか会わない関係だが、いつ帰省してもあちらの悪態ぶりに辟易としつつ、ついつい「あなた」ないしは「あんた!!」と自然と口から出てしまう実態だ…。
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、「原左都子エッセイ集」でおなじみの朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”11月23日版を見た事による。
何でも今回の63歳女性相談者は、「『ばあちゃん』はイヤです」 との事だ。
早速この相談を要約して以下に紹介しよう。
夫65歳、私63歳だが、この頃夫が私の事を「ばあちゃん」と呼ぶので傷ついている。 今の60代など「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶには申し訳ない程の若々しさだ。 我が夫は自分が若く見られる事を日頃から自慢している。 確かに若い頃より夫より私の方が老けて見られてきている。 それはそうとして、私は夫から「ばあちゃん」と呼ばれる事には耐えられない。 どうしたら、そう呼ばれないようになるのか?
今回の“悩みのるつぼ”回答者は社会学者 上野千鶴子氏であられるのだが、氏は、「『呼び方』は関係を反映してますね」 と題する回答内容を紙面に展開されている。
この上野氏の表題を一見して、原左都子はまさに人の「呼び方」とは人間関係の実態を如実に描写している! と同感申し上げた次第である。
冒頭に掲げた私からの義母と実母の呼び方が異なる事例など、まさに我が現実の人間関係の有り様を物語っているのだ。
ここで私事に入ろう。
我が夫婦の場合、婚姻以来一貫して夫婦間では“名前呼び捨て”である。(欧米式と言えば聞こえがよいが、そんな思惑など一切なくして晩婚後自然とお互いにそう呼び合っている。) それは今現在に至っても一切変わりはない。
これを自然体で貫き通し、娘誕生後も決してお互いに「おとうさん」「おかあさん」などとは呼び合わなかった家庭のせいか、我が娘も(ごく小さい頃を除き)父母を「おとうさん」「おかあさん」とは一切呼ばず名前(及びニックネーム)で呼んでいる風変わりな一家だ。 (参考のため、「パパ」「ママ」は私自身が反吐が出そうな程気持ち悪いため、子どもにはそれを絶対に使用させなかった。)
少しだけ原左都子のポリシーを語るならば、親子なれどもそもそも人間皆対等に生きるべきある。 我が娘も成人を迎えた暁には「父」も「母」もへったくれもなく、自己責任で生きていかねばならない立場にある一個人体である。 その娘幼き頃から「名前」で呼ばれようが何らの不都合も無いどころか、その方が娘自立に向けて近道であるようにも考察した。
おそらくそんな私にたとえ80歳、90歳が訪れようが、亭主や娘から「ばあちゃん」類ではなく、実名かあるいは我がニックネームで呼び続けられそうな実感がある。
それはそうとして、上記上野千鶴子氏の回答の中で大いに気になる部分があった。
上野先生には申し訳ないが、その箇所を以下にピップアップして紹介しよう。
私(上野氏)は最近電車の中で座席を譲られることがとみに増えました。 ショックを受ける人もいるそうですが、年齢相応に見えるのだろうとありがたくお受けしております。 日本もそんなに悪い社会じゃないんだ、と思いながら。
(以上、“悩みのるつぼ”上野氏の回答内容からごく一部を紹介したもの。)
上記のご回答にこそ、大いなるショックを受けた原左都子である。
何と言っても上野千鶴子氏とは原左都子世代の女性達には、一貫した学問力によりこの世を変革するべく働きかけた先駆者たるべく印象があるからだ。
その上野氏が現在電車に乗ると、席を譲られるのだと???
その回答内容に少なからずの衝撃を受けた私は、上野千鶴子氏が現在何歳なのかに関してウィキペディアで検索させていただいた。 その結果は、1948年生まれの65歳……
私が上野氏の年齢に達するまでには、まだまだ我が人生を試行錯誤しつつ刻み続けねばならない。 還暦に近づいているとはいえ、未熟者の私がその年齢に及ぶ頃までに庶民レベルで一体何の業績が残せるというのか?
例えばの話がそんなことに思いを馳せた場合、他者からの「呼び名」などどうでもよいとも思える。 自己の人生を自分らしく歩み刻めたならば、他者に何と呼ばれようが、高齢になってたとえ電車内で席を譲られようがそれを容認可能との話題であろう。
若かりし頃より結婚願望も子育て願望も希薄だった私は、晩婚で産んだ娘が昨日20歳を迎えるずっと以前より、「自分の人生はすべて自己責任で好きなようにしなさい」と教育指導し続けている。
そんな我が娘がもしも将来孫を設けるような選択をした場合、この私も「ばあちゃん」と呼ばれる日が来るのであろうか??
そんな日が訪れることが自分自身の生き様に照らしてまったく想像も付かない、電車に乗れば未だ痴漢に遭う (あくまでも背面からだが…) 事を鬱陶しく感じつつ、お年寄りに席を譲る日々の原左都子である。
ところで我が家では実母と義母の呼び方を違える事により、娘幼き頃より両者を一家内で識別している。
当初はそれぞれを「○○(地名)のおばあちゃん」と呼び識別していたのだが、長たらしいのに加えて、同じ祖母とは言え両人の人格やら容貌なりがまったく食い違う事に違和感を抱いていた私から、自然と呼び方を変えていった。
その結果、義母は「おばあちゃん」、 実母は「ばあさん」と呼んでいる。 (私にとっては実の母など 「くそばばあ!」で十分と思う事も多い程、憎たらしい存在であるが…。)
ただし、亭主と娘はさすがに我が実母を「ばあさん」と呼ぶことは避け、相変わらず「○○のおばあちゃん」と呼んで気遣ってくれているのが申し訳ない程だ…
加えて、私は義母に面と向かっては決して「おばあちゃん」とは呼ばない。 必ずや「お母さん」である。 これは今後も徹底してそう呼んでいきたい程に、私にとって義母は尊敬すべき人物でありその存在感は大きい。
片や郷里の実母とは年に2度程しか会わない関係だが、いつ帰省してもあちらの悪態ぶりに辟易としつつ、ついつい「あなた」ないしは「あんた!!」と自然と口から出てしまう実態だ…。
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、「原左都子エッセイ集」でおなじみの朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”11月23日版を見た事による。
何でも今回の63歳女性相談者は、「『ばあちゃん』はイヤです」 との事だ。
早速この相談を要約して以下に紹介しよう。
夫65歳、私63歳だが、この頃夫が私の事を「ばあちゃん」と呼ぶので傷ついている。 今の60代など「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶには申し訳ない程の若々しさだ。 我が夫は自分が若く見られる事を日頃から自慢している。 確かに若い頃より夫より私の方が老けて見られてきている。 それはそうとして、私は夫から「ばあちゃん」と呼ばれる事には耐えられない。 どうしたら、そう呼ばれないようになるのか?
今回の“悩みのるつぼ”回答者は社会学者 上野千鶴子氏であられるのだが、氏は、「『呼び方』は関係を反映してますね」 と題する回答内容を紙面に展開されている。
この上野氏の表題を一見して、原左都子はまさに人の「呼び方」とは人間関係の実態を如実に描写している! と同感申し上げた次第である。
冒頭に掲げた私からの義母と実母の呼び方が異なる事例など、まさに我が現実の人間関係の有り様を物語っているのだ。
ここで私事に入ろう。
我が夫婦の場合、婚姻以来一貫して夫婦間では“名前呼び捨て”である。(欧米式と言えば聞こえがよいが、そんな思惑など一切なくして晩婚後自然とお互いにそう呼び合っている。) それは今現在に至っても一切変わりはない。
これを自然体で貫き通し、娘誕生後も決してお互いに「おとうさん」「おかあさん」などとは呼び合わなかった家庭のせいか、我が娘も(ごく小さい頃を除き)父母を「おとうさん」「おかあさん」とは一切呼ばず名前(及びニックネーム)で呼んでいる風変わりな一家だ。 (参考のため、「パパ」「ママ」は私自身が反吐が出そうな程気持ち悪いため、子どもにはそれを絶対に使用させなかった。)
少しだけ原左都子のポリシーを語るならば、親子なれどもそもそも人間皆対等に生きるべきある。 我が娘も成人を迎えた暁には「父」も「母」もへったくれもなく、自己責任で生きていかねばならない立場にある一個人体である。 その娘幼き頃から「名前」で呼ばれようが何らの不都合も無いどころか、その方が娘自立に向けて近道であるようにも考察した。
おそらくそんな私にたとえ80歳、90歳が訪れようが、亭主や娘から「ばあちゃん」類ではなく、実名かあるいは我がニックネームで呼び続けられそうな実感がある。
それはそうとして、上記上野千鶴子氏の回答の中で大いに気になる部分があった。
上野先生には申し訳ないが、その箇所を以下にピップアップして紹介しよう。
私(上野氏)は最近電車の中で座席を譲られることがとみに増えました。 ショックを受ける人もいるそうですが、年齢相応に見えるのだろうとありがたくお受けしております。 日本もそんなに悪い社会じゃないんだ、と思いながら。
(以上、“悩みのるつぼ”上野氏の回答内容からごく一部を紹介したもの。)
上記のご回答にこそ、大いなるショックを受けた原左都子である。
何と言っても上野千鶴子氏とは原左都子世代の女性達には、一貫した学問力によりこの世を変革するべく働きかけた先駆者たるべく印象があるからだ。
その上野氏が現在電車に乗ると、席を譲られるのだと???
その回答内容に少なからずの衝撃を受けた私は、上野千鶴子氏が現在何歳なのかに関してウィキペディアで検索させていただいた。 その結果は、1948年生まれの65歳……
私が上野氏の年齢に達するまでには、まだまだ我が人生を試行錯誤しつつ刻み続けねばならない。 還暦に近づいているとはいえ、未熟者の私がその年齢に及ぶ頃までに庶民レベルで一体何の業績が残せるというのか?
例えばの話がそんなことに思いを馳せた場合、他者からの「呼び名」などどうでもよいとも思える。 自己の人生を自分らしく歩み刻めたならば、他者に何と呼ばれようが、高齢になってたとえ電車内で席を譲られようがそれを容認可能との話題であろう。
若かりし頃より結婚願望も子育て願望も希薄だった私は、晩婚で産んだ娘が昨日20歳を迎えるずっと以前より、「自分の人生はすべて自己責任で好きなようにしなさい」と教育指導し続けている。
そんな我が娘がもしも将来孫を設けるような選択をした場合、この私も「ばあちゃん」と呼ばれる日が来るのであろうか??
そんな日が訪れることが自分自身の生き様に照らしてまったく想像も付かない、電車に乗れば未だ痴漢に遭う (あくまでも背面からだが…) 事を鬱陶しく感じつつ、お年寄りに席を譲る日々の原左都子である。