原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

捨てられない和服

2009年01月06日 | その他オピニオン
 成人式用の振袖の折込チラシを見て思い出したのだが、私は成人式に出席していない。従って、振袖を所有してもいなければ、未だかつて手を通したこともない。
 私の姉も私とまったく同様で、成人式に出席しておらず振袖も所有していない。

 これは、私の親の考え方によるところが大きい。私の両親は、現実主義と言うのか合理主義と言うのか、昔から(私に言わせてもらえば)自らの“偏った”価値観に固執して“無駄”を徹底的に排除したがるところがある人間達だった。現在まだ生存している母に関しては、今でこそ年老いて考え方が相当柔軟になってきているが、昔は、通常の母親らしくない異質な思想のある人間のように私には感じることもあった。

 そんな両親は、成人式の何年か前から娘2人に宣言していた。
 「成人式に親として(無用の長の)振袖など作る気はないから、そのお金を有意義に使うことを自分で考えておきなさい。」
 私はそのお金に自分の貯金も足して、米国へ短期留学する事に決めた。そして、20歳になる直前の19歳の夏に単身で米国へ旅立った。私なりの成人のお祝いはこれで終了した。
 
 ところが、当時まだ私は学生であったのだが、1月の成人式が近づくにつれ周囲の女友達の間では親に作ってもらった振袖の話に花が咲きはじめた。 どんな色にした、どんな柄にした、髪はどう結おうか、等々…。 話に入れない私にだんだんと惨めさが漂い始めた…。 何と言ってもまだ二十歳の子どもだ。
 これはどう判断しても、洋服でのこのこと成人式には出席できない。そう感じた私は、成人式には欠席の決断をした。健気な私は、欠席の理由を振袖がないためではなく自分自身の考えによる、と親に伝えた。

 さすがの親も私のそんな心情を察していたようである。特に母親は、私の健気さが身に沁みた様子だった。


 そんな母は、私が何年か後に東京へ旅立った後、母なりの奇妙とも言える“罪滅ぼし”を始めたのだ。
 母は年代的にも元々「和服」が比較的好きな人間だったのだが、姉と私2人の娘のために一生に渡って着ることのできる「和服」一式を揃え始めたのである。訪問着、小紋、色無地、紬、そしてアンサンブル、それに着物に合わせた帯に羽織、コート、夏冬の喪服、浴衣、それから、着物用毛皮にバックに巾着、履物、長襦袢等の下着類、等々等々……
 しかも、姉がウン十年前に米国に永住するに当たり、それらすべての和服を私に預けて行ってしまったため、私の大きな和ダンスは和服で満杯である。

 母の“奇妙”な罪滅ぼしは有難いのだが、残念なことに今の時代、和服を着る機会など皆無に近いのが現状だ。
 結局、私が母の仕立てた和服に袖を通したのは、30歳代後半の大学院の修了時に袴の下に訪問着を着たのみである。(それでもその時、母は十分に喜んでくれた。)
 私としては当時まだ独身だったので本音を言えば派手な振袖を着たかった。そのため、自身の“学位授与式”用に、自分で振袖を仕立てようかとも考えた。
 上記のごとく“偏った”両親の価値観の下で育った私には、そんな両親の“偏り”のお陰で、当時独力で大学院を修了して、振袖くらい仕立てられる程の財力も軽く備わっていた。 だが、母のせっかくの“奇妙”な罪滅ぼしをその機会に尊重したいと考え、あえて母が仕立ててくれた訪問着を着たといういきさつである。 


 それはともかく、この和ダンス一杯の和服であるが、今や正直なところ我が家にとってはそれこそ“無用の長”の存在であることは否めない。 引越しの度に思い切って捨てようかとも考えるのだが、我が母の娘の成人式への“罪滅ぼし”に思いを馳せると、やはりどうしても捨てられない。 虫干しをする気も機会もなく、おそらくタンスの中の和服はカビだらけなのではなかろうか。

 
 現在15歳の我が娘には、5年後(3年後??)の成人のお祝い時に「振袖」を一枚だけ作ってやることが今の時代の親としての最高のお祝いだと、我が親の教訓としてしみじみ思う私である。
      
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今年も「大吉」で行こう!

2009年01月03日 | 雑記
 私は、普段は星座や血液型、手相等々の「占い」にはさして関心のない人間なのだが、新年の初詣の際に「おみくじ」だけは毎年欠かさず購入する習慣がある。
 これには私なりの隠された“苦い過去”があるためだ。

 
 今を遡ることウン十年前の高校生時代に、私は神社のおみくじで「凶」を引いたことがある。

 学校の夏休み中に、遠方の友人の家に別の友人と2人で泊りがけで遊びに行った。真面目で健全な(?)高校生だったため、喫煙したり飲酒したりということは一切ないのだが、友人宅にルーレットやダーツなどの賭博おもちゃがいろいろとあって、それに3人ではまり深夜まで楽しんでいた。おそらく、チョコレートやキャンディなどのお菓子を賭けて遊んでいたのだと思う。

 不思議現象は既にその時から始まっていた。
 どうしたことか、私が大当たり大儲けの連続なのである。それはもう“神がかり”としか言いようのない程、当たって当たって当たりまくるのだ。 例えば、ルーレットでは数字そのものがズバリと連続で何度も当たる。他の友人達も負けて悔しいと言うよりも、私の当たり様がまさに神がかり的で皆で怖くなるほどだった。

 さて次の日、宿泊させていただいたお宅の友人のお父様(開業医でいらっしゃった)が仕事を中断して私達を隣県までドライブに連れて行って下さった。道中に神社があって、そこでお参りをすることになった。高校生でまだまだ子どもの私達は「占い」に関心がある。3人で「おみくじ」を引いて比べっこすることしにしたのだが、そこで私が引き当てたのが「凶」だったのだ。
 
 神社にもよるようだが、おみくじで「凶」を引き当てる確率は至って低い(あるいは元々「凶」を入れていない神社もあるらしい)と聞いている。 
 その「凶」をまたまた引き当てた私に友人の一人が言う。「○○ちゃん(私の名前)、昨日の“神がかり”がまだ続いてるね……」

 まだまだ子どもである事が幸いして、「凶」を引き当てた事が物珍しい程度で、さほど気にするでもなく時間が過ぎた。

 そして列車で自宅への帰路に着くのであるが、事件はそこから始まる。
 ターミナル駅で乗り換え時に、友人とショッピングをしてから帰ろうということになり、何と無謀にも手荷物(お土産も入れて一人3個ずつ計6個)を駅構内に置きざりにしたまま街へ出かけた。
 ショッピングを終えて駅に帰ってみると、私の荷物のみ3個が跡形もなく全部なくなっている!! 友人の荷物はすべて残っているのに、何とも不思議な光景だ。
 少し心当たりがあった。列車の中で、薄着のTシャツ、ミニスカートで友人よりも体を露出していた私は、知らない男に目をつけられているような気がしていた。列車を降りた後も、その男が後からついて来ているような気もしていた。 それを警察で話したのだが、結局荷物は見つからずじまいだ。なくなった旅行かばんの中には私の身分が証明できる学生証や学習教材等々と共に、汚れた服や下着が沢山入っていた。
 後々まで不気味さは続いた。「凶」を実感させられた事件だった。


 あの事件からウン十年が経った今尚、「おみくじ」を引く瞬間は私にとっては恐怖の時である。 それでもなぜ引くのかと言うと、「凶」ではない場合の喜びが倍増するからだ。「小吉」であっても「末吉」であっても私は至ってうれしいのだ。
 あれ以来、幸いにも「凶」を引いたことはない。

 昨日行った今年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。これで2年連続の「大吉」である。
 昨日の「大吉」のおみくじを少し紹介してみよう。
「さくらばな のどかににおう 春の野に 蝶もきてまう そでのうえかな」
(身も進み、財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にて、よき人の引き立てにあずかる。)

 よい年になりそうだ。
 今年も「大吉」で行こう!  
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